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※梵天軸


高校卒業したての春休み。髪の毛を染めて、ネイルサロンでずっと憧れていたネイルをしてもらって、いつもより大人びた服装に身を包んで。鏡に映る自分はいつもの私よりも輝いて見えた。少し大人っぽいお姉さんに近づけた感じ。友人とその日の夜は飲みに出かけてそんな時でもふと彼を思い出したりして。そんな楽しい一日の終わりの帰り、友人と別れ終電の時刻が迫り急いで駅まで歩いていたときだ。私の歩く道沿いに一台の車が止まっておりクラクションを鳴らされた。反射的に顔を音を鳴らした車へと向けると、助手席側の窓が開いて顔を覗かせたのは今日の私を一番見せたかった春千夜さんだった。

「随分めかしこんでんじゃねぇの、ガキが夜遊びかァ?」
「あっ春千夜さん!?こんばんは!」
「おう、なぁにしてんだこんな時間に」
「えっと友達と飲んでたんですけど終電間に合いそうに無くて。急いでいたところです」
「未成年のクセにいっちょ前に飲んでんのかよ。んじゃ今日は特別に春千夜様が送ってやんよ」

乗れと春千夜さんは私を車に誘い込み、春千夜さんの助手席に座る。今日一番の笑顔を浮かべる私に、春千夜さんは「ガキくさ」と笑いハンドルを切る。春千夜さんは私が住むマンションに一年ほど前に越してきた人だ。三途春千夜さん。彼が自身の名前を教えてくれるまでに結構な期間がかかった。桃色髪の毛にオシャレなスーツに整った顔立ち。私の家の隣の隣が春千夜さんの住む部屋らしい。初めて春千夜さんと出くわしたとき、私の横を通りすがる際に香る香水の匂いに何故か惹かれ、私は振り返ってしまった。勿論春千夜さんは私に目もくれず通り過ぎて行ってしまったけれど。私の目に映った春千夜さんは随分と魅力的に思えて、私の心は即奪われてしまった。つまり一目惚れって奴だと思う。春千夜さんとお話してみたくて最初に声を掛けたのは私の方からだ。

「こっこんにちは!」
「あ?」

心構えも何も無かったけど、このチャンスを逃がさまいと再度別の日にすれ違ったとき、私は大きな声で春千夜さんに声を掛けた。それでも初めの頃は挨拶をしたって無視をされてしまうほど私は春千夜さんには認識すらされなくて、どうにかして私を春千夜さんの記憶にインプットさせたかった。無視されても懲りずに会うたび春千夜さんに挨拶を何度もし、やっと顔を覚えてくれたのか春千夜さんは徐々に挨拶を返してくれるようになった。それだけでも嬉しくて堪らなくて、それから何度もめげずに話し掛けていると、春千夜さんからも少しずつ私に話しかけてくれるようになって。あの時無視されてもめげずに話しかけた自分を褒め称えたかったし、春千夜さんが私のことを覚えてくれたのが凄く嬉しかった。こうして今日だって春千夜さんの車で送って貰えることだってあの時の私からしてみれば夢のような出来事なのだ。

「こんな所で春千夜さんと会えたの運命感じます!」
「運命とかそんなもんあるわけねェだろ。バカみてぇなこと言って自惚れんな」

車を走らせること数分、私はハンドルを握る彼を見ながら思ったことを素直に言う。だけど春千夜さんはいつだって私を子供扱いするし、意地悪な事も多々言うけど、今この時間の春千夜さんを独り占め出来ることに幸せを感じて私は顔がふにゃっと緩む。

私の気持ちにきっと春千夜さんは気付いている。それぐらい私は全面的に彼が好きだと分かりやすく表に出している。

「春千夜さん春千夜さん!今日の私の格好どう思いますか?」
「あ?別に普通じゃねぇの?」
「ふっ普通!?これでも今日ナンパされたんですよ?可愛いねって!」
「ほぉん、物好きな男もいるもんだな。っつか教えてやんよ。そーゆうのはリップサービスっつーんだよ。真に受けんなアホ」
「しっ失礼!失礼ですよ!」

ケラケラと笑う春千夜さんは、私がどれだけ化粧をして大人びた格好をして、髪の毛を染めたとしたって褒めてはくれない。いつだってからかわれるだけで聞くだけ無駄だと分かっているのに、もしかしたら可愛いって言ってくれるかもしれないと小さな期待を込めてみても結局の所、私の心に残るものはションボリと少し沈んだ感情だ。

もっと一緒にいたいと思うけど車はあっという間にマンションに着き止まる。車から降りる際に鞄から家の鍵を取り出そうと漁るも、ない。そんな所に入れる訳がない小さな化粧ポーチの中を見ても無いし、バッグの中のポケットを見ても鍵は無く私は顔がどんどん青ざめていく。不審に思った春千夜さんが眉を顰めて私と目が合った。

「は、はるちよさん」
「ンだよ。寝みぃんだから早く降りろや」
「…家の鍵忘れちゃいました」





自分の家と構造自体は余り変わらないはずなのに、玄関に入るも春千夜さんの部屋は別の人の家のような感じがした。春千夜さんは何だかんだ優しい人である。それはもう隠す気はゼロで嫌そうに眉間に皺を寄せ、「そこらで野宿しろや」とか言われたけど、結局私をそのまま外に置いて置くことはせず、部屋に入れてくれた。

「春千夜さんち私の家と作り一緒なのに全然違う…!」
「はぁ?意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇ。いーか、てめぇはそこ座って大人しく待ってろ。後あんまジロジロ見んじゃねぇぞ」

春千夜さんはソファへ指を指すと念を押し、寝室なのか分からない部屋へ行きドアを閉めてしまった。怒られるのは嫌なので、言われた通りにソファに腰を下ろして春千夜さんが来るのを待つ。まさか春千夜さんの部屋に上がれるなんて思ってもみなかった私は、春千夜さんと出会ってから今までで一番緊張していると言えるだろう。
見るなと言われても気になってしまうのは性分で、キョロキョロっと部屋を見渡すと春千夜さんは案外お片付けが苦手らしい。テーブルには飲み終えた空のペットボトルやお酒の缶が幾つか置いてあって、スーツはいつも皺のないもの着ているのに、こういう私の知らない春千夜さんを見れた気がして嬉しく思った。

「あんまし見んなっつったろーが」
「あっすみませっ、春千夜さんち来れるの夢みたいで」
「鍵忘れてなきゃ一生上がらせねぇワ」

リビングへ戻ってきた春千夜さんはスウェットに着替えて着たらしくオフな格好もまた新鮮で、格好良い人はスウェットを着てもサマになるんだなって変なことを考えてしまった。春千夜さんは冷蔵庫から二本缶ビールを取り出すと私に一本手渡した。

「ホラ、飲めんだろ」
「…未成年どうたらこうたら言ってませんでしたっけ?」
「あ?知らね、忘れたワ」

春千夜さんはプシュッとプルタブを開けると缶ビールに口付ける。飲みには行ったけれど、甘いお酒ばかり飲んでいた私はちゃんとビールを飲むことが今日が初めてで、一口飲んでみると舌はビール特有の苦味に慣れておらず顔がつい歪んでしまった。

「うぇ…」
「ッハ、んだその顔!今日飲みに行ってきたんじゃねぇのかよ」
「び、ビールに慣れていないだけです!…甘いお酒は美味しかったもん」
「お子ちゃまは無理すんなって」
「無理じゃないです!」

声を出して笑われてしまったことにちょっとだけムッとなった私は、持っていたビールをもう一度グビっと勢い良く飲んだけどやっぱり苦くて美味しいと感じることが出来ない。顔をまた歪ます私に対し、春千夜さんは「そういうムキになるとこがガキなんだよなァ」と笑う。
春千夜さんと出会ってから何度も言われる、"ガキ"、"お子ちゃま"という言葉。もしかしたら毎度会う度言われているかもしれない。それくらい頻繁に春千夜さんは私にその二つの言葉をぶつけてくる。結局の所こうしていくら見た目を大人びて見せようとしても、小さな事でムキになってしまう私は彼からしてみれば子供であることに変わりは無いのだ。

「春千夜さんはいつも私のことガキだとかお子ちゃまって言いますけど私だって少しずつ大人になってるんですよ?」
「あん?ンだいきなり」
「だって春千夜さんいつも私の事を子供扱いするですもん」

フン、と少し口を尖らせていじけてみる。春千夜さんはククッと笑って缶ビールをテーブルに置き煙草に手を伸ばした。
悔しいなぁ、全部の仕草が格好良いと思ってしまう。何をしてもこの人は私の心を簡単に奪っていくのだ。最初はただお話出来るだけで良いなんて思ってたのに、最近は春千夜さんと話をする度に彼の中の一番大事な人になりたいと強く思うようになってしまった。一個二個の年上では無く、成人過ぎた大人の人に恋をしてしまったのなんて勿論初めてで、どうやって距離を近付けることが出来るのか全く分からない。

春千夜さんはフゥっと白い煙を吐くと、私が持っていた缶ビールに手に伸ばした。私の手から離れたビールはそのまま春千夜さんの口へと持っていかれビールを流し込んだのだ。ビールから口を離した春千夜さんはニヤァと笑って缶ビールを私の前にプランと翳す。

「まだ半分も残ってんじゃねぇの」

カアッと酒では無い暑さが体を襲った。見る見る内に赤くなる顔の火照りに春千夜さんは悪戯っ子っぽく口元を上げる。

「こんなんで恥ずかしがってるようじゃやっぱお前はまだまだガキだわ」
「だっ誰だって急にこんなことをされたら驚きますって!」
「へーへー。そういう事にしといてやんよ。冷蔵庫に水あんだろ。それ飲め」

あの顔は絶対私が顔を赤くすることを分かっていてやったに違いない。春千夜さんは何食わぬ顔でそのまま私の缶ビールを飲み冷蔵庫を指差す。また子供扱いされてしまった私は赤くなった顔を隠すようにソファから立ち上がる。冷蔵庫を開けてみると確かに水のペットボトルがあった。あったけど…。

「…春千夜さんて料理するんですか?」
「あん?自炊なんかする暇あったら寝るワ」
「そ…ですか」

水を一本取り出してパタンと冷蔵庫を閉めた。冷蔵庫の中に会ったものは缶ビールとお水、それと誰かが作ったであろう料理が何品かガラスの保存容器に入れられ閉まってあった。さっきまでのドキドキしていた気持ちは嘘のように消え去って、代わりに胸の奥がギュッと握り潰されていく。

春千夜さんの言葉を聞いて直ぐに思ったのは彼女がいるのではないかということ。春千夜さんはフリーだと勝手に思い込んでいたけれど、よくよく考えてみれば春千夜さんに彼女がいたっておかしくはない。

「おい、急に黙ってどうしちまったんだよ」
「あ…いえ。何でも無いですよ?わ、わたし眠くなってきちゃいました!後数時間後には母が起きると思いますのでそれまで寝させて貰ってもいいですか?ソファで寝るんで!ほんと、ごめんなさい!」

私はちゃんと笑えているだろうか。平気な顔、気付いていない顔をすることが出来ているだろうか。一刻も早く自分の家に帰りたくなった。一人になりたかった。鍵さえあれば直ぐに飛び出しているくらいだ。春千夜さんの顔を見ることが出来なくて、取り敢えずスマホを取り出して何でもない素振りをする。すると春千夜さんは私の手を取り寝室の方へと私を連れ出したのだ。

「はっはるちよさん!?ちょっと!」
「あ?寝んならソファなんかで寝んじゃねぇよ」
「いや!私なんかソファで十分ですって!春千夜さんがベッドで寝るべきですよ!」
「あーもううっせぇなァ。ガキは大人しく遠慮なんかしてんじゃねぇよ。特別だ特別。素直に喜んで寝てりゃいいんだよ」

腕を離そうともがいても春千夜さんが掴んだ手はビクともせず私をベッドまで連れて行き、手が離れると寝室のドアをパタンと閉めて出て行ってしまった。
一人になった春千夜さんのベッドの上で考える。いつもの私ならもう死んでも良いくらいに喜んでいる所だと思うけど、どうしたってそんな気持ちになれない。彼女と寝ているであろうベッドに体を預ける気分になれるはずがなかった。私が勝手に春千夜さんに恋をしているだけなのに、付き合っている訳でもないのに、私の中の嫉妬心が渦巻いていって見たことも無い彼女に羨んでしまう自分に、どうする事も出来ない自分に嫌気がさして泣きたくなる。

ガキだお子様だと言われてもこうして私を送ってくれて、家にあげて貰えて、前よりも春千夜さんとの距離が近くなれたと思っていたけれど、それは私の勘違いだったようだ。やっぱり距離が遠いし春千夜さんの心の中に私が入ることは出来ないのだろう。

その日の私は眠れる訳が無くてベッドの下で明るくなるのを待ち、お母さんが起きる時間になるとそっと寝室のドアを開けた。春千夜さんはソファで寝ているようでちょっとだけ春千夜さんを見てみる。春千夜さんの寝顔を見れることなんてまずないのに、顔を見たら我慢していた涙が出そうになった。起こさないようにそっと玄関を出て数歩先の自分の家へと帰る。お母さんは起きていて、朝帰りは連絡しなさいよ!とかちょっと怒っていたけど、私の顔を見るも何かを察したのかそれ以上は何も言われなかった。





あれから私はとにかく春千夜さんに会わないように心掛けることを決めた、と言っても春千夜さんは帰ってくる時間も仕事の時間もバラバラみたいだから、普段から毎日出くわすとかそういったことは無かったけれど、とにかくいそうな時間は避けることにした。仕事が始まるのは4月からで私は社会人になる。職場はここからバスと電車を乗り継がなくてはならない。春千夜さんと離れたくなくて一人暮らしは考えていなかったけれど、やっぱりアパート探して見ようかな。何れは春千夜さんと彼女が一緒に居る所を見てしまうかもしれない。それはキツいなぁ。春千夜さんが私の知らない人に向ける笑顔とか考えただけでモヤがかかる。

春千夜さんがほんとに偶に頭を撫でてくれる大きな手が好き。
春千夜さんから香る香水の匂いが好き。
からかう癖に、子供扱いをされたとしたって好き。
うるさそうに話を流すくせに何だかんだ聞いてくれている所も好き。
私の事をそういう目で見ていなくても、好き。
彼女がいたって……。

諦めなくては。一年間、私は良く頑張ったと思う。雑誌を買い込んで、春千夜さんに少しでも意識して貰いたくてお洒落も化粧も頑張って、いつ春千夜さんと会えても良いように自分を取り繕っていたけれど、もう終止符を打たなければ。話せただけで良いじゃないか、ほんの少し近付けた気になって馬鹿みたい。何れは私のことを子供じゃなくて、一人の女として見てくれるかもしれないと思って今まで頑張ってきたけどその考えはもう捨てよう。涙が出てくるのは辛いからだけど、自分の部屋で泣く分なら良いだろう。

泣く程好きだった春千夜さんは今何をしているだろう。結局こんなことを考えて諦めるってどうやって諦めれば良いのか分からずに、ただ嗚咽混じりの涙が流れるだけだった。





『なまえ!今何してる?』
「今?別に何もしてないけど」

その日の20時を過ぎた頃、いつの間にか夕寝をしてしまったらしくスマホの着信で目を覚ました。電話相手はこの間飲みに行った友人からだ。

「暇なら今から飲み来て!人数足りなくてさ〜」
「え〜、私失恋したから目がめちゃくちゃ腫れてるんだけど」
「は!?マジで!?例の人?」

軽く内容を告げると友人は電話の向こうでテンションを上げ言った。

「じゃあ丁度良かったわ!アンタの事好きって言う子も今から来るからさ!来てよ!実は誘ってみてって言われてたんだよね」
「えぇ?誰それ」
「高校の時のクラスメイト!アンタその春千夜さん?だかって人に夢中だったから気付かなかったでしょ」

友人にその男の子の名前を聞いて顔を思い出す。必死にアピールしていたみたいだが、春千夜さんに夢中だった私は他の男の子になんて目も向けなかったせいで全然気付けなかった。その子も私と同じように苦しい思いをさせていたのだろうか。それは申し訳無いことをしてしまっていた。すぐに次の恋愛に切り替えることは難しいけど、一人でいるよりはずっと良い。春千夜さんのことを考えなくて済むだろうから。

「…今から支度するから時間かかるけど、いい?」

友人と電話を切り、少しだけぼおっとして両手で頬をペチンと軽く叩く。化粧をしてもやっぱり目が腫れているせいでいつもの私よりも特段ブサイクだ。

家を出る際、お母さんに引き止められる。

「ちょっとなまえ!出掛けるのはいいけど鍵まだ届いていないんだからこれお母さんの持っていきなさい!んもう、絶対に無くさないでよ!」
「あ…ウン」

春千夜さんの家から自分の家に戻って忘れた筈の鍵を探したけれど何処にも無くて。飲みに行ったときに何処かに落としてしまったらしくお母さんにガミガミ怒られてしまった。鍵を受け取り、家の玄関を開けると聞き覚えのあるような声と女の人の声が聞こえてきた。
まさか、と思い目線だけ声のする方へと向けるとそのまさかの春千夜さんと綺麗な大人の女性だった。

「っち。だからテメェに言われる筋合いなんかねぇだろうが。調子乗ってんじゃねえ」
「何でそんなこと言うの!?春君に会いに来たのに!」

…絶対に見たく無かったものを見てしまった。何やら揉めているようだがあの女性は春千夜さんの冷蔵庫にあった料理を作った彼女だろうと一瞬にて理解した。だってその女の人の右手には買い物袋掲げてるんだもん。

どうしよう、エレベーターに乗るにも階段を降りるにも春千夜さんとその女の人の横を通り過ぎなければならない。一度家の中に戻ろうと思ったけれど、春千夜さんと目が合ってしまった。サイアクだ。
もう通り過ぎるしかないと私は足早でその二人の横を通り過ぎて行く。春千夜さんを見ないように。

「おいなまえ」

そう春千夜さんに呼び止められて俯いていた顔を上げてしまった。いつもお前とかテメェ呼びで名前呼ばないくせに。女性は分かりやすく私の顔を見て眉間に皺を寄せ春千夜さんと私を交互に見やる。綺麗な顔なのに、そんな顔をしたら台無しだ、それくらいその女の人は顔を歪ませていた。春千夜さんはその彼女に気を使うことなんか無く私に言う。

「オマエあん時いつ帰ったんだよ」
「…は?」

女が信じられないかのように喉からえらく低い声を出す。普通彼女がいる前で言うか?ああ、でもそっか。きっと私なんか女以前に子供としてしか見られていないから話し掛けることが出来るのだろう。でも流石にいくら何でも彼女の前でそういう事を言うのは辞めて欲しいな。ホラ、彼女さんめちゃくちゃ私のこと睨んでるんだけど。私は何でもないフリをし笑えてるかも分からない笑顔を向けた。

「すぐ帰りましたよ。えっと今から予定あるんで私行きますね」
「あ?ちょい待てって」

春千夜さんの声はちゃんと聞こえていたけれど、私は返事をすることも無く逃げるようにエレベーターへ乗り込む。一人になった狭い空間に鼻がツンとし出して今にも泣いてしまいそうだ。あんな綺麗な女性が春千夜さんの周りにいるのであれば私なんか眼中に無いのは当然だと思った。悔しくて、羨ましくて、そんな妬みで溢れた自分が気持ち悪い。

やっぱり一人暮らししよ。

諦めようにもまずは春千夜さんと完全に会わないようにしなくては。彼女とまたいる所を見てしまったらきっと私はまたこんな気持ちになってしまう。前を向かなきゃ、そう思い春千夜さんへの気持ちを押し殺し友人がいる飲み屋へ向かった。


その日は友人達と朝まで遊んで帰りは始発で帰ってきた。春千夜さんの部屋の前は静かなもので、今も彼女といるのでは無いかと思えばまた気分は下がるばかりだ。友人達との飲み会で私の事を好きだと言ってくれた男の子はとても良い人だと思う。顔を赤く染めながら私のことを可愛いと褒めてくれた。同級生だから当たり前だけど、子供扱いをしないで一人の女として見てくれる。LINEを交換して、来週の土曜日は二人で遊ぶ約束だってした。ちゃんと告白されたら付き合うかもしれない。でも私はこの人の事をまだ知らないし、知りたいと思わないのだ。春千夜さんのことは何にも知らず好きになったくせに変なの。

お金を貯めたら部屋を探そう。春千夜さんに会ってしまったらまた諦めることをきっと厳かにしてしまう。私を見てくれる人とちゃんと幸せになったほうが絶対に良い。そう思うのに、考えることは未だ春千夜さんの顔だけ浮かぶんだから、どんだけ自分春千夜さんが好きなんだと自虐めいた笑みが出る。

『ちゃんと家ついた?』

数時間前に届いたあの男の子からのメッセージはまだ返す気にならなかった。





あれから二日ほど経つが私は家から一歩も外に出てはいないから春千夜さんには会っていない。ピンポーンとインターフォンを鳴る音がして、私はムクリとベッドから起き上がる。この時間両親は共働きでいないから私が出ないと行けない。ルームウェアのポッケに意味もなくスマホを入れて私は急いで玄関へと向かった。

「よぉ久しぶりぃ」

会わないようにしていたのに、玄関を開けたら春千夜さんがいた。驚きすぎて声が咄嗟に出てこなかった。宅配便か何かかと思ったから頭だって寝起きのままだし、顔だってスッピンだ。春千夜さんはそんな私をじっと見つめる。何の悪夢だと思った。咄嗟にドアを閉めようとした私に、それをさせまいと春千夜さんがドアに手をかけ阻止した。

「おいおいおい。出向いてやったのにそれはねぇだろうが」
「ちょっスッピンなんでっ!なんの用ですか!?」
「テメェの顔なんざ化粧してもしなくてもどっちも変わんねぇよ。オラ、早く開けろって」

閉めようと両手でドアノブを引っ張る私に春千夜さんは片手でこじ開けようとする。無理!今までこんなこと無かったのに何故春千夜さんが来るんだと私は若干のパニックになる。一体何の攻防戦だ、傍から見れば春千夜さんは取り立てのように見えるに違いない。

「テメェがこのドア開けるまで要件言わねぇぞ」
「やっ、無理ですって!子供ですか!?それに、かっ彼女さんに申し訳ないですって!!」
「ハァ?ガキはお前だろうが!いーから開けろって!」
「うあっ!」

勢い良く開けられたドアから覗いた春千夜さんの顔は不機嫌そうに私を睨みつけている。春千夜さんの表情に私の体はビクッと固まってしまって何も言い出せず目を逸らすと、春千夜さんは無理やり視線を合わせるかのように私の頬を片手でムギュっと掴んだ。

「い"ひゃっ」
「おいブス。てめぇ俺の事ここ最近避けてんだろ」

その声に私の体温は底冷えしていくかのよう血の気が引いていく。低いトーンに静かに言い放った言葉。初めて春千夜さんが怖いと思った。目尻から自然と涙を浮かべる私に春千夜さんは一瞬目を見開くと、バツが悪そうに私の頬を掴んでいた手を離した。

「…ちょっと来い」





ついこの間上がったばかりの春千夜さんの部屋。缶ビールの缶とかテーブルにあったものは綺麗に片付けられていて、あの彼女が片付けたものだろうかと考えるとまた私は意味の無い嫉妬に苦しめられる。春千夜さんはソファに座るも煙草を一本取り出し火をつける。乾いたライターのカチャッとした音だけが静かに響いた。

「こっち座れ」

突っ立っていた私に春千夜さんは隣に座れと顎でクイッとつかう。言う通りにほんの少し距離を開けて座ると春千夜さんはスーツの内ポケットから何かを一つ取り出した。

「…それっ」
「お前ン家のカギ。俺の車の中に落ちてたワ」

…だからいくら探しても無かったのか。私はそれを受け取ろうと手を伸ばすとヒョイッと春千夜さんは私の手から鍵を遠ざけた。

「…返して下さい」
「あん?その前にお話することあンだろーが」
「っ別に話をすることなんて」

私がそう口にしたとき、私のスマホからメッセージを知らせる音が鳴った。呑気にピロリンとスマホは鳴り春千夜さんは小さく舌打ちする。

「誰だよ」

スマホを覗けば連絡先を交換した男の子で『土曜日、どこか行きたいところある?』という内容だった。何て春千夜さんに返答したらいいのか分からずスマホを見つめたまま黙り込んでいると、春千夜さんは気に食わなかったのか私の手からヒョイっとスマホを取り上げた。

「っあ!ちょっと!」
「見られてワリィような内容なのかよ」

そう言うと春千夜さんは私のスマホの画面を見やる。
…自分だって彼女がいるのだから私が誰と連絡を取っても関係ないのに。
春千夜さんはメッセージを見ると、スマホから私の方へ冷たい目を向けた。

「何コイツ。おめぇのなんだよ」
「…何だよって…私のことを好きって、言ってくれてる人です」
「ハ?オマエこいつと付き合ってんの?」
「まだ付き合ってはいないですけど…っていうか春千夜さんには関係ないじゃないですか」

今まで私がこうして反抗する態度を取った事がなかったからなのか、春千夜さんは私の言葉にほんの少し驚いた表情をして見せた。だけどそれは嘘のように春千夜さんはすぐに顔の表情を消し去った。私を見る瞳は据わっており春千夜さんは小さく首を傾げながら私の元へと距離を近付けた。

「…まだって何だぁ?お前コイツが付き合えっつったら付き合うワケ?」
「…かもしれません」
「へぇ。でもよぉ、オメー俺の事好きじゃなかったっけ?」
「そ、れは」

やっぱり春千夜さんは私の気持ちに気付いていた。でも何で春千夜さんがこんなに怒っているのだ。私の気持ちに気付いておきながら自分は彼女とヨロシクやってたくせに。諦めようとしているのに、何でこうやって私が怒られなくちゃいけないのだろうか。悪い事何にもしていないのに。

「おいおい、泣いてんじゃねェよ。俺のこと避けてた理由は他に男がいるからってワケな」
「ちがっ!はっ春千夜さんだって彼女いるじゃないですか!」
「ハァ?」
「この間彼女と話してたじゃないですか!すっごく綺麗な女の人と!作り置きまでしてくれる彼女がいるのに何で私にこんな怒るんですか?私の気持ち気付いてて平然と彼女の前で話しかけてくるし、いつもいつも私の事をガキだって子供扱いして私のこと意識なんてちっともしてくれないじゃないですか!春千夜さんの為にお洒落とか頑張ってたのに…」

可愛いの一言も私は言ってもらえない
その言葉は嗚咽に飲まれて言えなかった。スッピンで泣き顔まで晒してこんなことまで言ってしまって、私は何をしているのだろう。泣くなとまた言われるかもしれない。もうお前帰れと言われるかもしれない。そう言われる前に自分から帰ろう、そう思い涙を袖で拭いながら私はソファから立ち上がる。

「ハ?おいっどこ行くんだよ」
「か、帰ります〜!っク、帰らせてください、ホント」
「バカ!話は終わってねえだろうが!」

春千夜さんは立ち上がった私の腕を掴むとグイッと引き寄せた。勢いよく引かれたせいで私はぽすん、と春千夜さんに抱きとめられる形になり私は焦って春千夜さんの腕から逃れようともがいた。

「離して下さいっ!嫌です!彼女いるクセにこんなことしないで下さい!」
「あ〜もう暴れんな!彼女なんかいねぇし俺の話もちゃんと聞けや!」
「うっ」

暴れる私に春千夜さんは力強く私を抱きしめる。…彼女、いない?いないって今言った?目を丸くする私にやっと静かになったと春千夜さんは口を開く。

「あの女は…前に一回だけ関係持った女で、飯だかは俺が寝てる時に勝手に作ってたヤツのこんだろ。そもそも知らねぇ女が作った飯なんか食えねぇし連絡無視してたら俺ン家押しかけてきたってワケ」

酔ってたせいで家教えちまったと春千夜さんは言葉を続けた。そしてそのまま春千夜さんは言い終えたかと思うと、私に顔を近付け…キスをした。

「……へ?」
「あー、せえっかくお前がもう少し大人になるまで我慢してやろーと思ってたのによォ、他の男に取られるくらいなら初めっからやっぱこうしときゃ良かったワ」
「は、はるちよ、さん?」

頭は真っ白で、いま私の頭を撫でる春千夜さんは本当に春千夜さんなのだろうか。フリーズ寸前の私に春千夜さんは笑ってもう一度私にキスを落とす。

「おめぇが好きだっつってんの」

私の顔は誰が見ても分かるほど真っ赤に染まっていき、離れた唇は熱を持つ。

「や、だっだって!えっ!?そんなっ、春千夜さん最近まで女の人と遊んでたんでしょ!?」
「あー?ンなもんお前だと思ってヤッてたに決まってんだろ」
「さっ最低じゃないですか!」

これに関しては素直に喜ぶことが出来ない。それなのに春千夜さんは私を見て優しく微笑むからそれ以上何も言えなくなってしまった。

「安心しろって、春千夜様は一途なんだよ。テメェが手に入ったンなら他の女に手ェ出す必要もねぇワ」

春千夜さんは私をソファへそっと押し倒すと私の胸に顔を疼くめてポツリと小さく呟いた。

「あー…あと、お前いつもの濃い化粧よかそのスッピンのが可愛いって気付けよ。無理して大人ぶんな」
「かっかわいいっ!?」

春千夜さんは照れているのか恥ずかしいのか分からないけれど、ぎゅうっときつく抱きしめて私の胸に疼くめた顔を上げることはしなかった。きっと私の心臓の音は春千夜さんの耳に届いてしまっているに違いない。一言余計だけど、初めて春千夜さんが私の事を可愛いと言ってくれた言葉に私はどうしようもなく胸を高鳴らせてしまった。





春千夜さんは以外と甘えん坊らしい。ずっと格好良い春千夜さんしか見ていなかったからこんなに甘える人だとは思わなかった。好きだと言ってから私に対してまだ一日も経っていないのにずっとくっついてくるから私の心臓が持たない。春千夜さん曰く"ずっと我慢してたンだからこれはご褒美だろ"と言われてしまった。

夜から仕事だと言った彼は時間が迫るとめちゃくちゃ嫌そうな顔をして着替えだした。キッチリとした春千夜さんの姿にまた心臓はときめいて、そんな私を見て春千夜さんはフン、と鼻を鳴らすのだ。

バイバイの時間が近付くとドキドキしていた気持ちが今度は寂しい気持ちになり、春千夜さんはそんな私を見てスマホを取り出した。

「何時になるか分かんねぇけど終わったら電話してやっからホラ、こーかん」
「あっありがとうございますっ!待ってます!」

そういえば今の今まで春千夜さんの連絡先を知らなかったのだ。彼の連絡先が自分のスマホに登録されると私の顔はつい綻んでしまう。喜んでいる私を差し置いて春千夜さんは思い出したかのように口を開いた。

「後よォ、テメェのこと好きだとか言った男、アイツに言っとけ。"めちゃくちゃカッケー彼氏がいるからお前なんざ足元にも及ばねェ"ってな」
「えっ!ソレを送るんですか!?それはちょっと言いづらい…です」
「あん?本当のことだろーが」

春千夜さんはネクタイをシュッと慣れた手つきで結ぶと私の方へと近付き耳元でそっと囁く。

「ちゃあんと言わねェとソイツ、明日には海に沈んでるかもなァ?」

ゾッとするような空気が一瞬で室内を纏い、春千夜さんの顔を見るも先程と変わらず笑顔で笑っている。嘘か誠か、春千夜さんにしか分からないけれど、その顔は嘘をついているようには見えなかった。そっと首を縦に振ると「お前はやっぱり可愛いなァ」と私の唇を親指でなぞるように触れた。

もしかして私はヤバい人を好きになってしまったのかもしれない。



Title By icca
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