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※梵天軸



三途が面接官として女の前に現れたのはほんのただの気まぐれであった。表向きは全く持って普通の不動産。裏では三途が属している梵天がバックに着いている。反社と聞き上納金の回収と聞けばキャバクラや風俗店が主に思い浮かぶが、実際にはその企業だけではなく幅広い企業を設立し金を回収している。単純に金は多ければ多いほうが良いからだ。女が好きそうなカフェやラーメン屋、その他にもこうして今回のような不動産まで。

今日の三途は機嫌が良かった。海外から新しいクスリを入手したからだ。今日の夜にでも為そう、そんなことを思いながら三途は自分が担当している不動産まで金の回収に出向いていた。

「これが今月分です。納め下さい」
「ん、確かにぃ。ここン所上々じゃねェの」
「はい!最近大きな物件が一つ売れまして!」
「あっそォ。そりゃオツカレ」
「あっありがとうございます!」

この会社が裏で梵天が率いている事は、三途に棒読みで褒められ喜んでいるこの所長しか知らない。三途はこの男の名前を覚えてはいない。禿げた小太りのオッサン程度の認識であり、名前を覚えたとて三途には何の得もないからだ。

「モブ山所長、今日は10時から面接の方がお見えになります」
「馬鹿野郎!客人の前で話す事じゃないだろ!三途さんすみませんねぇウチの事務員空気が読めなくて」
「あ?別にー。つかなに、また人辞めたワケ?」

所長は三途の言葉に一瞬ギクリと青ざめた顔をしたのを三途は見逃さなかった。

「あっいえ、何か残業が多いとか何とかで!いやぁ!最近の若い子は仕事よりもプライベートが大事とか何とか言って続かないんですよ!」

禿げたオッサンの額には汗が滲み出ている。別に金さえ回収出来れば三途にとってはどうでもいい事であったが、この後は珍しく急ぎの仕事も無く暇であった三途は悪戯を思いついた子供のように笑みを浮かべ所長へと口を開いた。

「オッサン、今日は俺が面接官してやるよ」





そうして始まった面接。思ってもみなかった三途の言動に所長は「三途さんに面接して頂くなんて滅相もない!」と声を出して拒否したが、三途が「あ?文句あンのかよ」とほんの少し睨みを効かせると所長は丸々とした体をシュッと縮こませた。

受け取った履歴書を見ればまっさらな職務経歴。出身中学と出身高しか書いていない履歴書であった。年齢欄には18の数字。女特有のほんの少し丸みを帯びた字で丁寧に記入されている履歴書を三途はぼんやりと眺めていた。

「失礼します!」

ドアの向こうから大きな声とともに顔を覗かした女は真っ黒な髪を一本に纏め、着慣れていないリクルートスーツを身に纏った女であった。地味。これが彼女への第一印象だ。

「はいはい座ってー」
「あっ…はい!」

三途の顔を見るなり目の前の女はギョッと目を大きくさせる。まぁ驚いているんだろう。この会社に自分のような男がいたのなら無理もない。女は随分と緊張した様子で席へと座る。三途は面接なんてしたことは無いし、またや面接を受けたこともない。だから適当である。

「あー名前は?」
「なまえです!」
「元気いーねェ。18ってことは高校生?卒業したって感じ?」

頬杖つきながらなまえの履歴書をペラペラと左右に振る三途に、彼女はほんの少し口を開けて三途を見ていると、我に返ったのかハッとした素振りで慌てて口を開く。

「今年卒業したばかりです。えっと就職難で仕事が中々」
「あー理由はどうでもいいワ」
「え?」

なまえは困惑する。普通の面接とかけ離れているこの状況に。しかし三途、そんなことは気にしない。彼はそういう男である。暇つぶしであるだけでこの女の経緯なんてどうでもいいからだ。

「お前パソコン使えんの?」
「はい。一応検定持ってます」
「ふぅん。じゃ、採用」
「え?…っえ!?」

驚いている女を他所に、三途は席を立ち上がり椅子に掛けていたジャケットを羽織った。

やっぱ面接なんてダルいだけだワ。煙草吸いてェ

会って五分も経たずに終了した面接に○○が驚くのも無理はない。しかし三途にとっては終わったこと。人がいない、パソコン使える、採用。この考えでひと仕事終わらせたのである。女を見送ることは愚か自分が先に部屋を出て行ってしまった。





あの日とても変わった面接をした次の日から私はこの会社で働いている。もう時期3ヶ月。仕事内容自体は難しくはない。難しくはないけれど人間関係に悩まされていた。私の隣のデスクに座るお局さま、この人は私が入社した当初から私のことが嫌いであり、嫌味を吐き捨てながら仕事をよく押し付けてくる。まだ右も左もわからないことが多いのに、だ。理不尽!と何度も叫びたくなった。そして圧倒的人手不足。そのお陰で私はまず定時では上がれない。そして極め付けはこの所長だ。この所長のセクハラに私は大変悩まされている。

「ここ年齢層高いじゃない?君みたいな可愛い女の子が入ってくれて本当に嬉しいよ。本当に小さくて可愛いなぁ」

気持ちの悪い言葉をはぁはぁつらつらと吐くこの所長に私は初めこそは愛想笑いで返していたが、それも毎日となると気が滅入っていくばかりだった。この会社は女の人が少ないし、相談できる同期もいなければ上司もいない。仕事を辞めたいと何度も思ったけれど、仕事先が中々決まらず毎日実家の母と父に心配を掛けてしまっていたから、その事を考えると辞めるという選択肢を言葉にする事が出来なかった。

あの桃色頭の人はあれから見掛けてはいない。簡単な面接ではあったが面接官をするくらいならばきっとここの関係者だとは思うけど。

昼の休憩時間から一時間も遅く私のランチタイムが始まる。デスクで食べるのはお局さまと所長が目に入り食べる気が失せるので、私はいつもこの時間使っていなければ会議室を使用し休憩を取ることにしている。

ホワイトボードに書いてある会議室に来客がいないのを確認し私はドアを開ける。すると来客はいないはずだったが、私の目に移ったのはあの面接官を担当した桃色頭の男の人が座っていた。

「あ、すみません。使用中だと知らなくて」
「ん?俺もー帰っからどーぞ」

男の人はチラッと私を見ると直ぐにスマホに目線を移す。デスクに戻った方が良いかなって思ったけれど、あのお局さまと所長が目に入る席で食事を取りたくなかった私は、彼の言葉に甘えてローテーブルの端に腰掛けた。

私が最近食べるものは決まっている。おにぎり一つと栄養ゼリー。本当はゼリーだけでも一杯だけれど固形物を食べておかないとこの間貧血で大変だった。

中々胃に入らないおにぎりを何とか口に入れ食べ終わると、すぐに帰ると言っていた面接官は未だ私の斜め前にいるし、めちゃくちゃ私の事を見ている。視線が突き刺さり若干の気まずさを感じるが、私は気付かない振りをしてゼリーへと口付けた。

「おめェ昼そんだけ?ダイエットでもしてんの?」
「ひっ!っけほっ」

急に話しかけられて咄嗟に変な声が出ると同時に軽くむせてしまった。

「コホッ、いっいえ、ダイエットは特にしていませんけど」
「ふーん。オマエ確か俺が前に面接してやった奴だろ?どうよ仕事は。慣れたァ?」
「あ……と」

この会社に来てそんな事を聞かれたのは初めてで、ついもう辞めたいですっ!と口走ってしまいそうになってしまった。しかし私はその言葉をグッと飲み込み愛想笑いを浮かべる。

「大分慣れました。残業がちょっとキツいですけど」
「へぇ」

桃色面接官は自分から私に聞いてきた割には興味の無さそうにポッケから煙草を取り出す。

「あ、ここ禁煙なんですけど」
「あん?俺はいーの。お偉いさんだから」
「…社長さんですか?」
「社長ォ?ンー、まぁここの小太りのオッサンよか全然偉い人ォ」

小太り?小太りと聞いて思い出すのは所長だ。所長とお局以外の社員は皆やつれた顔をしているし。そう思うと私はついつい口から笑いが込み上げてしまった。

「ふっ、ぷぷっ。それって所長の事ですか?」
「そーそー。どうしたらあンな太れんのかねェ」
「あははっ。すみませっ、んふふっ、ツボっちゃいました」
「ンな面白ェ?」
「はい、とっても!」

肩を震わせ笑う私に、桃色面接官の人はほんの少しだけ笑いかけてくれた気がした。帰り際三途と名乗ったその彼は、詳しいことを教えてはくれないけれど1ヶ月に一度は必ずこの会社に来るらしく、今日が丁度その日だったらしい。

「では三途さん、また」
「あー待て。お前の名前教えろ」

お見送りに玄関まで一緒に歩く際に三途さんは私を引き止める。

「なまえです」
「ん、覚えとくワ」

そう言って三途さんは今度こそ社を出て行ってしまった。
背が見えなくなるまで私は彼を見届け自分の席へと戻る。ランチにしては時間が長いとお局さまに怒られてしまったけれど、私の心は少しばかり晴れ渡っていた。この会社に入社してちゃんと笑ったのは今日が初めてだったと気付くと、またこうして三途さんとお話ししたいなと少しばかり欲が出た。





あれから3ヶ月程経つ。三途さんはこの会社に出向いたときは必ず私に話しかけてくれるようになった。それが嬉しくて、三途さんがたまに顔を出してくれるから私はこの会社を頑張れているのだと思う。所長が私と三途さんが一緒にいるのを余りよく思ってはいないのか三途さんが帰った後には必ず「ちょっとちょっと三途さんと何話していたの?」としつこく聞かれるのは嫌だったけれど。

「おいなまえ、これやるよ」
「何ですか?…お菓子?」

三途さんから受け取った袋を覗くとプリンやシュークリームなどのスイーツが入っている。何故わたしに?と首を傾げると三途さんは煙草を取り出す。ライターの音が鳴れば煙と共に甘い匂いが私の元まで漂ってくる。家族も周りも煙草を吸わない環境で育った私は、初めこそ違和感のある煙草独特の匂いに思えていたのに、いつの間にかその匂いが好きになっていた。

「煙草買ったついで。ごほーびだよ貰っとけ」
「いいんですかっ!どうしようっ私嬉しいです!ありがとうございます」
「ん」

三途さんは私の言葉に満足したように煙草を深く吸い込む。ニコニコと笑う私に三途さんは「今食っちまえ」と言ってくれたので、私はその言葉に甘えてプリンを頂くことにした。食べた事のあるただのコンビニのプリンなのに何時もより美味しく感じるのは何故だろう。お局さまは相変わらず、所長のセクハラっぷりだって段々とエスカレートしているし、残業だって入社当時と変わらずほぼ毎日定時では上がれない。それでもこうして三途さんと会えたときは一日頑張れるのだ。

「てかよォ、お前また痩せた?」
「え?そうですか?ちゃんとご飯食べてますよ。至って元気です」

ギクリ。三途さんには気付かれないよう笑顔を作るが実際は三途さんのいう通り痩せた、というよりもやつれたという方が正しいだろうか。最近は家に帰った後もコンビニで買ったご飯を食べるのですらめんどくさく感じてしまい、食より睡眠をとってしまうことの方が多かった。それでもちゃんと朝はなるべくしっかり食べるようにしていたけれど。家にいてもお局や所長の顔が浮かんできて仕事のスケジュールを思い出してしまうと中々食欲が湧かないのだ。

「どうせろくなもん食ってねェんだろ。仕事、きちいの?」
「あ…とそれは」

一瞬三途さんに嫌なこと全て言ってしまおうか、と考えが頭を過ぎったけれどやっぱり前と同様私はその言葉を言えなかった。

「そんな事ないです。残業はキツいですけど三途さんがこうしてご褒美くれたので頑張れます!」

そう言うと三途さんは大きな目をパチっとさせて、煙草の灰を灰皿では無くポトリと机に落とした。

「あ!三途さんここは禁煙なんですって!この後会議で使用するんです!ダメじゃないですか!」
「あ?ああ…わりい」

三途さんは少しだけほうけたような表情を浮かべるとすぐに元の顔へと戻して煙草を簡易灰皿へと押し潰す。

「…お前さっきの」
「はい?」
「…素で言ってンの?」
「何がですか?」

甘い甘いプリンも残り一口。スプーンで掬い口に含んだ私に三途さんはプハッと笑った。

「いーや別にぃ?天然はこえーなぁと思っただけェ」
「天然?私がですか?」

そんなこと生まれてこの方一度だって言われたことは無いし、三途さんが何に対して私に天然という言葉を投げかけて来たのか分からなかった。三途さんはそのまま席を立ち上がり、スーツのジャケットを羽織る。もう帰ってしまうのかと思えば名残惜しいが、仕事の合間にここに寄っているのだから仕方がない。私も見送ろうと席を立つと三途さんは私の横まで歩み寄り私の頭をくしゃっと掻き撫でた。

「今日は見送りいらねーよ。残った菓子今のうちに食っちまえ」

三途さんはそれだけ言うと形の良い口の端を柔らかく上げて出て行ってしまった。…ちょっと、ちょっとだけ胸の奥がむず痒い気がする。頬が熱くなったのを隠すように三途さんがくれたお菓子の袋を覗く。シュークリームの他にも小さなエクレアや生クリームどら焼きなどが入っていて、こんないっぱい食べきれませんよって心の中でツッコミながら私は暫く会議室から出られなかった。





とある日の時刻は21時。事務所に残っているのは私だけ。今日の帰宅は何時になる事やら。お局さまは家族のご飯を作らないといけないとか何とかで定時の18時になる5分前から帰り支度を始めていた。

「なまえさん、貴女は若いし独り身だし楽でいいわよねぇ。これ、悪いけど今日中に頼むわね」

と渡された書類。その量の多さに目が回りそうだった。とにかく私に人権は無いと言いたげに笑顔で渡してくるあたり、このお局さまは悪魔であり鬼である。いつも営業で走り回っているらしい上司も今日はいつの間にか帰ってしまった。所長はまだ居るはずだが事務所には戻って来ていない。だから私は所長が戻って来るまでに仕事を何とか終わらせたくて画面を見てデータ作成をしていくが、目は悲鳴をあげるほど疲れて重たいし、集中力だってとっくに途切れている。しかし明日までにやらなければお局さまに何を言われるか分からない。凝り固まった肩を解すように背伸びをしたとき、背後から一番会いたくない声が聞こえて来てしまった。

「なまえちゃんお疲れ様。こんな遅い時間まで頑張ってるねぇ」
「あ、所長…お、お疲れ様です」

最悪だ。所長はにんまりと気持ち悪く笑みを浮かべると私の肩に手を置き撫でるように摩ってきた。私の全身にゾォっと鳥肌が立つ。

「あ、ちょっ所長?」
「今日も仕事任されていたでしょう?可哀想に。毎日毎日嫌味言われてるもんねぇ」

所長は私の耳元まで顔を近付け荒い息を吐きながら言葉を続ける。

「慰めてあげようか?」
「ヒッ…!」

ヤバい、犯される。本能はそう察知しているのに、所長の私の肩を持つ手が力を込められると余りの恐怖に体は動かない。

「や、やめてくださいっ!無理です!むりっ」
「恥ずかしがることなんかないじゃない。僕が可愛がってあげるって言っているのに。君みたいな可愛い子、僕本当に好きなんだよ」
「っ、」

所長は気色悪く私に微笑みかけて私の腕を汗ばんだ手で固定してきた。気持ち悪い、怖い、逃げなきゃ!声にならない悲鳴を上げると所長の顔が私の顔まで迫ってきた。

「ひっ、い、いや」



「おいおいオッサン、無理矢理にしても絵面が酷すぎンだよ」

滲んだ瞳を聞き覚えのある声のした方へと向ければ、そこに立っていたのは開いたドアに手を掛けて冷ややかな目付きでにっこりと口角を上げている三途さんだった。

「なっ!さっ三途さん!もうお帰りになられたんじゃ!?」
「あ?煙草忘れたから取りに戻っただけだけど?」

三途さんは私たちの元へとランドトュの靴の音をコツン、コツンと響かせ歩み寄る。一歩ずつ三途さんが近付く度に、所長は途端に興奮していた顔を青白い顔色へと豹変し、私の腕を掴んでいた手を離す。三途さんは私の方まで歩み寄ると私の肩に腕を掛けて所長へまたにこりと微笑む。

「やっ!違うんです!その子がっソイツが慰めてって言ったから!」

この期に及んでまだ言い訳をする所長は私に指を指す。三途さんは私へ顔を向けるが、私がプルプルと首を左右に振れば頭にポン、と三途さんの手が乗っかった。

「違ェってよ。オッサンさァ、前に俺が言ったこと覚えてっかな」
「えうっ、な、」

三途さんは私から離れ所長の元に歩を進めれば、所長はドシンと大きく尻もちをつく。三途さんはお構い無しに所長へと近付き視線を合わすようにしゃがみ込んだ。

「また人辞めたのかァ?って。お前自分が何て言ったか覚えてる?」
「あ、う…えぇ、と」

三途さんは所長の喃語にイラついたのかチッ舌打ちをすると、所長は体はビクッと大きく跳ねた。

「"残業で人が辞めてく"だっけかァ?…モブ山さんよォ、嘘はいけねェなぁ?」
「ひっ……!」

三途さんは私に背を向けている為どんな顔をしているか分からない。分からないけれど、所長は三途さんに名前を呼ばれると大の大人が小さな子供のように半泣き状態のまま体を震えている。

三途さんは私の方へとくるりと向きを変えるとにこりと穏やかな口調で口を開いた。

「おいなまえ、送ってやっから会社の外で待っとけ」
「え?」
「このオッサンと少ぉしお話したらすぐ行っから。ちゃんと良い子で待てるよな?」

私は三途さんの言葉通りにコクリと首を縦に振り、バッグを手に取り事務所のドアまで未だ震える足でゆっくりと歩く。事務所を出る際に三途さんの所を振り返りそうになったが、振り向いては行けない気がしてその場を後にした。

だから私が事務所を出てほんの数分。私の足音が聞こえなくなったのを確認した三途さんが所長に向けて笑顔を消え失せ、一等声を低くし所長に向けて放った言葉を私が知るよしも無かった。

「なあオッサン、嘘付いたらスクラップ。俺の大事な女に手ェ出そうとしたのもスクラップ。おめェ明日には海の藻屑になる覚悟出来てっか?」





三途さんに言われた通り会社を出た私の心臓は未だバクバクと音を鳴り響かせていた。足がすくんでしまい、会社を出てすぐにしゃがみ込んでしまう。あのまま三途さんが来てくれていなかったらと思うと恐怖は必要以上に私を襲った。ひやりとした夜風が体に伝えばゾクっと震える。はやく、はやく来て三途さん。そう願うばかりだった。




どれくらい時間が経ったのだろうか。多分然程あれから経過してはいないと思うが、私の中では体幹何時間ともなるような気分だった。会社の玄関のドアが開く。びくっと震えた体で背後にいる人物へ恐る恐る振り返った。

「さっ三途さあん」
「おー、怖かったなあ?」
「ううっ」

三途さんは私の頭を撫でると安心したのか私の瞳から涙がポロポロと流れた。三途さんはそれを見て高そうなスーツの袖で私の涙を優しく拭うのだ。

「ひぐっ、さんずさんのスーツ、汚れちゃいますよ」
「あ?ンなのどーでもいいワ。つかお前あのオッサンにマジで何もされてねェ?」
「はい…三途さんが助けに来てくれたので。本当に助かりました」

そう言えば三途さんは小さく息を吐くと私の手を取り、三途さんの車の元まで歩き出した。

「…オメーに怪我とか無くて良かったワ」





三途さんが運転する車内の中で幾分落ち着きを取り戻してきた私に、三途さんはハンドルを片手で持ちながら煙草を吹かす。

「いつから?あのオッサンのセクハラ」
「あっと…入社した次の日?くらいからです」
「ハァ!?言えや!そういうのはもっと早くよォ!」

三途さんは急に声を荒らげ少しばかり荒かった運転は赤信号により急ブレーキを掛ける。

「えっと、言おうかなとも思ったんですけど手を出されたのは初めてでしたし、三途さんに言っていいものか分からなくて」
「バァカ!そういうのは言うんだよ!助けて下さいってなァ!俺、お前より立場上!あのオッサンよか偉い人!前にも言ったろうが!」
「うっ、それは聞きました!聞きましたけど…」
「ハァァ…。んで、他には?」

三途さんは大きな大きなため息を盛大に吐くと私に問う。他にもと聞かれ思いつくのはお局さまだ。しかしセクハラに比べたらこれも仕事をする上では辛いが、三途さんに言う程の事かと私は悩む。

「いや、ないですよ」
「……俺ウソ付く奴嫌いなンだけどォ」
「ウッ、じっ実は…」





あの件の次の日、三途さんに仕事を休むか辞めろと言われたが、私は仕事を数日休み今日は久しぶりに会社へ出社していた。久しぶりの会社に所長やお局さまの顔を見るのは怖いし会いたくは無かったが、辞めるにしろ全く行かないというのも気が引けたからだ。

しかし私の心配は全く無かった。あの所長の姿は何処にも無く、所長の席に座っていたのはもの柔らかそうな中年男性だった。聞けばあの所長は辞めたのだという。それに私の横でいつも大きな口を叩いていたお局さまも、私が休んだ次の日から会社に来なくなったらしいし訳が分からなかった。

「三途さん三途さん、聞いてください」
「あ?ンだよ」

月に一度の三途さんが訪れる日、私は三途さんが座っている横でおにぎりを食していた。

「あれから私が休んでいる間に所長も辞めたらしくて、お局も辞めちゃったみたいなんです」
「あそー。良かったじゃん」

三途さんはスマホに目線を向けたまま私の言葉に適当に相槌を打つ。私が出社してからあの日の件は大事にはなっていなかったみたいだし、急に辞めた所長の退職理由とかお局は何故辞めたのか少しばかり気にはなったが、やっぱり顔を思い出すと嫌な気分が蘇るので、私は消し去るように水筒のお茶を喉に流し込んだ。
三途さんはスマホから私へと視線を移すと私の昼食を見て苦笑を浮かべる。

「お前まだそんな飯しか食ってねェの?」
「えへへ、作るの面倒臭くてずるしちゃってます」
「あー…今日の18時、俺時間空くンだワ」
「はひ?」

三途さんは私に声を立てずに笑いかける。私の前髪をフワっと触ると私は驚いておにぎりを食べている口を止めてしまった。

「うまいもん食わせてやっからそれまでに仕事終わらせとけ」

瞬く間にボブっと私の顔は羞恥心で染め上がっていく。その顔を見た三途さんは目を細めて笑う。

「おめー何が食いて、」
「っち、ちち違いますよっ!?少しは料理出来ますって!面倒臭いっていうのは仕事してると時間が無いっていう意味で、最近はお休みの日には料理作るようになりましたから!!」
「……は?」

三途さんはポカンと口を開ける。恥ずかしい、とっても。料理も何もしない女だと思われたからきっと三途さんは私にご飯を食べさせようとしてくれているんだ。恥ずかしさが体に募り火照り出したとき、三途さんは言った。



「…俺はデートに誘ってんだよ馬鹿」



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