※私の彼氏が随分と日本にいる"潔世一"という男にご執心らしいので仕返しにサプライズで会いにいってやった話
わたしの彼氏のミヒャエル・カイザーはそれはそれは才能溢れる魅力的な男だった。
「お前のことが好きなんだ。俺のことを一番近くで見ていて欲しい」
筋の通った鼻筋、彫りが深い目元。顔の作り一つ一つが美しく、色白の肌には彼が彫った青薔薇のタトゥーがよく映える。見た目だけでこんなにカリスマ性を発揮しているのにも関わらず、サッカーの新世代世界11傑の一人であるとは何事か。
そんな余裕に溢れた彼の青みのかかった瞳が不安げにわたしを見つめてきたものだから、考えるよりも先に首を縦に振ってしまった。あんなに嬉しそうな顔をした彼の姿を見れたのは、後にも先にもこの時だけである。
彼はわたしにないものを沢山持っている。
だからわたしは彼とお付き合いをする上で、彼の隣を歩いても恥ずかしくない女でいなければと人生で一番女子力を磨いたといっても過言ではないだろう。
毎日のストレッチ、爪のケア、ファッションにメイクに髪のトリートメント。言葉遣いや身の振る舞い、自分が出来る最低限の努力をし、彼に飽きられないように必死であった。
「俺が好きになった女なんだ。もっと自信を持て。お前はそのままでいればいい」
そう言って唇に甘いキスを落とされるたび、嬉しいはずなのに切なくなって、形容し難い感情と共に快楽で頭がとろりと蕩けていく。
わたしはカイザーの言うことに逆らえない。逆らえないというよりも、嫌われてフラれるのが怖いというのが正解だ。だからいつでも彼の前では良い女でいられるように演じてきた。
「今から来い」と言われれば会いに行き、
「頭を撫でろ」と言われれば彼が満足するまで撫で、
「俺のこと好きって言え」と言われたらワンランク上の大好きを口にする。
わたしが彼の言う通りにすれば目を細めて満足気に微笑んでくれるから、その彼の顔を見るのが一等好きでわたしの心は満ちていく。プレゼントしてくれたワンピースを着て彼の元へと会いに行けば「俺の見立てに狂いはないな」と褒めてくれたから、わたしの一番のお気に入りの服は今も変わらずこのワンピースだ。
あの頃のわたしはとにかく彼が一番で、好き過ぎる故に後先考えずに彼と同じ青薔薇を胸元に小さく彫った。こんなの周りからすれば別れたらどうするの?と問われる事柄だと思うが、それくらい彼のことが好きで堪らなかった。流石に重いと思われるかと不安になったが彼がわたしの上でその薔薇を目にしたとき、「俺のモンって感じがしてクソいい」と微笑んで力強く抱き締めてくれたものだから、どうしようもないくらい幸せで少し泣いた。
普通のカップルとは違い、会える頻度は極端に少ない。
彼はドイツの最強チーム、バスタード・ミュンヘンに所属している分練習だってハードである。寂しい気持ちは勿論あるし、どうしても会いたくなって泣いたことも過去にあるけれど、彼のプレーを見ていればやっぱりその姿は美しい。
わたしは頻繁に会えない分、1時間でも2時間でも一緒にいられる日を大事にしていたつもり。カイザーもそう思ってくれていたはずだと思いたい。ただほんの少し、彼は女の子にだらしがないだけ。
だけれどそんなものは最初から分かっていたことである。
あの容姿であの才能の持ち主なのだ。神からも愛されているような男を、周りの女が放って置く訳がないだろう。ヤキモチなんて何回妬いたか分からない。そんな可愛らしい言葉なんかで済まされないほど嫉妬もした。しかしこんなことで毎回泣いてるようじゃカイザーの女は勤まらない。
「俺にはお前しかいないって言ってるだろ?」
「俺はお前にそんな悲しい顔をさせたいワケじゃない」
「愛してるってだけじゃ足りないか?」
こんな言葉は何回も聞いた。わたしの頬を指でなぞり、ちゅっと触れるだけのキスをするカイザーに何度心の中で"だったらどうして他の子に目移りするの。わたしだけを頼むから見て欲しい"と叫んだことか。結局その言葉は喉奥へと飲み込み、わたしは彼の胸へと顔を擦り寄せる。カイザーはそんなわたしを見ても「クッソ可愛い」と小さく笑うだけ。なんだか腑に落ちないのは確かだ。
そんな付き合いも3年だ。
3年わたしはカイザーの女として今も彼の隣にいることを許されている。
しかし3ヶ月ほど前に彼はドイツから日本に旅立った。
なんでも日本にあるブルーロックという世界一のストライカーを目指す施設で、最終選考の新英雄対戦というものに参加をするらしく。
正直ホッとしている自分がいた。
だって男だらけの場所と聞いていたので、カイザーが目移りするような女も、またやカイザーを誘惑するような女もいないのならば、国が離れるのは寂しいけど不安は少し紛れる。
だがわたしは甘かったのだ。
"日本に面白い男がいる"
カイザーから届いたメッセージ。初めは単純にへぇ、そうなんだくらいにしか思っていなかった。だけどそのメッセージが日に日にその男の話題にばかりなってくると疑問を覚える。
"世一ってヤツなんだがアイツはいい。落とし甲斐がある"
…落とし甲斐ってナニ???どんな落とし甲斐???
カイザーは自分に自信がある分、少々人を見下すクセがある。なんだかカイザーの意味深に口端を上げた彼が脳内に想像出来た瞬間だった。
その他にも、ヨイチとご飯を食べたやら、からかったら怒られた等この男の話題が増える度、流石のわたしも理解が追いつかなくなった。アレ?ちょっと何言ってるのか分からない。わたしの彼氏はニホンにナニしに行ってるんですか?みたいな感じだ。
話題を変えても出てくるヨイチヨイチヨイチ…そして最後にまたヨイチ。
どれもこれも少しバカにしたようで、だけど毎日を楽しんでいるようなそんな内容。わたしの日常を聞くよりも、カイザーはヨイチ話をこれでもかというくらいにしてくるものだから嫌でも覚えたフルネーム。イサギヨイチ。
わたしはカイザーの事を聞いているのにいつの間にか出てくるヨイチ話。
好きな食べ物好きな映画。なんでこんなカイザーがこの男について知っているのか恐怖を覚えたほどに、随分とわたしの男はヨイチという男にご執心のようだった。
"良い夢見ろよ。愛してる"
恥ずかしいセリフもカイザーならばサマになる。いつもであればそれを喜ぶことが出来るのに、今のわたしは素直に喜べないでいた。離れて会えていないからかもしれないが、今まであった女性関係なんかよりもずっと悶々する。
付き合ってからカイザーには随分と泣かされてきたものだ。
3年前にわたし達が始まり今日に至るまで、何度もわたしは彼のことを思い不安にさせられてもその都度許してきた。耐えられないと口にすれば、少し釣り上がった眉を下げ 「俺にはお前しかいない」と毒のように甘い声音で言われてしまったら、その手を離すことなんて出来なかったのだ。結局、彼のことが好きだったので。
だけど今、全く会えていない状況が続きふと思ってしまった。自分磨きにかけた時間は有意義な時間だと言えるけど、わたしが彼に対して費やしてきた時間はなんだったんだろう、と。
スマホを取り出して、カイザーと付き合い始めた頃からお世話になっている人にメッセージを打つ。
本来ならばわたしみたいな一般人がその場に入ることなんて許されないだろうが、感謝しなければならない。
ダメ元ではあったけれど、その彼のお陰でわたしはカイザー達の元へと会いに行けるのだから。
"ありがとう。ノアさんにはいつも感謝してます"
"今回だけだからな。お前を見てると不憫でならん。気を付けて来い"
不憫ってひどいなぁ。そんなにわたしはノアさんのなかで可哀想な女だったのだろうか。カイザーのことをきっとわたしよりも理解しているノアさんは、「悪い奴じゃないが本当にいいのか」なんて初めて会った頃から何かと気にかけてくれた歳の離れた兄のようである。
"絶対にカイザーには内緒にして下さいね!驚かせたいんです!"
メッセージを送信し再度心の中で感謝しながらスマホをベッドへ置いた。
そうしてU-20日本代表戦の映像を流しながら荷物を纏めるわたしの口元は不覚にも上がっていた。
▽
こんな長旅をしたのは人生で初めてだった。空港を降り、日本語が話せないわたしは通訳アプリを使ってなんとか山の奥地に辿り着き、本来ならば不安で仕方がないだろうこの旅にわたしのテンションは過去一上がっていた。
「素敵…素敵すぎるっ!」
道中で買った旅行雑誌を見ていたら魅力溢れる観光地ばかりで目を輝かせた。日本らしいサクラの花びらが舞い散る神社ってのにも行ってみたいし、お城にも行ってみたい。行きのタクシーで見かけたデパートでお買い物もしてみたいし次は絶対に日本語を覚えて遊びにくることを心に誓った。
「ノアさん!」
「よく着いたな。大丈夫だったか?」
「はい!なんとか着きました。ご無理も聞いて貰っちゃってすみません。…で、カイザーは?」
「信用しろ。言ってない。あとこれ、つけとけ」
手渡されたイヤホンに首を傾げると、ノアさんはわたしの頭に大きな手をポンとあてた。
「通訳機だ。それがあればアイツらとも話せる」
「えっそんなものがあるんですか?凄い…ありがとうございます」
「今なら休憩だから話せるだろ。そこの部屋にアイツらがいる」
目を細めたノアさんにお礼を告げる。彼らがいる部屋を教えて貰い、イヤホンを耳につける。ドキドキし過ぎて頭がおかしくなりそうだけど、それと同時に楽しみだったのでその足は浮き足立っていた。
開くドア。何人かがわたしへと向ける視線。
わたしの彼氏は目立つので、探さなくとも直ぐに分かった。切れ長のその目を大きく見開いて、わたしの名を呼ぶ。
「ナマエ!?いつ日本に来たんだ?」
わたしの元まで駆け寄るカイザーを見上げて微笑んだ。カイザーは直ぐに笑顔になり嬉し気に形の良い唇を開いた。
「俺が帰るまで待てなかったのか?可愛いな天使チャン。言ってくれれば、」
「ふふ、違うよ。カイザーにも用事はあったけど」
「へ?」
カイザーの間抜けな声を聞こえぬフリをして、わたしは目線を彼からポカンとわたし達を見ている彼らに移す。そうしてぴょんっと頭のてっぺんが跳ねている彼を見つけ、駆け寄った。
「アナタが潔 世一?」
「そっそうっスけど」
わたしの顔が分かりやすいくらいにパァっと明るくなる。彼の片手をつい両手で握ってしまった。「えっ!?」とオーバー過ぎるくらいのリアクションをして固まってしまったヨイチくんにわたしは構わず口を開く。
「わたし、ヨイチくんのファンなんです!」
「えっ!?おっ俺!?」
「はい!日本代表戦、何回も見ました!アディショナルタイムでのダイレクトシュート!!めちゃくちゃ格好良かったです!」
「あっありがと」
「それにその後のインタビュー!これ英訳もされてたんですけど、その時のヨイチくんの言葉も最高でした!普段とサッカーしている時のギャップがあって可愛くって!」
「えっ英訳?いや、そんな俺は」
「ずっとずっとアナタに会いたかったんです!!ヨイチくんはキンツバが好きってお聞きしたんですけど、調べてもドイツにはなくって…」
「あっあれは日本のお菓子だから」
「オイオイオイ、ちょっと待て」
世一くんの手を掴んでいたわたしの手をカイザーが取る。意味が分からないと言わんばかりにその顔はひどく不機嫌であった。
「…なんでそんな怒ってるの?」
「お前が俺じゃなく世一のとこに行くからだろうが。どういう風の吹き回しだ?お前は俺に会いに来たんじゃないのか」
「だからカイザーにも用事があったけど、ヨイチくんに会いに来たんだってば」
「はぁ?クソ意味分かんねぇ。なんでコイツに会いたいんだ」
「なんで、って…
そんなのカイザーがヨイチくんの魅力を教えてくれたからでしょ?」
カイザーのお目目は点となった。少し面白くて笑ってしまいそう。でもそう、初めは世一世一でなんでそんなご執心なのかとあまりいい気分はしなかった。いくら相手は男であっても、毎日その人物の話をされたら流石に面白くはない。
「コイツなんかのどこに魅力がある!?そんなの俺はお前に言った覚えはないぞ!仮に一つあったとしてもだ。俺が他のヤロウのことなんかお前に言うハズがないし俺より勝るヤツがいるわけないだろ」
「え?色々と教えてくれたじゃない。好きな食べ物の話とか、」
「それは話の延長線上でだろ。それにコイツはお前がファンになる要素が一つもないクソしょうもない男だぞ。目を覚ませ」
「おまっ一々言葉が尖ってんだよ」
カイザーは世一くんの言葉を無視してわたしに視線を注ぐ。彼と付き合ってからこんなに怒っている姿を見たことはあっただろうか。…ないな。わたしはいつもカイザーが一番であり、カイザーが嫌だと思うことは絶対にしないようにしていたから。
「そうか…分かった。最近俺がお前のこと相手してやれなかったから拗ねてるんだろ。可愛いヤツめ今なら許してやるから」
「ちがうよ。全然ちがう」
「はぁ?」
「カイザーがヨイチヨイチ言うからそんなに良い男なのかなって調べたらめちゃくちゃ良い男だなって思って」
「ふざけんな!俺の方がクソ良いオトコだろうが!」
「そんなことないよ。…だってカイザーはわたしを大事にしてくれないじゃん」
場の雰囲気が凍るのが分かった。
あのカイザーとて表情を失う程に。
「…大事にしてただろ」
「言葉ではね。でも結局すぐにいろんな子に目移りするでしょ」
「それでもお前は俺が好きだって」
「あの頃のわたしはどうかしてたんだよね」
昔に、恋は盲目って言葉をウチのおばあちゃんが教えてくれた。当時は意味が分からなかったけれど、今なら分かる。夢中になっているとその人しか見えなくなるくらいに、最近まではカイザーに夢中だったので。
「だから別れて欲しいって言いに来たの」
「は?そんなの許すワケないだろ」
「許すも許さないもわたしは決めちゃったもん」
まぁ、わたしも悪い。なんでもかんでもカイザーのすること全て許してしまってきたので。
放心状態になったカイザーをその場におき、くるりと顔を世一くんへと向ける。
「ごめんなさいね、ここでこんな話しちゃって」
「あっ俺は全然…ってかカイザー、お前彼女いんのに何やってんだよ」
「黙れ。話に割って入ってくるなクソうぜぇ」
眉間に皺を寄せた彼は一等低い声を漏らす。
きっとカイザーはこれから先もわたしが離れていかないという自信があったのだと思う。だから余計と納得がいかないのだろう。
「オイナマエ」
彼がわたしの名を呼ぶ。そうしてわたしの手首をぎゅっと掴んできて、それが結構な力で掴まれたものだから少し顔が歪んだ。
「っカイザー」
「…別れるってのは訂正しろ。今すぐ取り消せ。お前が俺から離れられるワケないだろ」
「ちょっと、」
「お前には俺が必要なはずだ。俺だってお前がいなきゃ生きていけない。…頼むから別れるのだけは撤回してくれ」
あのカイザーが懇願した。
それもわたし以外の人がいる前で頼りない声を吐きながら。
いつもであればわたしはその手を取り、頷いて彼を抱き締めていたところであろう。
「おいカイザー、やめろって。この子嫌がってんだろ」
ごくりと唾を飲み込んだ矢先。世一くんはカイザーの腕に手を伸ばす。「あ"?」とカイザーの色のない瞳の視線が世一くんに移っても、彼は微動だにしなかった。
「よく理由は分かんねぇけど、お前がこの子のことを過去色々傷付けてきた結果だろ? その手離してやれよ」
「世一ぃ、さっき黙れって言ったのが聞こえなかったのか?外野に俺とナマエの何が分かるんだよ。さっさと失せろ」
世一くんは一時もカイザーから目を逸らさない。それでいてカイザーの手をわたしから離すと、彼はわたしの前に立ちカイザーから遠のけた。そうしてカイザーよりも少し小さな背で盾になり、庇うように「大丈夫だから」と口にしたのだ。
その言葉が耳へと通過した途端。
初めて今日会ったのにも関わらずこの優しい男に対しわたしはいてもたってもいられなくなった。
そうして言葉遣いや身の振る舞い、そんなことを忘れて口にしてしまった。
日本代表戦でシュートをキメたときのあの魅力的な雰囲気といい、その後のインタビューで緊張していたときのあの可愛さといい、全てを総合して…
あーーー!もう!!
「ヨイチくん、クッッッソかっこいい!!」
つい大きな声で叫んでしまった。室内は更にシンと静まりかえる。ついカイザーのようなセリフを吐いてしまったが仕方がない。会いたいと思っていた人物に会えてしまったら、冷静でいられないというものが人間の心理だもん。
「かっ、かっこいい?」
「うん。さっきも言ったけど本当にそう思うよ。試合の映像ずっと見てたんだけど、誰を見てもヨイチくんにしか目がいなかったもの」
「えっあ、マジっすか」
「マジです。マジマジ。今度また日本に来たら観光案内してもらえないかな」
「おっ俺でよければ」
あ、照れてる。顔を染めるこういう所はクソ可愛い。
そうして数秒、石のように無言であったカイザーは声を荒らげた。
「俺が何をしたってお前はそんなこと今まで一度も言ってくれなかっただろうが!クソ世一、お前は絶対に俺が殺す」
こうして火蓋は切られた。