小説 | ナノ

お試しの筈が本気になった


※梵天軸





出会いは21才。お金が欲しくて昼の仕事とは別に夜のバイトをしていたときに彼とは知り合った。風変わりな桃色髪の毛をした男性と一緒に訪れた彼は店のオーナーを呼び出すと奥へと入っていく。暫くして話し終えたのか2人は戻って来ると、何故か白銀に染まった彼だけ待機ルームでスタンバっていた私の横に座ったから、何にも話さないのもなと思い挨拶がてらに私から声を掛けた。

「おっお疲れ様です。えと…なんでしょうか?」
「オツカレ。疲れたからちょい休憩」

休憩…そうか休憩か。体力無さそうだもんなこの人…じゃなくて!空いている席が沢山あるのにも関わらず何故私の隣に!?とつい言いそうになったが、こめかみに目立つ墨が目に入るとそんな事よりも先に恐怖が襲ってきた。明らか堅気ではないであろう人に私は乾いた唾を飲み込む。この店は時間給が良かった為に入店したが、裏が真っ黒であるなんて分かったらもう私はこの場にはいられない。あいにく待機ルームには寂しく私1人だけが残されており、助けを呼ぶ人は近くには居らず背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

「お前、名前なんて言うの?源氏名じゃなくて」
「ひっ、私ですか?えぇと…」
「お前しかここにいねぇだろ。あと偽名はバレるからウソつくなよ」
「ひぅっ」

適当な名前を言おうと思ったのに、それは見事即座に見破られ、観念して本名を伝えた。

「っ、ナマエです…」
「ふぅん、じゃあナマエ。借金もねぇならこんなとこで働くより普通に稼げ。お前には向いてねぇし明日から来なくていーから」
「…は?」

何だコイツと正直な所思ったが、刺青が再度目に映ると体が勝手に動いてコクンと頷いてしまった。なんて良い場所に彫ってやがるのだ。でも確かにこの人の言う通り、このバイトを始めて半年程経つが指名客はゼロに等しく、もしかしたら先程オーナーから私の愚痴でも聞いたのかもしれない。うん、絶対そうだ。あのオーナーは優しいと思っていたが酷い奴だったのだと私は頭の中で勝手に恨みを募らせる。そんな私を差し置いて、頷いたのに満足したのか彼はスマホを取り出した。

「ホラ」
「はい?」
「番号教えろ。交換しとく」
「え?」

言われるがまま連絡先を交換し、その後は1度だけご飯に誘われた。普通に稼げと言われたがもしや売り飛ばされたりするかもしれないと思うと、ヒヤヒヤして胸の動悸が治まらない。

一生来て欲しく無いと願った約束の日になると、ちゃんと時間通りに黒塗りの厳つい車に乗って彼はやって来た。顔は引き攣り心臓は恐怖でバクバクと音を立て、逃げ出そうかと一瞬にて色んな事を考えた。

「緊張してんの?」
「そりゃあまぁ…してます」
「別に取って食おうなんて考えてねェから安心しろって。普通に飯食いに行くだけだよ」

それが怖いんだよ!と思ったが勿論その言葉を口から出す事は馬鹿でもない限り出来やしない。隣に間を置いて座る彼は伸び伸び足を組み私に笑いかける。広い車内の筈なのに窮屈に感じて仕方がないし、怖さ故に生きてる心地がしなかった。

「あ、連絡先交換したから知ってるとは思うけど俺、九井一っつーの。因みにお前と俺同じ歳だから」
「えっ!そうなん!?いや、そうなんですか!?」
「変わりようすげぇな。まぁ媚びられるよりその方がいいけど」

連れて来られたのは個室の料亭。いつ風俗等の話が持ち上がるのかと肩に力を込めていれば、なんてことはない。そんな話は一切出ずに、料理を食べて他愛もない話をしてくるものだから拍子抜けしたのを今でも覚えている。

唖然とする私に、ココはもっと食えと料理の乗った取り皿を私へと差し出す。その皿を受け取りながら瞬き数回。歳はそう自分と離れていないとは思ったが、まさか同じ歳だとは思わなかった。その後もおっかない話は全く出ず、普通に会話をして、普通に終えた。その日に知ったことは、彼と昔に住んでいた場所も案外近く、10代の頃通っていた高校も近くであったこと。そして意外にも意気投合したこの日から、私は彼とは長年の良き友人関係が出来上がったのだ。人生って何があるか本当に分からない。





「ずびびっ、でねっ聞いてよ!」
「もうそれ5回目な?流石に聞き飽きたし鼻水噛めよ」

初めて二人でご飯に行ったときのような気品さが漂う個室の料亭。「ご飯に行こう」と長年の友を誘ったはいいが、何せ悪どい仕事をしているココ君に「お前の行く店には誰がいるか分からねぇし飯の量が少ねェ」と言われてしまい、こうしてお高いご飯屋さんを指定して来た。当の本人は私が足を踏み入れるだけで緊張している様子を見るもフッと薄笑う。タメなのにガキ扱いされた気がして恥ずかしいしちょっと悔しい。だってこんな場所には友達とは行かないし行くならココとだけしか訪れない、というか行けないから仕方がないじゃないか。

そして今私が口付けている酒が幾らするだなんて知ったらきっと飲めなくなってしまうから聞かないが、これも目が飛び出てしまうような値段の酒だと思う。

「ってかココってご飯食べてる時も仕事してるの?タブレットからちょい目ぇ離そ?君の友人ここにいるんですけどー。タブレットが友達とか寂しいじゃん」
「うぜぇ、話は聞いてやってンだからいいだろ。今目ェ離したらお前のせいで100万の金が溶けるかもしんねェけど、お前損失したら払えんの?」
「何それ怖い、払えないに決まってる」
「じゃ仕方ねぇな」

またもや小馬鹿にしたように笑ったココは再度タブレットに目を移す。そして彼の周りに次から次へと運ばれてくる料理たちを器用に彼は箸で突いていくのだ。ほっそい癖によく食べること。毎回これには圧倒される。食べるときも何かの取引をしているココを前に私はまた酒に口付け思いに耽けっていた。

3日前、付き合っていた彼氏に突然振られた。よく分からない理由であった。「頼む!別れて欲しい。俺とお前じゃ波長が合わない」と言われたのだが、波長が合わない奴と1年も付き合えるか普通。苦し紛れの言い訳にしか聞こえなかった。土下座する勢いで別れを切り出されたが、何が悪かったのか全く想像がつかない。何なら同棲する予定まで立てていて、アパートを探していた途中でもあった。意味が分からないと立腹する私に対し、向こうも引かずに必死で別れて欲しいと頼み込むものだから、自暴自棄になったこちらから逆に振ってやったのだ。しかし時間が経つと頭の熱も冷めてきてそれなりに結構キツい物が心に襲う。

「はぁぁ。ショックで泣きそう」
「振られたくれェで泣くなよ」
「違うしっ振られてないから!私が振ってやったの!」
「あーハイハイ」

話聞いてくれてないじゃん、という気持ちを胸に押し込めその代わりに目の前の彼をキィッと睨みつけてみた。が、そんな私に目もくれず取引が終わったのかココはタブレットをクラッチバッグへとしまうと息をフゥ、と小さく吐いた。

「どうしたの?お金ダメになっちゃった?」
「いーや?取引はプラス50万上乗せで終了」
「え!?この数分で!?ヤバくない?」
「おー、だって俺だし?流石だろ」

切れ長の目元を細めてドヤ顔を見せるココに、開いた口が塞がらない。

ココは損得をとても大事にする人間だなぁとこういう時とても思う。お金の動かし方を10代の頃から知っていたらしいし、話をしていて思うが頭も回る。そして自分に対しメリットがある人物を選びついて行くような人。だから時々私が何故ココと数年の友人を続けていられているのか分からない時がある。

「つーかさァ、お前のその元彼?何処が良かったんだよ。ナヨナヨした奴に思えんだけど」
「それは…優しかったし大事にしてくれてた、から?」

もう過去の話だけどね!と付け加えると本当に過去になってしまった思い出に私は遠い目をココへと向ける。

「ヤサシーだけの奴なんてそこらにわんさか転がってんだろ。それに大事にしてたら別れてぇなんて言わねェよ」
「ヴッ!ちょっとひどいっ今言うかなそれ!抉らないで傷を!怒るよ!?」
「わりーわりー。じゃ、他に男作れば良くね?万事解決」
「は、はぁ?そんな直ぐに出来る訳がないじゃん!別れたばかりだし出会いなんてもう早々に見つからないよ」

何を言っているんだこの人は。ココはとても頭が良いと思うけど時々こうして突拍子もない言動を繰り出してくる。酒飲んでないと思っていたけど、実は飲んでたりするのか?なんて思ったが、ココの前にはお冷のグラスが一つだけ。声を荒らげる私に反し、彼は美味しそうに残りのご飯を食べている。そしてご飯粒1粒も残さず食べ終えたココは長い舌をペロンと出して自身の唇を舐め上げた。

「いんじゃん。お前の目の前にオトコ」
「え?あぁ、うん。いやいるけど、どういうこと?」
「俺と付き合えば良いじゃん」
「…なんて?」

頬杖つきながら皿を重ねるココはそれはもう"ご馳走様"と当たり前の事を口にするかのように言った。幻聴かな?普段飲まない高い酒を飲んでいるから場の雰囲気に酔ってしまったのかもしれない。

「現実な?嘘じゃねぇし俺と付き合ってみれば良くねって提案」
「こっ心の中勝手に読まないで!」
「読んでねぇよ。お前が分かりやすいだけだろ」

笑いを含めた声は私の耳をしっかりと通過していき、それでも彼が言った言葉の意味を理解する事は難しかった。気を抜けば手に持っているグラスさえ落としてしまいそうだ。

「いっいやぁえっ!?何でそんな流れになるの?」
「俺もお前もフリーだし丁度よくねぇ?」
「丁度いいというか…ココって私のこと好きなの?」
「さぁ?」
「さぁ!?」

さぁって何!?一体どんな回答なのだ。ニヤニヤ面白い物を見るかのような目付きで私を見てくるココ。これは絶対にからかわれている気がしてならない。いくら私が別れたばかりだといってこの提案に早々ノるほど軽くは無いし、ココは私の大事な友人である。彼氏になんて出来る訳がない。

「俺はお前のこと女として見れるけど?」
「え"っ!?」
「マジでお前顔に出過ぎ。よくそんなんで社会に出れたな」
「反社に言われたくないんですがっ!」
「声でっか。興奮すんなよ」

呆れた表情を浮かべるココに顔を真っ赤にする私。
ディスられた事なんかに怒るより先に次へと繋ぐ言葉を必死に脳内で探すも中々返しが見つからない。そんな私にココはケラケラと笑って口を開いた。

「まぁ"お試し"で付き合ってみて別に無理なら無理でそん時はそん時だろ。そんな深く考えることねぇよ」
「そっそういう問題じゃなくない?え?おかしい気がするんだよな」
「そういうもんだよ。何にもおかしくねぇしお前考え過ぎると録な事ねぇからそれ以上深く考えんな」
「一々言葉が刺々しい!私と付き合う気本当にあるの?」
「あるよ」

サラッと言葉を繰り出すココに私の語彙は失われ、良い具合にココに丸め込まれている気さえする。彼の考えていることが読み取れない。暇つぶしで流石にこんな事を言う人では無いと思うし、それなりにココの事はこの数年で理解しているつもりである。このまま付き合って何かの拍子にココとの間柄に亀裂が入るのだけは勘弁蒙りたい。どうにかして断る理由を考えねば。

「ココくん」
「なに?」
「あのー…わたし彼氏とは色々とデートしたり一緒に映画見たり、ディ〇ニーとかも行きたい派なんですけどぉ」
「あー…うん。お前好きそうだもんなぁ」
「うっうんそうそう。好きだから色々行きたいんだけど…行ってくれるの?」
「あんまし好きじゃねぇけど時間取れれば行ってやるよ」
「マジすか!?」

またも「声デケェ」と怒られてしまったが了承されてしまった。どうしよう。というか私と付き合っても彼にとって何にもメリットが無いと思う訳でありまして。何を企んでいるんだという疑いの目を向けるが涼しい顔して彼はスマホを弄っている。ココといったら失礼極まりないが金以外浮かばない。金と仕事と少し優しくて気が合うという事しか浮かばないのだ。


ココと言ったら金、金と言ったらココ……それだ!!


「えっと、もしかしてココと出掛ける度にレンタル代とかって取られるシステムなんですかね…?1時間五千円とか…?それは私にはちょっとハードルが高いと言いますか」
「はぁ?」

眉間に皺を寄せ顔を歪ませたココは盛大なため息を吐くと細い指先で髪を掻き上げた。そのまま私の手元にあった酒のグラスを手に取り残っていた酒をグビっと飲み干すと、私の目をじいっと見つめて視線を掴む。


「お前失礼過ぎ。金には困ってねぇし第一自分の女に金なんか取るワケねぇだろ。ってか端からレンタルのつもりは一切ねぇ」


「へ」


今日一番のマヌケな声が私の口から漏れて、ココ=金という大変失礼極まりない自分の失言に、土下座する勢いで謝罪した。







こうしてココの発言によって始まった謎の"お試しお付き合い"。私はココの事を知っているつもりでいたが、何にも知らなかったらしい。

「疲れた。ちょい抱き締めてくんね?」
「ちょっ!うゎっ、大丈夫?」

玄関のドアを開けるなり、私に倒れ込むように体を預けるココに、つい足がよろめきそうになりながらも反射的に背へと手を回す。すると彼はしがみつくように私を抱き締め顔を肩に疼くめた。

「あー、柔けェ」
「…太ってるってこと?」
「違ぇよ。丁度良い体つきってこと」
「……それ褒めてる?」
「めちゃくちゃ褒めてる最高」

誰か助けて、私の知ってるココじゃない。いつも冷静な彼がこんな甘えん坊な一面を持っているだなんて誰が信じようか。そのせいで私は毎日のように心臓がけたたましく忙しない。それにココはメッセージの既読無視も通常運転であったが、今では毎日のように連絡を取り合っているし返信も早い。こんな人が変わることがあるのかと私は人生で今1、2を争うほど驚いている。お試しだとか言いながらもお付き合いを始めてからのココは異常に距離が近い。

「あのねココ。ほぼ毎日来てくれているけど、別に大丈夫だよ?」
「は?来ちゃダメなの?」
「ダメじゃない、けど仕事忙しいんでしょ?」
「あー、忙しいけど毎日頑張って仕事すんなら褒美だって欲しいだろ。ウチで働いてる奴らアホの集まりだしこんくれェの自由がねぇと俺が死ぬ」
「どんな職場なの」
「泣く子も黙るブラック企業。知ってんだろうが」

いつの間にかココが私の家に訪れるようになって2週間目突入。やっと抱き締めていた腕を解放した彼は只今わたしが作ったご飯を食べている最中である。ココが食べているようなご飯屋さんの味には絶対かないっこないのに、彼は「うまい」と言っていつも残さず綺麗に食べてくれるのだ。それが最近嬉しいと思ってしまう自分がいて、ほんと調子が狂う。

「そろそろ戻んねェと」
「え、どこに?」
「事務所。戻ったらまだやんなきゃいけねぇ仕事があんだよ。下に車待たせてんの」

ご飯を食べ終えて10分程しか経ってはいないと思うが、スマホを取り出し時間を確認すると名残惜しそうに彼は席を立つ。

「もしかして…仕事残ってるのに態々会いに来てくれたの?」
「そうだけど?」

当たり前かのように言い放つ彼にまた変に心臓が動き出した。え、わたし単純過ぎないか?とも思うし、これは私の知らないココを見ているから変に意識しているだけだって!という気持ちが交差して、それをどうにか隠そうとしているとププッと笑うような声が私の頭上から降りて来た。

「ンなさみしそーな顔されっと仕事行きにくくなんだろ」
「そっそんな顔してないよ!?」
「してるしてる。"ココ行っちゃ嫌"って顔してるワ」
「おお思ってないし!大丈夫だよ別に!」
「ひでーなぁ俺は寂しいのに。あ、今日も飯ありがとうな。それとさ、もうちょい頑張れば休み多分取れっから行きたいとこ連れてってやるよ」
「そっそれは真か?」
「お前いつから武士になったんだよ。まぁいいや、適当に行きてェとこ考えといて」

切れ長の目元を細めて私の頭をポンと撫でると、彼は玄関のドアを開けて行ってしまった。その場に立ちすくむ女が1人。勿論私である。

ちょっと待って、ほんとどうしちゃったの私。

ぶっちゃけココの言う通り、仕事に行ってしまったことへ寂しく思う私がいて、休みを取ってくれるという事にとても嬉しく感じている私がいる。あのデロ甘な男は本当に私の友人の九井一なのか?と更に頭を捻らすと、もう訳が分からなくなるばかりだった。

ココは私の事を好きなのかと聞けば「さぁ?」と答えた。
ココはお試しで付き合ってみるという提案をし、「無理なら無理でその時はその時」だと言った。いつまでそのお試し期間は続くのだろうか。私はココの気持ちを知らないのに、もしかして独り身になった私に気を使わせてしまっているのだろうか。一度考えると深く考え込んでしまうのは性分で、その日は余り眠れなかった。









それからまた更に1週間が経とうとした頃、ココは相変わらず時間を見つけては私の家へと訪れる。最近は距離が近い彼にも慣れて…来る訳がない。何なら仕事中にもココからメッセージが届く度に変な汗を掻いてしまうくらいには意識してしまっている。あの出会った日からのご飯以来、ひと月前までは私が送らなければココから誘いは愚かメッセージですら余り来なかったのに(誘ってみれば必ず来てくれたけど)。しかしここ最近は全て彼から連絡が来る。これを何とも思わない事の方がどうかしているかと思うし、一応付き合っていてココの彼女であるといっても、友人から彼氏に昇格したということが今までに1度も経験した事が無かったからか、耐性がまるでない。それに一番私を困らせている原因は最近のココがめちゃくちゃ格好良く見えることだ。

「おい、聞いてる?」
「うぁっ!ごめん。なっなに?」

彼が私を覗き込むと白銀に染められた長い髪が揺れ動く。それだけで瞬く間に顔の熱が上昇し、平熱をグンと超えるほど熱くなるのを感じた私はまるで生娘か!と自分にツッコミを入れたくなる。バレないように顔を背けるけど、何せ肩幅が触れ合うこの近さは色々とヤバい。このままでは私が持たない為に距離を取ろうと横へほんの少しズレると、ココは気に食わなかったのか私の肩を引き寄せ詰めてきた。

「なんでそんな離れんだよ」
「いっいやぁちょっとココくん距離が近いなぁって」
「カノジョなんだから距離近ェのなんかおかしくないだろ」
「そっれは…そうなんだけど」

ココはおかしなものを見るように小首を傾げる。私、余りにも簡単過ぎな女では無いだろうか。そのままココの目を見れずにいれば、今度はココの指が私のフェイスラインにあたる髪をそっと手に取り耳に掛けた。

「なっ!」
「顔真っ赤じゃん。どーしたんだよ」

目を細めて口角を上げる彼を前にして、胸の高鳴りは治まる所か異常に加速していくばかりである。あぐあぐと赤子のように口を動かす私にプッとココは笑い出した。

「ふはっ、お前見てると疲れが取れるワ。んでさっきの話の続きな?今週の日曜休み取れたんだけど、どこ行きてェの?」
「あっ休み取れたの?」
「取れたっつーか無理矢理取った。日曜ならお前も仕事休みだろ?」

私はやっぱりココの事を何にも知らなかったのだと再度思い、そして知った。多分わたしが見てきた彼も彼自身だとは思うけど、彼女に対しての彼は随分と甘えん坊であり、甘えさせてくれて、そしてよく笑い優しい人なのだと、知ってしまったのだ。

「休みだけど…私の休みまで考慮してくれたの?待って、ウソ」
「嘘じゃねぇわ、お前が休みじゃなきゃ俺が休む意味ねェだろバカ」

まさか本当に休みを取ってくれただなんて。
ちゃんと約束をしていた訳ではなかったし、寧ろその話は流れてしまっても忙しいココなら仕方がないと思っていたのに、有言実行しようとしてくれたのがとても嬉しく思ってしまう。

「でもココ最近忙しかったでしょ?家で寝たりしなくて大丈夫?」
「俺がお前といたくて休み取ったんだって。だからお前が気にする必要ねェよ」
「なっなにそれぇ」

ここまで言われてしまったらもう本当に私はココの顔を見れない。一体何の拷問なのだ。何故にココはこんな恥ずかしい言葉をサラりと言えてしまえるの。今すぐ走り去ってココから離れたいくらいに胸がきゅううっと熱くなって、こまる。

でもこれは"お試し"という名のお付き合いであることを忘れちゃいけない。これがちゃんとした関係であり、ココの彼女であれば私は今頃速攻抱き着いて喜んでいる。素直に喜べないのはココの気持ちが分からないからだ。ここまで甘々な彼を見て私を好きでいてくれているのかなって思いたいけれど、前に濁されてしまって以降この話はしていないから本当の気持ちは分からない。だから私は今モヤモヤしているんだ。そこでやっと自覚した。というか気づかないフリをしていただけで実際はもっときっと前からだ。私はココの事を好きになってしまっている。

喜んだり、モヤモヤしたり、ソワソワしたり、ときめいたり。わたし今いくつなの。良い大人が思春期拗らせるのも大概にしなさいって誰かに怒られちゃう。お試しっていつまでの事をいうの?好きになっちゃったらどうすれば良いんだろう。こんな経験した事がないのだから分かる訳がない。

「ん、どうした?やっぱお前いつもの調子と違くねェ?何か上の空だし」
「あ…そうじゃなくて」
「…?」

ココに限って弄ぶなんて事は無いと思うけど、それでもかなりの不安が私を襲う。違っていたらどうしよう、ココが近くに居なくなっちゃったら嫌だなって、この関係が崩れてしまうのが堪らなく怖い。でもいつまでも"お試し"期間がある訳では無いのだ。両膝に置いた手に小さく力をギュッと込めて私はココへと目を向ける。

「あ、あのねっ」
「俺のこと好きになってくれた?」
「……へ?」

私から口にする前に、ココの口からその言葉は繰り出された。私が見た中で一番優しく顔を綻ばせながら。





数秒にも満たない沈黙はまるで時が止まったかのようにも思えるほどに感じる。

「なぁ、好きになってくれたのかって俺聞いてるんだけど」
「あっ、その」

顔に熱が籠りとても熱いし心臓は音を上げている。反対にココは満足気に口元に弧を描いていた。その顔は絶対に私の気持ちに気付いてるって顔をしている。

「…し、知ってるんでしょ」
「何を?なぁんにも知らねェし言ってくんなきゃ分かんねェわ」

ず、狡い!ずる過ぎやしないかこの男!
ニヤニヤいたずらっ子な笑みを含んで私からの"好き"を待つココは「早く言えよ」とでも言いたそうに目を細める。こんな時だけ分かりやすく顔に出すの、辞めてもらいたいホント。

「…す、好きになっちゃったの」

声端が若干震えながらも好きだとやっとの思いで口にすれば、彼は即座に私を抱き締めた。

「あっ!?こっココッ!?ちょっくるしっ」
「やっと俺のものになった」
「へっ」

ココが今どんな顔をしているのか分からないけれど、その声音のトーンは笑っているのかなって思えるようなほんの少し弾んだ声に思えた。

「こ、ココも私の事その…好き、でいてくれてるの?」
「好きだよ。じゃなきゃこんな事までする訳ねェだろ。お前にはお試しとか言ったけど、そんなつもりは更々無かったワ」

不安に思っていたものが去っていくのを感じる。言葉にする代わりにココの背にぎゅうっと手を回すと「可愛い」と私を初めて褒めてくれた。何だかとても泣きたい衝動に駆られたけれどそんな暇も無く、ココは顔を上げると同時に私にキスを落とした。ほんの少しの隙間から舌を忍び込ませてきて、やっと唇が離れるとココは出会った中で一番の嬉しそうな笑みを私に見せた。


「お前が俺の事好きになるまで手ェ出さずに待ってやったの褒めろよ?すっげー我慢してたんだから」


蕩けるような甘い言葉とその声に、私は数年いてやっぱり彼の事をまだ知らない部分が多いのだと、ぼんやりとした冴えない頭でそんな事を思った。












甘い甘い時間を過ごした後、意外と体力が尽きていないココは起き上がれない私を介抱するかのように服を着させながら唐突に言った。

「あ、お前はもう俺の女だから種明かししてやるよ」
「ん…種明かし?」
「お前の元カレ、あの男にお前と別れるよう言ったの俺だから」
「へぇ………え?」
「金見せたら速攻目の色変えてやんの」
「は?嘘でしょ?は?」
「嘘じゃねぇよ。100万で手ェ切れって言ったら秒で頷いてたワ。アレは傑作」
「さっサイテー!ココめちゃくちゃサイテーじゃん!!」

事後の後に言う話では無いし、余韻に浸っていた私はこの爆弾発言により速攻で覚め、ココが着替えさせてくれていた手から逃れようとブンブン両手を振ったがそれは呆気なく掴まれてしまった。

「暴れんなって。んで謝る気はねぇよ?お前が俺さしおいて他の男に目ェ向けんのがわりーだろ。つーかそもそも俺に金を握らされて目が眩むような男なんて辞めとけ」
「そっ、かもしんないけど言ってくれれば!」
「言ってくれりゃ何?お前はその男と別れて俺を見てくれたワケ?お前一つの事だけ考える脳しか持ってねぇから"もうココとは連絡とらない"とか言ってたろ」
「うっ、」

多分、というかその通りになっていたと思う。本当にココは私の事をよく見ている。こういう所は褒めていいものか分からないけれど。諦め力なく下げられた私の腕からココは手を離すと、私のこめかみにちょんちょんと指を当てた。

「お前みてぇな馬鹿には逆にアタマ使って落とさねぇと落ちてくんねェの」
「……バカにしないで」
「バカになんてしてねぇよ。そこも含めて可愛いと思ってる」

赤い舌を出して私の唇をぺろりと舐められるも、私は口をへの字に曲げる。それでもココは満足気に目を細めていた。


「……いつから私の事好きでいてくれていたの?」


難しい事は聞いてはいない筈だがそれまで余裕を見せていたココは一転して、耳まで真っ赤に染め上げたかと思うと私から目を逸らして言った。




「出会ったときからっつーか…一目惚れ」







×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -