小説 | ナノ

片思いは終了です


※梵天軸

※春千夜に「俺結婚すんの」って言われてしまう話



折角彼に会えるというのに今日の天気は朝から重たそうな灰色の雲が広がっていて、夕方になればいつの間にか雨が降り出していた。雨の日は好きじゃない。湿気のせいで頑張ってセットした髪やメイクも崩れやすいし、何より心做しか気持ちが沈んでしまう。

雨の中車を走らせて迎えに来てくれた今日の春千夜君はいつもと少しだけ雰囲気が違った。セダンのハンドルを握り、スリーピースのスーツをカッチリと着こなして、春千夜君から香る香水の匂いも、煙草を吸う姿もいつもと何も変わらない筈なのに、何処か違う空気が彼を覆っている気がする。その理由が何かだなんて言葉にして聞くことが上手く出来ず、普段よりも言葉少ない春千夜君に私も同じく口を閉ざし、車窓から映る街並みを黙って見ていた。

夜に差し掛かる東京の街並みは雨に濡れてネオンの光が反射するとキラキラして見える。雨は嫌いだけど、唯一この雨に濡れた街路を見るのだけは嫌いじゃなかった。寂しくも感じるけれど、綺麗だなとも思うから。

春千夜君が車を停めた先はジュエリーショップ。ハテナを浮かべる私に「着いてこい」と告げた彼の背を追って、普段よりも高いヒールを履いていた私はつい転びそうになってしまった。

「慣れねェもん履いてっから転ぶんだろ。バーカ」

その言葉に私は口を尖らしたけど、春千夜君が小さく笑いながら私の手を取って歩く速度を落としてくれたから、そんな一仕草に胸はきゅうっと苦しくなって、尖った口は直ぐに緩んでいく。こういう所、ほんと狡いよなぁなんて春千夜君を見上げていたら直ぐに彼はその視線に気付いた。

「前見てねェと俺まで転ぶだろーが」
「もっもう転ばないよ!春千夜君が歩くの早いからだよ」
「ハッ、どうだか。っつか人のせいにすんじゃねェよ」

意地悪く笑って見せる春千夜君に慌てて私は前を向く。私よりほんの少しだけ前を歩く彼に毎回心臓は忙しない。





「こちらのデザインも女性の中で今とても人気なんですよ」
「えっと…え?あー、え?」

品のある販売員がキラキラと宝石が嵌め込まれているリングをいくつか私へと見せる。春千夜君が「コレ、あとそっちのも見せろ。ついでにアレも」と言ったからである。指輪を見に行くだなんて聞いていなかったし今の私はかなり慌てていて、目の前で輝く指輪なんかよりもニコニコと笑顔を振りまく店員と、私の横で平然と指輪を眺めている春千夜君を交互に見遣っていた。

「何キョロキョロしてんだよ。早く決めろ」
「早く決めろって…なっ何で指輪?」
「あ?買ってやるからに決まってんだろ。何しに来てんだテメーはよぉ」
「は、え?」

頭の中は混乱状態で、春千夜君が指輪を私に買ってくれる意味も分からず、私達のやり取りを見ている店員さんにそろりと目を向けるも目の前で上品に微笑んでいるだけだ。軽く羞恥心に駆られた私は勿論指輪を急に選べと言われて直ぐに決められる訳なんかなくて、それを見兼ねた春千夜君が取り出された指輪の中から一つ選び指を指した。

「あー…コレ付けてみろ」

シンプルめなデザインに一つ宝石が埋め込まれているようなリング。店員が私の指にそっと嵌めると、春千夜君は「いいんじゃね?」と一言だけ言い、硬直している私を他所に「じゃこれで」と話を進めた。

「かしこまりました。少々此方にお掛けになってお待ち下さい」

店員が店内のバックに入り数分。春千夜君は面倒くさそうに椅子に腰掛け足を組む。

「ンでこういう店は会計クッソ無駄に長ぇのかねェ」

春千夜君の独り言の様に呟くドカッとした態度に対し、私は肩を縮こませて小さくなっていた。

「春千夜君、何で指輪?」
「ぁん?買ってやるって言ったろうが」
「いやそうじゃなくって、指輪を買う理由だよ!」
「あー…ンなもん」
「大変お待たせしました」

春千夜君から理由を聞く前に丁度良いタイミングで店員が私達の元へと歩み寄る。結局その場は理由を聞けずじまいで彼は早々に席を立ってしまうから、私も今度は転ばないように気を付けてまた彼の背を追った。

「ん」

歩くのが早い春千夜君は、急に思い出したかのように立ち止まり振り向くと私へ手を差し出す。それがやっぱり嬉しくて、私は彼の手を取るのだ。繋がれた春千夜君の手はちょっとだけ冷たくて、握る手にほんの少しだけ力を込めた。

私は春千夜君の大事な子ではない筈だ。だから指輪を買ってもらう理由なんてないし彼の真意が分からない。でももしも、もしも大事だと思ってくれていたとしても、私と春千夜君がこの先一生未来を交える事はないであろうと私は思っている。

店内を出れば雨はまだ降っていた。
先程よりも小降りになった雨は未だ地面を濡らし、春千夜君は怠そうに傘を差し私を招き入れる。そのまま車に乗り込むと春千夜君は予め予約してあったレストランへと私を連れて行き、その道中もやっぱり口数は少なかった。



「俺、ケッコンする事になったワ」
「……へ?」

美味しい食事も中盤、メイン料理が運ばれて来た所で春千夜君は何食わぬ顔をして私にそう告げた。咄嗟ながらに春千夜君の顔を直視するも今自分がどんな顔をしているのか分からない。

「……彼女いたの?」

やっと出た言葉が"おめでとう"ではなく"彼女がいたのか"という言葉。皮肉めいた言葉を言ってしまったような気がして慌てて「そういう意味じゃなくて!」と言葉を繋いだけれど、春千夜君は特に気にしていない様子だった。

「彼女っつーか…まぁ見合い?っつーの?あー見合いじゃねぇか?」
「お見合い…」

言葉を濁す春千夜君に失礼だけれど、彼がお見合いをするような人柄に見えなかった私はつい復唱してしまった。胸は石を投げられたように痛みを負い、目の前が真っ暗になりそうだ。普通を取り繕わなきゃって思うのに、メイン料理のお肉に刺さったフォークを口へ運ぶ事が中々出来ない。

「お見合いって事は…春千夜君の知らない人?」
「いや?もうずっと前から何度か会ってる奴」
「そう、なんだ」

春千夜君は余り自身の事を教えてくれない。教えてくれないから、余り詮索するような事をしたくなくて今まで聞かなかった。私自身も余り人に自分の事を聞かれるのは苦手だったからだ。でもやっぱり私の思った通り今日の春千夜君は普段よりも雰囲気が違ったのはこういう事だったんだね。だって本人は気付いているのか分からないけれど、今の春千夜君は柔らかい顔して薄く笑ってる。

「でもまだソイツ俺との結婚知らねぇの」
「へ、へぇ」

春千夜君が私の知らない女の子の話をするのは初めてで、彼が楽しそうに口にするその言葉は聞きたくないと思ってしまった。耳を塞ぎたいのにそれが出来ないから相槌を打つ事くらいしか出来ない。初めて会ったときから、春千夜君とこういう関係になった日から、いつかは終わりが来る関係なんだと分かっていた筈なのに、いざ降り掛かって来る現実に心は中々簡単に喜んで頷けはしないのだ。

「でぇ、どうよ?」
「……どうって?」
「俺が他のオンナのモンになんのはどんな気持ちかって話ィ」

両口端を上げて頬杖ついた彼は、今どんなことを思いながら私に問い質しているのだろうか。春千夜君の前で自分の醜い姿は見せたくなかった。本当前から意地悪な所があるけれど、今日の春千夜君が一番意地悪で、タチが悪い。

「そんなの聞いて…春千夜君はどうするの?」
「あん?どうもしねェよ。気になるから聞いただけだワ」

誰かのモノになってしまう春千夜君。今の私はきっと人生で一番可愛くない顔をしている自覚がある。結局、春千夜君の問いに答えられず彼もそれ以上は聞いては来なかった。

春千夜君は私が好きなのを気付いてる。気付いているクセに、こういう事を言うのは多分関係の終わりの終止符を打つ為に、私に未練が残らないように言ったのかも知れない。本当、春千夜君って嫌な人だなぁ。

「…じゃあ何で今日指輪なんて買いに行ったの?」
「……何でだと思う?」
「そんなの…分かる訳ないじゃん」

お互いの質問に全て私達は曖昧な返答をしている。でも今更本音を聞いたって、春千夜君は結婚してしまうのだから私にとってプラスな事はきっとない。

「指輪、要らない」
「あ?ンでだよ」

カチャンと行儀が悪いこと承知で音を立ててフォークを皿に置く。春千夜君にそっと目を向けると眉を顰めた綺麗な顔が私の瞳に映った。プライドもへったくれもないし、ましてや私は春千夜君の彼女ではないけれど、私も同じく顔を歪ます。

「こんなの貰っても何にも意味無いじゃん。結婚する人からのプレゼントなんて貰えないし、ましてや指輪なんて素直に喜べる訳ないよ」

何も答えない春千夜君の考えている事が本当に分からない。これ以上この場に居れなくて、私が椅子から立ち上がれば春千夜君は眉間に皺を寄せた。

「オイ話は終わってねェだろうが。座れ」
「……嫌、帰る」
「あ゛?俺が言ったこと聞こえねェの?勝手に帰ンじゃねぇ。いーから座れっつってんの」

さっきまで手を繋いで歩いていたとは思えない程に険悪な雰囲気になってしまった。おめでたい事なのに、私は今すぐにでも気を緩めたら泣いてしまいそうだ。数秒の沈黙に、何でわたし春千夜君の事好きになっちゃったのかなぁなんて色々な事が脳裏に浮かぶ。会う回数だって疎らなのに、いつも彼からの連絡を待っている自分がいて、会えれば胸はきゅうっと高鳴って会えない日はぎゅうって心臓が押し潰されたような気がして、それでも彼なりに私の事を何だかんだ可愛がってくれていたからか、終わりの見えていた関係が今日急に訪れてしまっただけだというのにそれが酷く辛い。

「春千夜君……だいきらい」
「……は?」

"お前とはもう会えねぇ"と言われる前に、それだけ言って私は春千夜君から背を向ける。私が春千夜君に大嫌いなんて言うに値する関係では無いのに、なんて事を言ってしまったのだとも思うし、言える立場で無いことも分かっているけれどそれより先に胸の中が空っぽになってしまった感情の方が大きくて言葉に出てしまった。もっとちゃんと聞き分けの良い女性はこういう時どうするのだろう。笑顔で"分かったよ。今までありがとう"とか言えてしまうのだろうか。おめでとうって素直に言えなくてごめんね、と心の中で謝るけれど、もうそれが彼に届く事もない。

外へと出れば、小降りだった雨は糸のような雨に変わっていてもう時期上がるんだなと感じる。独特の雨の匂いとアスファルトの匂いが入り交じった匂いに鼻はツン、と痛みを襲う。雨はやっぱり好きじゃない。嫌いだ。

タクシーに乗り込んだ私はスマホを開けば春千夜君から着信が入っている事に気づいた。電話出ろよというメッセージも届いていたが、電話を掛ける程の気持ちに余裕は無く先程言えなかった"結婚おめでとう"とだけメッセージを送り、春千夜君の連絡先をブロックした後消去する。春千夜君との繋がり、完璧無くなっちゃったと思えば我慢していた涙は知らぬ間に流れていて、好きになんかなりたく無かったと思えば思う程、春千夜君の事を大嫌いなんて言ってしまった自分が大嫌いだった。





家に帰宅して知らない間に眠ってしまった私はスマホの着信で目を覚ました。重たい瞼と頭は即座に覚めていく。
電話の主は私があの家を出てから2年半、ほぼ3日に1回はLINEを鳴らして来る父からであった。私は今年もう25歳になる。未だに過保護な父は当初一人暮らしをしたいと言った私を頑なに反対していたが、温厚過ぎる程の性格の母が私の肩を持ってくれ私は家を出れたのだ。

というのも実際過保護過ぎる父の事が嫌になり出て行ったと言うものではなくて、私の家は少し普通の家庭とは外れた家、つまり極道の一家であった。それでも組長である父は私の前では普通の父であったし、母も普通の母と変わらない。寧ろ仲は良い。しかし任侠に熱い父を慕っている舎弟達は皆私に優しかったが、やっぱり家に出入りする明らか堅気では無い人達が居るということに、友人等を家に呼びづらくお泊まりなんて以ての外。一人暮らしをしたいと思う一番の理由は誰にも気を使うこと無く自由に過ごしてみたかったからだ。

父が「帰って来て欲しい」と言い放つ。一言要件だけを言うこういう時の頑なに理由を言わない父に嫌な予感がしたが、それは的中。


「お前に会わせたい人がいる」


正月ぶりに会った父は少しやつれた顔をしたような気がする。母は珈琲を淹れると私と父の前にカップを置き、父の横へと腰掛けた。いつもならば笑顔で近況を聞いてくるのに今日はそれもない。湯気が立った珈琲にそっと息を吹きかけ一口啜り、私は静かに口を開いた。

「今どき政略結婚なんて流行んないよ。何でそんな事になってるの?」

別にこの家が嫌いな訳では無い。例え過保護であっても父も母も大好きだ。それでもこの話は簡単に首を縦には振れない。失恋した矢先に、まだ知り合った事もない人といきなり結婚だなんて考えられる訳が無い。しかしやっぱり父の話を聞けば、小さい頃の子供のように「絶対に嫌だ」と駄々をこねる事はもう出来なかった。

簡単に言ってしまえば、"お前の組に金を入れてやる代わりにそっちの娘を此方に預けろ"的な話らしい。裏の話なんて父は普段私にしたがらなかった為に、この手の話を聞いてもピンと来るものがなかった。結局このご時世堅気では無いものが生きていく事は難しく、そこに前から取引があった組織が手を差し伸べてきたという所だろうか。多分、結婚という話になったのは金を入れて逃げられないようにする為だと思う。

「ゴメンなぁ。本当に、こんな思いをさせてゴメン」

頭を下げる父は幾分昔に見たときよりも小さく見えた。娘に頭を下げる父なんて見たく無かった私は、録に先の事を考えずに頷いてしまったのだ。

「……分かったよ。でもその結婚する相手教えて欲しいんだけど」
「それが」

口を濁す父に私は小首を傾げる。父と母が目をお互いに合わせたかと思うとほんの少し体に自然と力が入った。

「っ向こうはお前の名前も顔も知っては居るんだが……その、娘には会うまで言うなと口約束をされてしまってな」
「……はい?」

何それ、どういう事!?と声を張り上げたくなったが、向こうの組織が頑なに私に口外する事を許してくれないのだそうだ。深い溜息を漏らし、失恋した矢先の縁談話に、その人の名前も分からなければ顔写真すらない。俯く私に父は「無理ならやはり断ろう」と言ってはくれたが、私一人のせいで父に着いて来た人達を今より苦しい目に合わす事だけは出来なかった。

「大丈夫、分かった。今まで私の我儘聞いてくれてたもんね。大丈夫」

父は何度もゴメン、すまない、許してくれと私に頭を下げる。そんな父を私と母で宥めながらその日は久しぶりに実家に泊まった。

久方ぶりに入る自分のベットは何にも変わっていない。
目を瞑っても眠る事なんか出来なくて、もう終わった筈の片恋を未だに引きずったままでいる。春千夜君も結婚するとか言ってたけど自分の知ってる子って言ってたなぁとか、今頃その子は喜んでいるのかなぁとか色々考えていたらちょっぴり涙が滲んだ。

私の恋は春千夜君で終わりを告げるらしい。どの道叶わない恋だったけれど、こんな事になるのなら気持ちを伝えるだけでもして置けば良かったと後悔が心に募る。





顔合わせは向こうの予定が立て込んでおり、1ヶ月後だと連絡が入った。私はその間に勤めていた仕事先を辞め、アパートを引き払い実家に戻って来ている。この1ヶ月は目まぐるしく過ぎ去って行く日々で、仕事の引き継ぎや借りていたアパートの退去に時間を取られ、思い出に浸る余裕もなくあっという間に気付けば明日が約束の日になる。
心境は大分落ち着いては来たけれど、夜になれば春千夜君を思い出しては寂しくなる。付き合ってないのに、毎日会っていた訳でもないのに…もう他の人の旦那さんなのに。沢山優しくしてくれたのに酷い事も言ってしまった事に対しても未だ後悔している。この心情だけは全然前に進めていない。忘れなきゃ、例え明日会う人がどんな人であろうと、私は明日知らない人のお嫁さんになる。





当日は明るくなって来た朝方5時頃に1時間だけ眠れた。隈が酷い目にはコンシーラーを塗って誤魔化して、母が用意してくれていた服に着替える。父は最後まで私に謝っていたから、「友達も段々結婚している歳だし、私もそろそろ結婚したかったから」と笑顔を見せれば、父は申し訳無さそうに「ありがとう」と言った。こうしてみれば本当に堅気の家族と何ら変わらない。ただ少しだけ状況が違うだけ。

指定された料亭に着くもそのお相手はまだいなかったようで、私は一人個室に通され待つ。胸はかなり緊張の意で音を鳴らしていて、粗相がないようにだとか、ちゃんと笑えますようにだとか考えていれば胃がおかしくなりそうだった。暫くすると個室の襖がガッと音を立てて開く。



「……え?」





「よォナマエチャン。1ヶ月ぶりだなぁ?」



襖を開けて顔を出したのは、桃色のウルフカットをしてストライプ柄のスーツに身を包んだ春千夜君だった。







「おめェ俺の連絡着拒してブロックまでしたろ」
「あ?えぇと、っえ?」
「話終わってねェっつってんのに言う事聞かねぇし俺と歩いてた時は転んでたクセに帰るスピードだけは無駄に早ェし電話は繋がんねぇ、家は引き払われてる。挙句の果てに大嫌いって一番言っちゃいけねェ言葉だろうがよ」
「ご、ごめんなさい」

淡々とした口調で喋る春千夜君は私の真正面では無く隣に腰を降ろした。胡座を掻いて膝に腕を置き頬杖着く彼に取り敢えず謝る私。春千夜君の言葉は半分程耳を通り過ぎてしまって、何でこの場に春千夜君がいるのか分からず距離を詰めた彼に1歩下がるように腰を引いてしまう。

「逃げんじゃねェよ。二度はマジで許さねェぞ」
「逃げてなんかないよ!」

腕をガシッと掴まれると私の瞳と春千夜君の緑玉色の瞳と視線が合う。そんな事思っている場合なんかでは無いのに、1ヶ月ぶりに見た春千夜君はやっぱりかっこいいと思ってしまう私はどうかしている。

「……なっなんで春千夜君がここにいるの?」
「ぁん?ンなのてめぇと俺が結婚するからに決まってンだろ」
「はっはぁ!?」

春千夜君の言った言葉の意味が分からなさ過ぎて多分彼といた中で一番大きな声が出てしまったと思う。そんな私に春千夜君は小さく笑うけどご機嫌は余り宜しくないようだった。

「大嫌いっての今すぐ取り消せ」
「いや、その待って!待って春千夜君っ」
「あ"?ンだよ」

顔の距離を近付ける春千夜君に私はまた1歩後ろへ下がるように距離を開ける。春千夜君を止めた割に中々口を開こうとしない私に春千夜君は大変不服そうな顔を浮かべていた。

「春千夜君、私の家が普通(堅気)じゃないって初めから知ってたの?」

私は彼に自分の家の内情を一切口にしていなかった。彼氏彼女では無い関係に、自分の家のことを話す必要もないだろうと思っていたし、春千夜君も聞いて来なかったからだ。彼は私からそっと身を引くと大したことないかのように口を開く。

「知ってた、っつかお前俺がこんな仕事してんのに初めの頃から大して驚きもしなかったろ。特別怖がるような素振りも見せねェし、パンピーな割に肝据わってんなーとか思って……ちと調べた」
「調べた??」

困惑する私は瞬きを数回。春千夜君はそんな私を見て若干気まずそうな表情を浮かべた。

「お前の事もっと知りてェと思ったけどお前あんまし自分のこと聞かれんの得意じゃねェだろ。だから……調べた」

普通ならば勝手に人のこと調べるだなんて有り得ないなんて思うのに、私はきっと普通じゃない。知りたいと思っていてくれた事が嬉しかった。驚いてはいるけれど、春千夜君ならばきっと何でも私は自分の事を話していたに違いないのだと思う。

「春千夜君だってあんまり私に教えてくれないじゃん」
「何知りてェの?」
「へ?」
「だから俺の何知りてェの?今なら何でも教えてやる」

春千夜君の瞳が私を捕える。心臓がドクン、ドクンと大きく音を鳴らしていてうるさいくらいだ。聞きたい事は沢山あるけれど、私が一番知りたいことそれは。

「春千夜くんが私のことどう思っているのか、知りたい」

か細く出た私の声は春千夜君の耳にちゃんと届く。真顔で私の顔を直視したかと思うと何時になく真剣な表情で言った。

「好きだよ」
「……へ」

たったの一言。自分から聞いて置いてなんだが、正直信じられなくて私は再度瞬きを繰り返し、口はだらしなく開けてしまっている。

「ハッ、お前ンなだらしねェ顔すんのな」
「やっ!ちがっ!」
「なぁんも違くねェよ。俺はナマエが好き。お前はどうなの?」

春千夜君が少し首を傾けると桃色の髪の毛はゆっくりと揺れた。やっぱり、やっぱり春千夜君は意地悪でタチが悪い人だ。

「じゅっ順番が違い過ぎっ!指輪も意味分かんなかったし、他の子の男になる気分はどうだとか嫌なこと言うしッそうかと思えば、わっ私と結婚するとか言うし、ほんっと春千夜君はっ」
「あー分かった分かった。お前少し黙れ」
「…ッん」

勝手に潤み上がる声で春千夜君の両肩を力なくポコスカと叩くと、その手は簡単に掴まれ春千夜君は私にキスを落とした。数秒間の触れ合った唇が離れると、静かになった私に春千夜君は小さく笑う。

「キスは好きな奴とじゃなきゃしねェだろ」
「……春千夜君わたしに毎回キスしてたじゃん」
「あ?あー……ハァ。だぁからお前が好きだからキスすんだろうが。好き過ぎて堪んねェからすんの」
「ぁ、」

春千夜君はそのまま私を引き寄せ抱き締めた。トントン、とリズミカルに私の背を優しく叩いて、子供をあやすかのように抱き締めてくれる春千夜君は初めてで、つい顔をあげようとしてしまうとそれは彼の空いた手により阻止されてしまった。

「お前ンとこの組とは確かに前から繋がりがあってよォー。ンでも当初の予定ではお前はウチの下っ端と結婚する話が上がってたワケ。んなの俺が許すワケねェだろ。お前は俺のモンだから」
「はるちよ、君」
「ンでも好きな女を組織の力使って結婚つーのはあんまり俺の趣味じゃねェんだワ。だからちゃんと言おうと思って俺と結婚すんのは娘には言うなっつってたんだけどさァ……まぁ俺がアレは悪ぃ」

春千夜君は私の頭を撫でてもう一度キスを落とすと若干申し訳なさそうに目線を逸らす。

「俺が他の女と結婚するって言ったらどんな反応するか見て見たくなっちまって……言っちゃった」
「……小学生じゃん!!」

まだ何か言いたげだったが春千夜君は私の言った言葉に詰まらせ、ぐぬぬと何とも言えない顔をしていたからつい笑ってしまった。私が見ていた春千夜君は俺様君の大人様だったけど、子供のような一面が彼にもあるんだなと初めて知った。それでもやっぱりこういう事を聞かれるのは嫌だったけれど。

場がほんの少しだけ穏やかになったかと思うと、春千夜君はスーツのポケットから小さな箱を一つ取り出した。それはあの日に春千夜君が私に買った指輪である。

「お前の親父から聞いてたかもしんねェけどさァ、俺マジで1ヶ月多忙だったワケ。俺がいねェ間に他の野郎に目ェ向けらんねェように虫除けの意味でお前に買ったんだけどよ、次は俺とペアのリング買いにいっからもう意味ねぇな」

春千夜君は私の左手を取り薬指をそっとなぞるように触れる。

「ううん、意味無くなんてないよ。この指輪は私の宝物だもん。だからこの指輪もつけたい……ダメかな?」

だって春千夜君が選んでくれたものだもん。あの時の私は自暴自棄もあったし、まさか私と結婚する予定だとは思ってもみなかったから素直にそう思えなかったけれど、春千夜君の気持ちを聞いたら話は別だ。

「……勝手にしろよ」

そんな私を見て、春千夜君は大きな瞳を見開くと何処となく嬉しそうな顔をしている気がする。そして次は自分が気持ちを伝える番だ。

「……大嫌いだなんて言ってごめんね。本当は春千夜君が好きで、嫌いだなんて思ったことないのに。ッ他の子と幸せになる春千夜君は想像したく、なくて」

しどろもどろになりながら春千夜君のスーツの裾をそっと掴む。

「わたし、もっと春千夜君から好きって聞きたい」

顔から火が出そうなほど顔は熱を帯びている。だけどそれ以上に春千夜君は驚いたのか目を大きくさせて、ピアスが幾つもつけられている耳が赤くなっていることに気が付くと、今度はそんな春千夜君が愛おしく感じた。

「お前何回俺に好きって言わせんの。欲しがりだなぁお前はよォ」

春千夜君はちょっとだけ困ったように自分の髪をくしゃくしゃっと掻き上げると、綺麗にセットされていた髪は崩れを見せるが気にもせず口を開いた。

「一度しか言わねェ。俺はお前が組の娘で仕事の利益になるから結婚するワケじゃねェ。俺がお前としたいと思うからすんの。お前が好きで大事だと思うからしてェの。だから、」

胸は相変わらず音を鳴り立てている。
春千夜君は私の手を取り自身の指を絡めた。その手に僅かに力がキュッと込められて、緊張しているんだろうなと思った。でも私も同じくらい、いやきっとそれ以上に緊張していて、口からは今にも心臓が飛び出してしまいそうだった。

「俺と、結婚して?」

口元がゆるゆると震えだして目には涙が滲み出す。驚いた春千夜君に、私はしがみつくように抱き着いた。

「喜んで。春千夜君と一緒に幸せになりたい」
「……あんまし可愛いことしてくんねぇで欲しいんだけど。帰るまでに我慢出来なくなんだろーが」

本音を言っただけなのに、春千夜君は若干ムスッとした表情を浮かべて私の体をきつくぎゅううっと抱き締めた。


「大好きだワ、本当に。好きだよ」


これにて私の片思いは終わりを告げる。
私の旦那様になる人は、意地悪で、タチが悪くて口も悪い所があるけれど、どんな人よりも優しくて、愛してくれて私のことを幸せにしてくれる人だ。だから私もそう思って貰えるように春千夜君を幸せにしたいと思う。


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