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私の好きな人、春千夜君。彼は三人兄妹の次男坊。春千夜君こと春ちゃんは家も近所で歳も幼稚園も一緒だった。そのせいか何かといつも一緒にいた、というよりも私が春ちゃんの後ろを着いて回っていた。春ちゃんは歩くのも走るのも早い。だからいつも私を置いて先を進んでしまう。

その日もそうだった。公園で一緒に遊んだ帰り道、せかせかと行ってしまう春ちゃんに置いていかれないよう小走りしたとき、私は目先の春ちゃんしか見ていなかったせいで石に躓き盛大に転んでしまった。

「まって!はるちゃっ…アダッ!」
「…お前走るのも歩くのも遅せぇんだよ」
「ウッ…だって、だって!春ちゃんが早いんだもん…」

膝は擦りむきほんの少し血が滲んでいる。その頃まだ5歳だった私は涙を目に潤ませ泣くのを堪えていると、春ちゃんがハァとため息を付き私の元へと引き返した。ドジな私に怒ったのかと思って涙が一粒頬っぺに落ちたとき、春ちゃんは私に背を向け「ん」と屈んだのだ。

「春ちゃん?」
「そんくらいで泣くんじゃねぇ!…ホラ、はよ乗れ!」
「グスッ…あ、ありがどぉ〜」

この瞬間、私は春ちゃんに恋をしたのだと思う。お家まで私をおんぶしてくれる春ちゃんに、幼きながら胸がドキドキと音を鳴らして、家に着く頃には擦りむいた膝の痛みなんてすっかり忘れていた。

「あらあら!どうしたの?」
「転んだから春ちゃんがおんぶしてくれたの」
「いつもなまえが悪いわねぇ。良かったらクッキー焼いたから食べてって」
「わぁい!春ちゃん、こっちこっち!」
「……お前、膝は?」

春ちゃんの腕を掴み、痛かった筈の足を気にせず椅子へと早々に案内をすれば春ちゃんは苦笑を浮かべた。私のママが作ってくれたクッキーはいつも美味しいし大好きだけれど、春ちゃんが私のお家で隣に座って食べるクッキーは、特別な感じがしていつもより数倍も甘くて美味しかった。





小学校に上がっても私と春ちゃんの関係性は変わらなかった。小学校の作文で将来の夢というタイトルの宿題が出たとき、私が即座に思ったのは"春ちゃんのお嫁さんになること"だ。しかし小学生になればそれを周りに言いふらすには少し抵抗があって、それを書き綴ることは出来なかった。その代わり、誰とは書かずに"好きな人と結婚をしてママみたいな人になる"という様な内容を、小さな脳みそで一生懸命考えて書いた。ママは喜んでいたけれど、パパは少し複雑そうに眉を八の字に下げていたっけ。

「お前宿題の作文やった?」
「やったよ!春ちゃんは何て書いたの?」
「あー、夢何て分かんねぇからまだ書いてねぇ。お前は何書いたんだよ」

学校の帰り道。春ちゃんは右肩にランドセルを掛けながら小石を蹴り歩く。内容を聞かれ、春ちゃんの一歩後ろにいた私の心臓がドキッと跳ねた小学三年生の夏。ランドセルの肩紐を掴む両手にギュッと力が自然と入る。

「結婚してママみたいな人になりたいなって…書いたの」
「は?なまえ好きな奴いんの?誰だよソイツ」

9歳といっても好きな男の子の前ではそれなりに緊張して、ボソボソ小さな声で呟いたのだけれど、彼の耳にはちゃんと聞こえていたようだった。足を止めない変わりに此方を振り向いた春ちゃんと、誰と聞かれて顔を真っ赤にする私。

「えっと、えっと、そのぅ……」
「んだよ、ハッキリ話せ」
「ん"ん"ん"〜っ、はっ、春ちゃんっ!春ちゃんが好きなのっ」
「えっ!?俺?」

春ちゃんが蹴っていた小石は何処か遠くに飛んでいき、春ちゃんの足がピタリと止まる。私は恥ずかしさでいっぱいいっぱいになり、更にこの場から走り去りたい気持ちと告白してしまった衝動が合わさると、頭がキャパオーバーしてしまって涙が溢れてしまった。

「うっ、うっ」
「おい、何で泣くことあんだよ!?お前マジで泣き虫過ぎ!俺が虐めてるみてぇだろっ!」
「だってっ、ずびっ」
「あ"ーっもうっ」

涙が零れ落ちる私に、春ちゃんは自分の袖で私の涙を拭う。ゴシゴシ強く擦られ、 「いたい〜痛いよぉ」と言ったら拭っていた手は離れ、春ちゃんは私の手を引き歩き出した。段々と落ち着きを取り戻してきた私はそのまま春ちゃんに手を引かれ歩いていると、春ちゃんはまっすぐ前方を見ながら私に言ったのだ。

「……おっきくなったらケッコンしてやるよ」
「えっ…ほ、ほんと!?春ちゃん私をお嫁さんにしてくれるの?」
「っ何度も言わせんな!だからそんなに泣くんじゃねぇ!」

春ちゃんは耳を真っ赤にしてそう言った。その言葉を聞いた私の顔は泣きべそから一転、満点の笑顔になり子供ながらこれ以上ないくらいの嬉しさと幸せを感じたのだ。

家に帰っても春ちゃんが言ってくれた言葉が嬉しくて頭から抜けなかった私は、夕ご飯の時間になるとハンバーグをフォークで刺しながら、パパとママに向かって口を開く。

「あのね、パパ、ママ!私おっきくなったら春ちゃんのお嫁さんになるの!」
「…な、なんだって?」
「あらまっ!一体全体何があったの?」
「春ちゃんに好きって言ったら大きくなったら結婚してやるって!」
「してやるだとっ!?」

ニコニコと嬉しそうに話す娘に反して、パパは猛烈なショックを隠せずぷるぷると小刻みに震えては肩を落としての繰り返しだった。ご飯を食べ終えた後、ママがパパに聞こえないように私の耳元に手をやりながら「なまえ、ママも春千夜君好きよ。応援してる」と言ってくれたのを今でも覚えている。






月日は流れて中学生。十代に上がれば流石の私も転んだぐらいでは泣かなくなった。春ちゃんへの思いも変わらず、というよりも小さい頃よりもどんどん好きという気持ちは膨らんでいった。春ちゃんの短かった髪は綺麗に伸ばされ、同じぐらいだった身長は私よりもぐんと伸び、年が上がるにつれ前よりももっと男らしく感じるようになった。

しかし春ちゃんは中学生になると学校には余り来なくなり、家がいくら近所でも昔みたいに毎日会えるという訳では無くなってしまった。それに加えお互い思春期ということもあってか上手く話せない。

「春ちゃん、暴走族に入ったってほんと?」
「…誰から聞いたんだよ」
「……友達」
「っち」

お昼休みが終わる頃に久しぶりに学校に来た春ちゃんに私は問う。机に頬杖ついた彼はバツの悪そうに私から目を逸らした。その仕草にチクリと胸に針を刺した様な痛みを感じたが、それでも私は負けじと春ちゃんに笑顔を向けた。

「あっ、今日は放課後まで学校にいる?」
「なんで?」
「たまには…一緒に帰りたいなぁって思いまして」
「あ?俺もう帰っけど」
「そ、そんなぁ…」

勇気を出して誘ってみたが断られてしまった。春ちゃんはあからさまにテンションがガタ落ちした私を見もせず、顔を机に伏せてしまった。最近の春ちゃんは冷たい気がする。無視とかそういった事はされないけれど、会話も短く終了してしまうことも少なくはない。もう六年も前の結婚の約束なんて彼は忘れてしまっているのかもしれない。小学校の頃までは約束してくれた手前、勝手に両思いだと思い込んでいた私は毎日浮かれていたけれど、中学に上がり周りの彼氏彼女なんかを見ていると、自分達は両思い等では無いのかもしれないと思い始めてきた。寧ろ段々と距離が遠のいていっているような気がして仕方がない。

「なまえ〜!次移動教室だよ」
「あっ!分かった!今行くっ」

友達に呼ばれ急いで自分の机に向かい教科書を取り出す。クラスを出る際にもう一度だけ春ちゃんを見たけれど、さっきと変わらず机に伏せっているだけだった。





授業も終わり移動教室から戻れば春ちゃんはもういなかった。ぽつりと空いた席を見ると、いない日の方が多いのにやっぱり寂しく感じてしまう。六時間目が始まっても春ちゃんは戻っては来ず、きっと帰ってしまったのだろう。まだいるんじゃないかと淡い期待をしていたから気分は一気に下降していく。

もっと春ちゃんとお話がしたいなと思うけど、素っ気ない態度を取られてしまうと中々それ以上口を開くことが出来なくなってしまう。一緒に帰りたいと誘ってみたのもかなり久しぶりだったくらいだ。小学生の頃はそんなの気にせず自分の思うことを素直に伝えられていたのになぁなんて思うと自然と深いため息が出てしまった。

「…おい」
「…はぁ」
「…おいっ!呼んでんだろォが」
「ヒウッ!!」

声を掛けられ振り向けば、ご機嫌斜めな様子の春ちゃんが制服のポッケに手を入れて私を見下ろしていた。

「な、なんで春ちゃん。帰ったんじゃ…?」
「あ?オメーが一緒に帰りてぇとか言ったんだろうが」
「あ、えっともしかして、待っててくれたの?」
「……帰んねぇなら置いてく」
「待って!行く!春ちゃんと帰る!」

さっさと歩いて教室を出ようとする彼に、急いで私は鞄を持ち春ちゃんを追いかける。さっきまでの落ち込んでいた私が嘘のように忽ち元気を取り戻していくのが自分でも分かった。彼の行いや言動に一喜一憂してしまうのだから、本当に私は春ちゃんが好きで好きで仕方がないのだろうとこういうときほど強く思う。

「どこで待っててくれたの?」
「あー、屋上」
「えっ、あそこ関係者以外入れなくなかったっけ?」
「いいんだよ細けぇことは」

久しぶりに春ちゃんと帰れたことと、待っていてくれたことが嬉しくて頬がついつい緩んでしまう。相変わらず歩くのが早くて私の一歩前を歩いているけれど、実は春ちゃんの後ろ姿を見るのも好きだったりする。

「何ニヤニヤしてんだよ」
「あっ、ううん。何でもないよっ」
「はぁ?意味分かんねぇ」

春ちゃんは首を傾げる。いつもは一人で歩く長い帰り道も春ちゃんと帰ればあっという間ですぐに自宅に着いてしまった。

「今日は一緒に帰ってくれてありがとう。ねぇ、春ちゃん」
「ん?」
「え、とその…」

"私って春ちゃんの彼女でいいんだよね?"と聞きたくて帰ろうとする春ちゃんを引き止めてしまったけれど、喉まで出掛かったその言葉は伝えることが出来なかった。眉を顰める春ちゃんに私は慌てて別の言葉を吐く。

「いっ一緒に帰ってくれてありがとう!」
「はぁ?さっきも聞いたわ。馬鹿じゃねぇのお前」
「えっあっそれはっ」
「まぁいーワ。またな」

マスクを付けているから表情を伺いづらいけれど多分笑ってくれていたような気がする。馬鹿と言われてしまったけど、またなと言ってくれたのが嬉しくて春ちゃんが見えなくなるまで私はその背をずっと見ていた。







恋というものは実に厄介だと思う。雑誌によくある"これで彼もアナタにイチコロ!"みたいな特集を読んだって、本当にイチコロになるのなら世の女性達は恋に悩みはしないだろう

春ちゃんは学校に来ても誰とも余り話さない。しかし目立つ髪色と顔立ちのせいか学校に来ると目立つ。チラホラと格好良いと言っている女子の声も聞いた事がある。その度に胸がチクチクと痛んで複雑な気持ちになるのだ。でも春ちゃんが私以外の女の子と話をしているのは見たことが無かったから何処かで安心していた。

その日、私はママに頼まれコンビニへお使いに来ていた。会計を済ませた帰り道。夕暮れ時の神社の前を通るとエンジン音と共に沢山の人集りが私の目に映った。これが暴走族だと分かると、私はそそくさその道を通り抜けようと神社の前の歩道を歩く。その道中にチラッと彼等の人集りへと目を移すと、金髪の長い髪の男が目に映った。春ちゃんだ。特攻服を着た彼を見るのは初めてだったけれど、私が見間違えるわけない。春ちゃんは女の子と楽しそうにお話をしていた。世界が一瞬で止まってしまったかのようだった。私は歩く。まるで何事も無かったかのように。

あの髪の長さと色は間違いなく春ちゃんだ。春ちゃんと話していた女の子はウチの学校では無い制服を着て、可愛らしい感じで春ちゃんと同じ髪色した子。私には見せない笑顔を、その子には見せていた。

家に着いて、ママが私の大好きなハンバーグを作ってくれたのに食べられなかった。ベッドの枕に顔をうずくめ思うことは春ちゃんの事ばかり。やっぱり両思いなどでは無かったのだと現実を見せつけられた気がして涙が止まらなかった。春ちゃんと帰った日、自分は彼女なのかと聞かなくて良かったと心底思った。あの結婚の約束は子供の頃だけの話だったのだと思うと、更に惨めな気持ちに私を追いやった。

「う"う〜っ、ヒック、うぇ」

自分の部屋を良い事に、声を我慢せず泣きじゃくる。昔は泣く度に春ちゃんが涙を拭ってくれていたけれど、もう諦めなければいけない。長い恋愛に終止符を打たなければならないことに気持ちが中々追いつかなかった。それぐらい彼の事が好きで仕方がなかったのだ。




次の日学校へと行けば、泣き腫らした目を見た友人たちは皆大丈夫かと心配をしてくれた。それでも私は笑顔を作り何でもないと取り繕う。一緒に帰った日以来、春ちゃんが学校に来ていないことに安堵する。今会えばきっと学校だとはいえ涙を堪えることがきっと出来ないであろうから。
春ちゃんの思いを忘れるように友達と沢山遊ぶようになった。気の合う友達とカラオケに行ったり、買い物に出掛けたり。どれも楽しい時間だったけれど、私の心の中を癒してくれることは無かった。






春ちゃんが学校に来た。今日はもうあと一時間で学校が終わる微妙な時間帯の中休憩に。いつもなら「おはよう」とか声を必ず掛けにいくようにしていたけれど、私はそれをしなかった。春ちゃんの席は一番後ろの席で、私から彼が見えないことが今は有難くて仕方がない。本日最後の授業は数学だった。チャイムが鳴り、教科書を開くと隣の席の男の子が私に声を掛けてきた。

「なまえさん、ゴメン。教科書忘れたから見せて欲しいんだけど」
「あ、うん。いいよ」
「助かる!ありがとう!」

隣の席の男の子は私に感謝を告げると、少し距離が空いた机を私の机にくっつける様に近付けた。私はそのくっついた机の真ん中に男の子と自分が見やすいように教科書を置いたのだ。

「えー、では今日はこの数式から」

ガンッ

先生が授業を始めた瞬間に響き渡った大きな音。シンと静まり返った教室に音のなる方へとクラスの皆も私も目を向けると、音の要因は春ちゃんが机を蹴ったからだったようだ。春ちゃんの前の子の椅子に蹴った机が当たったらしく「えっ?えっ?」とその子が驚いているのも無理はない。誰が見ても分かるほど彼は眉間に皺を寄せて怒っている表情に見えたから。
春ちゃんは席を立ち上がると私の席まで歩み寄り私の腕を引き立ち上がらせる。

「は、春ちゃん?」
「オメーちょっと来いや」
「だっ、ちょっ授業中っ」
「いーから来いっつってんだろォが」

今まで見たことのない冷たい目を向けられ、私は委縮してしまった。春ちゃんは教科書を見せていた男の子に目線を向けるとチイッと舌打ちをし、睨みを効かせる。

「コイツに頼む必要ねぇだろが。死ねクソが」
「あ、は、すすすみませっ」
「あっちょっ春ちゃっ」

私の隣の男の子を見下ろし罵るように言う彼は私が知っている彼では無かった。クラスの視線が痛い程突き刺さるのを気にもせず春ちゃんは私の手を引きクラスを出る。





連れて来られたのは屋上だった。関係者以外立ち入り禁止の張り紙を無視してドアを開ける彼は私を見ない。初めて来た屋上は風がふわりと吹いて春ちゃんの髪がさらりと靡く。

「は、春ちゃん?」

私が名前を呼べば彼は引いていた手を離すと、冷たい眼差しで私を見る。その表情が怖くてつい逸らしてしまいたくなってしまった。

「…お前さァ、何ニコニコ他の奴に机なんかくっつけてんだよ馬鹿かテメェはよぉ」
「ニコニコって、教科書忘れたって言うから」
「んなもんテメェが貸す必要ねぇだろーが」
「そんなこと…言われても」

何で春ちゃんはこんなに怒っているんだろう。私では無い別の彼女がいるクセに。
すると春ちゃんは私が中々ハッキリと答えない事に苛ついたのか私に詰め寄ってくる。思わず後退りしてしまうと背に柵の感触を感じた。春ちゃんはそのまま鋭い目付きを私に注ぐ。

「お前…俺が好きなんじゃなかったワケ?」
「……え?」
「学校に来てみりゃお前あからさまに知らん顔しやがってさァ。何?別の男でも好きンなったの?ハッ、所詮ガキん頃の約束事だもんなァ?覚えてたの俺だけなんかよ」

鼻を鳴らし春ちゃんは嘲笑うかのように言う。
ガキん頃の約束って…春ちゃんはまさか覚えていてくれていたのだろうか。

「…約束覚えていてくれたの?」
「あ?俺が忘れる訳ねぇだろが」
「でもっ!春ちゃん他の女の子と仲良さそうにしてたじゃん!あの子彼女でしょ!?」
「他の女ァ?」

まるで何を言っているか分からないと春ちゃんの顔は歪む。それでも私はこの目で見てしまったのだから。春ちゃんは眉を顰めながら低い声で呟いた。

「…どういう事だよソレ」
「この間コンビニ行ったとき…神社の前で見ちゃったの」
「ハァ?」
「だ、だから!この間神社の前を通ったときに春ちゃんが金髪の女の子と仲良く話してる所見ちゃったの!」

勢いに任せて私は声を少々荒らげてしまった。気付いたら自然と私の目から涙が流れて私はそれを自分の袖で拭う。泣きたくなんか微塵もないのに目から零れる涙は止まらず、私は嗚咽混じりに口を開く。

「最近のはるちゃ、私に素っ気なかったし、ック…でも一緒に帰ってくれ、たり…春ちゃんも私と同じ気持ちなのかなって、お、思ったら女の子と…楽しそうだったし、も、訳わかんなっ」
「あー、もうウッセェ」
「……っん」

私の言葉を遮ると同時に彼は黒いマスクを人差し指で下げると私に唇を重ねた。思いがけないキスに私の頭の中は一瞬で真っ白になっていく。春ちゃんの目がゆっくりと開き目が合うと私の心拍数はかつてないほどの速さでドッドっと音を鳴らす。

「なまえが言ってる女ってのはマイキーの妹な。別に仲良く話してなんかねぇよ。挨拶されたから返しただけだワ」
「ま、マイキー?」
「あー、ウチのチームの総長。その妹がよく集会来てんだよ」
「そうだった、の?」

春ちゃんはその場に座り込み私にも座れと合図を送る。彼にファーストキスされたことが信じられなくて、勘違いをしたことと恥ずかしさが入り交じり少し距離を開けて座れば、春ちゃんはそれが気に食わないらしく腕を伸ばして距離を縮めてきた。

「つーか、何勝手に決めつけて泣いてんだテメーは。んっとに泣き虫は昔っから変わんねぇな」
「ご、ごめんなさい」

慌てて謝罪を口にしたが、春ちゃんはそのまま私から目線を逸らすと不服そうに言ったのだ。

「…別に冷たくしてたつもりはねぇ。嫌いな奴と一緒に帰ったりなんかする訳ねぇだろ…ただ」
「……ただ?」

彼の言葉の続きを待つも一向に口を開かない。春ちゃんは顔を此方に向け私をジッと見つめると、手を私の頭まで伸ばしグシャグシャと掻き回した。

「あ?ちょっはるちゃっ」
「恋愛なんてお前しかしたことねぇからこうすりゃ喜ぶとか分かんねぇんだよ」

心做しか春ちゃんの顔は赤くなっているように見えたのは見間違いでは無いと思う。頭を掻き回されて一瞬しか見えなかったけれど、それでも私には十分過ぎるくらいだった。私だって春ちゃんにしか恋をしたことがないのだ。恋愛ってやっぱり難しいな、と思う。

「…っての」
「ん?何て言ったの?」
「だーから!俺の一番はずっとテメーだっての」
「っわ、私も春ちゃんがずっと一番だよ!」

彼の言った言葉に対し、自分も思わず気持ちをさらけ出してしまった。顔にピューっとまた熱が帯びて、きっと今の私の顔は変な顔をしているに違いない。私の言葉を聞いた春ちゃんは驚いたような顔をしたけれど、すぐに満足気に微笑んだ。その表情は今まで私が見た中で一番の優しい顔付きで。だからつい私も一緒に笑ってしまった。

六時間目終了のチャイムが鳴る。結局私はあのまま授業をサボってしまったことに今更ながら顔が青ざめていく。

「初めて授業サボっちゃった…」
「あ?んなのどーでもいーだろ」
「良くないよ!内申点に響くっ」

興味の無さそうに春ちゃんは言うけれど、今年受験生の私にとったらこれは一大事だ。どうしようかと今になってはもう遅いのだが、考え込んでいると春ちゃんは私を抱き寄せる。

「あっ」
「高校行けなくたってお前の将来は俺の嫁になんだから関係ねぇだろ。なんならお前が16になったら結婚しちまうか?」

私を覗き込むかのように言う春ちゃんは少しだけ悪戯めいた悪い顔をしている。今までこんなこと一度も言ってくれなかったのに、急に狡い。なのに春ちゃんの口から出た言葉が嬉しくて堪らなかった。

「ふはっ、春ちゃんのお嫁さんにはなりたいけれど、春ちゃんが18歳になるまでは結婚出来ないよ?だから高校には行くの」
「……法律メンドクセー」

そんな事は彼も分かっていたのだろうが、春ちゃんがそう言ってくれたのが嬉しかった。彼を好きになって良かったと心から思えた瞬間に私は幸せを感じていた。









「ふふふっ」
「何一人で笑ってんだよ」
「あ、春ちゃん。お風呂もう出たの?」

春ちゃんはタオルで髪を拭きながら不思議そうに尋ねる。私はそのタオルを受け取り彼の髪を再度拭くのが今では日課となっている。金髪だった髪は今はピンクに染められ、それも彼にとても良く似合っている。大人しく私に髪を拭かれている彼が可愛く見えるしこういう些細なことが幸せで堪らない。

「ふへへ」
「だぁから何さっきから笑ってんだよ」
「ん?こういうの幸せだなって思ったのと、昔のこと思い出して懐かしいなぁと思って」

あれから時は経ち、私も彼も18歳になった。お互いが素直に気持ちを伝えられなかった頃の自分たちは、あの屋上で思いを伝えあったあの日から徐々に変わっていった。春ちゃんは重いくらいの愛を私にくれたし大切にしてくれた。一番変わった事と言えば、いつも私の前を歩いていた彼は私の横を歩くようになった事だろうか。彼の後ろ姿も大好きだけど、彼の横顔も同じくらい大好きだ。

高校を卒業した日、高校には進学しなかった春ちゃんは私を車で迎えに来てくれて、一枚の紙を私に差し出した。その紙を受け取り見ると、夫という欄には三途春千夜と書かれていて、春ちゃんの行動の早さと、嬉しさが相まって笑いながら泣いてしまった。「オメーはほんっと泣き虫な女だな」と言われてしまったけれど、否定はしない。私の結婚に一番祝福してくれたのはママだった。パパは最後まで「まだ早いじゃないか」なんて言ってグズグズしていたけれど、ママに宥められると泣きながら了承してくれた。

明日、私は自分の苗字から三途に変わる。小さい頃からの夢がやっと叶うのだ。今の私は世界で一番幸せだと言える。

「春ちゃん、明日からお嫁さんとしてずっと宜しくね?」
「ハッ、紙切れ一枚でお前をずっとモノに出来んなら何枚でも出してやんよ」
「ふふっ、何それ。私は幼稚園の頃から春ちゃんのモノなのに」

私がそう言うと春ちゃんの動きがピタリと止まる。あれ?私おかしい事言ったかな?なんて思ったら、春ちゃんは立ち上がり私を抱き抱えた。

「あっ、春ちゃん?まだ髪濡れて」
「そんなん後でいーワ。んな事よりオメーが可愛いこと言うから勃っちまった」
「は!?たっ!はっ!?」

春ちゃんは私を軽々お姫様抱っこをして寝室へと連れていく。ポスッと優しくベッドに降ろされたが、私を見下ろす彼は瞳に熱を帯びており楽しそうに口元をきゅっと上げている。こんな時の彼はもう何をしても無駄であることをこの数年で理解した私は、諦めざるを得ないのだ。

「結婚前夜って奴ぅ?楽しもうぜなまえチャンよォ」

結婚前夜って結婚式の前の日のことだよと言おうと思ったけれど、口を塞がれてその言葉は言わずに終わる。どの道言ったところで春ちゃんは止まらないだろうけど。だったら私は彼がくれる愛情を余すことなく飲み込んで幸せを噛み締めることにしようと思う。それは、この先もずっと。


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