小説 | ナノ

セフレの兄が忠告してきましたが


※梵天軸





『ちょっと遅れる。仕事終わんねェ』

今日は竜胆君と会う約束をしていた。
彼から来たメッセージに"分かった。待ってるね"と簡潔に文字をスワイプし送信する。ふぅ、とスマホをカウンターへ置いて、彼が初めて私を連れて来てくれたこの店で時間を潰して待っていようと腰を降ろした矢先、声を掛けられた。声の主へと目を向ければ、竜胆君と同じ三百眼に薄藤色した瞳の男性。そしてその男性はまるで初めから自分と約束を交わしていたかのように自然と私の隣に腰を掛けたのだ。

「えっ…と」
「あー、竜胆の兄ちゃんって言えば分かる?」

不審がる私に目元を細めたその顔付きは、確かに竜胆君の笑った顔と何処か似ているように見える。怪しさ満点で微笑んだその男に私は距離を取りつつ怪訝な顔を向けた。

「あの、何で私が竜胆君と知り合いだって知ってるんですか?」
「なんでって…何でだろうなァ?ここ俺の知り合いの店だから?竜胆と前に来てたろ」
「え?そ、そうなんですか?来たことはありますけど…」
「ん、だから知ってんの」

だから知ってるって意味が分からない。
微妙に濁されたような気がするけど、深くは聞くなと笑顔で威圧感を醸し出すお兄さん。何食わぬ顔で居座るお兄さんを横目でチラリと見るも、瞳の他にも竜胆君と首の彫り物も同じ場所、髪色もメインカラーが同じであり顔立ちもやっぱり似ている。これは本当に彼のお兄さん、っぽい。

だがそのお兄さんは酒を注文すると早々に「竜胆は辞めておいた方が良い」と言ったのだ。それこそ意味が分からずハテナを頭に沢山浮かべていると「悪いこと言わねェから」と再度念を押すように言葉を繋げた。

「別に俺、お前のこと嫌いで言ってるんじゃねェのよ」
「はぁ…」

いくら竜胆君のお兄さんであっても、今出会ったばかりの人に急に"辞めておけ"と言われて上手い返しが即座に見つかるはずが無い。アレかな?俺の弟誑かすな的な感じだろうか。ブラコンなのか?しかしお兄さんの穏やかな声音からして、怒っているような様子はどうも見受けられない。

「その理由って…竜胆君が危ない仕事をしているから、とかですか?」

目立つ場所に彫り物をして働ける場所なんて限られている。色んな店の経営をしていると前に竜胆君から聞いてはいたが、その手の話に触れると竜胆君は余り話したがらない。だから深くは自分から聞かないようにしていたけど、雰囲気と見た目からしてその道の人なのかなと思っていた。ホストにしてはマメなタイプでは無さそうだし(失礼)、だからといってホワイトな企業に務めているとはとても思えない身なりだし(格好良いけど)。

「んー…まぁそれはどうでも良いつーか、色々大変じゃねぇ?」
「たいへん?」
「なんつーの?別に心配してるとかってんじゃねェんだけど」

仕事について否定も肯定もしないお兄さんはこれまた濁すような口ぶりでウイスキーに口付ける。このお兄さん、大変焦れったい。言いたい事があるならハッキリ言って欲しいと思うけど、竜胆君のお兄さんともなればその言葉を口にする事も顔に出すことも出来はしない。だから頼んだばかりの酒を口に含んで平常心を取り繕う。なるべく失礼な態度は見せないように。

「あーアレだ」

飲んでいたグラスをカタンとテーブルへ置くと、考えが纏まったのかお兄さんは私へ顔を向き直してほんの少し声のトーンを上げた。

「竜胆、束縛っつーか執着し過ぎてキツくねぇかなって」
「竜胆君が?」
「そォ。人よりちょーっと…なとこあんだろ?」

本当に竜胆君のお兄さんなのだろうかとつい一瞬疑ってしまった。だって私の知っている竜胆君とはとてもかけ離れていたから。でも竜胆なんて名前は私が知る限り一人しか知らない訳で、珍しい名前がそんな2人も近くにいない気もする。

「…人違いだったりとかは?」
「俺の人生ン中で竜胆って名前の奴は一人しか出会った事ねぇよ」
「奇遇ですね。わたしもです」
「だろ?」

やっぱり笑った顔が竜胆君と似ている。兄弟というのはきっと本当なのだろう。その後お兄さんの口から出る竜胆君の話は、束縛だとかそういった話を覗いて私が知っている彼で間違いないなと確信せざるを得なかった。

それから暫く主に竜胆君の話を談笑していると、私のスマホがメッセージを知らせる音が鳴る。送り主は勿論竜胆君からだ。

「あ、すみません。私そろそろ」
「ん、いいよ。今から竜胆と会うの?」
「一応約束しちゃっていたので」
「りょーかい。んじゃ連絡先教えておいて?」
「えっ」
「いーじゃん、ホラ早くしろ?竜胆待たせんな」
「えぇ…」

辞めろとか先程まで言っていた癖に待たせるなというお兄さん。よく分からないなこの人。

それでも何だかんだ少し仲良くなってしまったお兄さんにどうしたら良いのか分からずモタモタしていると、彼は痺れを切らしたのかスーツのポケットからスマホを取り出した。

「これも何かの縁じゃん?あ、竜胆には会ったことも連絡先交換したのも内緒にしとけよ?」

縁とは?これがナンパだったら速攻で断れるのに、お兄さんに笑顔で言われてしまうと断る勇気も文句も言えず、そのまま連絡先を交換してしまった。支払いをしようと財布をバッグから取り出すも、お兄さんに「ここは俺が奢るから出さなくていーよ」と言われてしまい、出会って数時間も経たない人に流石に申し訳なくなる。この件については頭を下げて感謝し、手を振るお兄さんに私は振り返った。

「あ、お兄さん」
「んー?どうしたァ?」
「わたし竜胆君とはお付き合いしていませんので。勘違いしているようだったら申し訳ないなって。その、言うのが遅くなってすみません」



「は?」



スマホが電話を知らせる為に鳴り響く。固まっているお兄さんに私はもう一度ペコッと頭を下げ、急いで通話ボタンをプッシュした。





「ごめんね、待たせちゃったよね」
「ん、いいよ俺が待たせたんだし。乗って?」

電話の相手は竜胆君であり、店を出れば彼は道沿いに車を止めて待ってくれていた。2週間ぶりに会う竜胆君に胸を踊らせながらもメイクを治す時間が無かったことを悔やむ。

「腹減ってる?」
「ううん、お酒飲んだしちょっと食べたから」
「そ?じゃあそのまま俺んちで良い?」

コクんと頷けば、竜胆君はニコっと口端を上げて車を発進させる。今日は竜胆君の家なんだ、ってお酒がほんのり入った頭でそんな事を思う。竜胆君からのお誘いは気紛れであり、場所も毎回違う。私の家だったり、今日のように竜胆君の家であったり、ホテルだったり。その日の竜胆君の気分で決まるのだ。友人とも言えない私たちが夜遅くに会ってする事は一つしかない訳で、今からのことを考えると胸が少し昂るのを感じてしまう。

でも私は竜胆君と特別な間柄ではない。だって竜胆君から束縛や執着なんてされた事はないし、これからもされる事は無いのだと思う。そもそもお兄さんに言った通り付き合ってないのだから当たり前。

「ナマエ」
「ん?…ぁ」

赤信号でブレーキにより車が止まったとき、名前を呼ばれたと同時に彼は私の頭をそっと引き寄せてキスを落とした。

「…急にチュウされたらびっくりするじゃん」
「わりー…っつかなんか今日いつもと違う匂いする気がすんだけど香水変えてねぇよな?さっきまで誰かといた?」
「えっ!?」

数秒で離れた唇に、胸はドキンと音を鳴らしたのにこれまた違う意味での動悸が私を襲う。絶対に竜胆君のお兄さんの香水だって思ったけれど、内緒にしろと言われたからには咄嗟に私の口から嘘が漏れた。

「えっと、今日あのお店凄い混んでたからかな?隣にも人が座ってたし多分その匂いが移ったのかも!」
「…ふぅん」

そんな訳あるか!と自分に心の中でツッコミを入れたがそれにしても竜胆君、敏感過ぎやしないか。取り敢えずえへへ、と笑えば竜胆君はそれ以上聞いてくることは無く、引き寄せていた手を離して彼はまたハンドルを握った。

やっぱりお兄さんは私を竜胆君の彼女と勘違いしていたのだと再度思う。深入りもして来ない竜胆君とは実にフランクな関係。竜胆君にとっては都合の良い女の一人に間違いはないとここに宣言する。







竜胆君のお家に久々上がると、当たり前だけど竜胆君の香りがする。私はこの匂いが安心するから結構好き。一人で暮らすには十分過ぎる程の室内に、竜胆君の脱ぎ散らかした服なんかがそのままソファなんかに掛けて置いてあるとふふって笑みが溢れてしまう。前に片付けようと思ったら「そのままにしといていーから」って言われて以来、そっとしておくことにしているけれど。

「竜胆君、疲れた顔してるね」
「そ?まぁ今日トラブって残業なっちまったからそれなりに疲れたかも」
「大丈夫?眠いなら寝る?」
「お前来たばっかで寝るとかどんだけバカなんだよ…あーてか先風呂入ろ?」

私のバッグを椅子に置いて呆れた顔をする竜胆君。疲れているのに関わらず、ただのセフレに断る事をせず約束を守ってくれる竜胆君に胸は小さくきゅんと音を立てる。

「お風呂なら入って来ても良いよ。わたし家で入って来たから待ってるね」
「はぁ?……あんさァ」

椅子の背もたれに荒く脱いだジャケットを掛けた竜胆君は、微妙に顔を歪ませたかと思うと私の手を取り脱衣場まで連れて行く。

「その香水の匂い嫌いじゃねぇけど、今嗅ぎたくねェ気分なの。だからお前も一緒に風呂入ろ」

腕を離した竜胆君は、ぽけっとしている私の服をフン、と器用に服を脱がせていく。

今日の竜胆君は疲れているのか少しだけ機嫌が悪いみたい。でもその眉間に皺を寄せた顔は嫌いじゃない。別に竜胆君は私にヤキモチを妬いているなんておこがましい事は思ってない。さっきまで男の人(竜胆君のお兄さんだけど)と一緒に居たってことは知らないだろうし、知ったとしても「へぇ」で終わるオチだろう。この関係が始まってから百も承知だったけれど、竜胆君は私自身にはきっと興味が無い。それでも私を見下ろす若干冷ややかな目付きは、私の心臓に淡い痛みを与えていくのだ。


今日も竜胆君、可愛いしかっこいいなぁ。


「…何笑ってンの?」
「えっわたし笑ってた?かっこいいなぁって思っただけだよ」
「…あっそ。いーから入ろさみぃ」

竜胆君は可愛いと言われるのが前に余り好きでは無いと聞いたから、その言葉は胸に留めておく。格好良いという言葉が嬉しかったのか、機嫌を良くした竜胆君は珍しく私の体を洗ってくれた。







あれから1週間、また毎日のように会社に行っては帰宅してと平凡な毎日を巡らせていく。仕事の休憩中にスマホを覗けば竜胆君からのメッセージが届いていた事に気付いた。

『今日会える?お前っち行く』

つい「ふふ」と笑みが漏れた。咄嗟に出てしまった声に周りに聞こえていないか慌てて辺りを見回すも誰にも気付かれてはいなかったみたいでまたスマホへと目を移す。"会えるよ。待ってるね"と送信して、私は竜胆君のメッセージをぼぉっと見つめる。こういう関係は必ず終わりがやって来る。好きになって沼ってしまったら、自分が惨めな思いをすると分かっていたから固定したセフレ関係は今まで余り作らないようにしてきた。それなのに竜胆君とはもう結構な期間が経とうとしている。これだけの期間一緒にいるともなれば、例え彼氏彼女でなくても終わりが来たときには寂しく思うんだろうなぁと最近は感じ始めてきてしまったことにどうするべきか悩む事も増えた。

竜胆君は私と歳が同じだけど、ちょっと子供っぽい所がある。眠いと機嫌が悪くなったり、急に寂しくなったと呼ばれたり、興味のない話はつまらなさそうに相槌を打っていたり、褒めてあげるととっても嬉しそうに笑ってくれたり。でも子供っぽいのにちゃんと大人だから時々困ってしまうのだ。さり気なく人の話を覚えているし、逆に私が元気がないと頭を撫でて励ましてくれるし、「可愛いじゃん」と照れ臭そうに言ってくれるときもある。竜胆君は女性の心を掴む事が得意な人だなって思い知らされる場面も多い。

じゃあ恋愛的な意味合いで好きかと聞かれると、正直自分でもよく分からない。わかんないけど、竜胆君の事は嫌いじゃないのだ。セフレを続けるに当たってそんな感情はいらない感情だし、もし私が竜胆君のことを好きになってしまったらきっと彼は私とサヨナラすると思うけど。




「あれぇ?ナマエチャンじゃん?」


仕事終わりの駅まで向かう道を歩いていると、クラクションを鳴らされ振り向けば竜胆君のお兄さん。兄弟揃って高級車乗ってんの!?という気持ちは胸に留め、お兄さんの車まで歩を進める。


「こんにちは。この間はありがとうございました」
「ん、いいよいいよ。仕事帰り?」
「はい、お兄さんも?」
「俺はお仕事まだ終わんねぇの。ちょっとしたサボり

サボれてしまう職種とは?学生気分なのかな?このお兄さん、不思議なお兄さんである。顔に出ていた私に彼はプッと笑うと「乗って」と口を開いた。

「え?あーいえ、私これから予定ありますので」
「それって竜胆?」
「えぇっと…」

素直に答えて良いものか分からず吃ってしまうと、それはもう「そうです!」と言っているのと同じこと。

「っま、送ってってやるだけだから乗ってけよ」
「どうせ竜胆君のことについて話したいんですよね?」
「分かってンじゃん。やっぱ俺間違ってねェよ、お前が竜胆のオンナだろ?」
「違いますって!」

お互い「はぁ?」という顔をして数十秒、お兄さんは引く気は無いのか細長い人差し指を助手席にちょんちょんと指す。腕にはめている時計を見れば、竜胆君の仕事が終わるまでもう少し。ぐぬぬ、と口を曲げドアを開ければ満足気にお兄さんは目を細めた。




私の家路まで竜胆君の話題、私の家の道順、竜胆君の話題、竜胆君の話題、でどんだけ弟の事が好きなのだとため息が出る程お兄さんは竜胆君の事を話しまくっている。

「ブラコン兄さん、ほんと竜胆君がお好きなんですね」
「あ"?お前この間のしおらしい態度はどこ行ったの?サカナのお友達になりてぇの?」
「ヒッ、すみません!」

何だか真面目な態度で接するのも仕事終わりのせいもあってか疲れてつい本音が出てしまった。もう明らか堅気じゃないよねと体は身震いし、一瞬にて額に冷や汗掻いた。

「あー話戻すけどさァ、もし今後お前が竜胆と付き合って百歩譲って振るなんて事があったら俺はお前を恨んで捕まえに行かなくちゃならなくなるワケよ」
「…本当に意味が分からないです」
「分かれよ。あの竜胆だぞ?お前はしらねェから、」
「そんなことにはなりませんって。ってか何で私が恨まれるんですか。付き合う話なんてそもそもなってないし、これからもきっとないですよ。お兄さんそんなだからブラコン言われるんですよ」
「海行くかァ」
「すみません」

もう気持ちは隠すと決めたのにまた本音がつい出てしまった。その後もこんな会話が続き、なんとか海ではなく家まで送り届けて貰うと帰り際にお兄さんは言った。

「…竜胆は素直じゃねぇだけだから。お前の肩持つワケじゃねぇけど後で泣き言言われたってこっちも困るんだワ。遊びだけなら他にも男いんだろ」

つまり縁を切れと言いたいのだろう。黙り込んでしまった私が返事をする前に、お兄さんは車を発進させて行ってしまった。

家に入れば意味の無いため息が漏れる。何だかとても私が悪いことをしている気分になってしまい、竜胆君と会う前なのに気分は下降していくばかりだった。





竜胆君が来るまでの時間、少し考える。
あそこまで彼の身内に言われてしまうとお別れをした方が良い気も少なからず芽生えて来てしまった。竜胆君に会えなくなるのは寂しいけれど、ブラコン兄を思い出すとそうも言ってられない。

こういうときどうやってさようならを切り出すんだろう。

好きな人が出来たと嘘をつく?それとも素直にもうこの関係を終わりにしようって言えばいいの?でもそれでは理由を聞かれたときに困る。…ちょっと考える時間が足りない。

はぁ、と頭を悩めていればインターフォンが鳴る。いつもならば竜胆君は私の家に着いたときは必ずメッセージを送ってくれていたから、宅配便か何かかと思い私は深く考えず玄関のドアを開けてしまったのだ。


「はい、あっ!?」


ドアを開けた矢先、グイッと手が差し込まれ豪快にドアが開かれる。驚いた私は持っていたドアノブから引っ張られ目先の男によろめいてしまった。

「りっりんどくん?」
「おー」
「あれ?早かった、ね?」
「ん、そんな事よりもさァ何で兄貴の車に乗ってたの?」


「へ?」



重たい前髪から覗く彼の瞳は据わっていて、その場の空気が凍りつくかのように冷ややかな目付きで私を見下ろしていた。







「え、っと」


咄嗟に目を逸らしてしまった私に気分を害したのか竜胆君は玄関に入り込むなりドアの鍵をガチャりと閉める。乾いた舌打ちをしながら未だ答えられない私へ一等低い声で口を開いた。

「俺の次は兄貴なワケ?とんだビッチだなお前」
「…は?」

顔を上げると今までに見たこともないほど眉間にぎゅううっと皺を寄せた彼につい唾を飲んだ。私の腕を引っ張るように引き、私をベッドにドサッと投げるように倒す。

「ねぇ俺聞いてんだけど?何で兄貴の車に乗ってたワケ?」
「それは…なっなんで知ってるの?」
「見てたからに決まってンじゃん。せぇっかく俺会えるの楽しみに仕事頑張ってたのにさァー。外回り終わって帰ろうと思ったらお前兄貴の車に乗んだもん。ッハ、傑作」

嘲笑うかのように息を吐いて私へ馬乗りした竜胆君は片手でネクタイを緩めていく。私の首元にそっと鼻先を当てると顔を上げて私の両腕を外したネクタイできつく結びだした。

「やっ!りんどうくん!やだっ」
「はぁ?お前が俺の嫌なことしてるからわりーんでしょ?つかさァこれやっぱ兄貴の香水だったんだな。うわー、お前マジで兄貴と何してたの?」
「な、なんにもしてないよ!外してよっ」
「まぁ素直に"蘭とヤッてました"なんて言うバカいねェよな」
「ほっほんとにしてないってば」

私の言葉を竜胆君は信じる気はないようで、冷ややかな視線を私に注ぐ。女の私が必死に抵抗したところで意味はなく、自然と涙が目に滲んだ。

「泣くなよ。泣いてもどうにもならねぇってことあんじゃん?お前が俺を傷付けたんだからわりーの」
「うっ、っく」
「だから泣くなって。こっちのが泣きてェくれーなのにさァ。俺の気持ち気付いてただろ?俺のこと遊びだった?」
「……へ?」

竜胆君は泣きそうな顔をほんの一瞬だけして見せた。だがすぐにその表情は元の冷徹な顔立ちに戻っていく。竜胆君の指先が私の唇にそっとなぞるように触れると、心臓の奥底からドクンっと音を立てる。

「何で俺じゃダメなの。何でお前は一人に絞れねぇの。何でお前は俺のことだけ見てくんねぇんだよ。何でよりによって兄貴なわけ?」
「あ、」

竜胆君はか細く小さな声で呟くように口を開く。理解が追いつかない中、それを良しとはしない竜胆君はなぞった指を首元まで少しずつ下げていくのだ。

「何をすりゃお前は喜ぶの?俺、お前には色々してやったろ?お前だけにはすげぇ俺優しくしてたのに。何でお前は俺の事一途に好きになってくんねぇの?何で兄ちゃんなんだよ。好きなの?は?有り得ねぇんだけど」
「ちがっ」
「違くねェだろ」

ビリッとする程一際低いそのトーンは私の体を固まらせる。

「こんな事言いたくねぇけどさ、俺の仕事もう大体気付いてんだろ?お前の事殺すのなんて簡単なワケ。お前を拉致って、監禁する事だって容易く出来んだよ。お前が一人いなくなったくれェで世間を騒がせず済ます事なんて簡単に出来んの」

今更になって、お兄さんの"辞めておいた方が"という言葉の意味を理解した。多分お兄さんはこの事を言いたかったのだろう。いつものように私に向ける優しい目付きは何処にもいない。真正面に映る彼は、目の色すらなくして竜胆君なのに竜胆君ではないみたいだ。

ドクン、ドクン。大きく心臓が動く音がする。ぎゅうっと胸を押し潰された感覚が私を襲う。竜胆君の手が私の首元をそっと掴んで徐々に力を込めていくのだ。

「あ、ぅッりんどッく」
「手錠で繋がれてェ?それとも朝から晩まで監視されてェ?
何がお望み?お前が逃げ出さねぇ為なら何だってするよ。他に欲しいもんある?あ、会社の上司が前に嫌だって言ってたよな?消してやろっか?俺好きな子には優しいからさ、叶えてやるよ。だから…」
「ぅ、は」

苦しくて咄嗟に竜胆君の手を掴むと、ぼやけた視界の中で私は目を見開いた。

「俺から離れていかないで。…俺を捨てるなら殺すしかなくなっちゃうじゃん」

力なく発せられた言葉と竜胆君の表情は、置いていかれた子供のように泣きそうな顔をしている。その顔を見たら自分でも分からないけど、気付いたら掴んでいた手を離して竜胆君の首周りに両腕を回していた。

「りんど、君。好き」
「…は?あ?」

心底驚きを隠せない彼は私の首に込めていた力を緩める。酸素が頭に入り込み、安堵するはずなのに胸の音は鳴り止まなかった。

「嘘、ウソ言うなよ」
「うそじゃ、ないよ」
「だったらなんで兄貴なんかと…」

急に大人しくなった竜胆君に私はゆっくりもう一度息を吸い込んで彼に視線を合わせると、竜胆君はどうしたら良いのか分からないと眉を僅かに下げる。

「お兄さんは竜胆君の事が大好きみたいで…竜胆君を捨てたら許さないってこと言われてただけで」
「は?俺のことを?兄貴が?」
「う、ん。遊びは許さないってこと沢山言われただけ」
「ンだよ、それ」

間違ってない。大事な弟傷付けたら許さないっていう点では間違っていないのだから大丈夫。顔に上がった熱が冷め始めると、竜胆君は急にあわあわとして私の腕を締めていたネクタイをシュルシュルと緩めていく。

「…外してくれるの?」
「ん、ゴメン。おれ、1人で突っ走っちまう所あるから…兄貴にいつも言われてンだけど」
「いいよ。私ちゃんと生きてるし」

竜胆君に笑いかけると、彼は堪らなくなったように口をぎゅっとつぐみ、私をそっと起こすと抱き締めた。

「…俺のこと好きってほんと?」
「本当だよ」
「っ!」

途端にポポポポッと顔を染める竜胆君。
え?だれ?竜胆君だよね?え?二重人格?と思ったのも束の間、骨が折れるかと思うくらいキツく抱き締めて来た竜胆君に先程までの険悪な雰囲気はもう何処にもない。

「ちょっりんどうくん!?」
「アッ、ごっごめん!俺お前にひでーことしちゃった。本当にゴメン、好きってわかんねぇから不安になっちまって」

手を緩めた竜胆君の顔はそれはもう真っ赤である。私が今まで見てきた竜胆君はどれが本物の竜胆君なのか分からなくなっできてしまった。

「っ大事にするから!ずっと…ちげぇ!一生大切にするから!あっ、ひでぇことしちまった変わりになんか詫びっ…お前の嫌いな上司殺しとく?」
「こっ殺しはダメだよ」
「アッ、だよな!?殺しなんかしたことねぇから!言葉の綾だから!」

あわあわとさっき自分で言っていた事を無かったかのようにあからさまに否定をし出したが、もう遅い。絶対に竜胆君はその道の人であること間違いなしである。でも、そんな事よりも……。

「竜胆君」
「なに?」
「あのね、私のお願い聞いてくれる?」
「俺に出来ることなら何でも言って」

竜胆君の返答に私の顔は微かに口角が上がるのを隠せない。好きだと思う前から気付いていたこと、今日改めて確信してそして恋に落ちた。

「あっあのね」
「ん?」

竜胆君は不思議そうに小首を傾げる。竜胆君の手を掴んで私の首元まで持っていくと、彼はキョトン、とした顔を私に見せた。


「さっきの蔑んだ目で私を罵ってもっと首締めて欲しい」


ちょっと自分で言ってて恥ずかしいけれど、竜胆君に罵られるのが好きだと気付いてしまった。勿論普段の竜胆君も素敵だと思うけど、私を見つめる冷ややかな目付きはその数倍素敵だ。この歳になって自分の性癖に気がつくなんて。

竜胆君は口をパクパク開けて目だって驚くほど見開いている。


ぐぅぅと声が聞こえてきそうな程考えた後、彼は言った。



「出来ねェ!ンな酷いこと出来ねェよ!!」






−−−−−−−



「俺の忠告無視してェ竜胆と付き合った挙句にナマエチャンは新たな扉開いちゃったってワケ?何でそんなん俺聞かされてンの?興味ねェしうぜ

竜胆君のお兄さん、蘭さんは心底怠そうに煙草の煙を宙へと吐き出しながら顔を歪ませるも私は気にせず口を開く。

「でね!聞いて下さいよ。竜胆君付き合ってから私に優し過ぎるんですよ!壊れ物を扱うみたいに!」
「いーことじゃん。つーかさァ俺暇じゃねェのよ」
「…前平気でサボってたじゃないですか」
「はー?ちゃんとお仕事普段してるっつーの。ってかオマエ前と随分性格違わね?なんなん?二重人格は流行らねェから辞めとけ?」
「それあなたの弟にも同じこと言えますからね」
「ンー?調子乗ってるとお前マジで海から突き落としちゃうけど?」
「そんなことしたら竜胆君が黙ってないですよきっと」
「揚げ足とる女は蘭ちゃんきらーい」

ピアノが流れているような雰囲気のバーなのに、私たちは場所も気にせず言い合いを始める。今日蘭さんをここに誘ったのは私である。そして何処までも決着がつかない会話に、ため息を吐いた蘭さんはグラスに口付けるとバーの扉が勢いよく開いた。

「ナマエ!兄貴!!」

急いで来たのか竜胆君は大変不機嫌に私たちの元へと歩み寄る。その顔付きにゾクゾクすると同時にきゅぅんとした感情が私を襲ってくるのだ。

「あ、見て下さい蘭さん。あの竜胆君の顔、めちゃくちゃ可愛くないですか?凄く怒ってる」
「あお前と一緒にして欲しくはねぇけど可愛いは同感」

竜胆君は私と両思いになった日から超がつくほど甘えたさんである。それはそれで可愛いし好きだけれどわたし、どうにもあの感覚が忘れられない。冷たい目付きで視線が合わさればドキンとして低い声で囁かれればもうどうしようも無くなるほど好きだと感じる。

蘭さんは面倒くさそうに席を立つと怒っている竜胆君の肩にポン、と手をあてる。

「心配すんなりんどー、お前の惚気聞かされてただけェ。んで安心しろって。兄ちゃんお前の女これっぽっちもキョーミナイ」
「ナマエは可愛いだろ!」
「アーハイハイ」

「コイツらバカだ」とでも言いたげに蘭さんは苦笑を浮かべて店を出る。2人きりになると、竜胆君は先程まで蘭さんが座っていた席に座り分かりやすく顔を歪めた。

「兄貴と二人になんないでって言ったろ」
「ヤキモチ妬いて欲しくなっちゃった」

素直に本音を言えば竜胆君は喜んでいいのか怒っていいのか分らない形容し難い表情を浮かべると、腹を括ったのかため息混じりに言った。





「そんなにヤキモチ妬かせてーなら金輪際そう思えねぇくれェに教えてやるよ。後悔しても知らねェから」





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