小説 TOP | ナノ


※梵天軸


数年前、急に消息が途絶えたと大袈裟に言っても過言ではないぐらい音信不通になった彼が、今まさに私の隣でショットグラスに口付け、あたかも何も無かったように腰を下ろしている。





私と彼が出会ったのはまだ私たちが十代の頃。
きっかけは些細なことで、家の近くの公園で彼が怪我していたのを見掛け助けたことがあった。金髪の長い髪を辛そうにかきあげて、顔から血を流している彼に私は声を掛けた。

「大丈夫ですか?」と。

絶対に痛い筈なのに、「ほっとけ」と言った彼を言葉通りに放っておける訳が無くて無言でハンドタオルを水で濡らし持っていた絆創膏で応急処置をした。この先もずっと言えないけれど、この時の春千夜君は捨て猫のように見えてしまった。

二度目に彼と出会ったのはまた同じ公園で、あの時のように怪我はしていなく、私の目の前までズカズカと歩いてくるからてっきり何か言われるものだと思ってしまった。でもそんなことは全然なくて、彼はコンビニ袋を私の前に差し出して「これやる」と一言。受け取った袋の中を覗くとパンパンに食べきれない量のお菓子が入っていた。

「こんな食べきれないよ」
「はぁ?食えや。俺がわざわざ選んできてやったんだから食えっつーの」

多分、これは彼なりのお礼の仕方かな、なんて思うと素直にありがとうって言葉が聞けずとも不器用さが可愛いと思えて来てしまって私の顔は直ぐに緊張が解け緩み出す。

「うん、ありがとう。じゃあさ、一緒に食べよ?」
「は?いらねぇよ」
「お菓子は一人で食べるより誰かと食べる方が美味しいって相場が決まってるの」
「ンだそれ。変なヤツだなお前」

そんなこと言いながらも私に手渡したコンビニ袋を再度春千夜君は手に取りベンチに腰を掛けたから、何故かそれがまた嬉しくて、彼の隣に座ると「ニヤニヤしてんじゃねェ」と言われてしまった。


お互いに好きだとかそういったことは言わなかったけれど、私は彼が好きだという自覚はあったし、春千夜君も私の気持ちには気づいていたはずだ。その頃からいつの間にか友達以上と呼べる関係になった彼は、フラッと私に会いに来てはフラッとまた帰ってしまう、春千夜君はやっぱり自由奔放な猫みたい。

しかし私が社会人になる頃、春千夜君はパッタリと私の前から姿を消した。メールをして見ても返ってくることは無くて、ああ、終わってしまったんだなって思わずにはいられなかった。そこで私は自分が思っていたよりもかなり春千夜君のことが好きだったのだと初めて知った。一緒にいた期間なんて一年にもみたないのに、私の中では一生分の恋をして、失恋をしてしまったような感覚。

もう会うことは無いだろうと心では分かっているのに、道を通り行く人が春千夜君に似ていると、ついつい振り返ってしまうぐらいには未練というものが私の心の中で存在していた。それでももう二十代後半に差し掛かれば流石に探すことはしなくなったけれど、春千夜君の存在を忘れた訳では無かった。





仕事で疲れた週末のご褒美に、行きつけの飲み屋に腰を下ろして酒に口付けていると私の背後から懐かしき声が私の名を呼んだ。

「よォ、なまえ」
「あ…は、はるちよ…君?」

目の前には私がどれだけ会いたいと願って探しても見つけられなかった人がそこに立っていた。あの長くて綺麗な金髪だった髪型はピンクに染められて、特攻服を身に纏っていた彼は今やスーツで、黒のマスクをしていた口元には今は何も着けられていないけど、私の目に映った彼は正真正銘私が恋をしていた春千夜君だった。

「え?え?…ホンモノ?」
「本物ォ。お前俺が幽霊にでも見えんのかよ」

目を細め笑う彼の顔つきは最後に会ったときよりも当たり前だけれど大人びていて、でも笑った顔つきはどこからどう見ても春千夜君だった。

「私ってよく分かったね」
「あン?お前は昔ッから顔つきも何もかも変わってねぇからすぐ分かったワ」

私の事を忘れた訳では無かったことに未だに嬉しさが込み上げて、ちょっと口ぶりが悪い話し方は昔となんら変わりなくて、私はついふふっと笑いが込み上げてしまった。

「おめェ一人?」
「あ、うん。春千夜君は?」
「俺もォ、一人」

隣に座り酒を頼む春千夜君からは昔はしなかった香水の匂いがフワッと香る。何年も会いたいと願っていた彼が隣にいる事が信じられなくて、今の私は夢を見ているような気分だった。
長らくそのまま世間話をして、私は過去の一番気になっていたことを聞いてみた。

「春千夜君はさぁ、何で私から急にいなくなっちゃったの?」
「あー…あん頃色々あったんだワ」
「色々?私捨てられたんだなぁって人生初の失恋をしたんだよ」
「…別に嫌いで離れたんじゃねェよ」

あの頃からやっぱり変わってないんだなぁ春千夜君は。
結局離れた理由は教えてくれないし離れていったのは事実で、もうやっと君を探すことをしなくなったというのに、また君はこうして私の前にフラッと現れるのだから本当に罪深い。

「春千夜君は昔から秘密が多いよね」
「あ?」
「私の事は何でも知ってるのに、春千夜君は余り自分のことを話したがらないから」

ちょーっとだけ嫌味を含めて言ったつもりだったけれど、春千夜君は頬杖ついてただ笑うだけ。そんな顔をされたら、長年の恋からやっと前を向き始めたのにまた振り出しに戻ってしまいそうになっちゃうではないか。

「別に自分のこと聞かれンのが好きじゃねぇだけ」
「私の事はよく知ってるのに?」
「うっせぇ。テメェは昔っからそういうときだけは悪い顔するよなァ」

彼の手が私の顔まで伸びてきて私の頬にそっと撫でるように指を滑らせた。この歳になっても未だ顔を赤く染めてしまう私に春千夜君はククッと悪戯少年のように笑う。

「そういうとこも嫌いじゃねェけどよ」





そのまま春千夜君のペースに乗せられて、というか私も本当は期待していたのかもしれない。ずっと忘れようにも忘れられなかった人が目の前にいるのだから、これを待ち侘びていたのかもしれない。今日だけ、この時間だけ。随分と長い期間、彼に心を奪われてしまったのだからこれぐらいはいいよね?そんなことを思いながらホテルの部屋に行くまでの間、春千夜君のスーツの袖を掴んで離さなかった私に、春千夜君は満足気に口元を上げる。

「ンな可愛いことするタイプだったかァ?なまえチャンよ」
「…ダメ?」
「いーや?寧ろもう我慢出来ねぇぐらいヤベェわ」

ホテルの部屋を開けるなり私の腰を引き寄せる春千夜君にどちらかともなくキスをして、それが合図となり私は春千夜君に抱かれながらベッドへぽすん、と降ろされた。

「相変わらずほっせー体だな。ちゃんと食ってんのかよ」
「食べてるよ。人並みには」
「ほんとかよ?折っちまいそーでこえーわ」

春千夜君からそんな言葉が出るなんて思わなくてつい吹き出してしまった。私が笑ったのが気に食わなかったのか春千夜君は私のほっぺを優しくムギュっとつねる。

「いひゃい」
「おめェはいつからンな生意気に笑うようになったんだよ」
「ごへん!ごへんって」

フン、と鼻を鳴らした春千夜君は頬をつねっていた指を離すとそのまま私の頭を抱えるようにキスを落としていく。久しぶりの快楽と春千夜君の匂いで私の頭はクラクラと酸欠状態だった。昔みたいに荒いセックスじゃなくて、折れる訳なんてないのに壊れ物を扱うように私を春千夜君が抱くから、春千夜君なのに春千夜君じゃなくて、抱かれている最中はずっと幸せだと思えてしまった。






「…お前俺以外ともしかしてセックスしてねぇの?」
「…してない」
「マジで?だからンな感度良かったんか」
「さいてーだよ春千夜君。本当のことなのに」

行為後のベッドの中で蹲る私に春千夜君は問う。恥ずかしげも無く発せられるセリフに私は春千夜君をほんの少しばかり睨みつけるも、春千夜君にとったら私の睨むのなんかまるで効果が無くて悔しく感じてしまう。

「マジであん頃から俺一人だけかよ?」
「…引いた?」
「は?おめーバカ?っつかどんだけ俺のこと好きだったんだよ」
「ん、ずっと?」

好きだったと聞かれて否定出来なかった私に、春千夜君はそっと私の髪を撫でた。結局私が気持ちを口にしたところで春千夜君は私の事を好きと言ってくれる訳でも無くて、人から久しく撫でられた気持ち良さに私は目を閉じてしまった。





目を覚ましたのはまだ早朝だった。隣に眠っている春千夜君を見ると少しだけ安堵する。まだ居てくれたんだなって。数年ぶりの春千夜君の寝顔を起こさないようにそっと覗き込んで見る。いつ見ても綺麗な顔立ちで本当に羨ましい。春千夜君は何で私をまた抱いたのかな。これ以上この場に居たらまたあの時のように春千夜君という沼から抜け出せなくなってしまいそうだ。そうなる前に、私は彼を起こさないようにホテルを後にした。

一日ぶりに帰ったアパートは、いつもと何ら変わりのない朝を迎えている。女の一人暮しにしては余り設備が整ってはいないアパートで、オートロック式でも無ければ建物の入口に防犯カメラが付いているわけでも無い。差して古くも無いが新しくもないアパートだ。仕事場から遠くも無く近くにコンビニだってある、これがここに住むことを決めた理由だった。でも一人はやっぱり寂しいものがある。春千夜君と会った後では尚更。

そのまま何もする気が起きなくて、ベッドで一日を過ごす。春千夜君と連絡先を交換した訳では無いから、彼があの後どうしたのか分からない。気にしたくないのに気になっちゃう気持ち、もう懲り懲りなんだけど考えてしまう。春千夜君がもしも昨日私のことを好きだと口にしてくれていたらきっと私は喜んで受け入れてしまっていたんだろうなぁ。だから私は賭けたのである。春千夜君が私にその気があるのならば私は二つ返事で了承するし、スルーされたならば潔くこの気持ちにおサラバする。





あれからまた数日。私は本来の今まで通りの生活を送っていた。私は至って元気である。また週末が近付き、ご褒美のお酒は我慢した。

仕事から帰宅して数分、家のインターフォンが音を鳴らした。一呼吸してドアに手を掛け開けるとそこに立っていたのは春千夜君だ。

「やぁっと見つけたわ。おめェのアパート見つけにくいんだよクソが」
「春千夜くん、来てくれたんだね」

ズカッと入ってきた春千夜君は私を見るなりキツく抱きしめた。そしてそのまま私の肩に顔を埋めて頼りない声で小さく呟いた。

「…テメェ結婚するってどういうことだよ」
「読んでくれたんだね」
「起きたらお前何処にもいねぇし、置いてあったメモにゃ結婚するとかふざけたこと書いてあっし……お前俺の事好きだったんじゃないのかよ」

春千夜君の言葉に私は顔が綻び彼の背中に手を回す。微動だにしない春千夜君に私はそっと口を開いた。

「大好きだよ。本当に、昔から」
「じゃあなんで結婚なんかすンだよ」
「…春千夜君は私のこと好き?」
「は?」
「春千夜君から好きって言われたこと、私一度もないよ。もう私もこの歳だし色々考えなきゃいけないことあるの」

春千夜君は私の肩から顔を上げると綺麗にセットされた髪を無造作に掻きながら少々苛立っているかのように声を荒げた。

「好きだわ!ずーっとテメェが好きだったわ!何なら一目惚れだったっつの!」

普段の彼から想像なんてする事が出来ないほど顔を真っ赤にしている春千夜君を見たのは初めてだった。春千夜君が余りにも必死に言うから私はプハッと笑ってしまった。

「おい、何笑ってんだテメェ」
「あはは、春千夜君必死なんだもん」
「…お前の男教えろ。お前が誰のモンか教えてくっから」
「いないよ、そんな人」
「ハ??」

今日の春千夜君は百面相も良いところで私に対して沢山の表情を見せてくれる。賭けは成功だったようだ。

「春千夜君、私何年君のこと好きだったと思ってるの?急に姿は消すし、そうかと思ったら突然現れて私のこと抱いたくせに好きって一言も言ってくれないんだもん。私ばかり好きって言わせておいてさ、そんなのフェアじゃないよね?」
「それは…」
「だから賭けたの。もし私のこと手離したくないなら探しに来てくれるだろうなぁって」

ちょっとぐらい意地悪したっていいじゃん、ずっと長い間置いていかれてた仕返しだよ。そう言えば春千夜君は大きく息を吐いた。

「…適わねぇワお前には」
「春千夜君のこと大好きなんでこれぐらいの事許してよ?」

ニッコリ笑いかけると、春千夜君は未だ不貞腐れたように私の鼻先へと自身の顔を近付ける。

「あー…なんだ。…寂しい思いさせちまって悪かった。お前といて起きたとき隣にいねェの初めてで、もう…あんな思いしたくねェ…あとほんとに好き。すっげぇお前のこと好きだから」
「うへへ、寂しい気持ち、分かってくれたんならそれでいーよ」

にまにま笑う私に春千夜君はおでこをコツンとくっつけると私の顔は小さな痛みに歪む。小さな子供のように不貞腐れた春千夜君はもうそこにはいなくて、私を見つめる彼の眼は余裕み溢れるいつもの春千夜君に戻っている。その笑顔がちょっと怖くて唾をゴクリと飲み込んだ。

「ウンウン分かった分かった。でもよぉ、お前が俺に対して賭けてたことは許すつもりねぇンだよなぁ?そこんところ、今から存分に教えてやんよ。あ、ちなみにお前今日から俺ン家住むって決まってっから宜しく頼むわ」

形の良い薄い唇の端をニンマリと上げる春千夜君はもうそれはそれは楽しげに私のトップスの中に手を忍び込ませて行く。ブラのホックを器用に片手で外していく春千夜君とは裏腹に私の頭はハテナが沢山浮かんでいた。
ん?ん?今はるちよクンなんて言いました?

「春千夜くん、それって…つまり?」



「おめェが結婚とかふざけたこと言うから春千夜様が奪いに来てやったんだろーが。もう逃げたくたってお前逃げらんねェんだって。ンなことぐらい分かれやバァーカ」


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -