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※梵天軸


「うっうっ」

ホテル内のラウンジに着いてまだ数十分。やっと料理が運ばれてきた所で春千夜君の電話が鳴った。青ざめる私、溜息を吐く春千夜君。春千夜君が電話に出る。私の前で電話に出るという事は仕事関係の聞かれてはいけない話ではないんだろうと思うけれど、嫌な予感しかしなかった。そしてそれは予感的中、あからさまに顔を曇らす春千夜君。「分かった」とその言葉が私の耳へと届くともう鼻がツンと痛みだした。

「ワリィ、呼び出しくらった」
「いやァァ!まだはるちよ君と会って30分も立ってないっ!!」

ここがホテルのラウンジという事、人が大勢見ているという事も気にせず、そして成人済みの大人であるにも関わらず私は涙声で鼻を啜り春千夜君に訴えかける。

「この前は一緒に寝てくれるって言ったのに!知らん間に夜中帰ったでしょ!今日その埋め合わせっ!してくれるって言ったのにっ」

キャンキャン叫ぶ犬のように泣き喚く私に、春千夜君はなんらいつもと変わりなく目の前に注いであるグラスの水を一口飲むと私の涙を指で掬いながら口端をあげ宥める。

「この前も呼び出し、今日も呼び出し。仕方ねェだろ仕事だよ。ホラ泣きやめ」
「ズズっ……ほんとに仕事ですか?女ですか?電話の人は女ですか??」

春千夜君は私のバッグから勝手にハンカチを取り出して私の涙を拭う。そして私の問いに一瞬間を開けるとニヤッと悪戯な笑みを見せた。

「……どっちかねェ?」
「一瞬の間なに!?春千夜君の浮気者!」
「ンなこと言われてもお前と俺付き合ってねェじゃん。何言ってんだテメー」
「うっ!酷いっ!私の処女奪ったくせに春千夜君ひどいっ」
「デケェ声出すんじゃねぇよアホ。アレは合意の上だろうが」

私と春千夜君は付き合っていない。付き合っていないけど私の処女は春千夜君に捧げてしまった。私は春千夜君に一目惚れしてしまったから、春千夜君とそういう雰囲気になったときも拒むことはしなかった。女子校育ちで男に縁のない生活を送っていた為か20歳にもなって処女な私は、逆に重いとか面倒臭いとか思われないかそっちの方が気になって涙が出た。恥ずかしさと嫌がられたらどうしようって。でもそれは杞憂だったのだ。

「あそー、お前初めてなの。んじゃ今日は特別に優しくしてやんよ」

春千夜君が普段どんなセックスをしているかなんてこの時は分からなかったけれど、言葉通り春千夜君は私を優しく抱いてくれたのだ。それはもう本当に特別な人を抱くように。「可愛いなァ」と言ってくれるし「なまえ」と何度も私の名前を呼んでくれる。そして「俺のこと好き?」と毎回聞いてくる春千夜君。でも私が彼にどれだけ好きを素直に伝えても答えてくれることは一度だってないのだ。ただ私の好きという言葉に満足しているような感じ。この関係に勘違いするなよって線引きされているような気もする。


「お前どうする?泊まってくなら部屋取っといてあっけど。帰ンなら送ってくワ」
「…春千夜君がまたここに来るなら泊まる」
「いや、俺多分今日は来れねェ」
「躊躇ない容赦ない!エグい!心がしぬっ」

春千夜君はこういった場面では期待させるようなことは絶対に言わない。グサっと心をナイフで刺されたように痛むけど、そんな事で私が春千夜君を嫌いにならないことを彼は知っているし春千夜君は私の宥め方も知っている。

「気が向いたらまた連絡してやっから。良い子で待ってろ」

ポンポンと大好きな春千夜君の手のひらで頭を撫でられたら私はそれ以上もう我儘を言えない。ずびびっと鼻をもう一度啜り、私はジャケットを羽織る春千夜君にちょびっとだけ睨みを効かせる。

「今週の金曜日は友達と遊ぶからそれ以外で誘って下さい」
「あ?ンだそれオトコー?」

春千夜君の顔つきが怪しくなる。眉を下げて席を立っていた春千夜君は少しばかり疑うかのように声のトーンを下げ私を見下ろした。

「普通に女の子だよ。私に男友達とかいないの知ってるクセにヤキモチ妬いてくれるんですか?」
「一丁前に男遊び出来るようなタイプじゃねェだろお前。大人を舐めんな聞いてやっただけだワ」

ベッと長い舌を出し春千夜君は「行くぞ」と私の手を引く。今日は春千夜君と1時間もいられなかったけれど仕方がない。彼がどんな仕事をしているかなんて聞いたところで教えてはくれないだろうから聞いてはいない。だけど彼の右腕に彫られている刺青だったり、彼の電話から偶に聞こえる内容だったり、人に知られてはいけないお仕事なんだろうなと安易に想像できた。特に世間を知らずに育った私みたいな人間は絶対に足を踏み入れてはいけない人種なんだろうと思うけど、春千夜君は普段何だかんだいって優しいし好きになってしまったのだからもはやどうしようもない。





私が前に好きだと春千夜君に伝えたとき、一度だけ春千夜君は好きだと素面で言ってくれたことがある。でもその言い方は付き合うとかそう言った感じでは無くて、なんだろう。友達と会話する上でのノリ的な感じ。

「それ絶対他の女の子にもそうやって言ってるでしょ」
「あ?良く分かってんじゃん」

ぷうっと頬を膨らませても春千夜君はハン、と笑うだけ。春千夜君、かっこいいもん。私だけのものになって欲しいけど、春千夜君の一番は私ではない。

「でも春千夜君が好きなんだよ私。どうすれば春千夜君の一番になれるんだろ?」
「それ普通俺の前で言うバカいるかよ」
「いいじゃないですか。教えて欲しいです」
「じゃあオメーは俺が死ねって言ったら死ねンの?」

春千夜君の質問に私はポカンと間抜けに口を開けた。こんな質問をされることなんて中々生きていて無いだろう。うんうんと考えていると春千夜君はブフっと綺麗なお顔を崩して口を大きく開けて笑いだした。

「アッハハ!ンな真剣に考えるこたねェだろうがよ」
「そんな笑います!?春千夜君が聞いてきたんじゃん!」
「いやそうだけどよォ、安心しろ。俺もオメェの為には死ぬこと出来ねぇから」
「え!意味分かんない!なんで私振られてるんですか!?」

ゲラゲラ笑う春千夜君に私はまた少なからず涙が出た。その顔を見て心底楽しそうに一頻り笑い終わると、春千夜君は私の顔を片手で掴み上唇をちゅううっと吸うように口付ける。

「いひゃいっ」
「はーっ、お前が答え出せねェのが当たり前だよ。あとまだ振ってねぇから安心しろ」
「まだ!?私振られる前提なんですか!?」

私の顔を見てまた笑う春千夜君に私はまた涙が目に滲む。春千夜君は私をよく泣かすし、私との約束を破るし、何で好きなんだろうとか思うけど、恋に理由はいらないとか誰かが言った言葉があるように、私は春千夜君が大好きなのだ。





仕事の飲み会の帰り道、酔っぱらった上司をタクシーに乗せるまでが仕事だと先輩に言われたからには、下っ端の私はそれに従う事しか出来なかった。怠いけど致し方がない。上司を見送り同期達とも別れ、私はスマホを覗くも春千夜君の連絡は無い。分かっているけど、スマホを覗くたびに春千夜君から連絡が来てはいないかと期待してしまうからメッセージが入っていないと寂しい。そっとスマホをバッグに戻し、タクシーはお金が掛かるから駅までとぼとぼと一人寂しく歩いていると、一件の店から聞き覚えのある声が聞こえて来た。反射的に目を移せば、目に映ったのは春千夜さんととっても可愛いお姉さん。

「春くん!もう帰っちゃうなんて私寂しいよぉ」
「ああ?仕事ォ、仕方ねェだろ」

春千夜君の腕にベッタリとくっつくお姉さん。私と同じ様な断り方してるなぁなんて少しお酒を飲んで頭がホンワカしている状態で春千夜君たちを見ていると、春千夜君は視線に気づいたのか私と目が合った。

「あ?」

私が何故ここにいるのかと言う疑問の目で私を見つめている。春千夜君は一瞬こちらに来ようか迷ったような素振りを見せたが私はそれに気付き、春千夜君にこりと笑顔を向けて少しだけ会釈して横を通り過ぎる。私、今かっこいいかもしれないと自負しながら。

「は?」
「春君どったのー?」

そんな声が聞こえて来たけれど私は爽快に去っていく。その後は無事駅まで歩いて、明日はお休みだから何時もはシャワーだけだけれど浴槽にお湯も沸かして、長時間の仕事の疲れを癒す様にお高いバスボムなんかも入れちゃってお湯に浸かる。そしたらね、気持ちが良くなっちゃってつい長風呂してしまった。流石にちょっと上せそうになったから上がって水を飲んで、バッグに入れてあったスマホを何気なく見るとギョッとした。

着信着信着信エトセトラ

全ての着信、メッセージ相手は春千夜君だった。急いで掛け直すとワンコールもしない内に電話は繋がった。

「あっ!春千夜君!?どうし」
「開けろ」
「え?何が?」
「テメェの家の鍵だよ!ずっとインターフォン鳴らしてんのに開かねぇし電話繋がらねぇし何やってんだテメェ」
「…ゴメンね。お風呂入ってた」





私の小さな部屋にズカッとドアを開けるなり入ってきた春千夜君は何処か様子がおかしい。取り敢えず1LDKのリビングとも言えないような小さな部屋に春千夜君を座らせる。まるで自分の部屋かのように座る春千夜君に私は少しばかり嬉しく感じる。なんでこういう時の為にコーヒーとか買って置かなかったんだろうと後悔しながらお水をコップに注いで春千夜君の元まで持っていく。

「おみ、お水しかないんだけど。あっ、オレンジジュースならあるよ!」
「いやいらねぇ。つかよォ、おめぇ平気なの?」
「へ?何が?」

私の返答に不服なのか春千夜君の顔が歪む。

「お前さっきの見たろうが!何ペコッと頭下げて素知らぬ顔で去っていきやがんだ」
「え、だってお仕事…ですよね?」
「あ?まぁそりゃそうだけど…お前…」

言葉を詰まらせ眉を顰めるとピンクのセットされている髪を掻きながら、春千夜君は言いづらそうに口を開く。

「…ヤキモチ妬かねぇの?お前いっつも俺に女がどうたらこうたら言うじゃねぇか」

…わたしの、私の見間違いでは無いだろうか。春千夜君のお顔はほんの少し赤く染まっているように見える気がするのですが。

「わ、態々それを言いに私の家まで来てくれたんですか?」
「……ワリィかよ」

私の顔は瞬く間に笑顔になっていく。目の前の春千夜君は私の顔が気に食わないのか怒っているけれど、だってだって凄く嬉しいんだもん。

「春千夜君、私のこと好きなんですか?」
「ハァッ!?馬鹿言ってんじゃねェよ!自惚れんな!テメェみてぇな泣き虫後々グチグチ言われたらうるせぇだろうと思って寄っただけだワ!」
「ひっひどいっ!素直にそろそろなって下さい!」
「んだオメェ!」

ぷんぷん怒っている彼の横で私は自分のスマホを操作し一つのボイスメモを取り出す。そして一つの音声を春千夜君に向け再生ボタンを押す。

『もう一度言ってくれますか?』
『あ?何度でも言ってやるってェ〜。だぁかぁらぁ!前にも言った"お前の為には死ねねぇ"とかいう話ィ。お前の為に死ぬことはしねェけどォ、お前がぁ俺の嫌なことしたらお前を殺すのは俺ェ。ンでェ俺はァお前が死んだらァ寂しくなっちゃうからァ……ウン、だから俺の嫌な事しないで?』
『嫌な事ってなんですか?』
『ン〜、お前可愛いじゃん?すげぇ可愛いじゃん?もうそこらの女より可愛いんよマジで。だから俺ェいつもお前のこと泣かしちゃったりすンだけどォ、もうなんつーのかなァ?よく分かんねェんだけど、好き。もーめちゃくちゃ好きなの俺はお前がァ!…だから俺以外の奴と遊んだり連絡すンの絶ッ対ェダメ!他の野郎に目ェ向けたら俺多分お前のこと殺しちゃう』
『嬉しくて涙が出ちゃうんですけど、出来れば酔ってない時に私言って欲しいなぁなんて』
『ハァッ!?言えねェって!ハードル上げんな!…それにさァ、アイツちょい前には処女だったんだぜ?あンなかわいーのに男の経験ねェのやばくねぇ?しかも俺に一目惚れとかさァ。あ?泣いてんの?マジなんなんお前。俺を惚れさす天才かよォ、んっとにテメェは…、』

ポチ

春千夜君は私のスマホを奪い取り音声を終了させると、あの春千夜君が顔を俯かせプルプルと体を奮い立たせているではないか。

「…俺じゃ、ねェ」
「はっ春千夜君だよ!前に泥酔状態で私の家に急に来て言ってくれたんだよ!正真正銘さんずはるちよ!」
「…言ってねェ、覚えてねェ、フルネームで呼ぶの辞めろ」
「そうなると思って言質取って置いたんです」

未だ信じられないと言わんばかりの春千夜君は自分の失態に酷く後悔しているようだった。

「はるちよ君、私ちゃんと聞きたいです。春千夜君の一番の女の子にしてくれる?」

私の言葉に春千夜君はぐぬぬっと口を曲げると、私へ体の向きを合わせ力強く抱きしめ顔を私の肩に疼くめると言った。

「…っ!あー好きだよ!大好きだワ!テメェはずっとこれから先も俺の大事な女だワ!!」

私と春千夜君の立場が逆転した瞬間である。




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