小説 | ナノ

万年思春期不治の病


※梵天軸

※素直になれないお子ちゃま三途の話




「三途さんっ!」

インターフォンを鳴らし数秒も経たない内にドアが開いたかと思えば、三途よりも随分と背が低い小柄な女がひょこっと顔を出した。三途を見るなり抱き着くナマエに思うことはただ一つ。
可愛すぎかよ!
しかしそんな事を思っているだなんて彼女には絶対に知られたくないが為、溢れ出そうになる気持ちをグッと押し殺しナマエの腕を離して眉間に皺を寄せる。

「おめェ俺じゃ無かったらどうしてたんだよ。すぐ抱き着くそのクセ辞めろって言ってンだろ」
「んー…どうしてたんでしょ。まぁこの時間に来るのなんて三途さんだけですからっ!大丈夫っ」

大丈夫じゃねぇよ。俺が言うのもなんだけど、何にも大丈夫じゃねぇ。この辺物騒で度々問題起きてんの知らねぇのかな。知る訳ねぇか、こいつバカだから。

ナマエが屈託の無い笑顔で三途を見上げるものだから、それ以上何も言えなくなり言葉を詰まらす。ふにゃりと頬を緩ますナマエに目線がいくと、前髪がほんの少しだけ浮いている。きっと待っている間にうたた寝でもしてしまっていたのだろう。今日は早く行けると連絡したのにも関わらず、急な招集が入り長引いてしまった。そのせいでここへ来るのが大分遅くなってしまったのだが、ナマエは問い詰める事もまたや怒ることもせず三途を見て「来てくれて嬉しい」と言うものだから、溜まったものでは無い。

三途の腕を引き、リビングとやらまでそう遠くない道のりを歩くナマエの手は子供のように暖かい。

「ゲェッ…暑すぎねェ?この部屋」
「三途さんが寒いだろうと思ってあっためておいたんじゃないですか!この間来た時にさみぃさみぃ!って怒ってたから」
「ンなこと言った覚えがねェ」
「言いましたぁ!絶対言ってましたぁっ!」

狭くて防犯も何もクソもないアパートに住んでいるナマエの家は何故かエアコンだけが真新しい。大家に相談したら買い替えてくれたそうだ。ここの大家は一人暮らしのオッサンだから、きっとコイツに頼まれ二つ返事のにへら顔で了承したに違いない。エアコンくらい言ってくれれば俺が買ってやったのに。そう思いながらその場にいないオッサンに腹が立つが、エアコンをタダで変えられたと喜んでいたナマエを見ると複雑な気持ちになる。ハタチそこそこの女の一人暮らしなんて変な輩に目を付けられてもこのご時世おかしくない。しかしいくら「危ねぇから引っ越せ」と三途が言っても彼女は頑なに引っ越さない。何でも仕事場から近く、上京して初めて自分の金で借りたアパートだから思い入れがあるんだそうだ。思い入れとかそんなもの、過去を余り振り返ることを得意としない三途はその気持ちを理解する事が出来なかった。

「三途さん、お腹空いてます?」
「あ?あー…別に」
「えっっ!食べると思って私ご飯頑張って作ったんですよ!?」

断られると思っていなかったのかナマエは目を大きく開ける。三途はこうしてナマエが自分の為にしてくれた事を口にしてくれたとき、どういう対応をしたら良いのか時々分からなくなる。
三途は自分の受け持っているキャバや風俗店、そこで働く女達が気持ち悪い程の甘い声音で媚を売られることはこの世界に入りごまんとあった。三途は自分の顔がそこら辺の男よりも容姿が整っている事を自覚していたし、自分から声を掛けて振られるという事もない。寧ろ声を掛けずとも逆に女から言い寄られ一夜を共にする事の方が多かったくらいだ。だが最後は大体女が三途に惚れてしまう。そういった後の対応をとても面倒くさく感じた三途は遊ぶということに昔程興味も無くなり、彼女なんてものはもう数年も作っていない。気付けば頻繁に自分から誘う女はナマエだけになっていた。

「チャーハン、シチュー、肉じゃが作ったんですけど何が良いですか?」
「はぁ?おまっ…どうしたらそんな意味分からねぇレパートリーで作ろうと思うんだよ。全部メインじゃねぇか!っつか今夜中だろうが、ンな重いもん食えねェ」
「ひっひどい。頑張って作ったのに…」
「あ…いや、そういう意味じゃねェわ!」

三途の言葉に分かりやすく肩を落とすナマエに慌てて弁解する。ほんの少し涙目になっていたナマエへ「シチューなら食える」と言えば瞬く間に笑顔を取り戻す彼女に三途はふぅ、と心の中で胸を撫で下ろした。

「どうですか?美味しい?」
「あ?あー…悪かねェ」
「そこは美味しいって素直に言わなきゃダメですよ」

小さなテーブルに肘ついて三途が食べるのを横から嬉しそうに見つめるナマエ。三途はこの女といると調子が狂う。狂うのに何故か会いに来てしまうのだ。最近はこうして会う度にナマエは手料理を三途へと振る舞うようになった。初めは仕事柄もあり、知らない女の手料理なんか食べられるか!と断っていたのだが、懲りずに数回目の手料理を出された際、余りにも今日のように泣きそうな顔で三途を見やったので、結局断れずに彼女の料理を口にするようになった。

「つかよォ、何でお前最近そんな料理頑張ってンの?」
「え?そんなの未来の旦那さんに向けての練習に決まっているじゃないですか!」
「……ハ?」

ピシャリと言い切った彼女の言葉に三途の長い睫毛が瞬きと同時に揺れる。えへへ、と頬を染めたナマエの顔は何にも面白く無いし今は可愛いとも思えない。ただナマエに対して名前の分からない気持ち悪い感情があっという間に三途を取り囲んでいった。

「…誰ェ?ソイツ」
「へ?ふふっ、んー誰でしょ?」

三途の顰めた顔とは反対に、恥ずかしそうにナマエは伏し目がちに言葉を放った。

俺は練習相手で毒味役かよ。
三途は仕事が出来る男であるが、女を大切に扱うという知識は余り整っていない。いや違う、三途は自分でも薄々気が付いてはいるが彼女のことが大層気に入っている。だが何せ"恋"というものには疎い。元より気持ちを素直に出すことも得意では無く、気に入らないものはスクラップ、スクラップ出来ないのなら捨てちまえのイカれた思考でこの世界を数年切り抜けてやって来た。つまり三途は今、ナマエが自分とは別の男に向けているような発言がひどく気に食わなかったのだ。大人であっても中身は10代のお子様、という事である。

三途はまだ少し皿に残っているシチューを残しスプーンを置けば、隣に座っているナマエは不思議そうに三途を覗き込む。

「三途さん?」
「シラケたわぁ。飯なんかよりさァ、仕事で疲れたから癒してくんねぇ?ナマエチャンよぉ」

彼女を見下ろす三途の瞳は冷たいものであったが、ナマエはポケッと口を間抜けに開けたかと思うと目を細めて恥ずかしそうに三途に口を開いた。

「じゃっじゃあ先に…ご褒美のぎゅうしてください」
「あ?褒美?なんのご褒美だよ」
「ご飯作って三途さんを待ってたのぎゅうに決まってるじゃないですか!」
「は、ハァ?お前寝てたじゃねェか!」
「でっでも三途さんを待ってたことに変わりない…もん」
「……っち」

三途は彼女の軽く口を尖らし上目遣いで見やるその顔にめっぽう弱い。彼女が三途に見せるその表情はクスリを飲んで意識がトぶ程の破壊力がある。これを多分無意識でやってのけるナマエに、濁り切った感情は何故かスゥと消えてしまうのだから、三途はイラつきながらも彼女の言う通り小さな体を抱き締めた。

「うっ、強いっ。ぐるじっです」
「あん?おめェが抱き締めろとか言ったんだろうが。我儘も大概にしろや」
「う折れるっ折れますって」

三途の背をトントンと軽く叩くナマエに腕の力を緩めれば、彼女はふぅ、と小さな息を吐く。

「おい、抱き締めてやったんだから次は俺の」
「うで!腕見せて下さいっ」
「…あ?」

三途の気抜けた返事を他所にナマエはせっせとスーツのジャケットを脱がしてワイシャツの袖を捲る。彼女の目に写ったのは三途の右腕の前腕だ。梵天の刺青には目もくれずその描かれている墨の真上をスゥっと指で謎る。

「もう痛くないですか?」
「ずっと言ってるだろうが。こんなんかすり傷だってよォ」
「いやでもあの時凄く血が出てましたし」

彼女が見ている傷は少し前に梵天の裏切り者を始末したときに出来たものだ。その時の三途はいつもの様にクスリを飲んでいたのだが、新薬だったせいか体が慣れておらずいつもよりハイになっていた。普段であれば大体は無傷で終わるその始末も、クスリのせいでハイになりグラりと体が目眩に襲われたときに出来たものだった。まぁ三途に傷を付けた哀れな男はこの世にはもういないのだが。始末し終えた後、クスリに侵された体で未だふんわりした頭のまま外へ出て、血に染ったシャツをどうすることもしないまま座って煙草を吸っていると、仕事帰りのナマエに出会ったのだ。

「血が!てっ手当させて下さい!」

これが初めて彼女とした会話である。




彼女の細い指が薄くなった傷跡を撫でるようになぞるから、少し擽ったく感じ三途は腕を引く。特におどけた様子も見せない彼女はどちらかというと悲しそうな顔をしており、眉を下げていたのを三途は見逃さなかった。

「あ?ンだよ」
「んー、傷治っちゃいましたね、ほぼ」
「あんなに早く治ると良いですねぇとか言ってたクセに何言ってんだテメェは。頭イカれてんのかよ」
「…だって三途さんに会う口実無くなっちゃう」





「は?」




三途、もう一度言うが見た目は大人であっても中身は子供。何かが三途の心をつき動かした。唾をゴクリと飲み込み、ナマエの腕を引き起こすと三途は自分の家かのように彼女のベッドへと連れて行き強引に押し倒す。ナマエから香るシャンプーの匂いはむさくるしく男だらけの職場と違うし、またやベタベタくっついてくる夜の女達の甘い香水の匂いとも違った。

「さ、さんずさん?」

三途は目を細めて彼女のルームウェアに手を忍び込ませていく。薄い腹に手をやればピクっと跳ねる体に自然と舌なめずりをしていた。
コイツ、俺のこと煽んの得意過ぎじゃね?と心の中では思う。化粧もしていない、ルームウェアだって別に三途の好みではない。顔だって普通にそこら辺にいそうな普通の女なのに、何故こんなに惹き付けられてしまうのだろうか。

「おめェのせいで勃っちまったから相手しろよ」
「えっ!ちょっとまっ」

三途は俺様ドSなので、ちょっとやそこらの軽い抵抗は寧ろ逆にご褒美だ。その事をちゃんと理解している彼女に、三途は気付いていない。





あの日から数日、三途は始終ご機嫌だった。三途の頭から彼女の言った言葉がずっと抜けず、クスリをやろうが裏切り者をスクラップしようが"三途さんに会う口実が無くなっちゃう"と言われた言葉が片時も離れなかった。

「兄ちゃん、三途最近キモくね?何であんな機嫌いいワケ?」
「クスリの飲み過ぎで頭イカれちまってんだろ。それか女が出来たとかァ?」
「三途の女って…コイツを扱える女なんていないでしょ」
「うるせぇよ!全部聞こえてんだよ!とっとと仕事行ってこいや!殺されてェのかテメェら」
「おーコワ」

聞こえる様にワザとらしく悪口を言う灰谷兄弟に中指を一本立てる。コイツらのこういう言動は今に始まったことでは無いが、毎回頭にクる言葉を吐いてくるからウザイことこの上ない。睨みを効かせてもワザとらしく口元をニヤつかせて笑われるだけだ。幹部でなかったら即刻殺している対象である。


しかしまたその数日後、三途の機嫌は過去最低クラスに陥っていた。

「えー、何でヤク中あんな機嫌悪いワケ?空気が不味ィんだけど」
「クスリが切れたか女にフラれたんじゃね?かわいそー早かったな」
「うっぜぇんだよクソ兄弟共が!とっとと裏切りモン海に沈めて来いや!次舐めた口聞いたらマジで殺すぞ」
「おーコワ」

数日前と同じようなやり取りをするもケラケラと笑い兄弟仲良く二人は事務所を出て行く。大体いつも三途の怒りを買うのは図星を付いてくる兄の蘭の方で、弟の竜胆はまだ可愛げが百歩譲って0.01パーセントある。
フラれる?俺が?フラれるって何だよ。
事務所のローテーブルを勢い良く蹴るが気分は全く晴れない。クスリを飲む気分にもなれず、煙草に火をつけても苛立ちは加速する一方だ。

「ちっ」

乾いた舌打ちが室内に響く。
原因は単純でナマエと最近会えていないからだ。

今日行くと言えば『すみません、今日は会社の送別会で』と言われ、飯連れてってやると言えば『ごめんなさい、今日は友達とご飯行く約束をしていて』と断られ、次いつ暇なのかと聞けば『ちょっと実家に帰省します』と散々な断られようだった。

三途、ここまで女を誘ったことが人生で一度も無ければこんなに拒否されることも初めてであった。屈辱、これが今の三途の大半を締めていると言っても過言では無い。

「あ"ークソが。何なんだよアイツはよォ!」

ソファにだらりと頭をつけ、彼女の言葉を思い出す。
俺に会いてぇから口実とか言ってたんじゃなかったのかよ。
しかしそもそも三途はナマエの彼氏でも何でもない。傷の手当をしてもらって、たまに会ってセックスをするという関係だった。
じゃあナマエは好きでも何でもない男に平気であんな言葉を言えてしまうのだろうか。そういえば花嫁修業だとか下らないこと言って料理作ってたし? あん?意味分かんねぇわ。
モヤモヤとした負の感情は三途を更に嫉妬への渦へと飲み込んでいく。三途は欲しいと思った物は力づくでも入れるタイプ。ナマエに仮に好きな野郎がいようがいまいが関係ない。奪うのだ。俺がここまでしってやってんのに他の事に目を向ける女は分からせてやるしかない、と吸っていた煙草を灰皿へと押し潰した。





三途は初めて連絡も無しに彼女の住むアパートへ訪れていた。彼女は今まで三途が会うと言えば拒否することも無く、また必ずどんな時間であろうが電話に出ていたがために勝手に来るという選択肢が無かったのだ。彼女のアパートには明かりが着いている。いるんなら連絡くれぇしろや。

「はい……ってえ!?三途さっ!?」
「よぉ、久しぶりィ。元気そうじゃねェの」

チャイムを押せば数秒もしない内に顔を覗かせたナマエは驚いたような声を出す。瞬きを繰り返しながらどうしてここにと言わんばかりのその顔に、三途の眉間にはどんどん皺が寄っていく。少し開いたドアを全開するかの如く三途は手を掛け強引に開けた。

「テメェ随分と、」
「三途さんに今日会えるかなって丁度連絡しようと思ってたんですよ!嬉しいですっ」


「ん??」





部屋に上がれば前に訪れた時と何ら代わり映えのない部屋。
いつもと同じように小さなテーブルの前に三途は取り敢えず腰を降ろした。

「…さみぃ」
「この間は暑すぎだって怒ってたじゃないですか。それに来るって教えてくれたら暖めておいたのに」

正直拍子抜けした。何か自分だけイラついていたのが馬鹿らしく思った。彼女の笑顔を見たらどうでも良くなってしまったのだ。

「あれ?どこ行くんですか?」
「あー、煙草吸ってくるわァ」

不思議そうに問うナマエに三途は顔を逸らしてベランダの戸を開ける。出て行く気はない癖に、「壁紙にヤニが着いたら退去費用がかさむので!」とか言って、何処かで三途用だと言って買ってきた灰皿がベランダの隅に置いてある。

あー、なんて言うんだっけ。こういうの。

煙草の煙を宙へ浮かし考えてみる。でも上手くその答えを見出すことが出来ずにいつの間にか煙草は残り半分。チラリとベランダの窓を挟んで彼女を見ればキッチンに立っていた。お茶か何かいれているんだろう。そんな姿を見ると微笑ましいと思いながらもチクリと胸の痛みを感じた。


「三途さん手が冷たくなっちゃってるじゃないですか」
「おー、ンなことよりさぁ。ちょっと話さねェ?」
「……?はい」

小首を傾げるナマエを他所に握られた手を離して敷かれたカーペットに腰を下ろす。ほんの少しだけ眉を下げた彼女の顔からは不安が読み取れるような気もした。
言いたかった言葉をシュミレーションしていた訳でもなし、強引にでも奪ってやろうと思っていた三途は中々その先を口に出すことが出来ずにいた。

「三途さん調子悪いんですか?」
「あ?いや、別にィ。あー、なんつーか…お前いい加減その三途さんっての辞めろよ。春千夜って呼べって前も言ったろ」
「そっそれは恥ずかしいって言うか…」

軽く頬を赤らめるナマエに三途は顔を歪める。
平気で抱き着いてくる奴が何で名前呼ぶのは恥ずかしいんだよ。
しかしそんな事を思っても顔を染める彼女はやっぱり可愛い。三途は自然と彼女の頭に手をやると優しく撫でた。

「…名前呼びは、とっ特別な人に呼んで貰うのが良いかと、思います」
「あ?」

撫でていた手が止まる。
この女は本当に三途の心をあらゆる方向に揺れ動かすことが得意である。

「お前いい加減にしろよ。俺が名前で呼べってつってんだから素直に呼んどきゃいいんだよ!それとも何か?花嫁修業だとか下らねェこと言ってたけどさァ、最近会えねェのはその"未来の旦那サマ"って奴を見つけたから俺はもう用がねぇってか?ッハ、クソ女がよォ。散々俺に甘えてたクセに良くそんな事が平気で出来るもんだワ」

言い終えた後、ほんの少しの後悔が生じた。
ナマエは三途の言葉に驚きつつも静かに聞き終えると暫しの沈黙が二人を襲う。顔を俯かせた彼女に泣いてしまうかもしれない、と気持ちが過ぎったとき、呟くような声が三途の耳へと届いた。

「さっ三途さんが何でそんなに怒っているのか分かりませんけど…わたし出来ない約束はしませんよ」
「…はぁ?意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ」
「いやだからその。…三途さんて私と会うとき時間が遅くなっても必ず会いに来てくれるし、無理な日は無理って必ず言ってくれるじゃないですか。だから、私も会えない日はちゃんと断らなきゃって思って…て、あと…」

ナマエは言葉を詰まらす。どのように言葉にしたら良いのか迷っている雰囲気が読み取れて、三途の表情はより曇っていく。その先を聞きたくないと思ったのだ。しかし三途の心情を他所にナマエはふっくらとした唇を薄く開いた。


「三途さんだけですよ。三途さんだから、私が会いたいと思うのも、料理を覚えたのも、おっお嫁さんになりたいなって思ったのも、」



ナマエは顔を上げる。緊張しているのか彼女の瞳は薄らと滲んでおり、三途は捨てられるとばかり思っていたので見る見る内に顔を染め上げていく。



「三途さんだけです」



この言葉に近いような事は他の女にも言われたことはあるが、胸をこんなにも締め付けられるような思いをしたのは生まれて初めてだった。咄嗟にこんな顔を彼女に見られたくなく手で口を覆う。

「…三途さんは?」
「は?…あ?」
「三途さんは…私のことどう思っていますか?」

ナマエは三途との距離を近付ける。どうでも良い女なら言葉を直ぐに吐き出す事が出来るのに。今の三途の顔は誰がどう見ても"いつもの三途"では無かった。

「…ちったぁテメェで考えろや。言いたく、ねェ」

実の所、"言いたくねぇ"では無く"言えなかった恥ずかし過ぎて"が正解である。するとどうか。彼女は瞳をぱちくりと瞬きすると「ふふっ」と小さく笑ったのだ。


「もうっ、仕方のない人ですね」


彼女は分かっている。三途が素直では無いことを。
彼女は知っている。三途が自分の事を好きでいてくれているということを。

ナマエはそっと赤らめいた三途の耳に手をやり、小さな声で囁いた。


「あのね、春千夜くん」
「は、」


初めてナマエが呼んでくれた名前に、反射的に彼女の方へと顔を向ける。視線が合わされば、いつもと変わらない筈の笑顔は普段よりも柔らかいような気もした。



「春千夜君のことが誰よりも好きだよ」



そう告げた彼女は、初めて自分から三途にキスを落とした。









Title By 葬式と鶯

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