小説 | ナノ

別れ告げられたけど好きだから


※梵天軸

※別れてもずっと三途が忘れられず思い切って迎えに行く話





季節が巡りに巡って彼と付き合って4年という月日が経ち、私が18歳を迎える年に別れを告げられた。

彼は嘘をつけるということ、後4年も彼の傍にいたというのにも関わらず、私は彼の事を何にも知れていなかったということ、今の今まで気が付かなかった。

「お前と別れてェ」
「…え?」

高校を卒業した矢先の春休みの出来事だった。平日の昼間であっても、賑やかなカフェの店内の騒音は私の耳には届かず、それまで楽しく過ごしていたデートはこの言葉により一気に冷えた空気を纏い出し、ただ春千夜の言葉だけが脳内でこだまのように反響していた。

「なん、で?」
「何でもォ。別に理由なんかいいだろうが。俺がテメェを好きじゃなくなった、それだけだワ」
「まっ、待ってよ」

春千夜はなんて事も無いように軽々しく重い言葉を口にして、私の瞳に映る春千夜は笑っていない。…本気なんだ、と思った。

大きな喧嘩をする事は今まで余り無かったけれど、普通のカップルと同じく、それなりに春千夜とは喧嘩だってした事はある。春千夜はどんな理由であれ、私に"別れる"なんて言葉は今まで一度だって言わなかった。だから今この状況が信じられなくて、頭が真っ白になっていくのと同時に体には嫌な汗がじとりと流れて来て、涙なんて出て来なかった。

「…わたし悪いことした?」
「別に?してねェよ」
「じゃあ好きな子出来たの?」
「そういうんじゃねェ」

じゃあ何?何で私を好きじゃなくなってしまったの?
色々な気持ちが溢れるなか、そんな素振りを今まで全然見せなかった春千夜に言葉が詰まる。最近は春千夜と確かに会えない日が続いていて、連絡だって減っていた。それでも限られた時間があれば私を優先してくれて時間を作ってくれていた春千夜。今日だってこうして二週間ぶりだけれど、会ったときにはそんな風に思っていただなんて全く感じる事が出来なかったぐらいにいつも通りだった。昼間は普通に接してくれていたのに?普段余り繋いでくれない手だって今日は繋いでくれたのに?それなのに、なんで。

「嫌だよ。…わたし春千夜と別れたくない」

喉からやっと乾いたか細い声が出ても、春千夜は眉一つ動かさず私を見遣る。まだ私了承なんてしていないのに、私はまだ春千夜の彼女なのに、もう他人ですと言わんばかりのその目つきは、私が彼と初めて出会った頃を思い出させるような表情をしていた。

「無理なモンは無理。お前が俺の事好きだろうが何だろうが俺はお前にもう興味がねェ」

春千夜が頼んだアイスコーヒーの氷がカラン、と音を立ててゆっくりと溶けていく。春千夜の口から出る聞きたくない言葉に、服の袖を掴む手にはぎゅっと力が込められた。

「わ、わたしは春千夜のことが…好きだもん」
「困らせんなや。俺はもうお前が好きじゃねぇっつってんの」
「な、にそれ…嘘だよ。…うそ」
「嘘じゃねェし話はもう終わりィ。…別の奴好きンなって、別の奴に好きって言って貰って幸せになりゃそれでいいだろ」

何にも良くない。4年も一緒に過ごして来たのに、急に好きじゃなくなったなんて言われて、挙句の果てに別の人と幸せになれだなんて、そんなの春千夜らしくないし、はい分かりました別れましょうと了承なんか出来る訳が無い。

「…ちゃんとした理由」
「だぁから」
「好きじゃなくなった理由…教えてよ。ちゃんと私が納得出来るような理由じゃないと別れないから」

数十秒お互いを見つめあった。眉間に皺を寄せる春千夜に私も逸らさずじっと目を見つめる。私が引かないことを分かってか、ハァと息を吐いたかと思うと春千夜は薄い唇を開いた。

「俺の仕事、知ってるよなァ?」
「それは…聞いた、けど」
「じゃあ俺が言いたいこと分かんねェ?」

春千夜は堅気の世界を歩む事を選ばなかった。私が就職先が決まったと喜んで言った日、春千夜はふぅんとあまり興味が無さそうに返事をした後言ったのだ。「俺はお前と同じような道には行けねェ」と。その意味が初め分からなかったが、少し会わない間に右腕に掘られていた刺青を見たら、理解した。それでも春千夜の事を好きでいることに変わりは無く、好きだと伝えれば春千夜は小さく笑って私の頭を撫でたのだ。

「…ッそれでも私は好きだって言ったじゃん。春千夜だって…っ好きって言ってくれてたじゃん。ヤダ、絶対別れたくない」
「…好きでもどうしようもねェことくらいあんだろうが」
「分かんないよ…嫌だよ」

何を言われても首を縦に振ることが出来ない私に、春千夜はイラついたのか舌打ちをすると私の体は勝手にビクッと跳ね上がる。

「じゃあもしこの先俺が狙われたとして、そうすりゃ自然と次にお前も狙われる事になんだろうよ。そうなったとき俺が近くにいてやれなかったらテメェどうなると思う?きっと死ぬか野郎に回されて終わりだワ。下手すりゃテメェの大事な家族とやらも死ぬだろうよ。…そんでも着いてくる覚悟なんかお前出来ねェだろ」

こういうときの春千夜はズバッと正論をかざす。家族なんてワードを出されれば、私が何も言い返せなくなってしまうこと、きっと春千夜は分かって言っている。彼は私に選択肢を与えようとはしてくれないのだ。

「…こういうときばっかり真面目なこと言わないでよ」
「テメェが納得する理由を言えっつったんだろうが」
「そうだけど……そうだけどさぁ」

直ぐについて行くだなんてこと簡単に言えなかった私も私だ。春千夜の事が大好きなのに、それはずっと変わらないって胸を張って言えるのに、春千夜以外の大事な人達の事まで言われてしまえば言葉に詰まってしまう。静かになった私に、春千夜はアンティーク調のソファからそっと席を立つと私の真横で立ち止まる。私を見下ろしているのは分かったけど、顔を上げることが出来ずに俯いたまま自分の服の袖を掴んでいた。
だから春千夜がその時どんな表情をしていたのか分からなかったが、私の頭に手をそっと置きいつもと同じように短く頭を撫でた。

「……俺の事なんかもう忘れろ」
「っ、」

消え入るような声で囁くように放たれたその言葉に、私の視界は瞬く間に滲み出していく。店内の雑音と共に去っていく春千夜の元を振り返ることも、引き止めることも、言葉を繋げる事も出来なかった。











あの別れから数年。
歳を重ねていく上で変わったもの、変わらないもの沢山の心境と共に変化していくことも多々あった。そして今でも変わらないもの、それは私は未だに春千夜の事が好きである。


そう…好きなのだ!!


あれからの私、かなり泣いた。一生分泣いた。体の水分全部持っていかれたってぐらいに涙が止まらなかった。人間は約60パーセントが水分で出来ているとか言うけど、本当そう。ずっと目から涙が止まんないの。今でも別れた日の事を思い出せば涙が出てきそうになってしまう。

あの日から暫く経った日、意を決して春千夜に電話を掛けたこともある。プルルとコール音が鳴り、プツッと音がし、春千夜が電話に出た!と胸がドキンと大きく音を立てた、がなんの事はない。

"お掛けになった電話番号は現在使われておりません"

スマホぶん投げてまた泣いた。

春千夜にとっては終わった事なのに、どうして私はこうまでして春千夜じゃなきゃダメなのか。理由なんて1つに決まっている。私は彼の全てを知っている訳では無いかもしれないけれど、私は春千夜に自分の弱い所もダメな所も全部見せて来た。私の青春は春千夜で埋まっていると言っても過言では無い。
過ごした期間に無駄な物なんて一つも無くて、春千夜は自分自身の事になると素直になるのが下手くそだから、私が好きだと言葉にしてちゃんと伝える。逆に私が寂しかったり、まだ一緒にいて欲しいと思っている時、言葉にしないでも春千夜はそれを汲んで必ず傍にいてくれた。自分にないものを持っている人に人は惹かれると言うが、私たちは結構似ている所がある。例えば頑固な所がそうであったり。でも春千夜と過ごした日々は本当に楽しくて幸せで…思い出なんかにしたくなかった。


別れたあの日のことを思い出せば、春千夜の気持ちが今なら分かる気がする。私よりも春千夜の方が大人だった。私は生まれてからずっと平々凡々なありふれた幸せという日常の中で生活をして来ていたし、春千夜と付き合っていたからといって、危ない目に合わされることだって一度も無かった。だから後先考えず脳内お花畑のままこの先も春千夜の隣に居れると思っていたんだよね。春千夜は多分、前からずっと私の事を考えて出した結論だったんだろうけど。

結局私は数年も思いをあの頃に置いたまま今日の今日まで過ごしている。前を向こうなんて考えて見たこともあるけれど、春千夜じゃなきゃやっぱり嫌だし無理。何度か告白された事もあるけれど、他の男に興味すら湧かない。別れて数年も経った男のことを、私は今でも好きなのだ。

大好きだった少女漫画や恋愛ドラマ、全て見れなくなってしまった。結局ああいうものは大体がハッピーエンドで終わると決まっているから。見終わったあと嫌でも現実味を感じてしまうと、辛くなってしまうだけの物になってしまった。

友人は皆「重すぎ」だとか「もう他に女絶対いるって」だとか「合コンセッティングしてあげるから」とか散々口を揃えて言った。重いのも、彼女がいるかもしれないのもちゃんと分かっているけれど、どうしても好きなんだもん。


だから私、突拍子もない事思い付いた。あ、春千夜に会いに行こうって。その場に居た友人総出で私を止めた。「いやいや、それはおかしい」、「もう時効にも程があり過ぎるって」、「頭を冷やせ」と。それも分かっている。でも好きだから仕方ないじゃん。このまま思い引きずっておばあちゃんになって寂しく死んでいくだなんて嫌だもの。考えたくはないけれど春千夜に大事な女がいるならば潔く諦める。それはそれで辛いが年数が経っているからこそ、これは仕方がない事だろう。

思い立ったが吉日。
私が行動に移したのは23歳を迎える年だった。


そうは言っても春千夜の居場所が直ぐに分かるわけがない。彼から友達と呼べるものを聞いたことも無かったし、よく暴走族に所属していた頃の春千夜の慕っていた唯一の隊長とやらも連絡先が分からない為、為す術無かった。

裏の社会に身を潜める彼に会うにはどうしたら良いか。借金を背負うなんて馬鹿なハイリスクはノータッチ。働いている会社は至って普通の会社である。…ではどうしたら良いか。


キャバクラだ!!


キャバクラならば表向きの人間、裏の人間、それなりに客として来るであろう。もしかすれば運が良ければ彼に会えるチャンスを作れるかもしれないと思ったのだ。夜の世界なんて足を踏み入れた事も無いし、きっと夜職は昼間の職よりも厳しいであろう。テレビや動画サイトのドキュメントでしか見たことは無いが。だが私はもしかしたらの可能性を捨てたく無く、面接を受けることにしたのである。

「未経験で23歳ねぇ

ふんふん、と店のマネージャーは私と履歴書を交互に見る。若干緊張していたが、私はツイていた。

「いいよ、このお店出来たばかりだからさ。大変な事もあるだろうけど、君可愛いし頑張ってよ」
「へ?あっ、頑張りますっ!」

その日に受かると思っていなかった私は心の中で手を上げて喜んだ。「いつから来れる?」の返答に、愛嬌と元気さは何処に行っても大事だと思うので、笑顔で「今日からでも大丈夫です!」と言えばマネージャーは驚いていたが、にっこりと笑ってそのまま体験入店という形を取らせてくれた。

簡単とは思ってはいなかったが、とても大変な仕事である事にはやはり変わりがなかった。私はこの手の仕事は何するにも初めてな訳で、お酒の作り方、話し方、自分が魅力的に見える魅せ方、普段とは違うメイク法。覚える事が沢山あり、体入を終え本格的に働き出し始めても、家に帰れば死んだように眠る毎日だった。

ヘルプに着くことが断然多いが、それでもほんのひと握りだけど私にも指名が入るようになると毎日は更に忙しくなるように感じられた。しかしその間、それらしい人物は全くといって良いほど出会えなく肩を落とす日々が続いていたが、転機は突然訪れる。


その日、出勤してみれば店内のバックヤードできゃあきゃあと女の子達の可愛い声が漏れていた。何かと思いそっと覗いてみれば、一人の青年がソファに座っていたのだ。

「蘭さん!私、ついにNo.1になれたんですよぉ!」
「オメデト。さっきマネージャーから聞いたワ
「約束通りご飯連れてって下さいよぉ」
「ん、じゃあ今日は予定あっから次ンとき連絡してあげる」
「もう!蘭さんてばいつもそればっかり

長い足を組みタレ目がちな目を細める彼の周りにはウチで働くトップクラスの女の子達。初めて見るその男にポカンと口を開けていると、いつの間にやら私の後ろに居た女の子が口を開いた。

「あぁ、入ったばっかりで分かりませんよね。あの人灰谷蘭さんていうんですけど、ウチの店受け持っているお偉いさん。かっこいいよね」
「灰谷、さん?」
「そうそう。あっでも私たちみたいなのは全然相手にしてくれないの。皆に優しいんだけどさ、可愛がってくれるのは上位に上がった子ばかりだから。近付きたいなら頑張んないと!でも女癖の悪さでも有名なんだよね」
「へっへぇ

私も混ざりたいと思われてしまったらしく、女の子はクスッと笑って私の横を通り過ぎていく。
いや、違う。私が凝視してしまったのは目に映ったその灰谷さんとやらの首元の刺青。あれは昔見た春千夜の右腕と同じ刺青だ。

こんなことってあるのだろうか、あの人に聞けば春千夜の事分かるかもしれない。逸る気持ちの中、現実はそう簡単には上手くいかない。

灰谷さんは女の子が言った通り、本当に私たちのようなナンバーがつかない女には手が届かない存在だった。ニコリと笑ってはくれるがそれ以上のことは無く、話し掛けられることもないし、店に長居もしない。灰谷さんに認知をしてもらうには、私がNo.入りするしかない。

しかしこれ、そんな簡単にナンバーが取れる訳がない。私のようなぺぇぺぇど新人がそこそこ頑張っただけで取れる程甘くはないのだ。こんなことまでして、春千夜が私を覚えているかすらもう危ういのに。もし会えたとしても「きめぇ」とかそんな事言われたら私は東京湾に身を沈めるかも。

でもここまで来たらやるしかなかった。
帰宅して疲れた体でもちゃんとお湯を張り浸かる。寝る前のマッサージとストレッチは欠かさずに、休みの日には一日中美容系の配信者の動画を見ながら自分に見合ったメイクを何回も練習した。トークスキルも磨く為に、先ずはちゃんとお客様に対して聞き上手になれるように徹した。自分が思う、一番の魅力的に思える女性になれるように研究に研究を重ねたのだ。ナンバー入りしている女の子達の席にヘルプとしてついた時は、彼女達がどのように男性陣を楽しませているのかをバレないように盗み見た。良いと思えたものは自分でも取り入れていかなければならない。そんな日々が続き、努力の甲斐あってか私は5位という座に昇格出来た。

凄い!わたし凄い!やれば出来るじゃん!

心境はのたうち回るほどに達成感が半端なかった。この頃になれば指名客も大分増えて来て、同伴にも誘われることが多くなった。アフターは本当に仲良くさせて貰っている方だけにさせて貰っているけれど。

その日も無事営業を終え、気分は高揚したまま帰ろうとした際、肩をトントンと叩かれた。

「はい?…あ」

振り向けば私よりも随分と高い身長に紫と黒を交えたカラーのオールバックの男性。…灰谷さんだ。

「はっはいたにさんっ!?」
「おー、驚き過ぎなぁ?初めてナンバー入りしたんだってぇ?おめでとぉ」
「ありっありがとございます」

まさか向こうから声を掛けて来てくれるとは思わず私はつい一、二歩灰谷さんから遠ざかってしまう。目の前の灰谷さんはそんな私をみてクスクスと上品に笑うのだ。

「何その反応。ウブ過ぎねェ?」
「やっ!ちょっすいません!話しかけて貰えるとは思って無くて」

というよりこの人距離が近いのだ。私が距離を開けようとする度に自然と詰め寄って来る。これがお客さんとなれば上手く交わすことが出来るが、灰谷さんだとそうは出来ない。

「お前さぁ、ここに入って来たとき食いつくような目で俺のこと見てたろ?」
「…はい?」
「すっげぇ目付きで見てたから記憶に残ってんだワ。その女がここまで成長したの、なんか泣けんねェ」
「はぁ、ありがとうござい…ます?」

まさか顔を覚えていてくれていたとは。
でもそれ灰谷さんをっていうよりも灰谷さんの首元の刺青見ていたときの事だ。でも灰谷さんは私がどんな経緯で入ったのかなんて知らない訳だから、多分見惚れていたとか思っているのかなと思う。絶対聞けっこないけど。

灰谷さんは目を細めるとスマホを取り出した。

「お前帰りは?いつもどうやって帰ってンの?」
「タクシーですけど」
「じゃあ送ってやるよ
「えっ!?いいんですか!!」

目を輝かせるとケラケラと笑う灰谷さんにちょっと恥ずかしくなってしまった。やっと前進出来た気がして声に出てしまったのだ。私のアホは昔から変わりない。





結論言ってしまえば、その日の内に春千夜のことは聞き出せなかった。初めてちゃんと会話をしたのだから言い出せなかったのだ。でもこの日を機に、灰谷さんが店に訪れた日には私を毎回と言って良いほど家まで送り届けてくれるようになった。灰谷さんはお店で大人気だから、2人で話している所見られたりなんかしたらお店に居られなくなってしまうと前に言えば、彼はそれならばと連絡先を交換してくれた。

灰谷さんと呼ばれるのは他人行儀みたいで嫌だから蘭ちゃんと呼んでとも言われたけれど、それは流石に気が引けたので蘭さんと呼ぶことにしている。

その日も仕事前に蘭さんからメッセージが届いて、今日顔出すからまた送ってやるとのことだった。ここまでして貰う程の義理は彼に無いはずだけど、一度断ったら「皆にお前と遊んでるって言ってもいい?」とにこやかな笑顔で脅されたので断れなくなってしまった。遊んでなんかはないし、たまに帰りがてらご飯に連れて行ってくれる事はあったけど、そんなの店の女の子に知られでもしたら溜まったものでは無い。

「お前ってさァ、何でキャバなんてやってんの?」

ハンドルを片手で運転しながら蘭さんは私に問いかけた。
ドキンと胸が音を鳴らして、静かに息を飲めば蘭さんはちらりと不思議そうに目線をこちらに向ける。

「…ずっと好きな人探してるんです」
「は?」

蘭さんは気の抜けたような声を口から漏らした。それはそうだろう。私だって蘭さんの立場だったら同じような声が出てしまったはずだ。それでも私は後には引けず言葉を繋げた。

「さ…三途春千夜って人に会いたいんですけど」

蘭さんの目が薄暗い車内でも分かる程大きく目を見開いたのが分かる。蘭さんは私を横目で見るも変わらずにこりと微笑むが、車内の空気が何処か変わったように感じてしまう。

「…何でソイツに会いてェの?」
「それ、は」

ゆっくりと口を開き、春千夜との事を話していく。ざっくりとだけれど。蘭さんは私が話終えるまでの間口を挟むことは無く、煙草を片手で吸いながら運転をしていた。煙草の煙を逃がす為、ほんの少し開いた車窓からひんやりとした冷たい風が頬を伝った。

「ふっ、ふふッ」
「え、おっ面白かったですか?」

面白い要素なんてあったのだろうか。
話終えれば蘭さんは我慢をしていたのか小さく肩を震わせ口を開けて笑い出した。

「ちょっそんな、ひどいっ笑うなんてひどいです!」
「ん、ワリィワリィ。ふっ、いやァすげェね。俺も何度か好き好きって言ってくる女いた事あるけどさァ、そこまで追いかけて来る女はいなかったワ」
「で、ですよね

そりゃそうだ。友人達にも引かれていたし。でも蘭さんは苦笑を浮かべる所かにっこりと笑みを含めたまま楽しそうに見えるんだけど。

「お前の名前なんて言うの?」
「あ、えっと」

一頻り笑い終えた蘭さんは吸い終えた煙草を簡易灰皿へと押しつぶすと私に言う。店で使っている源氏名を言えば「そっちじゃねェよ」と言われてしまった。

「ナマエ、ですけど」
「ん、ナマエね。なァ…俺が三途に会わせてやろっか?」
「…はぇ?…えっ、えぇっ!?」

私が会わせて欲しいという前にまさか蘭さんから言ってくれるとは思わず、驚きを隠せずつい声が大きく出てしまった。蘭さんはそんな私を見て、また笑うのだ。

「反応百面相みてェでほんっとウケんだけどォ。三途に会いてェんじゃねぇの?」
「いや、はい!そ、そうなんですけどね!?いっいいんですか??」
「別にいーよ でも…ただじゃダメ」

車が止まる。私の住むアパートの前に着いたからだ。
口を開けて語彙を失う私に、蘭さんは目を細めて私の口元を指でなぞると柔らかな口調で口を開いた。










家に帰ってからお風呂にすぐ入る気になれず、暫くカーペットに座ったままぼぉっとしていた。蘭さんは1週間後に時間が空くからお前もその日は店を休めよと言い、車を出して行ってしまった。…嬉しい筈なのに、やっと春千夜に会えるかもしれないのに、蘭さんの言った言葉を思い出せば気持ちは少しばかり曇っていく。

それでも決戦とも言えないかもしれないが私にとって長年待ち侘びていた日が一週間後やって来る。今から考えるだけで口から心臓が飛び出してしまいそうだし、お腹も気持ちなしか痛い。ここまで来る間は夢中だったからか、本当に春千夜に会えると思ったらかなりの不安が私を襲ってくるのだ。…でも私、絶対言う!






一週間、ずっと春千夜に言おうと思っている言葉を頭の中でシミュレーションしていた。ちゃんと気持ちを伝えられるかなんて分からない。正直足も手も震える位に緊張してしまっている。

「昼間に会うの初めてじゃん?」
「そういえば、そうですね」

約束の時刻になるも蘭さんは私を迎えに来てくれた。いつも夜しか蘭さんには会ったことが無かったから、何だか不思議な感じがする。

「いつもぺちゃくちゃお喋りなのにナマエ緊張しちゃってんのォ?」
「マジヤバいです。もう本当に吐きそう」
「ウケる。この車ン中で吐くのだけは勘弁なァ?」

蘭さんとこうして普通に話せるようになったのもあの頃の私では想像もつかない。初めに比べるとかなり仲良くなれたと思う。自惚れかもしれないが。

「蘭さん」
「ん?」
「その…ありがとうございます。私の頼み聞いてくれて。蘭さんて、優しいですよね」

頭を軽くぺこっと下げながらシートベルトを持つ手に力が込められると、蘭さんはこの間と同じようにまたププッと笑った。

「俺楽しいこと好きなの。っつかお前に三途会わせてやるって言ったの俺からな?」
「そうです、けど」
「それにさァ」

蘭さんはビルの前で車を停める。そして私へと顔を向けると口調はいつもと変わらないのに、笑顔なのに、蘭さんの喉から出る声音は低いものだった。

「お前は勘違いしてるよ」
「え?」
「言ったろ?三途に会わせてやるからその代わり振られたら俺と付き合ってって」
「あれ…本気だったんですか?」
「うん、本気。俺さァお前が振られれば良いのにって正直思ってるもん」
「あ…と、」
「… な?優しい奴なんかじゃねェよ」

蘭さんは笑みを含めながら私に視線を注ぐ。肩が触れそうなその距離に私の口からは何も言葉が出せない。黙り込んだ私に蘭さんは片眉を下げると伸び伸びとした口調で言った。

「そこが事務所な?入って階段あっから2階のすぐ右の部屋行きな?三途いっから」

動揺しまくっている私に、蘭さんはまたケラケラと笑う。声のトーンはいつも通りに戻っており、穏やかだった。小さくお礼を言えば「連絡しろよ?」と先程までの言葉はまるで無かったかのように手を振る蘭さん。何処まで本気で本気じゃないのか、顔にも余り出さないから本当に掴めない。






蘭さんの言われた通り階段を上がれば直ぐ右手に部屋があった。人生で経験した事がない程に心臓が音を上げていて、喉は干からびたようにカラカラだ。足が竦むほど緊張していて、ドアノブを持つ手は震えている。一度深呼吸をして、息を飲み、ドアノブを回した。

「オイ灰谷!テメェ呼び出しといてなに遅刻しやが……は?」
「は、はるちよ」

ずっと会いたかった彼はソファの背もたれに片腕を掛けてドアの音がしたと同時に此方を向いた。

数年ぶりに見た春千夜は、昔と変わらず桃色のヘアカラー、スーツを着ている春千夜は初めて見たけれど、顔だってあの頃から変わっていない。ただ少し痩せたかのように見える。

「な、っは?ナマエ?な、んでお前ここに」
「むっ、うっ、むかっ…ふぅっ」
「は?」


「迎えにきたぁぁ!」


春千夜の声を聞いた瞬間、溢れ出した涙と共に会いに来たと言う筈が、春千夜を見たらシミュレーションしていた言葉は全て脳内から消え去り、全然違う言葉が出てしまったのである。





「うぇっ…ふぅっ、」
「あー…取り敢えず泣き止め」
「ぅあ、ズズっ、っく」

ドアの前で泣く私に、春千夜は取り敢えず座れと私をソファへと座らせる。名前、忘れられていなかったという事にも涙が溢れ、即刻「帰れ」とも言われなかった安心感で余計と涙が止まらない。こんなはずでは無かった。

「お前何しに来たんだよ」
「う"ぅッ…ふっぅ、あ、あの…ッ好きだ、からァッ」
「は??」
「だ、だからッ…ぅあ、はぅっっはうちよが、まだ、、好きだからッ」

春千夜は片眉を下げていた顔を目を見開き固まらせた。嗚咽もひどいし、もっとちゃんと言いたいことがあったはずなのに、上手く言えない。頭が真っ白を通り過ぎて抜け落ちてしまっている。

「おま、何言って」
「ずっど、、あれから…ッずっと、ヒッ、、わ、わたし春千夜が好きでっっ、ふぅっ、う"ぅ、忘れ、らんなくて…あ、会いたくて」

鼻を啜り、大きく深呼吸するが涙が止まる訳も無く、数年ぶりに会う好きな男に見せたい顔ではないのに、顔を隠すことすら出来ない。

「でっ電話も繋がんなくなっちゃってたしっっ、はるちよは終わった事かもしんないけど、さぁ、っく、どおしても、、わたし春千夜じゃなきゃダメで、、元に、もう一回、ぅ"うっっ、もう一回私の事好きになってくれないかなあ?」

服の袖に出来た涙による染みが大きくなっていく。春千夜の方へと向く事が出来なくて、数分の沈黙が生じた。
その間も私の目には涙が溢れていて、春千夜は小さく息を吐くと口を開いたのだ。







「……んっとにバカ過ぎんだろ、お前」







今度こそ終わってしまったと思った。やっぱりダメだった。春千夜にとってはやっぱり私はもう過去の存在なのだと思い知らされたような気がして、血の気がさぁっと引いていく。

「おい、こっち向け」

振り向くことなんか当然出来るわけが無く、下を俯いたままでいると春千夜は気分を害したのか私の肩に手をやり無理やり視線を合わせて来た。

「ぁっ!!?」
「ッハ。んだその顔、ブッサイク」

目が合った春千夜は昔と変わらず揶揄うような言葉を吐いたかと思うと、その言葉とは裏腹に困ったように眉を下げて笑っていた。

「は、るちよ?」
「おめェ俺が言ったこと覚えてねェの?」
「ぜんぶ…覚えてる」
「覚えてンのにこんなとこまでリスクあんのに来ちまったのかよ。マジで馬鹿にも程があんだろ」
「…ごめん、ね」

春千夜は私の頭をそっと撫でる。最後にさよならをしたときみたいに優しく。それでも昔みたいに私の頭からその手が離れることは無かった。

「テメェには大事な家族やらダチがいんだろうが」
「いるけど…は、春千夜もいなきゃ嫌、なんだもん」
「へぇ。どんくれェ嫌なワケ?」
「え?…もう、死にたくなっちゃうくらい、、生活に支障が出る、、くらい」
「ブッッ、おめェそういうとこ全く変わんねェのな」

軽く吹き出した春千夜は口元を上げて私の頭を撫で続ける。その声音は、私たちがまだ付き合っていた頃と変わらない優しいトーンだった。

「ぅっ、、っく、ふぅっ」
「まぁた泣くのかよ。どんだけ泣くの」
「だ、だって本当に、、ずっとっ会いたかったから」

春千夜は私の言葉を聞くと、撫でていた手で頭を引き寄せ私を抱き締めた。昔はしなかった、香水の香りがほのかに香る。

「…俺だってずっと会いたかったワ」
「……へ?」
「ずっとずっと会いたくて、お前のこと一日も忘れたことなんかなかったよ。…他の野郎と幸せになれとか本当は言いたくなかったわ」
「ぁ、」

春千夜はぎゅううっと抱き締める腕に力を込める。
言葉の意味をゆっくりと理解していくと、自然と春千夜の背に自分も手を回していた。

「好きなクセに手放すことなんかするもんじゃねェって後悔も沢山した」
「ぅ、、はるち、よ」
「好き。あの頃からお前だけが好き」
「わ、わだしもだもんっっ、」

春千夜に「泣きすぎだわ」と笑われてしまったけれど、こんなの余計と涙が止まる訳がない。諦めないで良かった。会いに来て本当に良かったと心から思うのだ。

涙がやっと落ちつきを取り戻し、メイクも崩れ目も腫れているだろうけど、私は春千夜に視線を合わせて言った。



「あ、あのね、春千夜。…本当に私とまた付き合ってくれる、の?」



春千夜はキョトン、とした顔を浮かべるとにんまりと口元に弧を描いた。



「好きな女に迎えにまで来てもらったら答えるしかねェだろ。もう一生お前のこん離さねェって誓うわ。何があってもお前とお前の大事なモンは俺が守ってやるよ」



そう言った春千夜に、今度は人生初の嬉し泣きを晒してしまう私であった。

そして今日は人生で2番目に沢山泣いた日になったかもしれない。



−−−−−−−−



「あっ!連絡するの忘れてた!」
「あん?誰にだよ」
「蘭さん!!」
「ハ?」
「蘭さんにここまで連れて来て貰ったの!もし春千夜に振られたら蘭さんと付き合ってって言われてたんだけど…」
「は?は?ンだそれ」
「私が働いてるキャバ、蘭さんが担当していたの!そのお陰で春千夜に会えたんだけどっ」
「キャバ……キャバ??」

春千夜は目眩がするかの如く自分の頭に手をやると、私の手からスマホをぶんどった。

「俺もワリィ、悪ぃのは分かってっけどさァ。キャバは辞めろ今すぐ辞めろ。ンで灰谷のクソ野郎、誰の女に目ェ付けてんのかわかってねェな。テメェも即答しろや!俺しか好きになれねェからそれは無理だってよォ!!ッチ、ちょっと殺してくるワ」
「あっ会わせてやるからそのかわりにって言われちゃったんだもん!しょうがないじゃん!」
「そんでも断れや俺が好きならよォ!」


復縁して即座に喧嘩を始めた私たちであった。



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