小説 | ナノ

主人のモノになるか否や


※梵天軸




私の横で眠っている彼の細身の身体には、左半身に描かれた大きな蜘蛛と喉元の彫り物がある。どちらも弟とお揃いらしい。オマケにヘアカラーですら弟とお揃いだと言うのだからちょっとだけ妬けてしまう。

どんな蘭ちゃんでも格好良いけれど、普段身なりに気を使っている蘭ちゃんが、余裕無さげにセットされた髪を掻き上げる姿だったり、私の手首を汗ばんだ大きな手で掴んだり、私の事を見下ろす薄藤色の瞳が熱を含んでいるのが分かると、何とも言えない幸福感で満たされる。あ、でも見られているのを気にせず大きな口を開けて欠伸をしていたりする蘭ちゃんは、格好良いというよりも可愛らしい。

とっても綺麗で品のあるお顔をしているのに、やる事なす事は極悪非道の言葉がよく似合う。それなのに甘い言葉を吐いては次々と女も男も地獄へと追いやっていくのだから溜まったものじゃない。蘭ちゃんに目をつけられてしまった人達は皆可哀想だ。

蘭ちゃんの、白い肌に刻まれたタトューをそっと胸からお腹に掛けて指でつぅっとなぞってみる。こそばゆかったのか蘭ちゃんは閉じていた瞳をうっすらと開けて私の瞳と視線が合わさった。

「…なぁに?まだ足んねェの?」
「んーん。蘭ちゃんが気持ち良さそうに眠ってたから意地悪したくなっちゃったの」

えへ、と薄明るくなってきた室内で笑顔を見せれば蘭ちゃんはそっと私の頭を抱き寄せキスを落とす。形の良い柔らかな唇が私の口に触れたから、私は蘭ちゃんの唇をペロリと舐めた。

「ッハ、犬みてェ」
「わんっ」
「バーカ、誰がなけっつったよ」

まだ眠たいのか蘭ちゃんは薄くケラケラっと笑うと私の頭を撫でる。まるでその手つきは本当にペットの犬を撫でるかのようで、私は実はそれが好きだったりする。

「お前のせーで寝れなくなっちゃったじゃん」
「ちゅーしただけだもん」
「そのせいで寝れなくなったんだワ。俺3時間後には仕事行くんだけどォ」

はぁ、と軽く息を吐きながら壁掛け時計から目線を私に移し、柔らかな口調とは裏腹に蘭ちゃんは体を起こしてゆっくりと私を組み敷いていく。私を見下ろす蘭ちゃんの顔は眠たそうな顔から一点、意地悪な顔に変わっているから、構って貰える事が嬉しくてついふにゃりと顔が緩んでしまった。

「笑ってンなんて随分と余裕あんじゃねェの?」
「ふふっ、その顔大好き」
「頭が弱ェ女だよ、ったく」

呆れたように片眉を下げた蘭ちゃんは私の鎖骨に顔を疼くめていく。この時間は甘ったるくて、気持ちが良くて、蘭ちゃんを一番近くに感じられる気がするから、私は蘭ちゃんが求めてくれるのならば絶対に拒むことはしない。





蘭ちゃんとこういう関係になったときから、私は蘭ちゃんのモノになった。蘭ちゃんは出会ったときから私に優しかった。怒られたことは一度もない。呆れられた事は何度もあるけれど。それでも蘭ちゃんは私を捨てたりなんかしなかった。

蘭ちゃんは私の事をよく「犬みてぇ」だと口にする。蘭ちゃんに会う度、私がとても嬉しそうな顔をするから昔弟が可愛がっていた近所の犬に似ているんだって。でもそれ、あながち間違いじゃない。だって蘭ちゃんに呼び出しを受ければ何をしていても私の中の優先順位は変わり蘭ちゃんが一番になってしまうのだから。早朝の時間帯だろうが、月が輝く深夜だろうが、誰かと遊んでいようが、呼ばれれば飛んで会いに行く私はよくある言葉で言えば都合の良い女であること間違いない。

蘭ちゃんは私を必要以上に可愛がってくれた。「ナマエ」と柔らかな声音で名前を呼び、「こうされんの本当好きだよなぁ」と言って髪を撫でながらキスしてくれて、「可愛い」と言って抱いてくれる。私は蘭ちゃんの彼女ではないけれど、それに似た関係性ではあると思う。

「はい、これ」

蘭ちゃんはとある日、私にDiorとロゴが描かれた小さなショップバッグを手渡してきた。蘭ちゃんからプレゼントを貰うのは初めてではないけれど、今日はご褒美を貰えるようなことなんて何にも無かったはずなのに。小首を傾げながらリボンを解いて箱の蓋を開けてみれば、それはアクセサリーだった。

「……チョーカー?」
「そ。喜べ、お前の首輪ァ」

犬っころのお前にぴったりでしょ、と煙草を口に咥えながら言う蘭ちゃんに、私は彼から貰ったプレゼントへと目線を再度移す。堅苦しくないデザインのベルベットリボンの生地に、キラキラと輝くパラジウムトーンのメタルがついたそのチョーカーを手に取ってみれば、蘭ちゃんは「貸して」と私の手からそっと取り首元に充てがう。

「ホラ似合うじゃん」
「んー、ちょっとキツい」

蘭ちゃんはハイハイと言ってほんの少しだけチョーカーを緩める。ちょっとその発言がおじさんっぽくて可愛く思えてしまったけれど、それを言うと機嫌を損ねそうだから言わないでおく。

「…なんか飼われてるみたいだね」
「首輪っつったろ?俺と会うときは必ず付けて来いよー」

にこりと目を細める彼の顔に、お腹の奥がきゅぅんと疼く。私の事を何でも知っている蘭ちゃんは満足気に煙草を灰皿へと押し潰すと、その手でチョーカーを付けた首元に力を込めながら噛み付くようなキスをした。

「ぅんっ、はッ」
「ふは、なにその顔ォ。すっげぇだらしねェ顔してんね」
「ッ…蘭ちゃんは意地悪な顔してる」

だって急なキスと軽く締められた首に息が詰まりそうだったんだもん。みっともない顔なんて余り見せたくないのに、少々サドっ気がある蘭ちゃんはその顔を見るのが好きだと言った。

蘭ちゃんは面倒臭い女の子によく好かれる。
蘭ちゃんに本気になったって何一つ良い事はないことなんて一緒にいれば分かりそうなものなのに、蘭ちゃんを本気で好きになっちゃう子は少なくないらしい。蘭ちゃんの表向きの優しさを真に受けた女の子たちは数しれず、好きになっちゃったら一直線になっちゃうのは分からないこともないけどさ。その原因を作るのは蘭ちゃん本人だけど、女の子も大概馬鹿だなぁなんて思う。

「蘭ちゃんて振られたことあるの?」
「はぁ?」

今日は会えた時間が早かったから蘭ちゃんとホテルの浴槽に湯を張り浸かる。私の背後にいる蘭ちゃんの少し気の抜けたような声が耳元へと伝った。

「何その質問。俺のこと虐めてェわけぇ?」
「違うよ。ちゃんと恋して振られたことって蘭ちゃんあるのかなって不思議に思って」

女の喜ばせ方を知っている私と出会う前の蘭ちゃんは、どんな人だったんだろうと気になったのだ。顔だけを蘭ちゃんに向ければストレートに降ろされた髪が水滴を落としながら揺れる。それを邪魔くさく思ったのか、蘭ちゃんは自身の前髪を掻き上げた。

「お前にとって俺って何に見えてんだよ。普通に人間な?振られたことくれェあるよ」

蘭ちゃんは、10代の頃付き合っていた彼女に一度だけ振られた事があるらしい。それ以降は彼女というものは作っていないと珍しく自分の事をすんなりと教えてくれたから少々驚いている。

「その元カノさんの事はもう好きじゃないの?」

お風呂を出て、久しぶりにゆっくりお湯に浸かったせいで若干のぼせそうになりながら、蘭ちゃんからミネラルウォーターを受け取り口付ける。蘭ちゃんはキョトンとお目目を丸くさせ、まだそんなん気になってたの?とでも言いたげな表情をしていた。

「気になんの?」
「ちょっと。蘭ちゃんがちゃんと付き合った女の人だったなら少し気になる」

蘭ちゃんは面白い玩具を見つけたように私の手から水を奪い一口飲み込んだと思うと私にキスを落とした。自然と開いた唇から口内を犯されると、先程まで吸っていた蘭ちゃんの煙草の味が口に広がって顔が歪む。

「…不味い」
「ごめーん。可愛いかったからつい、な?」
「意味分かんないだけど」
「だって拗ねてンじゃん?」

まだ乾かしていない髪をわしゃわしゃと掻き回し、私の視界はぐらりと揺れる。キッと軽く睨み付けるけど、本人は楽しそうに口元を上げていた。蘭ちゃんに言われた通り拗ねているかと問われれば、拗ねているのかもしれない。

「本気で今も好きだったらお前に首輪なんて括り付けるモンやんねぇよ」
「…それもそっか?」
「ふはっ、そーそー」

私の首元にきらりと輝く"首輪"を嬉しそうに見つめる蘭ちゃん。こういう事を平気で言って述べるから、蘭ちゃんに落とされてしまう女の子が後を絶たないんだなぁと思う。

随分と私につけたチョーカーがお気に入りらしく、首元を撫でるように触れるからついそれが面白く感じて笑ってしまった。

「面白ェ?何で笑ってんのか蘭ちゃん気になるんですけどォ」
「ふふっ、へへ。蘭ちゃん変態過ぎるんだもん」
「……バカなお前に言われたくねぇよ」
「あははっ」
「笑いすぎなぁ?その変態に尻尾振ってんのは誰か教えてやんねェと分かんねーか」

蘭ちゃんは私の両腕を片手で固定すると開いた手で私の体を器用に滑らせる。こういうことする蘭ちゃん、とても私より年上に思えない。でも、嫌いじゃない。

首輪まで用意するって普通の人がする事じゃないじゃん?
元より考え方も女の扱いも私が出会った人の中でずば抜けて桁違いな人だと思うけど、まぁ私も大概蘭ちゃんが言う通りおバカなので、こうして危ない男と知りつつ抜け出せないでいるのだ。

蘭ちゃんとこういう関係になってから、初めの頃より蘭ちゃんという人を知った。例えば、起きがけに掛かってくる電話。弟ならば私と同じように穏やかな口調で話すけど、それが蘭ちゃんのテリトリーの範囲外の人だとすれば声が分かりやすく下がるほど意外と機嫌の差が激しい。蘭ちゃんは私と出会った日から数回目のときに、「バカな女は好きじゃない」と言ったけど、私はよく蘭ちゃんに馬鹿にされる。それでも私を手元に置いておく蘭ちゃんの心情なんて知らないし聞かないけれど、きっと何でも言うこと聞いて直ぐ手が届く距離にいる私が楽なんだろう。でも一番は体の相性かもしれない。私が「大好き」と言う言葉は蘭ちゃんにとっては行為中の一種で、私も重く言葉にしている訳ではないからそんな蘭ちゃんと居て気が楽なのだ。

甘えさせてくれるし、優しいし。蘭ちゃんといれるこの時間を無駄だとは思わない。でも何れ来るであろうお別れには備えて置かなければならないと思う。蘭ちゃんが私に飽きるか、それとも大事な人が出来たとき、私はきっと笑顔を作る事が出来るはずだ。蘭ちゃんが本気で人を好きになったときってどんな愛し方をするんだろうって思ってみたりもするけれど、それは興味本位的な何かで、私がそれを知りうることは一生ないのだと思う。



「…お前俺に本気で飼われる気ない?」
「ふぁ…?」



事後の終わり、半分夢の世界へと飛びたっていた私に蘭ちゃんは言った。うつ伏せになっていた重たい体をのそりと蘭ちゃんの方へと向ければ、彼は私に微笑みかけた。

「飼う?んー…?エサくれなくなったらわたし餓死しちゃうじゃん」
「そこの心配かよ。お前の脳内マジでどうなってんの?蘭ちゃん不思議だわー」
「蘭ちゃん変態だからお腹空いた私を見て喜んでそう」

薄目で笑う私の頭はまだ冷めきっていない。
対して蘭ちゃんは余裕そうに上半身を起こし、サイドテーブルの明かりだけ付けて私を見下ろしていた。

「それは面白そーだから見てみてぇワ。涙目ンなって食いもん催促して来たらヤベェかも」
「…やっぱ変態さんじゃん」
「乗ってやっただけだろ。変態変態言われんの気に食わねェんだけどォ?」

蘭ちゃんは嘘を吐くのも得意だから、冗談だと言われればそうだし、冗談じゃないと言われても頷けてしまう。
クスクス笑いを浮かべていると、蘭ちゃんは目を細めて私の首に付けたチョーカーをクイッと軽く引っ張った。そのまま顔が近付くとお互いの鼻先が触れ合う。

「…やっぱこんなのより鈴にした方が良かったかもなァ?」
「っそれじゃあ猫になっちゃうじゃん」
「犬でも猫でもお前は可愛いよ」

私は蘭ちゃんの頭の思考回路の方が気になって仕方がない。
何考えているか分からないんだもん。蘭ちゃんを理解出来る人なんてこの世に存在するのだろうか。蘭ちゃんの長めの前髪が私の頬へと掛かる。擽ったくて顔を逸らそうとしたって、蘭ちゃんの指先が私の首元を固定しているから逸らせないのだ。

「…返事はァ?」
「ん…蘭ちゃん飽き性だからなぁ。捨てられて帰る場所がなくなったらわたし死んじゃうじゃん?」

私は蘭ちゃんの言った言葉に否定をした事がない。出会ったときから、今の今まで。会いたいと言われれば会いに行くし、今日は会えなくなったと言われれば詮索せずに諦めるし、首輪も付けるし。だから、驚いたのだろう。蘭ちゃんのその顔を見るのは初めてだった。それでも直ぐに見開いたその目はいつものタレ目がちな目元に戻ったけれど、普段感情を余り顔に出さない蘭ちゃんを見れたことが嬉しく感じた。

「んー…じゃあ言い方変えるワ。……俺と付き合わねェ?」
「…蘭ちゃんの?」
「うん。付き合うっつーか一生俺の隣にいて欲しいんだけど」
「んー…」

蘭ちゃんの表情はもういつもの普段通りの顔をしている。だけどその声音はいつもの物腰柔らかな口調よりもずっと真剣に、少し低めなトーンのように思えた。そんな風な事を蘭ちゃんの口から出るだなんてこれっぽっちも思っていなかった私は、流石に何て答えれば良いのか即答は出来なかった。それを面白く思わない蘭ちゃんは、顔をほんの少し歪めたのだ。


「…お前が俺の事振るってンならさァ…俺一生幸せになれねェじゃん」


無理なんてまだ一言も言っていないのに、いつもの自信は何処に行ってしまわれたのだろうか。蘭ちゃんは眉間に皺を寄せ、私の口を開くのを待つ。蘭ちゃんの幸せだなんて考えたこともなかったけれど、どうやら彼の中の幸せは私がいる事らしい。




そっと両手で蘭ちゃんの頭を引き寄せて彼の耳元で「ワンワンッ」と2回程、返事をするように小さく吠えた。





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