小説 | ナノ

クズな上司は格好良い


※梵天軸



派遣切りにあった私は路頭の末、見据えないお先真っ暗な未来から逃げ出したくなり目に付いた飲み屋に足を運んだ。独特な雰囲気の店内で酒をこれまでかというくらいに飲んで、望んだ通り酒に飲まれた私は自暴自棄になっていた。最悪である。そんな時に話し掛けて来た男が居る。

「んじゃウチで働けば?丁度人手が足りねェんだワ」

タレ目な目元を更に下げ怪しげな笑みを見せたその彼に"神様じゃん"って思い浮かんだ思考は、明日のご飯が食べられる!家を引っ越さなくていい!の2点であり、録にその職場がどんな所なのか聞かずに二つ返事で泣いて喜んだ。

これが私と蘭さんの記念すべき出会いである。





次の日頭は二日酔いで死んでるし、何ならどうやって帰ってきたかも覚えていない。ピロリロと呑気に鳴った着信音に重たい瞼を開ければ見知らぬ番号。非通知で無かったその着信になんの気無しに通話ボタンを押した。

『おっ出た出た。昨日は大丈夫だったァ?』
「ん……どちら様ですか?」
『えー、忘れちゃったのってかその声寝てたっしょ?もう夕方なぁ?今お前の家の前に居るから来て』
「…はい??」

2回のベランダから顔を覗かせれば、マジで昨日出会った男が黒塗りの車に乗ってフロントガラスから私に手を振っていた。繋がったままの電話に「10秒で降りてこーい」とか無理難題を言い出したものだから、冴えない頭のまま急いで服だけ着替えて取り敢えず家を出る。若干息切れしながらも窓をコツコツと叩くと私に気付いた彼は吸っていた煙草を消した。

「ウケる、マジでお前急いで来たの。5分しか経ってねぇよ」
「昨日飲み屋に居た方ですよね!?すみません!えぇと、何で私の家知ってるんでしょうか」
「はぁ?ここまで酔い潰れたお前を送ってやったのも忘れてんの?ショックだわ
「えっ!?」

リアリー?
面識の薄い人に家まで送って貰い、しかも忘れていたとか何て事をしてしまったのだと頭を下げ、謝罪とお礼を告げると蘭さんはにこやかな笑顔を崩さず車に乗ってと私を誘い込む。半場強引だったが「約束したろ?」とこれまた記憶にない事を言われてしまい、うろたえながら車に乗り込むと蘭さんは満足気に車を走らせた。道中痛む頭で抜け落ちている記憶を必死で取り戻そうとしていれば、程なくして1件のビルに着き彼は車を停めた。「行くぞ」と口調は伸び伸びしているのに歩く速度は足が長いからか早い。少々身を縮めながら後を追うと、そこで私は小さくなる所か今度は体が金縛りにあったように動けなくなってしまった。

「ココちゃんいるぅ?昨日言ってたヤツ連れて来たんだけどぉ」
「は?兄ちゃん昨日の今日で連れてくんの早くねェ?」
「えだってココちゃんが手が回んねェって言ってたから俺が急いでスカウトして来てやったんじゃん。俺ってば超優しくねェ?」
「きめぇからチャン付けで呼ぶんじゃねぇよ。どーせお前の場合面白がってたまたまいた女捕まえて来ただけだろ」

ここは何処だ。会社なのだろうか。あまり広くはないが事務用デスクや来客用の小さなテーブルとソファもあり、見る限り職場…には見える。しかし言っちゃ悪いが私が今まで働いて来た職場と180度違う職場の雰囲気に唖然とした。東京は色んな人が居るが、その内の一人に至ってはスーツでも作業着でもなくチャイナ服のような格好をしている。今はハロウィンでも無ければイベント行事は無い季節の筈だけど。怪しげな三人が話す言葉遣いは荒く、そして何より私の目の前にいる三人が同じ刺青を彫っている事に気が付くと小さな悲鳴が出そうになった。ヤバい集団かもしれん。私はその場で背を向けようとすると蘭さんは私の肩を逃がすまいとガッチリ掴んだ。

「ヒィッ!」
「就職先見つかって良かったなァ。蘭ちゃんに感謝しろよ?」
「なっ、なんのことですか!?」
「お前昨日派遣切りにあったって泣いてたじゃん。だから仕事与えてやんの。喜んでたろお前」

そう言われてみれば言っていたような聞いたような……ほぼ昨日のこと覚えてないじゃん!私の大バカ野郎!
今更酒を飲んだことを深く後悔しつつ、いくら職なしとはいえこんな怪しい職場で働くだなんて考えられない。詐欺の電話番やらされたりする!?それとも怪しい物を売買させられたりするの!?無理、帰りたい!と一瞬で色々思うが、仕事云々の前に普通に怖過ぎて肩に掛かっている蘭さんの腕を振りほどけない。蘭さんへそっと固まった顔を向けると彼は目を細めた。

「あのぉ……じっ辞退とかって、出来ますかね?」
「はぁ?無理無理、お前の名前も住所もこっちは知ってんの。頷いた以上は逃げらンねぇよ。必死に働け?」
「えんっ!!?」

絞り出した言葉は悪魔のように脅してくる蘭さんによって威圧され、喉から変な声が漏れた。他二人に関しても笑顔は無く私へと視線をじぃっと移し、上から下まで見られているような感覚に足が竦みそうな恐怖を産まれて初めて体感した私は、言葉の端が小さくなりながらも言うしか無かった。

「よ、よろしくお願いします」





私が任されている仕事自体は意外と普通の会社と変わらない。九井さんに言われた通りの資料を作成したり、ファイリングだったり頼まれた物の小さなダンボールを梱包したり。何の書類だとかこの箱に何が入っているのかは聞かない。聞いても良い事は無さそうな気がしてならないから。私が黙々と作業をしている横で、これまた奇抜な髪色した三途さんと言うお偉い様は「いつでも教えてやんのに」と長い舌をベロンと出しながら怪しさ満点の錠剤を飲んで言って来たが、それも丁重にお断りをした。

こうして晴れて明日のご飯に困らなくなった私が反社に片足を突っ込んでしまって3ヶ月。仕事さえ出来ていれば特に何も言われなかったし、出来ればここの人達と関わりを持ちたく無かったのでやるべき仕事だけをこなし、愛想を振りまくなんて事をしなかった。私の直属の上司になる九井さんは「前の奴は色目ばっか使って仕事が出来ねぇからウザいだけだったけどお前は仕事はぇーし楽で良い」と褒めてくれ、その件に関しては素直に嬉しかった。

ここに居る幹部の皆様は、個性強いしおっかない集団という事がこの3ヶ月で嫌という程分かり、嗅ぎなれていない血の匂いが香れば心臓がいくつあっても足りない。だが慣れというものは本当に凄い。平気では無いが今では気付かないフリが出来るようになってしまった。だが私をここに連れて来た張本人、灰谷蘭さんだけは知れば知る程苦手意識が強くなる一方で、いつもクズだなと思う日が多い。絶対に口が裂けても言えないけれど。

その理由、蘭さんは色んな香水の匂いを放ちながら社へと来ることが多い。香水を付ける事に関しては何とも思わないが、それがフローラルであったり、とことん甘いものだったりと多分殆どが女性物の香水だと思う。しかも大体毎回違う匂いだし蘭さんはきっと遊び人だと伺える。根拠は彼の弟の竜胆さんが「まぁた女泣かせたよ。今月何人目だっけ?」だとか、三途さんが「灰谷兄!テメェ彼処の女には手ェ出すなっつったろうが!取引先だぞヤリチン野郎がよぉ!」だと怒っているのがしょっちゅう私の耳に届くのだ。そして当の本人は、

「俺から誘ってねぇから」

が口癖である。そりゃまぁ顔はかっこいいし身長も高いし色気もあるしモテる理由は揃っていると思うけど、蘭さんは一人に絞ることが出来ない性分らしい。聞こえてくる会話を聞いている限り、女を何人か取っかえ引っ変えして修羅場になったりしているらしく、それを聞いた私はクズ!クズ中のクズやん!女の敵じゃん!と心の中で密かに思っている。

そんな今日、九井さんは外回り(何の外回りかは聞かない)らしく久々に一人で私は事務所で仕事をしていた。定時になったら今日は上がっても良いと言われていた私の気分はルンルンであったが、直ぐにそれは急降下した。

「おっ、仕事頑張ってんじゃん」
「お疲れ様です」

来たよ来たよ私の苦手な上司蘭さんが。ペコッと頭だけを下げてパソコンに目を移すと、蘭さんは私の真横で立ち止まる。

「こんなん良く作れんね。目が痛くなるわァ関心関心」
「…ありがとうございます」

暇なのか居座る蘭さんはずっと私が作業しているのを横で空いているチェアに座り珍しそうに見るからその視線が刺さること。凄く仕事しづらいし座るなら座るで離れた所で座って欲しい。

「見られてると仕事しにくいんですけど…」
「ん?だって竜胆来るまで暇なんだもん。つか何でお前俺にそんな冷てぇの?一緒に酒飲んで一夜共にした仲じゃん。俺お前の救世主よ?」
「別に冷たくしてませんよ。ってか誤解生まれる言い方しないで下さい!あの日はお酒飲んだだけだし仕事の件は…感謝してますけど」

蘭さんの事は苦手なだけで職に関しては半強制的だったが待遇は良いし今となっては無一文にならずに済んだことを感謝している。可愛げ無く少し嫌味な言い方をしてしまった様な気がしたが、蘭さんは特に気にしていない様子だった。

「蘭さん」
「何ィ?」
「ここ。めちゃくちゃ目立ちますけど」
「ん?あぁコレ?」

隠すつもりも無いのか蘭さんの長い首には小さな赤い跡が付いていた。蘭さんは私が聞いて来たのが珍しかったのか一瞬目を大きく開けるとチェアを動かし、距離をぐうっと近付ける。

「なっなんですか!?近いっす!」
「え。いやナマエチャン気になんのかなぁって思ってさァ」
「そ、そういう意味じゃなくて!見たくないけど目に入るんですよ!」
「それが気になってるって言うんじゃん。顔赤ェし?」

言わなきゃ良かった。
言い返してもきっと玩具のようにされると思った私はほんの少し睨みを効かせると、蘭さんはこれまた斜め上の会話へ持っていくのだ。

「え?図星?もしかして顔赤ェの処女だったりする?」
「は、はぁ!?図星じゃないです!でっデリカシーない!セクハラです!」

無視決め込もうと思ったのについまた乗ってしまった。この男は返事をしたらした分だけ喜ぶような変わった人だと分かっているのに。案の定ケラケラ口開けて笑っているし。

「はーっ笑ったわァ。なぁ、今から竜胆と飯食いに行くんだけど一緒に行かね?」
「行きません。兄弟の仲邪魔しちゃ悪いのでお二人で楽しんで来て下さい」
「じゃあオマエと俺の二人なら良いの?」
「はっはぁ?何でそんな意味になるんですか!」

慌てて「違いますから!」と蘭さんから目を背けるようにパソコンに視線を移し替えると、未だクスクス笑っている蘭さんは椅子から立ち上がると私の耳元で囁いた。

「残念。今日は我慢すっけど次は二人で行こうな?」
「へ?」
「お疲れ

蘭さんはヒラヒラと手を振って事務所を出て行く。二人なら良いなんて言っていないのに。女慣れしているだけあって自然と詰め寄ってくるその距離に、悔しいが数分仕事が手に付かなくなってしまった。





不意打ちも良い所だった。昼前に事務所に顔を出した蘭さんは押して欲しい判子があるとの事で私の元まで書類を持ってやって来た。言われた通りに判子を押し、蘭さんは書類を確認すると顔を上げる。

「お前なんか予定ある?」
「今日は特に何もないです、けど」

くっきり二重の目はあからさまに細まり言葉に詰まってしまった。仕事の話をしている最中だから仕事の件での予定があるのかと聞かれたと思ったんだもん。でもこの顔を見ると絶対に仕事関係では無い。

「よし、じゃあ今日は飲み決定。強制な?」
「…拒否権は?」
「ねぇよ強制っつったろ。この間二人で飲み行こって言ったじゃん。迎え行くから家帰って待ってて」
「えっちょっと待って」

何処か上機嫌の蘭さんは私の頭をフワりと撫でると事務所を出て行く。腐る程女が周りに居るはずなのに何故私を飲みに誘うのか疑問が募り蘭さんが出て行った後もそのドアを見ていると、私の座るデスクを挟んだ向かい側から声を掛けられた。

「…タラシは辞めとけ。婚期逃すぞ」
「あっ!?違いますよ!そっそんなんじゃないですから!」

目の前に九井さんがいた事をすっかり忘れていた私は否定するも苦笑されてしまった。何で私が苦笑されなければならんのだ。悔しい。





『わりぃ、ちょい遅れそうだからタクシー使って先店行っててくれる?飲んでていーから』

予約してある店名とメッセージが来たのは家に帰宅して直ぐだった。仕事で立て込んでいるのなら別に今日でなくても良かったのに。そんな事を思いながら予約してあるらしい時間まで少しあるので、メイクを手直しして服を着替える。

タクシーを呼び、予約された店に足を踏みいれば二人用の小さなテーブル席へと通された。未だスマホを確認するもメッセージが届いていないことに心做しかソワソワしている自分に気付くと、まるで私が楽しみにしているみたいじゃん!と何故か恥ずかしくなり頼んだビールをグビっと飲み干した。



「ゴメンなぁ。遅れちゃった」
「いえ、お疲れ様ですって…蘭さん?」
「ん?」

それから一時間も経たずに来た蘭さんはジャケットを脱ぎ椅子に座る彼を見れば口元に目が留まる。綺麗な蘭さんの顔の片口端に傷が出来ていたからだ。

「その顔、どうしたんですか?」
「あー、女の子にやられちゃった」
「は?」

女の子に?殴られたの?昼間は無かったよね?
えっ、一応職場の人間ではあるが私も一応女な訳で、別に蘭さんの彼女では無いけれど私と会う前に他の子と会って殴られて来たと?

「ふふっ何その顔ォ」
「いえク…ごほん。何したら殴られるのかなって」
「彼女にしてぇって言われたから断ったら物凄ェ怒られてこの仕打ち。女ってコェー」

こえーってアナタがそれを言いますか!?メニューを眺めながら淡々と話す口調に私はやっぱりクズやんと口に出そうになったが心の中で留め盛大にツッコむ。そんな怖い女達に手を出してるのは蘭さんでしょって思うけど、私はその言葉もまた口にせずビールで流し込んだ。

「女の子可哀想ですねぇ」
「ビンタされた俺のが可哀想だろ。"蘭君の彼女になれなくて良いから一緒に居たい"とか言ってきたのは向こうなのにさァ、連絡しねぇと怒んのよ」
「あー、まぁ手を出すのはよろしくないですね」

その女の子は蘭さんに優しくされて好きになっちゃったのだろうか。でもビンタされるって流石に相当な事無い限りしないと思うんだけど。蘭さんは私が顔に出ていたのか口を開く。

「"名前しか知らねぇのに彼女とか普通に無理"って言ったらやられちゃった」
「わっわぉ。そりゃやられますわ
「お前結構容赦無いね」

不憫だ蘭さんを好きになった女の子達は。飴を与えるだけ与えて切捨ててしまうだなんてきっと蘭さんだから出来ることであろう。実際殴られちゃっているけれど、他に代わりは幾らも居そうだし。仮に蘭さんと付き合えたとしても今度は不安ばかりが襲ってきそうでそれはそれで疲れそうだ。

「蘭さんて何で一人に絞んないですか?」

あれから一時間程経ち、何だかんだ話も弾み楽しく酒を飲んでいて気になった事を聞いてみた。蘭さんは飲むペースが早いみたいだが顔が紅潮する訳も無し品よく何杯目かのウイスキーを飲んでいる。

「え、なに。ナマエチャン俺と付き合いてぇの?」
「そんな訳ないじゃないですか。でもよく竜胆さん達が遊びすぎって言ってるのよく聞くんで。何人もいると大変そう」
「別に何人もはいねェしそれはアイツらが盛ってるだけェ。っつか付き合うンだったら好きになれねェと付き合えなくない?」
「え?そりゃまぁ…好きは前提ですねっふふ」

盛ってるってのは絶対嘘でしょ。でも蘭さんの口から当たり前だけど"付き合う=好き"が出て来るのが意外で少し面白くて笑ってしまった。

「可愛い。そうやって普段も笑ってりゃ可愛いのにお前何でいつもムスッとしてる訳ェ?」
「べっ別にムスッとなんてしてませんよ!?面白ければ笑います!」

可愛いと言われて顔は瞬く間にボブっと赤くなっていき、頬杖着きながら上品に笑う蘭さんに弁解するも余り意味の無いものの様な気がする。

「じゃあ今の俺の回答面白かったんだ?」
「そっそういう意味ではっ」
「俺お前に嫌われてるかと思ってたから嬉しいワ」
「……はい?」

苦手だと思っているだけで嫌いとまでは思っていない。だけど、だけど蘭さんが今私に言った顔と表情に胸がドキッと音を鳴らしたのは事実であった。柔らかく笑った顔にグラスを持つ長い指とその声のトーン、そして急に出た言葉。蘭さんと関係を持った女の子達はきっとこんな感じで恋に落ちてしまったに違いないと思った。

「ん、やっぱ可愛い。酒飲むとお前表情豊かになんだなぁ?」
「かっからかわないでください!そういうの禁止!ダメ絶対!」
「別にからかってねェし本当の事言っただけじゃん。可愛い子と酒飲めて幸せだわ
「オジサン!蘭さんおじさんっぽいです!」

からかって私の反応を見て楽しんでいる蘭さんはおじさんと言われても「俺もう三十だもん」と否定もせず煙草に火をつける。余裕があるのが悔しくて、それでいて苦手な筈なのに、録でもない男の筈なのに、心臓がさっきからずっとうるさい。




「俺と付き合ってみる?」
「……なんて?」

帰りのタクシーで蘭さんは唐突に私の髪を指に絡めながら言った。

「…付き合うのは好きじゃないとって話してませんでしたか?」
「んー、うん。した」
「蘭さん本当良く分かんない。そんなだから女の子にビンタされるんですよ」

落ち着け、落ち着けわたし。
この人の言葉で一々胸を踊らせていたらキリがない。遊ばれてポイなんて分かりきっている事に本気になってはいけない。そうやって思っていたのに、蘭さんは髪に絡めていた指を移動させ私の頬をそっと撫でた。

「俺から言ったのはお前が初めてなんだけど」
「……は?いやいやいやいや!?わたし蘭さんの事女遊びが激しいって事しか知りませんし!?私の事も何にも知らないじゃん!?遊び人はちょっと!」
「声デケェしお前ちょっとは口を慎めなァ?」
「うぐっずみばぜっ」

つい咄嗟に出た言葉に蘭さんは頬を撫でていた指で私の頬っぺをむぎゅむぎゅと掴み出した。

「お前と話してンの楽しいんだよなぁ。初めて会った日も結構気楽に飲めたしお前可愛いコぶんねぇし」
「はなじでっ!ら"んさっ」
「こういうのって出会ったばっかはダメだとかお互いをもっと知ってからぁってお前みたいに言うヤツがいるけどさァ、」
「ち"ょっ、力つおいでずっっ」
「ンなの気になっちゃったらもう意味無くね?つーことで、




お前マジで俺と付き合ってみない?」


やっと離れた指に捏ねくり回された頬はじんわりと熱を帯びる。暗くて表情が分かりづらかったけれど、目に映った蘭さんは笑っていないと思う。

「どう?」
「あ、えっとぉ……」
「……」

ちょっとした沈黙に、今日一番と言えるくらい心臓の動くペースが早い。頷いてはいけない、きっと私も蘭さんが関わって来た女の子達と同じ結末を辿るに違いない。自ら傷付く道を選ぶなんてどうかしている。なのに昨日の今日という関係でないにしろ、頭では分かっているのに頷いてしまいそうになってしまうのだ。

「もーすぐお前っちだよなァ?俺も行って良い?」
「あ、ぅ」
「ねぇ、蘭ちゃん聞いてんだけどォ」

絶対捨てられるじゃん。捨てられて私が泣くオチしか見えないじゃん。それが分かっていたから苦手だったのに。だって私は女に甘く捨てる時は容赦なく、一人に絞れない彼しか知らないのだから。

「……一途じゃない男には興味、ないです」

蘭さんが唾をゴクリと飲み込んだ気がする。タクシーが止まると、彼は柔和な笑顔を見せて私にキスをした。






結局私は彼を家に連れて来てしまった。玄関のドアを閉めた矢先に蘭さんは体を抱き寄せると私をドアに背を着かせ、唇を奪う。お酒の味と煙草の味がすると共に、彼から香る香水の匂いは彼本人の物なのかもう分かんない。

絡め取られる舌に息を吸うのが苦しくて、軽い酸素不足に陥るのを愉しそうに薄目で見やる蘭さんに、恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。そのまま着ていた服の中に蘭さんの大きな手が滑るように入り込み体が跳ねる。

「可愛い」
「やっ、ここ玄関ですからっ」
「んー?じゃあお前のベッド行こ?」

するりと服から手を出した蘭さんは、初めて来た家だというのにも関わらず私の手を引っ張り歩を進める。全然緊張していない様子とその行動力にズキリと胸が痛み、それなのに私に今見せる何もかもが甘く妖艶で、やっぱり彼は女の喜ばせ方を知っていると思い知らされる。

本気になったらダメ。絶対にダメだと思うのに、蘭さんのゾクゾクするような瞳で見られると何にも言えないし抵抗が出来ないのだ。ベッドに降ろされて私を見つめる艶のある表情は、私だけにしか見せないで欲しいなんて本当どうかしているんだ。

「ンな顔で見ないでくれる?…煽られんの得意じゃねェんだわ」
「…煽ってなんかないです」
「へぇ」

蘭さんに見下ろされながら私は小さな抵抗を試みるが意味はまるでない。再度キスを落とし口内を犯した蘭さんの舌が離れると、蘭さんは甘く低い声で囁いた。


「嘘つき」





蘭さんとのセックスはそれはもう今まで経験した誰よりも上手くて骨を抜かれるってこういう事を言うのかと思った。バテている私と正反対に蘭さんは優雅に煙草を吹かして疲れているようには全然見えない。

「お前処女じゃなかったんだね。ショックだわぁ」
「全然ショックそうに見えないですけど」
「そう?でも今までの男より俺が一番気持ち良かったでしょ」
「…ほんと蘭さんデリカシーないです」

思ったことを見透かされ、クスクス笑う蘭さんに私は起き上がれずうつ伏せのまま顔を彼に向け睨みつける。煙草を消した蘭さんは帰る様子も無ければそのまま寝転がり私の頭を撫でた。それが心地よくて気を抜けば眠ってしまいそうだ。

「あ」
「どうしました?」
「明日竜胆迎えに行ってやる約束してたんだワ」

蘭さんは空いた手でスマホを覗く。
兄弟なのは知っているけど、普段の二人を見ていると竜胆さんの方がどちらかと言えばお兄さんに見えるから、自分が一番な蘭さんがお兄さんらしき行動をする事が意外だった。

「なぁに笑ってンの?」
「いえ、すみません。ちょっとお兄ちゃんっぽくて驚きました」
「ハァ?俺は生まれた時から竜胆のお兄ちゃんだよ」
「それもそうですね。っふふ」

当たり前の事でも蘭さんが言うと何故か面白い。眠くてぼんやりとした顔で笑えば、蘭さんは優しく笑って頭を撫でてくれて、キュンとした感情がまた私を飲み込んでいった。





朝起きればもう蘭さんは私の家にはいなかった。それを少しだけ寂しく感じながら昨日の事を思い出す。まだ時刻は薄明るくなった早朝だと言うのにも関わらず、寝ぼけていた目は冴え体は急激に体温が上昇し始めた。

「どうしよう」

誰に言った訳でも無く1人きりの部屋でポツリと呟く。
蘭さんは夜中に言っていた通り竜胆さんを迎えに行ってしまったのだろうか。こんな朝早くに?

「……」

考えても仕方がない。頭は蘭さんの事でいっぱいだけれど頭を横に振っても結局の所、今日どんな顔をして会えば良いんだろうだなんて彼のことを仕事に行くまでずっと考え込んでいた。





今日は一日中ぼーっと仕事をしていた。当の本人、蘭さんは事務所には訪れないし、お昼頃来た竜胆さんに何気無く聞けば「俺んとこ迎え来てどっか行った」とか言うし。別に良いんだけど、こんな1日で蘭さんの事が気になって仕方が無い私に自分自身にため息が出そうだ。

「あー、オマエさ」
「はい?」

朝から忙しそうだった九井さんに珈琲を淹れデスクに持って行くと呼び止められ、目が合えば何処と無く言いにくそうに九井さんは口を開いた。

「お前男出来たの?」
「は?」
「ここ」

九井さんはちょんちょん、と指を自身の首元に当てる。

「それ、キスマじゃねぇの?」
「えっ!嘘!ちがっ、えっ!?」

急いで手鏡を取り出し自分の首元を見れば小さい鬱血痕。今日は本当に朝からボケっとしていたから首なんて見ていなかった。途端に赤くなる私に九井さんは「嘘じゃねぇだろ」と言い放つ。

「余り目立たねぇとは思うけどソレ誰に付けられた?」
「えっっ」

言葉に詰まりすぎて動揺しまくり慌てふためいていると、いつの間にか事務所のドアが開いたのにも気付かず、背後にいた彼は私の頭に顎を乗せた。

「おれェ
「はぁ!?」

その正体は蘭さんであり、驚く私を他所に九井さんはげぇっと顔を顰めた。因みにいつの間にか蘭さんの左右には竜胆さんと三途さんも居て二人の驚く声も耳に届く。

「お前…もう昼とっくに過ぎてンだけど。何処に行ってたんだよ」
「好きな子に嫌われたくねェから女全部制裁してきた」
「「「はぁっ!?」」」

固まる私に蘭さんはそれはもう楽しそうに微笑んでいる。竜胆さんにそろりと顔を向ければ、知らなかったようで蘭さんの事を凝視していた。そして蘭さんの右側にいる三途さんも同じ様な顔をしている。九井さんはというと深い深いため息を吐いた。

「…俺コイツの事狙ってたのに何手ェ出してんだよ」
「「「えっ!?」」」

恥ずかしげも無く九井さんは眉間に皺を寄せながら言うものだから、今度は私含め竜胆さんと三途さんは蘭さんから九井さんに目を移し替える。

え、何、どういう事なのそれ。
全然知らなかったんだけど。

声も出ない私はまるでエサを求めているコイのように口をパクパクと開ける。そんな私を他所に蘭さんだけは驚いている様子も無くしらっと言うのだ。

「知ってるゥ。前の奴にはシカトこいてた癖にコイツだけにはくっそ甘いし。でも、」

蘭さんは私の頭に顎を乗っけたまま長いその指で私の顔を擦る様に触れる。何処に目を向ければ良いか分からなくなる程忙しなく動く心臓と途端に熱くなる体の体温に、前も後ろも見れず伏し目がちに目線を逸らした。









「俺はココちゃんが狙う前からコイツの事狙ってたんだもん。盗らないでね?」






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