ブルロ夢 | ナノ


手馴れた男に要注意 前


数十分前のわたしは、確実にこの店のなかで一番と言っていいほど幸せ者であったに違いない。

「君には僕より良い人がいるよ」

通されたのはカウンター席。目の前の棚には見た事のない酒の瓶がいくつも並べられていて、そこは重厚な雰囲気のあるバーだった。まさにラグジュアリーといった言葉が似合うこのバーで、久しぶりのデートという事もあってカクテルを3杯ほど飲み気分が心地よくなってきたとき、わたしは彼氏に別れを告げられたのだ。

「ん?…えっと、待って」

日常会話をするかのように別れを切り出されたものだから理解がすぐには追いつかず。必死に繰り出したわたしの縋りも虚しく、彼氏であった男は背を向ける。男の淡々とした口調に、初めからコレを言うつもりで今日わたしを呼んだのだろうということだけはすぐに察しがついた。

1人きりになって頼んだばかりの4杯目のカクテルをぼぅ、と暫く見つめる。

付き合って半年。なにがダメだったんだろ。
強制的に元カレとなってしまった男のことを思い出す。今思えば初めからおかしなお付き合いだった。あの男は詳しい職業を聞いたって濁すし、連絡だってまちまち。会えるのは絶対に夜だけで、そもそも半年も付き合っていて家に呼んで貰えたことは1度もない。だけどわたしはその人のことがちゃんと好きで、頻繁に会えなくても遠距離ではないし、全く連絡がない訳でもなかったから、そういう人なんだって無理矢理思い込んで、それから、えっと。

「あの男、お前以外にココへ3人は女連れ込んでるぞ」
「……へ?」
「どれが本命だろうな?まぁ、興味はないが」

悔しくて涙が1粒こぼれ落ちそうになったとき、わたしの考えていた事を口に出されてハッとする。いつの間にか人が隣に座っていたことにも気づかないくらいショックを受けていたわたしは慌てて声がした方へ顔を向けた。

「ぁっと、」

滲んでいた涙は即座に引っ込む。目に映るのは透き通るような金髪に青のグラデーション。わたしの右手側に座っている彼のタートルネックからチラりと覗くその青薔薇。そして、どこかで見たことのある顔立ち。

「みひゃえる、かいざー?」

横にいる男はブランデー片手にグラスの中の氷を揺らす。カラン、と鳴る音と同時に、彼は含みのある笑みをこちらに向けたのだ。

「さぁ?ドウデショ?」

少し首を傾けた彼の、天色の瞳がわたしに向けて細まった。


まって、待って待って。…本物?

一般人のわたしと、サッカー選手。



人生で何度か経験するであろう出会いと別れ。
言葉の意味通り、別れの数だけ出会いもあるわけで。

こうしてわたしはカイザーさんに出会ってしまったのだ。







「お前飲みすぎじゃないか?」
「いいんですっ!今日はヤケなので!」
「ヤケにしろその酒をそんな飲み方してるヤツは初めてだ」

ソルティドッグ、チャイナブルー、シャンディガフ。
お酒の種類に詳しくないけれど、メニュー表の目に付いたカクテルを適当に注文し飲みまくっていた。それはもう女子らしさもなく、ビールを飲む勢いで。隣のお兄さんはその飲みっぷりに若干どころかかなり引き気味に顔を引き攣らせている。

「お兄さんの言うことが本当なら三股かけられてたとかわたしめちゃくちゃ恥ずかしい奴ですね。今日の為に美容院も行ってネイルだって変えたんですよ。バカみたい」
「あんな男に泣く意味がないだろ。どう見たってクソ男」
「なっ泣いてはないですよ!泣きそうになっただけで、」
「同じだ。まぁ別れて正解。半年、だったか?付き合ったの。他の女の影に気付かなかったお前も大概、ってか見る目ないな」
「よっ容赦なさ過ぎぃ…はは」

項垂れたわたしにお兄さんはクスクス楽しげに笑みを浮かべる。このお兄さん、話を聞いてくれるのはとっても有難いがオブラートに包まず思ったことを述べる人だな。しかもそれが正論だから余計と心を抉ってくる。

「お兄さんはあの人と知り合いなんですか?」
「いや?話したこともない」
「そう、なんですか」
「ここ俺の知り合いの店でたまに飲みに来るんだよ。つっても会員制で来るヤツ限られてるから覚えてたってだけだ。男に興味なんかないけどな」
「はぁ…?」

見れば見るほど似ているあのサッカー選手のミヒャエル・カイザーに。瓜二つ、双子だっけ?と思うほど。結局濁されてしまってから聞けずじまいだけど、もしこの彼がミヒャエル・カイザーの大ファンだとしてもここまで寄せられるか普通。

やはり本物…?いやいや、こんな所に有名人がいる訳ないか。それにわたしの知っているミヒャエル・カイザーとは随分と違い、落ちついているように見える。なにより会員制と言っていたけれど今日は週末。周りを見ればそれなりに客は多い。有名人がいたとなれば流石に周りは騒ぐでしょ。わたしは騒ぐ。絶対に。ミーハーなので。

「お兄さん、モテそうですよね」
「なんだ急に。俺を口説こうってか」
「はっ!?ちち違いますよ!いやたださっきも言ったけどミヒャエル・カイザーにめちゃくちゃ似てるからめちゃくちゃモテるんだろうなって」
「ハァ?」

口説くつもりは毛頭なく、慌てた勢いで同じ言葉を2回も使ってしまった。こういう時に出てしまう語彙力の低さ。これでは肯定しているのと同じじゃないか。するとお兄さんは片眉を下げ、おかしい者を見るかの目つきで距離があった体を近付けたのだ。そうしてふわっと香るこの匂いは薔薇の香りだろうか。

「そのホンモノが今お前の真横にいてさっきから男の愚痴を延々聞かされてるんだけどな」
「え?」
「そんで今はプライベートだ。俺の名を大きな声で呼ぶな」

?!??

やれやれといわんばかりに露骨な態度を顔に出すお兄さん。嘘をついている様子は何処にもなく…。

「…マジ?」
「嘘なわけあるか。こんなソックリさんとやらがいたら俺の大ファン過ぎてクソキモい」

ゲェっと舌を出した彼は空になったわたしのグラスを見て酒を勝手に注文する。しかしわたしはそれどころではない。何杯飲んだか数えていないので分からないが、それでもかなりもうアルコールを摂取してしまったはず。だけど一瞬にて酔いが覚めていくのを感じた。

「ごめんなさい。ほんと、すみません」
「何に謝ってる?お前は泣いたり愚痴ったり謝ったり忙しない奴だな」
「泣いてはないっ…ですけど、その、まさかミヒャエル・カイザー…さんだとは思わずこんな私情を愚痴ってしまい、」
「あぁ、なんだ。分かってて知らないフリする下手くそな演技をしてたんだと。っつかフルネームはやめろ」

知らないフリが出来るほどわたしは出来た人間ではない。口調は物腰柔らかに思えるけど、わたしの額には汗が滲む。いま別に暑くないのに。

わたしの知っているミヒャエル・カイザーという人物は、傲慢な態度で有名だということだ。勿論サッカー選手としても有名人なのは分かっているが、わたしはサッカー以前にスポーツ関係に詳しくないのでそこら辺はにわかである。日本からドイツに籍を置いたあの童顔な青年、潔選手だっけ?その子とよく試合中にレスバを繰り返しているというのはテレビで見た。「ほんと世一クンはアシストがお上手ねぇ」だとか「跪けクソ下々」とシュートを打ったときの発言だとか。素直に凄いなこの人、と思ったのを覚えている。なんなら上司にいたら速攻会社を辞めるレベルだなと思ってしまったくらいに。

そんな人にわたしは延々と愚痴を…。

殺されるかもしれん!!

「帰らなきゃっ、大事な時間を使って頂いてすみません!」
「ん?明日は用事でもあるのか?」
「なっないですけどカイザーさんにこれ以上時間を使って頂くのは、」
「別に今更だろ。大人しく座っとけ。周りが見てる。後声がデカい」

立ち上がろうとして周りを見渡すと、カイザーさんの言う通りちらほらと視線が突き刺さる。羞恥心で顔に熱が籠り言われた通り静かに腰を席へと戻すと、彼は「良い子」と口にして頼んだであろうカクテルをわたしに差し出した。

「こ、これは?」

深い赤色に染められ、レモンが飾られたその飲み物。カイザーさんは頬杖つきながら恥ずかしげもなくその言葉を口にした。

「カシスソーダ。カクテル言葉は確か"あなたは魅力的"、だったか?」
「え"っっ」

飲もうとしたその手を口につける前に止める。思わず胸が早鐘をついた。

い、いまなんて言ったのこの人は!

「ぶっ、ふふっ、ははは」
「え?」
「お前チョロくて心配になるな。だからすぐキープにされんだよ。誰に対してもそうなのか?」
「ひどっ、悪魔だ!」

頭のてっぺんからつま先までみるみる内に羞恥心で体温が急上昇していく。対してカイザーさんは相当わたしが面白かったのか未だ声にまで出して笑い続けている。

「…やっやっぱりもう帰ります」
「あ?」

恥ずかしさは境地を超える。いやだって顔が整った人に一瞬でも真顔でそんなこと言われたら誰だって顔を赤く染めるに決まっているはずだ。今日はフラれてからかわれて散々である。よし決めた。愚痴をこぼしてしまったことをもう一度謝罪して家に帰る。てか帰りたい。

だがしかし、席を立とうとすればそれはまたしても失敗に終わる。


「あー…でもあの男が連れてた女の中では一番お前が可愛かったな」


自分に自信があり、余裕のあるモテる男は嘘だって平気でつける。何故なら自分の価値をちゃんと理解しているからだ。ホストだっけ?世界の職業を紹介する番組で、日本の職業紹介してたやつ。歯が浮くようなセリフをつらつら述べる男たちを見ながら、わたしは絶対こんなのにハマらないと思えてた時期があったことを思い出す。だけど考えてみればホストでないにしろ同じだ。元カレもそうだった。好きだよ、可愛いよ、君だけだよ。愛でる言葉を戸惑いもなくいくつも口にしていたっけ。

「…軽すぎて流石に嘘ってすぐ分かります」
「受け取り方はお前次第」

カイザーさんのことをわたしは何も知らない。友達でもなんでもないんだから、テレビの前に映る彼しか知る訳がないのだ。だけど絶対に今日出会ったばかりの女に社交パーティでもなくそんなリップサービスを吐けてしまう男は、軽い男だと思う。わたしの頭が固くなってしまっただけなのかな。


「いいから座っとけ。散々聞いてやったんだから、今度は俺の暇に付き合え」


一瞬の迷いも、この人の前では無になってしまう。

本気にしたらダメだよ。きっと辛い。

だれか分からないけど、そんなことを言われた気がした。





「いつホテルなんて取ってたんですか?」
「今それ言うか?」

あれから更に1時間ほど酒を飲み、送ってくと言ってくれたから着いていけば、名の知れたホテルであった。こんな時間に男女でホテルに入る時点ですることなんて一つに決まっている。慣れた足取りで部屋へと入る彼の後ろ背を見て、絶対に遊び人だとしか言いようがなかった。

「手馴れてる感半端ないです。…送ってくれるって言ったのに、詐欺だ」
「あ?ノコノコ着いてきたお前が悪い。ってか本当にチョロいのね」

なんとか平常心を保って普通に話しているつもりだけど、なんだか全部見透かされている気がする。わたしが睨みを効かせてみたって、彼は動じる様子すらせずフフン、と何処か勝ち誇ったように口端を上げているだけだ。

「…着いて行く人くらい自分で選びますよ」

若干の子供扱いをされ、少しムッとしたわたしは大変おバカな発言をしてしまったことをここに宣言する。
だって、ちょっと、わたしが簡単に誰にでもついて行くみたいな言い方されてしまったから、ついノッてしまったのだ。潔選手、会ったことはないけれど、今ならあなたの気持ちが分かる気がする。

だけどわたしのこの言動は墓穴を掘ることになる。

「へぇ?んじゃ、お前は俺なら抱かれても良いと思ったわけだ」
「へ?っちが!そんなわけっ…んムッ」

言い切る前に唇を奪われる。カイザーさんの舌先が口内にちゅるり、と侵入してきた。薄く開いた唇からわたしの舌先を絡め取り、突然の出来事に息は出来ないし、カイザーさんの胸元をトントン叩いたとてビクともしない。

重なった唇がやっと離れたとき、わたしの息が上がっているのを見て彼はきょとん、とした顔を浮かべた。


「お前、キス下手くそだな。…処女か?」


真っ赤に染まるわたし。
ニヤニヤと愉しげに笑うカイザーさん。


「……」


だっ誰だっていきなりはこうなるだろ!!

けれどもその言葉を口にすることは叶わず。

わたし達の世間に言えないこの関係性は、ムードもへったくれもなくこの日を境に始まりを迎えてしまった。





2度目は1度目と同じホテルにて。3回目と4回目はそれぞれ違うホテル。そうして回数を重ねていく内に、最終的にわたしは彼の家へと足を運ぶようになり気付けば半年。

そう。彼氏(元)には家にも呼んで貰えなかったくせに、わたしはセフレの家にお邪魔するようにまでなってしまったのだ。

確かにわたしが言った。毎回ホテル代出して貰って申し訳ないです、次はわたしが払いますって。毎度カイザーさんの取ってくれるホテルはランクが高いので、それよりは安いホテルになってしまうが、出して貰ってばかりでは申し訳なく思い。

「女に出させるような男じゃないんだけどなぁ俺は」
「そっそういう意味ではなくて!毎回悪いなって!」
「じゃ、俺と会うのを楽しみにしてるナマエチャンには俺の家に来て貰おうかな」
「っ別に楽しみにしてる訳じゃ!」

いつもわたしの発言を斜め上に取ってくるカイザーさんに否定をしようとすれば、彼はわたしの頭に大きな手のひらを乗せた。


「はいはい。俺がお前なら家に呼んでもいいって思ったから言っただけだ。来てくれますか?」


きゅん。

…きゅん?
まるで幼子を宥めるように柔和な口調に、胸の奥でおかしな音がした。

一瞬言葉を忘れかけたように口を開けたわたしに、カイザーさんは人差し指でわたしの頬をぷにん、とつついた。

「顔赤いな。こんなんで恥ずかしがるとか思春期のキッズかよ」
「かっからかわないで下さい!」

ぷーっとバカにしたように笑うカイザーさんに何度わたしはその都度ムキになってしまったことか。

前言撤回。きゅんなんてわたしは絶対にしていない。


とはいえ厄介なことに体だけっていう寂しい関係でもさ、嫌でもその人のことを多少は知るようになるんだよね。ヤってはい終わり、またねという人も勿論いるんだろうけど、カイザーさんはそんなことないから余計と。実の所わたしはこういったセフレと呼べる括りの関係性は初めてだから、それに対し少々戸惑っていたのは事実。

だが安心して欲しい。わたしはチョロいとカイザーさんに思われているようだけど、そこら辺の線引きはちゃんと出来ている…はずだ。




間違ってもこの関係に好きだと感じることは、あってはならない。





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