ブルロ夢 | ナノ


好きな子虐めは流行らない





透き通るような蒼い瞳に筋の通った高い鼻。形の良い唇から発せられるその声は低すぎない声音で、グラデーションの掛かった襟足はボールを追いかける度に風に靡いてサラりと揺れる。

この男はまさに眉目秀麗といった言葉がこれでもかというくらい良く似合っちゃう人だった。つまり基本スペックが高すぎる。サッカーの神さまに愛されていると言わんばかりの才能を持ち、周りで彼の名前を知らない方が珍しい。遂にはこの前某有名ブランドの新作香水のアンバサダーに選ばれたとかで、彼が出た経った約15秒のCMは動画サイトで驚く程の再生数を記録したし、男性物の香水なのに女性の購入割合が多かったとか。

とまぁつまり、それくらい人気者ってわけ。

ちょっとお口が悪いイケメンプロサッカー選手。彼にお近付きになりたい女はいくらでもいるだろう。

でもいくら顔が良くたって性格に難があれば問題あり。世界で名を馳せているミヒャエル・カイザーことカイザーくん。

わたしはそんな彼が当時世界一苦手な男であったことをここに報告しておきたい。










昔から兎に角わたしに絡んでくる男、それがカイザーくんだった。スクールが同じで同級生。幼少期から飛び抜けた運動神経と顔の良さからなのか知らないが、彼はモテた。モテてモテて仕方がないくらいにモテる男だったと思う。だからそれまでは密かに他の女子と同じくかっこいいなぁとわたしも思っていて、誰しも狙っていたカイザーくんの隣の席をゲット出来たことを素直に喜んでいた。が、それは彼の言葉により撤回することとなる。

「おい、こんなクソ簡単なさんすうの問題もお前はとけないのか」
「あっ、えっとちょっとむずかしくって」
「これがむずかしい?へぇ、こんな誰にでもとけるような問題が出来ないとは…ふん。マジのバカっているんだな」
「…はい?」

始まりは隣の子と解いた小テストを丸つけし合いましょうみたいな話から始まったと思う。カイザーくんは席は隣であったがそれまで一度も会話をしたこともなかったし(緊張し過ぎて)、わたしなんて彼の眼中に入りもしなかったからこの時初めてちゃんとした会話をしたある意味思い出深い日であった。

「カッ、カイザーくんだって嫌いな教科くらいあるでしょ」
「ない。お前みたいに俺はバカじゃないからな」
「はっ?はぁぁあ?」

ムッときた。確かにこの小テストはカイザーくんは全問正解。ちょっとたまたまわたしの方が不正解が多かったってだけだったのに論破され、言い返す言葉もなくなったわたしは胸のなかにときめきならずムカつきを覚えてカイザーくんを睨む。だけどそんなこと気にも止めない彼は「なんだそのマヌケ面は」と薄く笑ってスン、と前を向いた。

こっこんな人だったの!?カイザーくんって!

この日からわたしの中でカイザーくんはカッコよくて素敵な人、から嫌なヤツという印象に早変わりしたのだ。

他の女の子に話しかけられるとカイザーくんは少し素っ気ないながらもちゃんとした受け答えをする。冷たくみえるがそこがかっこいいと他の女子が話をしているのを聞いてはわたしも一緒に頷いていた。…ほんの少し前までは。カイザーくんはその日を境に何故かわたしに対してだけは悪態ばかり着いてくる。それがまた他の子との違いをワザと見せつけられている気がしてわたしの癪に障ったし、特にカイザーくんに対して気に触るようなことをしたつもりもないからなんでそんな対応をされるのかがいくら考えても分からなかった。

例えば、「おい、お前のあの走りはなんだ。亀かと思ったぞ」と男女混合の体育の授業では足が遅いとバカにされ、誰かと楽しく話してると頭を軽く小突かれて振り返れば口をへの字に曲げたカイザーくんに「お前の声だけ耳に響いてうるさい」と怒られる。更にはママに髪を結って貰った日のこと。友達は可愛いと褒めてくれて嬉しかったのにカイザーくんだけは眉間に眉を寄せて「似合わない。いつもの髪型のがマシだ」とか言って縛っていたゴムを平気な顔で取られてしまった。
流石のわたしも心は折れ、わたしってカイザーくんに嫌われてるんだなとやっとそこで気が付いたのだ。

何度彼に心の中で唇を噛み締めながら地団駄を踏んだことか。言い返せば言い返すだけ口端を上げて2つも3つも斜め上目線で返ってくる受け答えにある日プッツン、ときたわたしは無視を決め込もうとしたけれど、「クソ不愉快」とか言ってカイザーくんはわたしよりもうんと不機嫌になってしまい、どうすれば良いのか全く分からない。

そうして必要最低限わたしから話しかけることはなかったのだが、休日のある日に事件は起こる。

女の子はおマセである。「好きな人がいるの!お願いっ、一緒に着いて来て!」なんて頬を真っ赤に染めたわたしの友達。そんなこと言われたらついていくのは必然的で、たまたま見に行ったサッカークラブの練習試合。そこに同じスクールに通っている男の子がいたのが事の始まりだ。

友達に連れられて行った地元のサッカークラブは今でこそあのミヒャエル・カイザーが属していたクラブとして有名だけど、当時は普通のサッカーチームでその中に上手い奴がいる、みたいな認識だったように思う。

あの頃の彼はまだ新世代世界11傑に選ばれる前であったけど、同世代のチームメイトよりもずば抜けた才能の持ち主だったため目立つのは当然で、素人でも分かるほど常人(失礼)とはかけ離れたプレーをしていたカイザーくんに目が止まってしまった。

サッカーをしていることは知っていたけれど、実際にボールを追い掛けている彼の姿を見るのは初めてだった。いつもいじわるばかりするカイザーくんは、わたしが見ていたことなんて気が付かない。ピッチの上では自身の名前に劣らずまさに皇帝感溢れる動き。常に周りを見て戦況を瞬時に理解して、相手チームのエースなんか目じゃないってくらいに判断も早く点を取っていく。まさに主人公って役柄がぴったりだったように思う。

だからつい、見惚れてしまった。
だっていつものわたしが知っているカイザーくんと違ったんだもん。

でもそれが良くなかった。

「お前カイザーのことばっか見てただろ」
「あ、そうそう!それ俺も思った!」
「えっ!ちがっ、そんなことないよ」
「嘘つけ。もしかしてお前、カイザーのこと好きなんじゃねぇの?よく学校でも話してて仲良いじゃんお前ら」

あれが仲良くみえる?おかしいだろ!
試合終わりの陽が赤く染まり始めたグラウンド。
男の子という生き物は女の子よりもお子ちゃま脳なのよ。母が言っていた言葉の意味を今なら理解することが出来る。だけどもそんなの子供のわたしが理解出来る筈がなかった。

別に好きだなんて感情はない。前にときめいたのはカイザーくんの素の性格を知らなかったからだ。口を開けば残念なのだから、こんなの好きになる訳がないんだってば。

助けてくれ。わたしの友達に何度もそう心で叫んだ。でも視線を向けたってその子は自分の好きな子に夢中で差し入れしちゃってるもんだから気が付かない。どうしようかと顔を俯かせると、1番聞かれたくなかった人の声が頭上から降って来た。

「おい、なんでお前がここにいるんだ」
「おっカイザー!コイツお前のことばっか見てっから好きなのかと思って」
「ちょっ違うってば!」

最悪である。青ざめたわたしは早く弁明しなければとその声が降って来た方へと顔を向ける。すると天色の瞳と視線がぶつかった。彼はわたしをじろりと上から下まで眼球だけ動かすと、普段わたしには見せない笑顔で微笑んだ。その笑みに小さく悲鳴が漏れそうになったわたしが声を出す前に、彼は口を開いたのだ。

「…ハッ、知らすかこんなちんちくりん。興味もない。俺が好きなら他を当たれ」


「は?」

嘲笑いを含めて冷たく吐き捨てたそのセリフに口を開けて時が止まる。

「ギャハハ!お呼びでないってよ!残念だったな」

同級生の男の子はゲラゲラと笑ってわたしの肩をポンポンと叩く。勝手に好きだと思われた挙句に容赦ない言葉と共に振られたわたし。


何この男!!やっぱり最悪なんだけど!!


少しでも見惚れてしまったわたしがバカであった。振られ損してその場にいた見物者達は憐れむような目つきでわたしを見る。いやいや、違う。好きじゃないってば。

まるで何事もなかったかのように背を向けたミヒャエルくんに、わたしの拳には自然と小さく力が込められる。

「すっ、好きじゃないし!!」

当時わたしも子供だったのでどうにかしてこれは勘違いだと伝えたかったけれど、逆にムキになったせいで肯定しているように取られてしまう。友達には「言ってくれれば相談乗ったのに…」なんて言われてしまう始末。

ミヒャエル・カイザー、彼の印象はあの頃と変わらず最低最悪。因みにこのド勘違い同級生のせいでわたしはカイザーくんが好きだと更に広められてしまい、この頃から女の子のファンが多かったせいか取り巻きに一抜けしやがってと睨まれた。ファンてば恐ろしい。広めた男に言ってやりたい。お前一生彼女出来ないぞ。そしてファンの女子に言ってやりたい。この男は顔だけですよって。

なんてこったとわたしは頭を抱える。これから始まる予定だったわたしのアオハルはお先まっくら暗転なり。

わたしは泣いた。フラれたから泣いたのではなく、あのバカにされたようなフラれ方に悔しくて大泣きしたのだ。

「…もう絶対関わらないでいこ」

そう心に固く誓った。








誓った筈だったのに、




縁が全く切れないってどういうことだ。
カイザーくんの絡みはあの日以降更に増えてしまった。






「お次のお客様どうぞ
「俺の連絡を無視するとはどういう案件だ?」
「お客様ナンパはこまります」
「ナンパな訳ないだろクソ失言。言葉に気をつけろ」

キャップを被ってマスクを着けた男は眉間にぎゅう、と皺を寄せわたしのバイト先に訪れた。そうしてメニュー表のコーヒーを指差しながら口を開いたのだ。

「お前俺が日本に渡っている間連絡を返さないとはどういうことが説明しろ」
「ドリップコーヒーですね!アイスでよろしいですか?今日暑いですし!毎日お疲れ様ですっ」
「アイスでいい。ってか話を聞け」

レジ打ちしていたわたしの指が止まる。目の前の人物と同じくムッとした顔を晒すと、彼はマスクの下から笑っているのがなんとなく分かってしまった。それも意地悪く。

「客の前でそんな顔をするなんて良い身分だなぁ?ナマエ」
「あっ、大変なことを聞き忘れておりました!トールサイズで宜しかったでしょうか」

ここで突っかかってしまったらカイザーくんの思うツボである。だから平常心平常心と心の中で暗示の如く唱え客と店員の素振りをすると、彼はトレーにお金を荒く置いた。

「ひっ…」
「トールで。…んで?ナマエチャンは俺の言葉が分からない赤ん坊なのか?俺の質問に答えろと言っている」

天色の瞳が色をなくしてわたしを覗き込む。
こんなのほぼ尋問じゃん!!ポリスメンかよ!
悪いことなんてしてないはずなのに悪い気持ちにさせられる。カイザーくん、本当昔から自分の思った通りに人が動かないと強制的に吐かせようとするところ、本当によくないと思う。

「…カッ、カイザーくんて周りにバレちゃうよ」
「周りのヤツらなんかどうだっていい」
「いやでも、写真撮られてSNSに拡散されちゃうかも」
「俺は別に構わないが?困るのはお前だろ」

わたしの反応を見て楽しそうに目を細めるこの顔!こういうところが昔から嫌なのだ!!
きっとわたしが考えている事なんて手に取るように分かっているに違いない。カイザーくんより口が上手く回らないわたしはぐぬぬ、と顔を歪めてお釣りを渡す。

「…あと30分で終わる」
「そうかそうか。んじゃ、待っててやるから終わったら速攻で俺の車まで来い」

カイザーくんはわたしの返答に満足気ににっこりと笑いコーヒーを受け取って外を出る。

最悪だ…。別にこの後用事なんかないけれど、今すぐどうしても外せない用事とか出来たりしないだろうかと意味もないことを無駄に考えてしまう。

カイザーくんがサッカー関連でドイツから日本へ渡ると聞いたとき、ガッツポーズをしたのは世界中でわたしだけだったろう。だけどそんな喜びもつかの間。

『かせ』
『なにを?』
『お前のスマホに決まってるだろ。理解能力が低くて困るねぇこれだからおバカさんは』

手に持っていたわたしのスマホをサッと奪い取り、ハテナを浮かべたわたしの手元に戻ってきたときにはちゃんと登録されてあったカイザーくんの連絡先。

『寂しかったらいつでも連絡して来いよ。仕方がないから返信してやらんこともない』
『えっ…全然大丈夫です』
『強がりだけは一級品だな。俺のこと好きなクセに?』
『アレは違うって何回も言ってるじゃん!誤解だってば!』

何年も前のことをたまに掘り返しては揶揄うカイザーくんからやっと離れることが出来ると思ったのに。カイザーくんの連絡先を眺めては勝手に出てくる深いため息。じゃあわたしが連絡しなければいいじゃん?と思って連絡しなければ、カイザーくんからメッセージを送ってくるのだ。その返信を怠っていたら、本日ついに捕まってしまった。

「店長、今日人出が足りないとかってないですかねぇ?」
「今日は平日だしね!ちょっと早いけどもう上がっていいよ。今暇だし」

残業になっちゃったから今日は先に帰ってて!作戦はものの30秒も掛からず不決行となってしまった。しかも早く上がって良いだなんていつもなら飛び跳ねて喜ぶのに、今日だけは喜べない。
エプロンから私服に着替えると、バックルームからカイザーくんの待つ場所までの足取りが至極重たい。あと何年わたしはこうしてカイザーくんから意地悪をされるのだろうかと思うと胃もいたい。



「…お待たせ、カイザーくん」

店外に出て少しだけ歩けば見慣れた車がある。助手席側のドアをコンコン、と叩くとカイザーくんはスマホからわたしに視線を向けた。





「で、先ずはなんで俺の連絡を無視していたか教えろ」
「あっあーと…レポート提出とかバイトもあって忙しくてさ。それで返信遅れちゃったというか…はは。ごめんね」

絶対絶対こんなありふれた謝罪はカイザーくんに通用しないと思っていたが、今日まさかカイザーくんに会うことになるとは予想だにしておらずあるあるな言動になってしまった。でも嘘ではない。ここ1、2週間は本当に忙しかったし。

何も話さないカイザーくんへそろりと目だけを横に移す。多分わたしの家まで向かって行ってくれているんだろうが、日本に行ってしまう前からたまにこうして送ってくれることがあったのを思い出した。カイザーくんのそんなところがよく分からない所でもある。もしかすると飴と鞭というやつを使い分けているのかもしれないだなんて下らないことを考えると、カイザーくんはハンドルを回しながら口を開いた。

「それじゃ仕方がないな。許してやる」
「え"っ!許してくれるの!?」
「そういう理由なら仕方がないだろ。そんなことが分からないアホじゃないぞ俺は」

……?
わたしの瞳は点になる。誰これ。日本は心優しき人が多いと聞くけれど、もしやそれに感化されたのだろうか。あのカイザーくんが?あの横暴俺様何様皇帝様が??
もしかして疲れすぎて幻聴が聞こえたのかもしれない。そう思って首を傾げていると、信号は赤に変わりカイザーくんは後部座席から何かの紙袋を取り出した。

「やる」
「何これ?」
「…土産」

おみやげ?あのカイザーくんがわたしにお土産?え、待って。信じられないんだけど。
普段のカイザーくんを思い返せばわたしにお土産なんて買ってくれる要素が何処にも見つからない。いつまでもえ?え?と困惑しているわたしに「ほら」と無理矢理それを手渡してきたカイザーくん。

「…悪い物でも食べたの?」
「お前くらいだよそういうことを俺に言えるのは。素直にアリガトウって言えないのか?」
「あっありが、と」

ふん、と前を向くカイザーくんは青信号により車を発進させる。いつもと180度違い過ぎる対応にどうしたら良いか分からないわたしは受け取った紙袋を見つめていた。

「なんて書いてあるんだろうね」
「は?あぁ、なんつったか。よく分からんが金つばって言うらしい」
「きんつば」

カイザーくんにも当たり前だけど、知らないことってあるんだな。日本語は分からないけれど、きっと日本ではポピュラーなお菓子なのかもしれない。確かカイザーくんと一緒のチームだった子も好きって言ってなかったっけ。

「そういえばブルーロック。こっちのニュースでも話題になってたよ」
「なんだお前。俺の情報をチェックしていたのか?」
「え?あっち、違うし!朝とかたまたまニュース見ててやってたの!!マジで違うから!」
「そんな恥ずかしがるな。照れ隠しになってないぞ」

カイザーくんはやっぱりカイザーくんだった。
会わないこの間、もしかしてちょっとは優しくなった?だなんて思ったけどそれはとんだお門違いだったらしい。どうしてもムキになってしまうわたしを他所にカイザーくんは昔と相変わらず楽しそうに口角を上げる。

「そっそういえばカイザーくんと一緒のチームだった子!あの子もきんつばっての好きじゃなかったっけ?」
「…は?」

話題をどうにか変えようとした結果、それは間違いだったのだとすぐに思い知らされた。

「あの双葉みたいに天骨頂の髪の毛がぴょんぴょんしてる子!」
「…世一か?」
「それ!その子。あの子も本当に凄かったね。最後まで試合を見た訳じゃないけどカイザーくんと並べるくらい活躍してなかった?」
「…そんなの知らん」

数年カイザーくんとは縁が切れない生活を送ってきた訳だったけど、初めて聞く低い声音にわたしの体は硬直する。もうすぐわたしの家に着くという道沿いでカイザーくんは車を停めると、わたしの手に持っていた紙袋を取り上げた。

「ちょっ」
「その土産はやっぱりやらん。返せ」
「はい?」

急激に不機嫌になったカイザーくんに意味が分からないわたしは咄嗟に焦る。何を言ってはダメだったのか全く見当がつかなかったのだ。

「なっなに怒ってるの?」
「お前が何に対して怒ってるのか分からないことに怒ってる。お前は昔から本当に俺を怒らすのが大の得意だな」
「はっはあ?」

売り言葉に買い言葉。久しぶりに会ったとしてもやはり根本的なこの関係は変わらないらしい。服の袖を握り締めていた拳に更に力が入る。

「カイザーくんて昔から本当にわたしに意地悪だよね!いっつもいっつもよく分からないとこで突っかかってくるし怒ってさ!そういうところが本当にきら、」
「それだけは言うな」
「っ、」
「絶対言うな」

グイっと彼の手が伸びてきたかと思うとわたしの口に押し当てつい言ってしまいそうになった言葉を阻止された。夕方のこの時間はまだ明るい。だから相手の表情が伺えてしまう。

口をきゅ、と閉じたカイザーくんのその表情は、眉を下げてまるで今にも泣きそうという言葉に近い顔をしてた。勝気な彼はそこにはいなくて、言葉が詰まってしまう。
息も止まってしまいそうなこの空間に、カイザーくんの手がそっと離れると、先に無言を切ったのは彼だった。

「まだ陽も明るい。ここからならもう1人でも帰れるだろ」
「ちょ、カイザーく、」
「ほら降りろ。俺は今から用がある」

行ってしまった彼の車を見つめる。
さっきのカイザーくんを思い返すと胸がぎゅうと何故か苦しくなった。

いつものカイザーくんらしくない。
カイザーくんだっていつもわたしを怒らすくせに。
本当かどうか分からないけど、用なんて絶対ないじゃんか。


「…いみわかんない。ほんと」

家に帰って何をしていても頭に浮かぶのはカイザーくんで、一瞬悲しげな顔をした彼のことが頭から離れない。何がダメだったのだろう。わたしが言い返すのなんていつものことなのに。

自分から送ったことのなかったメッセージ。勇気を出してカイザーくんに送ってみたけれど、既読がついただけで返事が返ってくることはなくて、胸のモヤモヤは更に深くなる一方だった。







「えーーっ!アンタたちってまだそんなことやってたの!?」
「そっそんな驚く?」
「だってアレまだ12歳とかそこらの話でしょ?流石にこんな長い仲になってるとは思わなかった」

当時サッカークラブに好きな子がいた友人と久しぶりに会って外食。あの頃のわたし達を知っている彼女に今では有名人なカイザーくんの事を言っていいものかと悩んだが打ち明けると、やっぱりかなり驚いていたようでパスタを食べるフォークが止まった。

「いやでもなんか怒らせちゃったみたいなんだよね」
「アンタがなんかしたんじゃないの?」
「ん…。なんか家に送ってくれる時に日本のお土産買ってきてくれたんだけど」
「えっ!やっぱり付き合ってたの?」
「んなワケないじゃんってかやっぱりってどういうこと?あのカイザーくんがわたしをそういう目で見る訳ないでしょ」

友人は「あー…」とか含みのある言い方をしたのが気になったけど、わたしは気にしない素振りをしてくるくるとパスタをフォークに巻いて口に運ぶ。

「それでね?なんかそのお土産聞き覚えあるなぁって思って、カイザーくんと一緒に活躍してた子もそれ好きだったよね、みたいな話をしたら急に不機嫌になっちゃってさ」
「ふぅん…ヤキモチ?」
「わたしとカイザーくんの関係を知っててヤキモチってどうみたらそう思うの」
「あの頃から進展したんかなぁって」
「進展もなんも変わってないしわたし別にカイザーくんのこと好きじゃないから!」

お冷のグラスをゴクリと飲んで口を曲げれば友人は何が面白いのかクスクスと笑ってごめん、と口にした。

「でもさ。ナマエは違くてもこうは考えられない?」
「ん?」
「カイザーくんはずっと前からアンタのことが好きでしたってこと」


「ぶっっ!!」

口に含んでいたお水をつい吹き出してしまった。お行儀が悪いのは百も承知だけど許して欲しい。慌てておしぼりでテーブルをふく。

「んなわけないじゃん!なに言ってんの!?昔からわたしにだけ意地悪のドを越してるカイザーくんだよ!?有り得ないって」
「知ってるよ。でもよく言うじゃん?好きな子はいじめたくなっちゃうとかさ」
「え…いやいやいや?有り得ないってほんと」
「そうかなぁ?だってアンタが他の男子と話してると必ず割って話に入ってたし、やたらと揶揄うのもナマエにだけだったじゃん?他の女子には興味なさげだったのにアンタとは楽しそうに話してたように見えたけど」
「あ…は?まっまさかぁ」
「まぁ本人しか分からないけどね。私はそう思ってたよ。2人を見るの楽しかったから観察してたんだよね。実は」

へへ、と笑った友人にわたしの頭はパンク仕掛ける。
ちゅるちゅるとパスタを口に含んでいく友人と、食べる所ではなくなったわたし。

ある意味でお腹が膨れてしまって手が付けられないパスタを前に考えることは勿論カイザーくんで。

ちょっとまって。急速ピッチで跳ね上がってきた心臓の音と共に、今まで嫌われているとしか思えなかった行動の有様を思い出していると、友人は更に追い討ちをかけてきた。

「本当に意地悪いだけだったの?」

彼女の言葉が耳に届く。

カイザーくんは煽りの天才で、小馬鹿にしてくるし、嫌味も言う。だけど、だけど。苦手だった算数の問題も「おバカなお前に俺が教えてやる」とか言って分かりやすく教えてくれたこともあって、「お前が見に来るなら俺がハットトリック決めてやる」と試合に誘われたこともあったっけ。日本に行ってしまう前、バイトでミスをして落ち込んでいたわたしに「ンな小さいことでくよくよするな。バカみたいにお前はいつも通り笑って次頑張りゃいい」と慰めてくれたこともあったっけ。

あれ?あれれれれ?
日々の意地悪さが群を抜いていたから気付くのが遅かったけど、もしかしてカイザーくんてわたしに優しかったのでは?

そうなると今までなんてわたしは彼に失礼な態度を取っていたのだろうと思い始めてきてしまった。
そんなわたしを見てか友人はにっこり笑った。




「んじゃさ、カイザーくんにこう言ってみるといいよ」







「なんだ?お前から連絡して来るなんて」
「急にごめんね。この間のこと謝りたくて」
「…?」

返って来ないかもしれないと思ったけれど、1つメッセージを送ったら「今から行く」と返事が来たときは、ホッとした自分に驚いた。

緊張し過ぎて吐きそうな胸の音をなんとか誤魔化しながら待っていればカイザーくんは待ち合わせ場所に現れた。

「妙に塩らしいな」
「そっそんなことないから」
「そうか。で、要件はなんだ?」
「あっえっと、」
「悪いが世一のことなら話はしたくない」
「や、違うよ。なんで世一くん、の話になるの」

カイザーくんは顔を顰める。
じゃあなんだと言わんばかりに。
言おうと思ってたことを何度も復唱してここまで来たはずなのに、中々上手い具合に口が動いてくれない。

「えっと、その…」
「回りくどいのは俺は嫌いだ。ハッキリしろ」
「カイザーくんはなんでわたしにいつも突っかかってくるの?」
「…は?」

カイザーくんの悔しいほど綺麗な形をした目がぱちぱちと瞬きをした。

「なに言っ、」
「昔からわたしにだけカイザーくん意地悪だったじゃん?だからずっと嫌われてると思ってたんだよね」
「それは、」
「他の子と話してると凄く怒るし、髪型を変えたときも似合ってないとか言うし。わたしがカイザーくんのこと好きって皆に勘違いされたとき、結構キツい言葉でフラれたし」
「……」
「なのに、なんで?なんでカイザーくんはわたしに絡んでくるの?嫌われてるって思ってたらたまに優しくしてくるから…カイザーくんの考えてること、分かんないんだけど」

カイザーくんは黙る。
まさかわたしがこんな発言をするとは思っていなかったに違いない。

小さく息を吐いて1拍置く。
目の前のカイザーくんにちゃんと視線を合わせて、友人が言った言葉を彼に向けて放った。



「好きな子虐めるのは今どき流行んないよ?ミヒャエルくん」


間違っていたら大変申し訳ない。こんな大層なことを述べて「クソ勘違い乙」とか言われたら、今すぐにでもこの場を全速力で走り去り崖のある海までどうにか行って身を投げ出す勢いのレベルである。


でもそれは杞憂だった。


「…が、」
「へ?」
「お前がクソみたいな男に笑ってたり、髪型変えていろんな奴に褒められて浮かれてるお前が死ぬほどムカついて堪らなかったんだよ。お前が可愛いってのは俺だけ知ってりゃ十分だろうが。なのにお前はいっつもいっつも…クソっ」
「あ、へ?」
「好きだよお前のことが。これで満足か?こっちの気も知らねぇで連絡は返さねぇし会いに行きゃ他の男の好物まで知りやがって。俺からすりゃお前のがとんだ悪女だよ。俺がここまでしてやってんのに…お前はもっと俺に興味を持て」


立場はやはりわたしが下である。
ぱくぱく開けた口が塞がらない。


だけどいつもみたいにムッとした感情は湧いてはこない。だってあのカイザーくんの顔が有り得ないくらい真っ赤に染まっていたからだ。

嫌いだと思ってたのに。嫌われていると思っていたのに。苦手だと思っていたカイザーくんのことが今はこんなにも、


「…かわいい」


初めてこの男のことをそう思った瞬間だった。
「は?」と片眉を下げたカイザーくんに慌てて口を両手で紡ぐ。

でもその瞬間その手は引き寄せられ、柔らかな感触が唇を伝った。


「ほんっとにお前は、っふ。俺を煽るのが天才ねぇ。うんうん、どっちのが可愛いかって思い知らせてやんねぇと分からないかおバカなナマエチャンは」


離れた唇にカイザーくんは自身の口元をぺろん、と舌なめずりをすると、わたしの血の気は引いていく。それはいつもの如くよく見る悪戯めいた顔よりも更に悪どい顔つきで、彼の瞳は三日月のように細まっていた。


「返事はjaかyesしか認めない」


どっちに転んでも「はい!」しかないじゃん!!

その言葉はわたしの手を絡み取り、もう一度落とされたキスにより言うことは叶わなかった。










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