ブルロ夢 | ナノ


重度な愛は致死量間際



※段々と愛情深くなる彼氏の玲王から逃げようとする話


アクション映画やコメディ映画。ファンタジーにホラー。お父さんの影響で好きになった映画鑑賞は、わたしの趣味のひとつである。わりとわたしはいろいろなジャンルのものをその日その時その気分で見るのだけれど、やっぱりそのなかでも特に好きなのは王道のラブストーリー。

『お前のことがずっと好きだった。誰にも渡したくない!』
『っ!わっ私も好き』

結果的にハッピーエンドを迎える映画に涙したのは数しれず。分かっている展開のシチュエーションだとしても胸は毎度の如くきゅうん、と掴まれ、女の子なら誰しも憧れる展開にわたしの顔はにっこり模様。
でも最近は青春ものを見ると自分と好きな人をちょっと当てはめちゃったりする現象が起きてしまい、困ってしまうことも屡々。まぁ実際こんな上手くコト進まないよなぁ、なんて思っては、映画を見終わったあとのなんとも言えない高揚感がわたしを襲う。

わたしの場合。どうせフラれて、ただのクラスメイトに戻る。これ確定。わたしのような女はヒロインには絶対に向いていない。お父さんが中小企業の社長をやっているってだけで、わたしは特別な才も何もないし平々凡々と暮らしてきた。この学校内での成績は中の中、運動神経だって可もなく不可もなく。だからヒロインにはなれない。映画の主人公の普通が取り柄ですみたいな女の子の"普通"とは、結局何処かしら飛び抜けた何かがあるのだ。例えば可愛いだとか、綺麗だとか、お勉強が出来る等、人目を引く何かが必ずある。昂っていたテンションはエンドロールと共に終わりを告げ、ため息が自然と洩れた。





「いいよ。付き合おうぜ」

王子さまみたいだった。王子さまにプラスして、わたしの好きな人はヒーローみたいだった。紫色の癖のない髪は日が当たると綺麗に光り、ウチの高校の制服を御影くんが着ると映え過ぎて直視が出来ないくらい眩しい。それに加えて頭脳優秀、眉目秀麗。男女共に目を引くその姿に、彼の周りにはいつも人で溢れていた。誰に対しても分け隔てなく接するその姿に男は憧れ、女は恋をする。そんな人に、わたしも恋をしてしまった。

「えっ!…っえっ」
「ふはっ、なんだよその反応」

話したのなんて数回程度。フラれてもその目に一時わたしが映ればそれでオーケー。そんなことを思って意を決して伝えた告白が、まさか実るだなんて思わなかった。

「ナマエ、だよな。お前の名前」
「おっ覚えててくれたの?」
「そりゃ知ってるに決まってるだろ。ってかその御影くんて他人行儀みたいだから名前で呼んで」

真っ赤なわたしとは正反対に、御影くんもとい玲王は友達と接するかのようなフランクさでニカッと笑った。人馴れしている彼は同級生なのにわたしとは随分と差があるように思えて、目を細めた彼の顔はわたしよりも大人びて見えた。







お付き合いが始まると瞬く間に広がるわたし達の関係性。それでも毎日が劇的に変わったのはわたしだけだった。玲王は普段となんら変わりない。ただ彼の日常のなかにわたしという存在が少し入り込んだってことだけだ。
可愛い一軍女子に「アンタが玲王の彼女とか意味わかんないんだけど」なんて通りすがりに言われるのなんて日常茶飯事だけど、それについては悲しいことに言い返すことが出来ない女であるから仕方がない。悔しいけれど、怖いが勝つ。

「ねぇれお、今日勉強会しよ?」
「あーゴメンな?今日は用事があるからまた今度」
「も最近そればっかり!たまには私との時間も作ってよぉ」

本当に本当に付き合う前と変わりがない。玲王の周りにいた子たちは「あの子が彼女?」と初めこそは一線を置いてくれたようだけど、それもすぐに「あの子ならウチらにもワンチャンあるでしょ」と言わんばかりに接し始めた。何処から出てるのと言いたくなるような甘ったるい声を出す女の子が玲王の腕に自身の腕を絡めても、玲王は無理矢理その手を解こうとはしないのだ。当たり障りのない返事をして笑顔を向ける。それもわたしの一等好きな笑顔を、わたしのいる前で。

「わりー。待たせたな」
「あ、ううん。だいじょうぶ」

元から差があるわたし達だから、ヤキモチ妬いてますなんて素直に言えなくて。だけど隠そうとしても多分、声のトーンでバレてしまっているだろう。彼女がいるのに近付く女にも嫉妬して、それと同時に玲王にも嫉妬する。

「お前なんか元気なくね?どうした?」

浮かない顔をしていたわたしに、少々わざとらしく心配するかのように玲王はポッケに手を突っ込みながら背を屈めて覗き込んできた。その距離の近さに脈拍が早くなるのを自覚しつつも、いつも通りにしなくちゃと無理やり笑顔を作る。

「いっいや?元気あるよ!めちゃくちゃある!!」
「嘘つけ。…嫉妬してたんだろ」

玲王の言葉に下を向いていた顔を咄嗟に上げる。やっぱりバレてる。嬉しそうに菫色の瞳がゆっくりと細まって、玲王の指先がわたしの髪を撫でた。

「なぁ、俺のこと好き?」
「っへ!?」

唐突な玲王の発言に慌ててしまって声は極端に裏返る。

「あっとぉ、ちっ近いっ」
「ん?別によくね?付き合ってるんだし」
「そっそれはそう、だけど」
「んで、さっきの続き。…俺のこと好き?」

玲王はどういう訳かよくわたしに好きかと問うことが多い。まだ付き合って月日が浅いせいか、それともわたしが男慣れしていないせいなのか、隣に立って歩くだけでも心臓がバクバク音を鳴らしているというのに、この男は平然とわたしに好きを求めるのだ。

「…知ってるくせに」
「好きって口で言わねぇと伝わんねぇもんもあるだろ?何回言われてもいいもんじゃん」
「…す、すき」
「ふは、やっぱお前可愛いな。俺も好き」

わたしはいつだって玲王に勝てないし、求められると答えたくなってしまうし、返せば必ず返してくれる彼のことが好きなのだ。玲王はそんなわたしのことを、きっと手に取るように分かってしまっているんだろうな。頭の良い人は、勉強だけじゃなくて恋愛頭脳まで発達しているのだろうか。好きな人に好きだと言われると、ヤキモチ妬いていたのなんてどうでも良くなってしまうくらいに満たされてしまう。だってどれだけ他の女の子に笑いかけようが、玲王が好きだと口にしてくれるのはわたしだけだから。

深く考えると泣くほど病んでしまうからあまり考えないようにしていることがある。本音の本音は他の子とくっついたりなんてして欲しくはないし、わたし以外と仲良くしないで欲しい。でもそれよりも、玲王の言ってくれる好きがめちゃくちゃ軽く聞こえてしまうこと。

分かっていたけれど、玲王の隣を歩けるのが嬉しくて考えることに蓋をしていたのだ。

しかし今思えばやっぱりどれだけ頭を捻って見ても、玲王はわたしのことをこの時本気で好きではなかったのだと感じる。多分、何をしても口うるさく言わないわたしの反応を見るのが新鮮で楽しかっただけなんだと思う。








玲王の夢はW杯で優勝をすること。これは付き合って何回目かの電話をしたときに教えてくれたことだ。通話口だったけど表情が浮かんでしまうくらいにキラキラとした声音で夢を語ってくれた玲王。欲しいものは絶対手に入れるという彼らしさが垣間見えて、本当に玲王ならやってのけるんじゃないかって思えてしまった。

「あ、じゃあわたしの夢は玲王がW杯で優勝するのを見届けることにする!」
『…は?』

間の抜けた声に、わたしの脳内がハッと我に返る。
ヤバい!ちょっと出しゃばってしまったかも!
慌てて弁解するも玲王はいつもよりもの優しげな声音で言葉を繋げる。

『お前は笑わないんだな』
「へ?」
『いや、出来っこねぇから諦めろって遠回しに言ってくる奴らばっかだからさ』
「そっそんなことないよ!玲王ならいける!わたしめちゃくちゃ応援するから!」
『…ありがとな。お前のお陰で頑張れるわ』

そうして玲王は、この日初めて自分からわたしの事を好きだと口にしてくれた。それがどうにもこうにも嬉しくて、電話を切った後も心臓はずっと早鐘をつき、暫くずっと好きだと言ってくれた玲王の声が頭から離れなくなってしまった。





「へぇ、意外だね。平気なんだ」

玲王の相棒兼宝物である凪くんは、気だるそうにスマホからチラりと視線だけをわたしに移し替えた。

「へいき、っていうか。…そりゃ、めちゃくちゃ寂しいけど」
「てっきりギャーギャー泣き喚くかと思った」
「そっそんな子供じゃないから!」
「そういうムキになるとこが子供みたい」
「う"っ、別にムキになってないし!」

うるさ、と即座にスマホへ目線を向けた凪くんに口を紡ぐ。玲王と付き合うまで話したこともなかった凪くんだけど、2年に進級し同じクラスになると少しは会話をする事が増えた。
玲王と凪くんが青い監獄というプロジェクトに参加をする。それを聞いたのは1週間程前のことだ。やっと少し距離が縮まったかな?と思った矢先の出来事。だけど玲王の夢が1歩進む為の過程に、わたしが寂しいなんて言って邪魔をしちゃいけない。応援するって決めたんだからと背中を押すことにしたのだ。でもきっとわたしが寂しいと言ったところで、彼は自分で決めた道を進んで行ってしまうと思うけど。玲王は、そういう人だ。



「さっき凪となに話してたんだよ」
「え?」
「教室で。話してたろ凪と」

昼休みの図書室で、玲王は周りに気付かれないような小さな声で口を開いた。

「あ、玲王がブルーロックに行っちゃうの寂しくないのって凪くんが言ってて。ってか見てたなら話しかけてくれれば良かったのに」
「あー…移動教室だったからさぁ」

細々と話しているからか、静かな室内で喋る玲王の声音は何処となくいつもより低く感じる。わたしが取ろうとした本が少し高い場所にあって背伸びをして取ろうとすると、玲王は簡単にその本を手に取った。

「あっありがと、」
「随分と仲良いんだな」
「へ…」
「お前らってそんな仲良かったっけ?」

菫色の瞳がわたしの視線と重なると、わたしの思考は思わず停止した。面白くなさそうに顰めた表情をした玲王がわたしを見下ろしていたからだ。

「え、と、」

「…俺のこと好き?」

いつものようにわたしの好きを求める玲王。だけどいつもとちょっとちがう。なんだろう、不安げな、だけど何か言いたいことを押し殺しているような。

「好きだよ。…すき」
「ダレのことを?」
「れっ玲王に決まってるじゃん!玲王しか好きじゃないよ」

咄嗟に出てしまった声量が大きくて、辺りを見回すけれど近くに人はいなかった。安堵するも熱が籠るわたしの顔を見た玲王は、先程の冷めきった表情とは打って変わって普段通りにニッコリと口端を上げると、持っていた本をわたしに手渡す。

「…そっか、うん。ンならいーわ!」
「あ…うん」
「俺もお前のこと好き。ってかこの本俺も読んだけど面白いよ。おすすめ」

初めて見た玲王の表情に上手く言葉に出来ず頷くことしか出来ない。…もしかして、もしかしてだけど自惚れても良いのであれば、凪くんにヤキモチ妬いてくれたとか?そんなことを思っては頬は紅潮していく一方で、玲王はそんなわたしに満足気に目を細めていた。







それからのお付き合いは順調過ぎるくらい順調で。
青い監獄へ行ってしまったあと、中々連絡が取れないのは寂しかったけれど玲王も頑張っているんだと思えばわたしも苦手な科目の勉強だって頑張ることが出来た。

「凄かったね!プレーをコピーするなんて玲王にしか出来ないよ!カメレオンって言われてるんだっけ?試合、見に行きたかったなぁ」
「まっ俺だからな、っても後半しか出れてねーけど」
「それでも出れることが凄いんだよ!玲王の活躍あってこその試合でもあったじゃん!さすが玲王、かっこよかったよ」

久しぶりに会えたオフの日。泣かないって決めていたのに、帰ってきた玲王を見るなり涙腺が崩壊したわたしを玲王は変わらない笑顔で受け止めてくれて、なんならぎゅう、と抱き締めてもくれた。
オフだといっても玲王はそれなりに忙しく、会える時間は限られていたけれど1日時間を作ってくれて待ちに待った今日のデート。青い監獄のお土産話は聞いていて楽しかったし、久しぶりに会えたことにも始終胸は高鳴りっぱなしだった。
でもまた彼は夢の為にブルーロックへ旅立ってしまう。国が離れた訳ではないのに遠くに行ってしまうような気がしてしまうから、そこが正直辛い。考えるだけで胸が痛んでしまうんだけど、遠距離恋愛をしている人はいつもこんな気持ちなのかな、なんて思ってみたり。

ショッピングをして、美味しいカフェでランチをして、おやつにクレープを食べて、また街を歩いて。ゆっくり玲王とデート出来ることが嬉しくて、それと同時に幸せだった。悲しいけど時間が過ぎるのはあっという間で気付けばデートはもう終盤。玲王の家のリムジンに乗せて貰って家路に向かっている最中の話題。

「そういえば凪くんも活躍してたね」
「凪?」
「うん!ブルーロックって勝ち残っていかなきゃ振り落とされちゃうんでしょ?それなのに2人共サッカー始めたの高校からなのに本当に凄いよ」

玲王といったら凪くん。凪くんといったら玲王。だから話の流れで凪くんのことを出したのは自然のことで。
時刻は夕方18時。太陽が傾き月が光り出す時間帯。つぎ会えるのはいつになるんだろう、なんて考えていたわたしを他所に、玲王は急に黙り込んでしまった。

「…れお?」
「凪のこと気になんの?」

どくん、と心臓が大きく音を鳴らした。
わたしを見つめる玲王の瞳は、随分前に凪くんのことを聞かれたときのあの表情に似ている。

「ぁ…いや?気になるっていうか、」
「お前は俺だけ応援してくれりゃいいから」

そりゃ勿論一番応援しているのは玲王だ。だけどそれを言葉にすることは憚られる。だって玲王がわたしにたいして底冷えた目付きを向けるのだ。声だって随分と低くて、玲王なのに玲王じゃないみたい。

「うん、ごめん」
「分かればいいんだよ。っあ、お前に渡したいものがあってさ」

なんで今謝ってしまったのか分からない。謝るような話題ではなかったと思うのだけど、玲王は謝罪をしたわたしに機嫌を戻したのか小さなショップバックを手渡してきた。

「…これは?」
「なんだろな。開けてみ?」

小さな箱に描かれている誰でも聞いたことのあるブランドのロゴ。初めて彼氏から貰うプレゼントというものに緊張してしまって、箱と玲王を交互に目を移せば無邪気な笑みで玲王は早く開けろ、とわたしを急かす。

「…ねっくれす?」
「そ。お前こういうの似合うだろうと思って。後ろ向いて」
「うっうん」

わたしの手から取ったネックレスを器用にわたしの首につける。グッと縮まった距離に未だに心臓の音が忙しなくなってしまうのをどうにかしたい。
わたしの首元に光る可愛らしいシンプルなデザインのネックレス。玲王がわたしの為に選んでくれたというのが嬉しくて頬が緩む。でも流石にこんな高価な物を貰うのは気が引けてしまう。

「ありがとう。凄く嬉しい、けどこれ高いでしょ?」
「んなのお前が気にする必要ねぇから」
「いやでも、」
「どうしても気になるんなら肌身離さずそれ着けとけ。お前は俺のって証拠だし。誰から貰ったって聞かれたらちゃんと俺から貰ったって言えよ」
「えっ!?」
「ホントは指輪にしたかったんだけど、それはまた今度だな」
「ゆっ指輪!?」
「ハハッ、いー反応」

ケラケラと楽しげに声を出す玲王に、わたしは真っ赤になりながらあぐあぐと口をうまく動かせない。だってこんな映画のワンシーンのようなセリフを述べてしまえる玲王がサマになってしまうのだから。

一拍あけて、玲王はわたしにキスを1つ落とす。

わたしの方が絶対に好きだし、月日が経てばフラれるかもしれない。なんて不安に思っていた時期も確かにある。だけどこの頃になると玲王はちゃんとわたしのことを好きでいてくれているんだなと感じられるようになってきた。会えない日の方が多くなってしまったことは辛いけど、初めての彼氏に初めてのプレゼントを貰えて好きだと口にしてくれるようになった玲王のこと、もっと好きになった。


だけどこの頃に気が付けば良かったって後悔してる。しかしわたしは恋愛経験皆無で玲王以外を知らない。玲王に夢中になっているわたしが、気がつける筈がなかったのだ。






あれからの玲王は新英雄大戦でイングランドチームを選び、その後の試合で活躍が世の目に止まると今では世界で名の知れたプロ選手にまで成り上がった。

日本とイングランド。遠い距離に不安と心配事は今までにないほどつきもので。向こうにはわたしの知らない生活をしている人たちで溢れていて、才能に溢れた彼を放って置く女なんて世に存在するのかなんていろいろ考えては勝手に落ち込んでしまったり。だけどわたしよりも玲王の方が心配性だった。

「俺が電話したら必ず電話に出ること。それとLINEも返信遅いと心配になるから早めに返せよ。あー、あと男との連絡は絶対に取るなって約束な?」
「そっそんな心配しなくても大丈夫だよ。わたしには玲王がいればそれで、」
「すぐに会える距離じゃねぇんだから俺の言うこと聞けよ。…頼むから」

こう言われてしまうと、分かったと言う他なかった。信用されていないのかもと形容し難い感情を覚えつつも、それだけ愛されてるんだなと思えば飲み込める。
わたしが大学入学する際に、イングランドへ連れて行きたいと言ってくれた玲王に断ってしまったことを思い出す。そりゃわたしだってずっと玲王と一緒に居たいと思うし、電話だけでは寂しくてどうにかなってしまいそうな時もある。だけど現実問題うん!行く!とは簡単には返事が出来なくて。あの時の玲王の顔が忘れられない。傷付いたように眉を下げ、口をきゅ、と閉じてしまった玲王の顔。そんな顔をさせたくないと思うから、わたしは玲王の言うことを聞くようになってしまった。


だけど段々と付き合う月日が長くなるに連れ、あれ?わたしの彼氏って普通でない?と嫌でも思い始めるようになってしまった。周りと違うことに気付いたのは大学に入り卒業年の22才を迎えた頃。いや、本当は心の奥底では思っていたけどわたしが考えないようにしていただけだ。

例えば、今わたしが住んでいるマンション。大学生がマンションとはどういうことだと驚くのが普通だと思う。これだって玲王が選んできた物件だ。

「ここに住むのは流石に無理だよ」
「なんで?お前の親には許可取ったけど」
「…え、いつ?ってかそういう問題じゃなくて!」

知らぬ間にウチの両親とも話をつけていたことに顔は自然と引き攣る。だけど御影コーポレーションのご子息だからとウチの親が言い返せるわけもなく。寧ろ父と母には「御影くんは本当にナマエのことを大事にしてるんだな」とニコニコ言われてしまう始末。

「こんな高いとこわたしがバイトしても払えないよ!ウチの親だって流石に、」
「ハハッばーか。俺がお前に払わせるワケねぇだろ。俺がここ選んだんだから」
「で、でも」
「お前はなんも考えずにここで暮らしてくれりゃいいの。そんで俺がオフになって帰って来んの待っててくれさえすればいい。な、簡単だろ?」

契約してしまったらしき部屋には少ないが玲王の私物が置いてある。断るだなんて有り得ないだろと言わんばかりの玲王はそれはもうご機嫌で、わたしの口からは「分かった」と頷く他なかった。

他にも電話やLINEのメッセージ。
玲王だって忙しいはずだが空いた時間には必ず何かしらの連絡をくれる。それは喜ばしいことだとは思うけど、少し返事を返すのが遅れただけでゾッとする程のメッセージ量と着信履歴。

"何してんの?"
"風呂?"
"もう寝てんの?まだそっちの時間だと寝るには早いだろ"
"おい、マジで何してんだよ"
"約束守れって"

玲王よりは忙しくないにしても、わたしだってそれなりの毎日があるわけで。疲れてしまった日には早く寝てしまうことだってあるし、友達とご飯へ行くことだってある。
それを伝えてみると、あきらか不機嫌になってしまう玲王は嘲笑うのだ。

「でもそれ、俺より大事な用じゃねぇだろ?」

この後の機嫌を取ることの方が大変だから、わたしはいつだって玲王の連絡を最優先にしなければならない。玲王も大事だけどそういうことじゃなくて、と言いたいことは喉までくるのに、口にすることは叶わなかった。玲王はイングランドにいて、わたしは日本。今となりにいるはずがないのに部屋の室温が下がる気すらしてしまう。




『いやー、日本に帰れるのはやっぱ嬉しいっすよ。待っててくれる人がいるっていいなぁって毎回思いますね』

玲王がゲストで出演した日本のテレビ番組。最後まで見れずに消してしまった自分に驚いた。
そうしている間に高校時代のわたしと玲王を知る友人からのLINEのメッセージ音。

"今御影くんがテレビで言ってるのってあんたのこと!?"
"ねぇ!結婚したの!?式は!?"

玲王は世間に彼女がいるというのも隠さなくなってきた。頭の良い玲王なら芸能人という括りではないにしろ、こんなことはしなかったはずだ。友人からのメッセージは既読をつけてしまったけれど、どうしても返すことが出来ない。

してない。してないよ結婚なんて。
なんでだろう。ふつう彼女であれば嬉しいと思えるはずのことを、わたしは素直に喜べないでいる。

玲王とは籍を入れてはいない。
確かにプロポーズはされたけれど。

「お前が大学卒業したら、イングランドに来て欲しいと思ってる。…結婚して欲しい」

1年前の長期オフで日本に帰ってきた際のプロポーズ。
夜景の見えるホテルの、静かな雰囲気のラウンジにて。女の子なら誰しも夢見るようなシチュエーションだ。

即座に返事が出来なかったわたしは笑顔を向けるのが精一杯。だけど玲王はそれを肯定と取ったのか、「早く卒業しねーかな」なんてグラス片手に笑顔を向けた。

どうしよう。なんでわたし喜べないの。
好きな人がプロポーズしてくれるって1番幸せなことじゃない。なんで迷ってるの。

そんなわたしのことをいち早く察したのは凪くんだった。
玲王がイングランドに帰る日の見送り。勿論一緒に日本へ帰国していた凪くんも同じ便に乗るとのことで久しぶりに空港で会った。玲王が電話で席を一瞬外した際、凪くんはわたしに口開いたのだ。

「ねぇ、よく泣かないね」
「え?」
「ナマエって昔はなんていうか…玲王が向こうに帰るときすげー泣いてたのに今は泣かないんだなって」
「そっそうだっけ?」
「うん。でもまぁ今のあんたはなんつーか…ああ、アレだ。楽しくなさそう。レオと上手くいってるの?」

驚いた。玲王にバレないように必死で隠していたものが、1年に1度会うかどうかの凪くんにバレると思わなかったのだ。

「やっやだなぁ、あはは!そんなことないよ。ちょっと課題とかで疲れちゃってるだけ!」
「ふぅん。ま、どうでもいいけど。嫌なら嫌って言った方がいいよ。あんた無理して笑ってるように見える」
「あ、」

玲王が戻ってきたが為にこの会話は強制終了となる。心臓が無駄にバクバクと音を鳴らしていて、玲王にも実はバレているんじゃないかと内心気が気でなかった。



…なんで今わたしがこんなことを考えているのか。
明後日玲王が日本に帰って来るからだ。そしてこのオフを機に、玲王はウチの親と自分の親に結婚すると報告しにいくつもりなのだ。

だからわたしは焦っている。
なんでもっと別れを早く切り出さなかったのか。ううん、そもそも別れを切り出せるかすら怪しかった。

徐々に酷くなる束縛は、今では女友達と遊びに行くのですらあまり良い顔をしてくれない。飲み会なんて以ての外。わたしだって皆と同じように友達と遊びたい。そうして大学生活を送っていくなかで知っていく"普通"のカップル事情。

"普通"とは、わたしたちみたいに逐一報告をしなければならないなんてことはないし、連絡だって少し遅れたくらいでは怒られない。異性がいる遊びは別として、同性の子と遊ぶならば楽しんでね、くらいの気持ちで見送る。

「お前はもっと俺を求めればいいよ。俺だけ。俺がいりゃそれで十分だろ」

玲王がよく言っていたこの言葉は、魔法の言葉であり悪魔の言葉だと思う。わたしが分かったと言葉にすれば安心した子供のように体を寄せて甘えてくる玲王が可愛くて、玲王以外の人なんて興味がなかったし、ここまで思われて幸せじゃん、とすら感じていたのだから、恋は盲目って本当にこわい。

明後日玲王が帰国して結婚の挨拶が進んでしまった場合のことをリアルに感じ始めると、自分の人生が左右される出来事に思うことひとつ。



あれ、待って。何回考えても笑っちゃうくらいわたしの彼氏怖いんですけど。



ごめんね、玲王。わたし、ちゃんと玲王が好きだった。わたし以外の女の子に笑顔を振りまく玲王には何度も嫉妬したことがあるけれど、玲王の笑顔を見ると元気になれちゃうから大好きだった。サッカーをして有名になっていく玲王はどんどん遠くのような存在になっていく気もして寂しさを感じつつも嬉しかったし、夢を叶えようと頑張るその姿が好きだった。大きな広い背中をぎゅ、と抱き締めれば嬉しそうに振り向いてくれるそんな表情も好きだった。本当に本当に彼のことが好きだったのだ。だからどんなに玲王の束縛が強くなろうとも我慢ができた。

でも、度を超えた愛情は恐怖である。

メッセージがなる度に心臓が大きく音を立てて、電話が鳴れば一瞬出るのをやめようかと悩んでしまう。宝物であったプレゼントしてくれたネックレス。それが今では鎖にすら見えてしまうんだから困る。そんなわたしが玲王のお嫁さんだなんて絶対に向いてない。

明後日、玲王は帰ってくる。本当はちゃんと面と向かってお別れした方がいいに決まってる。だけどあの玲王だ。そんな簡単に分かったと頷いてくれる訳がない。

だからわたしに残る術は逃げること。

こんなに長く付き合ってこんな終わり方をするのはよくないと承知の上だがこれしかない。善は急げ。わたしは必要最低限の荷物を纏めて思い出深いマンションを出た。

憎いくらいに星が輝く夜道を足早に歩く。まだ玲王は日本にすら戻って来ていないというのに何故か心臓が鳴り止んではくれない。早まる心拍数を落ちつかせたいのにどうすれば良いのか分からないのだ。

とりあえず、実家に帰ろう。
スマホから母の連絡先を出しても発信ボタンを押せなかった。だってウチの親は御影玲王肯定派。実家に帰ればなんで帰ってきたと問い詰められるに決まっている。

友達の家に泊まらせて貰うか、ネカフェに泊まるか。
迷いに迷った挙句、取り敢えず今日はネカフェに行こうと歩を進める。この時間の街中は普段中々歩かないので不思議な感じだ。行ったことはない駅近くのネットカフェ。もう少しで着くというとき。わたしの背後から声を掛けられた。何度も聞いた事のある声音で。


「みーつけた」


振り向くと、そこにはいない筈の彼がいる。
背中がゾッとして、自分の体温が1、2度いや、それ以上下がっていくのが分かる。目の前の男はわたしの顔を見るなりニコニコとした屈託のない笑みで微笑んで、勝手に震え出した足は言うことを聞かない。

「な、なん、」
「ん?サプライズ。早めに帰ったらお前喜ぶかなって。たまにはこういうのもいいもんだろ。ってかダメだろこんな時間に遊び出ちゃ。夜はアブねーから出歩くのダメって俺言わなかったっけ?」
「あ…そ、その」
「ふは、んでそんなビビってんだよ。未来の旦那が帰って来たのにさ」
「……ぁ、」

玲王は笑ってる。笑ってるけれど、目が笑っていない。底冷えした瞳を細めて、わたしにゆっくりと近付いてくるのだ。

「念の為GPSお前のスマホに入れといたんだけど。役にたって良かったわ」
「なに、それ」
「心配性なカレシはお前になんかあったら困るからさ」
「……っ、」
「さ、怒ってねぇから俺らのおウチに帰ろーぜ?」

嘘だ。怒ってる。絶対玲王は怒っている。
きっと青ざめているであろうわたしに対し、玲王は目を三日月形に細めると、耳元で小さく言葉を吐いたのだ。




「お前が悪いよ。お前から告って始まった関係だろ。…頼むから俺から逃げて勝手に終わらそうとすんなよ」






−−−−−−−−−−


「なぁ凪」
「ん?」
「今までにないくらいアイツのこと好きになっちゃったんだけど」
「…そういうの興味ないし」
「いや聞けって。初めはさ、ちょっとこういう系の子と付き合ったらどんなんかなって思って付き合ったけどさ、アイツが俺に対して言葉に出来ないクセにヤキモチ妬いてる顔だとか泣きそうになってる顔だとかそういうの見てたら可愛いなって思えてきちゃって」
「……げぇ」
「大学受かっちまったから我慢してたけど、俺がいない間のアイツのことを考えるとどうしようもなくなるっつーか。俺だけいりゃいいのに友達だかと遊びてぇとか言うし。俺のことだけ考えて俺だけを見てりゃいいのにって思うワケよ。でもさ、口にはしねぇけど段々アイツが離れてくのが態度で分かんの。…俺しか必要ねぇって認識させるにはどうしたらいいんだろうな」




「………それ、流石にヤバいでしょ。レオがあの子いなくちゃ生きていけなくなってんじゃん」






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