ブルロ夢 | ナノ


未完成な2人の話 【2】




元々生理はきっちり来る方で、遅れたことなんて殆どない。でも今月少し生理が遅れているし、気持ちが悪い気もする。でも精神状態が宜しくないと生理周期が早まったり遅れたりするというのはよくある話だからきっとそれ。別れたばかりで情緒が不安定なだけだから、きっと大丈夫。そう思い込んではみても、何処か胸の中がザワついて使用した1本の検査薬。

判定ラインに映し出されたその縦線に、目の奥が熱くなるのを感じた。


「妊娠、おめでとうございます。この小さな袋がね、赤ちゃんですよ」

柔らかな声色で年配の医師がわたしに1枚のエコー写真を手渡す。それを手に取った瞬間、色々な感情が押し寄せてきてまだ普段と変わらない大きさのお腹に手を添えた。

「体調はどうですか。つわりとか大丈夫かな?」
「あ、えっと…」
「…まぁつわりは個人差がありますから、キツいと思ったら無理せず休むのが一番だよ」

言葉に詰まったわたしの返答を医師は無理には聞かなかった。それから2週間後にまた来てくれと言われたことは覚えているけれど、ちゃんと受け答えが出来ていたかは自信がない。

周りの妊娠しているであろう人達が幸せそうにして見えるなか、自分だけが暗い顔になっていたと思う。家までの帰り道は産院からそれ程遠くはないのに長く感じて行き同様、足取りは重たかった。

自分のお腹の中に小さな命が宿っているなんて全然信じられなくて、エコー写真を見返しては現実なのに夢じゃないかと錯覚する。

子供が出来る可能性というものを、考えていなかった訳じゃない。ミヒャエルくんと付き合って、こういう関係になって、避妊をしていなかったのだから、こういう事態も想像出来た筈だ。だけど付き合って来た期間のなかで避妊せずに行為に及んだのは1度だけ。その1度だけだったから、まさか妊娠してしまうだなんて考えは持ち合わせていなかった。

『っ待ってミヒャエルく、それはダメだって』
『ん、なぜ?』
『なっ何故ってミヒャエルくんの今後にも関わってくるし』
『別にお前が嫌じゃなければ俺は困らないが』
『そっそれってどういう、』
『…まんまの意味。言わなきゃ分からないのか?ってか随分と余裕だな。もう口を閉じろ』

唇を重ねてわたしを黙らせたミヒャエルくんに、そのまま流れるように至ってしまった。一方通行の冷めきった関係のなかで、この日が久しぶりにミヒャエルくんが優しく思えた日だったからか、今となっては烏滸がましいかもしれないけれど中々普段言葉にしない彼が、まるでわたしとの子供が出来ても良いような口ぶりだったから、それがひどく嬉しかったのだ。

だから至ってしまった、と言うにはやっぱり語弊がある。ミヒャエルくんが悪いんじゃない。こういう場合、大体男に責任がとか言うけれど、わたし達の場合はどちらが悪いとか責任がどうとかの話じゃなく、わたしがその行為を許したのだ。ミヒャエルくんがわたしの事を好きでいてくれていると思い込んで、わたしも彼が大好きだったから、わたしにだって大いに非はある。

「…どうしよ」

相談出来る大切だった筈の相手はそこにはいない。ミヒャエルくんに勿論伝えた方が良いのは分かるけど、自分から別れを告げた癖に子供が出来ましたなんて言えるほどの勇気が、わたしにはなかった。








「もしかして、妊娠してるんじゃないんですか」

ネスの言葉が耳に届くと思わず息を飲んだ。言葉に詰まって視線を逸らしたのを、彼は長い付き合いの中で絶対に見逃さない。

「…黙るってことは、そうなんですね?」
「…ぁ、そっそんな訳ないじゃん!?やだなぁネスくん飲みすぎて酔っちゃってるんじゃない?わたしこんな元気だしっ」
「おい誤魔化すな。僕に嘘が通用するわけないだろ」

ピシッと張り詰めた空気に口を真一文字に結ぶ。
本当のことを言えと言わんばかりのネスに、わたしは小さな声で呟くように口を開いた。

「…この間、病院行って来たの」
「はい」
「それで、検査して…お腹の写真、貰って。最低かもしれないけど、ミヒャエルくんと別れちゃった手前、小さな赤ちゃん見るまで嘘であって欲しいって…思ってて」
「……」
「けど赤ちゃんが本当にわたしのお腹の中にいるって思ったらさ、凄いうれしかったんだよね。身勝手だとは思うけど…っ産みたいって思っちゃったの。産院で貴女はもうこの子のお母さんですよって言われたとき、絶対に守りたいって思ったの」

別れてから1ヶ月ちょっと。
自分から決めて別れを告げたのに、毎日毎日ミヒャエルくんのことを1日1回は思い出してしまう。彼がいなくても、わたしは大丈夫だって思っていたのに考えてしまうのだ。ミヒャエルくんはきっともう、わたしの事なんか忘れて毎日を過ごしているだろうに。

細く長い指で自身の髪を掻き上げる仕草が好きだった。切れ長の瞳をゆっくりと細めてわたしの名を呼ぶその声に安心して、実は運転しているときの横顔がかっこいいだとか、喧嘩をして気まずい雰囲気の就寝前に、離れるなとでもいうようにわたしの背中に顔を擦り寄せてきた彼が心の底から愛おしいと思っていたことだとか、彼には言っていなかった好きなところを別れた今になって思い出してしまう。

これから前を向いていかなくちゃならなくて、こんな事で躓いている場合ではないのに、ポツンと何も考えない時間が出来ると思い出すのは嫌になるほど彼のことばかり。

ほんと、どれだけわたしは彼の事が好きだったのかと思い知らされる。付き合ってきた期間は2年という決してとても長いと呼べる月日ではなかったけれど、わたしの中でこの先の人生こんなに好きな人は絶対出来ないと断言出来るほど、ミヒャエルくんは大きな存在になってしまっていた。

何も口を開かないネスを横目で見る。
自分勝手だと軽蔑されてもおかしくないのだから、ネスが考え込んでいる事に何も言えなかった。ミヒャエルくんの事を思えば、産むという選択肢は諦めろと言われるかもしれない。言われても仕方のないことなのも分かってるつもりだ。

だけどそんなわたしの考えはネスの言葉により一蹴された。

「…いいんじゃないですか」
「……へ?」
「出来てしまったものは仕方ないでしょう。決めるのはナマエだ。僕がどうこう言ったってアナタの事だから産むって決めてるんでしょ?」

少なくとも現実を見ろくらいは言われるものだと思っていたから、ネスの思いもよらない言葉を聞けて拍子抜けしてしまうも首をコクコクと縦に振る。

「ただ、この件についてはカイザー本人にも伝えた方がいいかとは思いますが。お前1人の話じゃない」
「そっそれはダメ!!」

スマホを取り出したネスに大きな声が咄嗟に出る。
ネスの持っているスマホに手を出しそれを止めると、彼は大きな目を更に丸くさせた。

「めっ迷惑かけないようにするの。ミヒャエルくんの一番はサッカーだから、結婚もしてない別れた相手の子供が出来たなんて世間に知れたら、ミヒャエルくんに対する世間体がよくないことになっちゃう!」
「アナタ…そんなこと考えられる女だったんですか?今まで散々な執着女だったくせに。ってかそんなこと言ってる場合じゃないでしょう?」
「そ、れとこれとじゃ訳が違うの!お願い、ネス。絶対にミヒャエルくんには言わないで。お願いだから」

気持ちにゆとりのないわたしは懇願するかのようにネスへとせがむ。ネスは困惑した表情で暫くわたしを見つめると、持っていたスマホをカウンターの上に伏せて置いた。

「…分かりました。この件はカイザーに黙っときます」
「ほ、ほんとう?」
「ええ、でも条件がある。アナタの妊娠について知ってしまった以上、僕も知る権利があるということを忘れずに」
「へ」

ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。ネスはわたしのおでこを軽く指で小突いた。

「へ?じゃない!いいですか、旅行に行くなら行先を必ず僕に言うこと。それと電車で行くのか飛行機で行くのか知りませんが遠出は自分の体と相談しろ。何月何日の何に乗っていつの時間に出発するのかをちゃんと言え」
「ちょっ、えっ」
「それが無理ならこの件はカイザーに報告します。いいですね、分かったなら返事」
「はっはい」

半ば強制的に頷いたわたしにネスは深い息を吐くと、マスターにチェックだと告げタクシーを呼ぶように頼んでいた。

そうして奢ると言っていたのに、カードを取り出して会計をそそくさと済ましたネスはわたしを連れて店を後にしたのだ。

「ごめっ、払うよ!幾らだった?」
「元からアナタに奢って貰おうだなんて考えていません。これから使わなきゃならない事があるでしょ。まぁアナタが1人なら奢って貰いましたけどね」

チラ、と視線をわたしからお腹に移したネスに止まっていた涙腺がまた緩みそうになる。泣いたらまた怒られてしまう。だから思い切り鼻を啜って笑顔を作った。

「っ今日は話を聞いてくれて本当にありがとう。ネスってば優しいね」
「はっはあ?気持ち悪いな、なんですか急に。アナタの急な呼び出しは今に始まったことしゃないですからね」
「へへ。…本当にありがとう。ネスなんだか、ママみたいで安心する」
「ママ!?ふざけんじゃねぇです!お前の為に言ったんじゃないですから!お腹の子の為ですからね!ほんっと昔からナマエはバカだから困りますね。こんなんで母親していけるのか先が思いやられますよ」

何故かヒートアップしたネスに今度は自然な笑みが洩れた。棘があるようで実は優しいわたしの友人。今日はネスが居てくれて良かった。1人だと考えなきゃならないことに押し潰されそうだったけど、久しぶりに今日はよく眠れそう。

「ナマエ」
「ん?」

ネスがわたしの名を呼んだ。呼んでいたタクシーが丁度向かってくるのが見えて、わたしがタクシーからネスへと視線を向けたとき。


「僕はアナタの旅行に着いてってやることが出来ません。アナタはいつも僕の言うことを聞かないから、僕が言った今回のことだけは、必ず守って下さい」
「え」
「さ、早く帰りやがれです。僕のせいで風邪引いたとかなんとか言われてもウザイんで」
「あっちょ、」


ネスは無理矢理わたしをタクシーに乗せると運転手に住所を伝えて車から離れる。程なくして車は動き出す。街頭に照らされていたとはいえ一瞬目に映ったネスの表情。わたしの見間違いじゃなければぎこちない笑顔だったような形容し難い表情に、胸が少し痛んだ。





「急なことなのに対応して貰っちゃって、ご迷惑お掛けしてすみません」
「いやいやいいよいいよ。君にはいつも無理言って仕事して貰っちゃったからね。お腹の子にストレスは良くないから、ゆっくり楽しんでおいで」

産休までにまだ月日はあるけれど、少しの間休みを貰いたいと言ったわたしの願いを頷いてくれたこの入社当時からお世話になっている上司に、心がいっぱいになって涙が出そうになった。

結局、わたしが選んだのは今住んでいるミュンヘン市から飛行機なら1時間で行けるベルリンだ。電車でも行けるけど、約4時間以上かけて電車に揺られて行けるか自信がなかったから、値は張るけど飛行機にした。

本当は国外に行って見たかったんだけど、言語の違いとか妊娠中に何かあったら困るし、何より生まれてこの方母国の首都にお恥ずかしながら行ったことのなかったわたしは、1度は行っておきたいと思ってここで観光でもしようかと決めたのだ。

「うんうん、順調。つわりもひどくないならお母さん思いの子だね。気を付けて行ってらっしゃい」
「ふふ、ありがとうございます。お土産買ってくるから楽しみにしてて下さいねっ」
「君の旅の思い出が聞ければそれで十分だけど、嬉しいねぇ」

ハッハと笑うおじいちゃん先生といつの間にか仲良くなって、エコー写真を貰って眺めれば笑顔になることが増えた。

男の子か女の子かまだ分からないんだけど、どっちでもいいから元気に産まれてくれればそれでいい。だからわたしもいつまでもくよくよしてないで、前を向いて行こうって最近やっと思えるようになってきた。

時々まだマタニティブルーなのか落ち込む日はあるけれど、泣かない日が多くなってきたのは、きっとお腹の子のお陰だ。

ネスに約束した通りメッセージを入れておく。あの時のネスが気がかりだったけど、LINEのメッセージも普段と変わらないから、きっとわたしの考え過ぎだったのかもしれない。

だけど今回ネスから返って来たのは"そうですか。気を付けて"の一言だった。お土産買ってくるねの文には返信はなく、既読がついただけ。

あれ、冷たくない?いつもわたしがスタンプだけの返信で怒るくせに。そうは思ったけれど、サッカーの練習が忙しいのかもしれないと無理矢理思い込んだ。





荷物は極力最小限に抑えてキャリーケースを引き摺る。賑わっている空港に着いた頃には久々に飛行機に乗るせいか半分ワクワクしていて、半分ちゃんと乗れるかドキドキしていた。

ベルリン行きのアナウンスが画面に表示されて座っていた椅子から立ち上がり向かおうとした瞬間、肩を引かれたと思うと何度も聞いたことのある声が雑踏のなか耳に届いて、体が固まった。


「よぉお嬢さん。元気そうで何よりだな」


ああ、ヤダな。せっかく最近泣かなくなったのに。わたしはもう大丈夫って思えてきたところなのに。マスクをして深くキャップを被っているけれど、誰なのか直ぐに気付いてしまう。その声と、見覚えのあるわたしを見下ろす天色の瞳。

「ミヒャエル、くん。なんでここに…?」
「…お前に会いたかった。それだけの理由だ」
「会いたかった、って」

掴まれた肩を振りほどこうとすればミヒャエルくんはわたしの手を掴んだ。痛いくらいの力で握られたその手に顔が歪んでしまうも、ミヒャエルくんは離すつもりはないらしい。ベルリン行きの時間が迫っていることにわたしは口を開く。

「わ、たしもう行かなきゃならないの」
「そんなことより大事な話がある」
「大事な話って、もう終わったことでしょ」

ミヒャエルくんの眉間に皺が寄る。怒っても見て取れるその表情に怯みそうになった。そうして彼はわたしへ顔をグッと近付けると低い声音で口を開いた。

「お前にとっちゃ終わったことでも、俺からすりゃ終わってねぇんだよ」
「あ…」
「こっちに来い。ここじゃ人目につく」

そのままミヒャエルくんはわたしの返答なんて聞かずに手を引いて歩いていく。

終わったと思った。

わたしが妊娠している事を知っているのはネスだけだ。最悪な結末しか思い浮かべられないこの状況に、嫌な汗しか流れて来ない。

乗せられたのはミヒャエルくんの車で、車内の中は終始無言だった。吐きそうな程の圧迫した空間で、道中ミヒャエルくんの顔なんて見れなかった。

着いた先はミヒャエルくんの自宅だった。玄関先でいつまでもそこにいたわたしに、痺れを切らしたミヒャエルくんが「上がれ」と口にする。ゆっくりとその足でミヒャエルくんの背を追いかけると、わたしは目を見開いた。

最後にわたしが訪れてからもう月日は立ってる。なのにわたしと別れてからなんにも変わっていない室内。わたしが勝手に飾っていた2人の写真は今もテレビボードの端に飾ってあるし、わたしのよく使っていたひざ掛けはソファに掛けたまま。

てっきりもう捨てているだろうと思っていた物は、目につくあたりそのままだった。

リビングのドアの前でぼっ立っていたわたしをミヒャエルくんはソファに座らせる。

「おい、」

ミヒャエルくんが口を開いた瞬間、我に返った。

「ごっごめん勝手に決めて。でも絶対にミヒャエルくんには迷惑かけないし大丈夫だから!」
「は?」
「これでもちゃんと働いてるし、お金の面とかミヒャエルくんが気にすること全然ないし、それでわたしがミヒャエルくんに頼ることもないか、」
「ちょっと待て。お前は何を言っている?話の先が見えない」


「へ……」

目が点になったわたしを他所にミヒャエルくんは困惑したように片眉を下げた。

「な、何を言ってるって、ネスから…聞いたんじゃないの?」
「ネスにはお前が旅行で空を飛ぶとしか聞いてない」
「えっ」

寒いはずのこの季節にタラりと額に汗が滲んだ。
ついてっきりネスが全てミヒャエルくんにわたしの事を話してしまったんだと解釈してしまったわたしの最大の誤算。ミヒャエルくんは不服そうにわたしの顔を覗き込む。

「おい、一体なんの話か教えろ」
「いやっ?別になんでもないよ」
「何でもなくないだろ。ネスには言えて、俺に言えない理由はなんだ?」
「それ、は」

言えない。ミヒャエルくんの子供を妊娠して、勝手に産もうと思ってるなんて、言える訳がない。
いつまでたっても口を結んだままのわたしに、ミヒャエルくんは覗き込んでいた顔を上げると静かに口を開く。

「そんなに言いたくないんならもういい。俺たちは別れてる訳だしな」

心臓に重石が降ってきたように痛んだ。
もうわたし達は終わったことなんだから、そんなの分かりきっていたことなのに、じゃあなんでミヒャエルくんはわたしをここに連れて来たのかとか色々な考えが頭の中に押し寄せて来て、唇をきゅ、と噛み締めた。

「でも俺は、お前ともう一度やり直したいと思ってる」
「は、」

その声は随分と小さくて、いつもの彼からは想像出来ない声色だった。わたしの瞳に映ったミヒャエルくんは、眉を顰めて泣きそうに見えた。

「そんなの、ウソだ」
「嘘じゃない。お前に別れを告げられてから考えない日はなかったし、ずっと後悔していた」
「だってミヒャエルくんは…わたしなんか好きじゃないでしょ」
「好きじゃない奴を傍に置いとける程出来た人間じゃないことをお前が1番よく知ってるだろうが。…いや、違うな。こういう言い方はよくなかった」

ミヒャエルくんは、わたしに改めて視線を合わす。

「悪かった。お前の事を考えずに不安な思いをさせて。俺はお前が好きだと言ってくれることに安心してたクセにお前は言わずとも分かってると思い込んでいた。いつもお前が俺にしてきてくれたことがどれだけ支えになっていたか、離れてから気付いたよ」
「あ、」
「お前からしょっちゅう届いてたLINEも電話もなくなって、お前のいない日々がこんなつまらなく思えるようになったのは、俺がお前のことを凄く好きになっていたからだ」

ミヒャエルくんは自嘲気味に言葉を繋げる。いつの間にか流れる涙を何回拭っても、涙腺は緩むばかりで本当にこまる。

「もう、遅いか?俺がお前の隣にいる権利」

ミヒャエルくんはいつも自信があって、ちょっと上目線で、王様みたいな人で、それでいて不器用で。
そんな彼が今不安そうにわたしを見つめて、自分の気持ちを素直に伝えてくれていることが信じられないくらい。

「ミヒャエルくん、あのね」
「ん?」

ミヒャエルくんに言わなきゃいけないこと、わたしも言わなくちゃならないと心に決め、口を開いた。

「わたし、妊娠してるの。…ミヒャエルくんとの子」
「は?」
「わっ別れてから妊娠に気付いて、それでミヒャエルくんに迷惑かけたくはないけど、産みたいって思ってて」

天色の瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返す。
そうして彼からは信じられない程の間抜けな声を洩らした。

「それは、本当か?」
「うん、本当だよ」
「……」

ミヒャエルくんはもう一度瞬きをし、今度は口がポカンと開く。

「ッそういうことはクソ早く言え!!」

鼓膜が破れるかと思うほどの声量が、わたしの耳を刺激した。


「なんでもっと早く言わない!?お前そういう大事なことは俺に一番に相談すべきだろ」
「だっだって、別れようって言ったのわたしからだし、ミヒャエルくんはわたしのことその、好きじゃないと思ってたから堕ろせって言われたらどうしようかと思って」
「んな訳あるか!俺がどんだけお前のことが好きだと…いや、悪い。…お前にとって俺はそんな甲斐性のない男に見えるか」

ミヒャエルくんの髪がゆらりと揺れた。
わたしは閉じた唇を噛み締めて、ゆっくりと横に顔を振る。


「結婚して欲しい」


わたしの手を取るミヒャエルくんに、息も思考能力も全てが止まる。わたしの手を握るミヒャエルくんのその手が優しくて、もう片方の空いた手で壊れ物を扱うかのようにお腹に触れた。

「…わたし、今よりもっとミヒャエルくんのこと好きになっちゃって重い女になるかもよ?」
「それでいい。そうじゃなきゃ困る」
「今まで以上にヤキモチとか妬いちゃうかもしれないし、面倒くさくなっちゃうかも」
「お前のヤキモチなんて可愛いもんだ。面倒くさくなるくらいならここでお前に一生一緒に居てくれなんて頼まない。それを言うなら俺だってそうだ。お前とネスとの関係性にずっと嫉妬してたからな」
「えっ、そうなの!?」

わたしのワントーン上がった声にミヒャエルくんはムゥ、と口をへの字に曲げる。

「そうやって嬉しそうな顔するから言いたくなかったんだ。別にお前のことを疑っている訳じゃないが、他の男に自分の女が笑いかけてんの見て良い気分する奴なんていないだろ。…でもそうだな。今回はアイツに感謝する。じゃなきゃお前の行き場所は分からなかったしな。まぁ妊娠の件を先にネスが知っていたのは不服だが」

随分と素直になったミヒャエルくんに空いた口が塞がらない。ミヒャエルくんはわたしの返事を待つ間、何処かそわそわしているように見えた。

「…こんなわたしで良ければ、ずっと一緒に居て下さい」

わたしの手を握っていたミヒャエルくんの手を握り返す。そうして1拍置いて心底嬉しそうに口端を上げたミヒャエルくんは、わたしに小さなキスを落とした。



「お前が離れたいって言ってももう金輪際離すつもりはないと覚悟しておけ。俺がお前と産まれてくる子供を一緒大切にすると誓うから、お前も誓え」





−−−−−−−−


「いろいろあったんですよ。アナタのママとパパは」
「そのいろいろを知りたいんだってば」
「本人達に聞いたらどうですか?」
「教えてくれないからネスくんに聞いてるの!」

金髪に染まった髪をツインテールにして揺らした少女は僕にフン、と顔を背けた。あれから随分と時が経ち、ついこの前まで赤ん坊だと思っていた子供がもう10歳だ。

「パパ、今日だけはママを独り占めするんだって前から計画練ってたみたいでさ」
「カイザーが?にわか信じ難いですね」
「クソマジなんだって」
「お止めなさい。アナタ女の子でしょう?」

パパには内緒だとシシッと悪戯げに笑った少女にため息1つ。今日はどうやら2人の結婚記念日とかいう奴みたいで、まだ子供を1人にして置けない為に呼ばれたのがこの僕だ。あれから大きな喧嘩もなく籍を入れた2人の間に生まれた子は今僕の目の前にいるこのお転婆娘。

「ねぇねぇ、今日はピザが食べたいの!」
「ピザ?あー…いいんじゃないですかぁ?」
「もうっ!もっと楽しもうよ!ママったらいつもパパの食事に合わせて作るせいで、あまりこういうの食べられないんだよ!パパも体に良くないとかいうし!」
「へ

子供は正直得意じゃない。その事を2人は知っている筈なのに、何故か今日はナマエが頼み込んできた。断ろうと思えば、「お前暇だろう」と圧を掛けてきたカイザーに僕が断ることは無論出来ない訳で。

キラキラとした眼差しでデリバリーのチラシを眺めている少女を見ていると、子供は得意じゃないのに何故か悪い気はしない。会えば会うたびカイザーに似てきたせいだろうか。うん、きっとそうですね。

「決めましたか?」
「んネスくんは何がいい?」
「僕はなんでも」

不満そうに口を尖らすこの表情は、ナマエソックリだ。
2つに絞ったまではいいがまだ決めかねているから、それなら2つ頼んでしまえばと提案する。そうすればすぐにこの子はにっこりと嬉しそうに頷いた。

ピザを食べて、何が面白いのか分からないアニメの映画でも見ていれば時間はなんとなく過ぎ去っていく。まだ帰って来ないのかと時計に目を移すと、横に座っていたお転婆娘が口を開いた。

「ネスくんて、ママのこと好きなの?」
「は?」
「だってネスくん、ここに来るとママのこといっつも見てるでしょ」

真横にいる少女に目が点と化する。
何を言ってるんだこの子は。2人が結婚して何年経っていると思っている。カイザーと瓜二つのその瞳は綺麗な蒼色で、つい僕が怯みそうになってしまったじゃないか。

「何を言ってやがんですか。んなワケないでしょ。あんましバカなこと言ってると幽霊が出ますよ。もう寝る支度でもしたらどうですか?」
「違うの?」
「違います。断じて違う。それ、カイザーに絶対言うなよ。殺されます」

はぁ、とため息を吐く。そうして僕の顔を覗き込んだ彼女はまだ10歳のクセに目を細めると、僕の耳元に近寄った。


「それなら良かった。…でね?あのね?今日実はネスくんに来て欲しいって頼んだの、わたしなんだ」


耳を疑うとは正にこの事。小さな彼女の頬は真っ赤に染まり、僕にへへと微笑んだ。そうして僕から離れたと思うと、やって来るのは僕の放棄した理性。


「は……ハァァァア!?!?」


そうして時間は止まらず2人が帰って来たことを知らせるドアノブが空いた音に、僕は驚愕し座っていたソファから滑り落ちた。






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