ブルロ夢 | ナノ


追えば逃げるし逃げれば追われた






当時6歳。怖いもの知らずとはまさにこのこと。


「ねぇお兄ちゃんてボール蹴るのとっても上手だね!今の技みたいなのってなんか名前とかあるの?」


空き地でボールを一人で蹴っていた男の子を見つけて話しかけてから、こんな長い期間片思いをすることになるとは誰が想像しただろうか。当の本人、わたしですら思ってもみなかった。

「ダレだお前。話しかけるな」

わたしの意中の相手になる男の子は6歳の女の子に対しそれはもうカッチコチに凍ってしまったアイスの如く冷たい言葉を投げ掛けた。顔に嫌悪感をこれでもかというほど、顕にして。

その男の子は後のバスタードミュンヘン、ドイツのサッカー界の顔とも呼べるミヒャエル・カイザーことミヒャである。今でこそ愛想笑いなんて得意だろうに、この頃のミヒャはツンツン人間も良いとこで、とにかくわたしだけにはかなり冷たい男だった。

しかしわたしもわたし。
どれだけドライな対応をされようが、この世で一番怖いものは真っ暗な部屋の中でいつ現れるか分からないオバケとお母さんに叱られたときのぐらいのものだった。だからこれくらいのことを言われたくらいでめげる子供ではない。わたしは変なところで肝が据わっていたので。

それから空き地でミヒャを見かける度に話しかけた。だが悲しいことにその都度「クソ邪魔。あっち行け」と何度か言われ、「お前がいると気が散る」と邪険にされ、名前を聞いたって「お前に俺の名前を教える必要はないし、お前の名前もクソほど興味が無い」と罵倒される日々。

だけどそれでもわたしはミヒャに話しかけた。少しの興味本位と、わたし以外で歳の近い子供が近所にあまりいなかったからかもしれない。



……嘘。この頃からわたしはきっと自覚していなかっただけで好きだったんだと思う。じゃなきゃめげるも何も、こんな扱いをされたらわたしだって流石に話しかけないもん。どうにかして仲良くなりたかったのだ。


「…ミヒャエル」
「ん?」
「ミヒャエル・カイザーだ。俺の名前」

そんなある日、ミヒャの蹴ったボールをわたしが追い掛けて拾って持って行くと、ミヒャは諦めたように大きな溜息を吐いて自分の名前を教えてくれた。それがもう本当に嬉しくて嬉しくて。いつも一人言のようにわたしが話しているだけだったから、このとき初めてミヒャが自分のことを教えてくれたことに感激し、わたしの心情これでもかというくらい晴れ渡っていた。例えるならそう、ずっとクリア出来なかったゲームの一面をクリアしたって感じ。

「ミヒャエル…じゃあ、みひゃ!ミヒャって呼んでもいい?」
「クソ嫌に決まってんだろ。おい、離れろ。お前がいると練習が出来ない」
「ミヒャ明日もここに来る?わたしミヒャとお話したいんだけど!」
「なんでお前と約束しなきゃいけないんだよ。お前がいるなら俺は来ない。ってかミヒャって呼ぶな」

抱き着いたわたしにミヒャは即座に腕を退かしわたしからボールを奪い取った。だけど気にせず至極満面の笑みで帰りはミヒャに手を振った。名前教えてくれてありがとう、って。勿論彼が手を振ってくれることも返事もしてくれることもなかったけれど。


そうしてこの日から本格的に、わたしの一方通行片思いがスタートしたのだ。





バスタードミュンヘンに所属する前のクラブチームのメンバーから、わたしは知らぬ間にあだ名を付けられていたらしい。ミヒャにいつも引っ付いて離れなかったから"金魚のフン"。ミヒャに「その通りだな」と鼻で笑われたときは流石に恥ずかしくなった。

初恋は実らない。これは誰が言った言葉か分からないけれど、有名な言葉だ。だけどしょうがないよね。好きになったのが6歳だもの。ミヒャと出会ってから他の男の子がミヒャに勝る人がいないのだ。ミヒャが一番かっこいいし、一番魅力的。だからこうしてあしらわれても、離れることが出来ないのであれば、嫌いになれるはずもない。


「今日の試合、ミヒャ大活躍だったね!あれハットトリックって言うんでしょ?」
「俺が凄いのはクソ当たり前。ってかなんでお前ここにいるんだ。呼んでないぞ」

ミヒャがバスタードミュンヘンに籍を置く前の最後の試合。ミヒャの言う通りわたしは呼ばれていなかったけれど、クラブチームのメンバーの一人が良かったら見においでよと教えてくれたのだ。

「DFのお兄さんがおいでって誘ってくれたんだもん」
「はぁ?…クソ余計なお世話」

この頃になると少しは気を許してくれたのか、それとも諦めたのかミヒャはわたしが隣にいても「帰れ」等の発言はしなくなり、なんなら小馬鹿にはされたりするけれど、普通の会話(罵倒なし)をしてくれるようになった。

夕暮れどきの試合後のグラウンド。選手たちも散らばって残っている人たちは少なかった。ミヒャが帰ろうと歩を進めたから、わたしもそれについて行こうとしたときだ。わたし達の前に出待ちしていたらしい女の子達がミヒャに声を掛けてきた。

「あっあの!」

目の前には3人の女の子。2人はわたしを見て邪魔だと言わんばかりの睨みを効かせ、残った一人の女の子はミヒャを前に赤く頬を染めている。

「ミヒャエル君…きょ、今日で最後って聞いて、その…」

この子の顔を見て、すぐに気がついた。

あ、ミヒャのこと好きなんだ。

わたしがミヒャに恋をしたのはこの子よりきっとずっと前。だけど1歩勇気を出したのはこの子の方が早かった。

彼女はそっとミヒャの前に綺麗に包装されたプレゼントを差し出す。受け取って貰えるか不安そうに目を潤ませながら。

その瞬間、胸の中にモヤッとした感情がわたしを襲ったのだ。ミヒャに女性ファンが多いことは知っていたけれど、こういう場面に遭遇したのは初めてだった。今思えば知らないだけで、もっとあったんだろうと思うけど。


「ああ、わざわざありがとう」


にこりと笑みを見せたミヒャの声音はいつになく優しげで、彼女からのプレゼントをそっと受け取った。いつもわたしが見ているミヒャとは随分違って、わたしはそれに驚き、女の子は安心したのか目に溜めていた涙が流れた。

「おい何してるんだ。置いてくぞ」

その場で絶対お邪魔虫だったわたしはミヒャの声により我に返る。ミヒャの後ろ背を慌てて追い掛けて、背後にいる彼女たちを見ることは当然出来なかった。

とぼとぼとミヒャの後ろを着いていく。
ジャージのポケットに手を入れ歩いているミヒャに未だ胸の気持ち悪い感情を失くすことは出来ずに、我慢が苦手なわたしはつい口にしてしまった。

「ミヒャってモテるんだね」
「はあ?なんだいきなり」
「いや、さっき女の子からプレゼント貰ってたし…可愛かったねあの子」

なんだかミヒャの顔を見れなくて、それでいて口にしたって解決しない胸のモヤモヤ。地面を見て歩いていると、ミヒャは少し背を屈めてわたしの顔を覗き込んだ。

「なんだぁ?お前俺がモテないと思ったか?」
「そっそんなことないけど!」
「いっちょ前にヤキモチって奴?おマセで困るな」

ケラケラ笑ったミヒャは軽いノリで揶揄ったに違いない。いつものわたしなら「そんなことないし!」とムキになるところだったろうから。

「そ、だね。ヤキモチ…かも」
「は?」

顔を上げたわたしの瞳にはきょとん、とした天色の瞳が映った。告白なんてしたことがない。なんせミヒャが初恋なので。多分、自分史上この日が一番心拍数が跳ね上がっていて、声だって震えていた。


「…みひゃのこと、好き」


なんのシミュレーションもしないまま、思ったまま出てしまった告白。

だってこの時、誰かにミヒャを取られるのが嫌だと強く思ってしまったんだもん。あんなにミヒャが優しい顔して笑うこと、初めて知った。他の子にそんな顔見せないで欲しいって、思っちゃったんだもん。


「……アホ。それは錯覚だ」

「……へ」
「早くしろ。俺は試合で疲れてる」


短い返答をサラリと口にし、ミヒャはわたしに背を向け歩く。そうして思ったよりも低い声でわたしの恋を錯覚だと言い切ったのだ。

無性に泣きたくなった。絶対にこの好きは錯覚した恋なんかじゃないのに、わたしの人生初告白はこれにて玉砕してしまったのだ。



諦めなくちゃ、そうやって思うのに、諦められなくて気付けばもうハタチ。わたしは子供の頃からずっとこのミヒャに、恋をし続けている。







「お前は本当に俺が好きねぇ」


初めて告白をしてからわたしが思いを告げる度にミヒャが揶揄うように口にするこのセリフ。

「好きだよ。もう何回も言ってるけど、ミヒャと付き合いたい」
「無理。他を当たれ」

振られ続けた数は片手では収まらない。昔と変わらずわたしの告白は右から左へ流される。今日に至ってはあまりにも女として見て貰えないものだからヤケになって「…この間同じ大学の人に告白されたよ。わたし別の子と付き合っちゃうかもよ」と大バカ発言をしてしまった。まるで彼氏にほっとかれた彼女のようなセリフを述べてどうするんだよ。片思いのくせに。自分で言って思う。痛々しいが過ぎる。

「ふぅん?物好きな男もいるもんだな。生憎俺はガキにはクソ興味がない。モテて良かったじゃないかオメデトウ」

ほらね。やっぱりだ。こんなカマかけしてみたってミヒャは顔色1つ変えてはくれない。なんなら眉ひとつも動かさない辺りわたしが対象外ということはよく分かる。
それでももしかしたらってほんの数ミリ程度の微かな期待をしてしまうのは、目先の彼がやっぱり好きだと思ってしまうからで。

頬杖つきながら片口端を上げるミヒャはいつも楽しそうにわたしを振る。泣きたいのを堪えているわたしの顔を見るのが憐れな小動物みたいで好きだと前に言われたことを思い出す。これについては意味合いの違う好きだから、言われたとてあまり嬉しさを感じることは出来なかったのだけれど。

中々の言われようにほんと、なんで、こんな人が好きなのかってたまに思うけど、好きなものは好きだと自問自答を繰り返し早数年。言動はああでも、それ以上に彼の良いところを沢山知っているからかもしれない。多分わたし、彼の好きなところを1つ上げろと言われたら悩みまくって1日は確定で頭を捻る。

「で?その物好きな男はどんな男なんだ?」
「…そんなのいない。言ってみただけだよ」
「ふっ、だろうな。お前はウソが下手だからすぐ分かる。俺を騙そうだなんて100年早いんだよ」

ミヒャの大きな手が伸びてきて、よしよしされるまでがいつものテンプレ。そんなに歳は変わらないくせに、こんなに差があるように思えてしまうのはなんでだろう。


悔しい。

悔しいのに、好き。


近いようで最も遠いこの距離を、どうしたら近付けることが出来るのかなんて、もう何年も片思いをしている身としましては、分かる気がしないのです。






ミヒャの特別な子になりたくて、努力はし続けてきたつもりだ。服装も、髪型も、メイクも、ミヒャ本人に好みを聞いたって毎度ころころ系統が変わるから、わたしは彼がどんな女性がタイプなのかこれだけ片思いをしているにも関わらず、知らない。

「…遊ばれてるんですよカイザーに」
「知ってる」
「そうにきまっ…え、知ってたんですか!?」
「だっていつもミヒャに笑われるもん。扱いやすくて困るって」

目の前の人物はまぁるいおめめをパチパチと瞬きを繰り返す。くるくるくせっ毛の彼はミヒャエル大好きアレクシス・ネス君だ。

「ってか僕暇じゃないんですよね。これからカイザーの家に行くんです。せっかくのオフをなんであなたに時間を使わなきゃいけないのか…最悪です」
「ごめんて。いやぁミヒャのこと話せるの同じ金魚のフン仲間しかいないじゃん?」
「ハァ?お前と同等な存在にだけはなりたくないですよ!僕とあなたとじゃ格が違います格が!ってか女がそんな言葉使うんじゃねえです!有り得ない!」
「ほんとネスくんわたしには当たりがキツい

ぷんすか怒るネスくんに笑って見せる。
ネスくんはほんとミヒャのことになると語彙力が落ちるというかミヒャのことしか見えていないというか…わたしも周りから見ればそう見えていたんだろうな。やはり、重すぎる。

「で?なんで僕をわざわざ呼び出したんですか?カイザーについてのマウント合戦なら買いますよ」
「そんなんじゃないって。ってかなんでいつもわたしに喧嘩腰なの?」
「お前がいつもカイザーから離れない金魚のフンだからですよ」
「それそのまま返す」

キィッとわたしを睨みつけるネスくんに、注文していた手を付けていないケーキを差し出す。

「は?なんですか、コレ」
「ん?せっかく来てもらっちゃったし、食べて。わたしそれ手付けてないから。ネスくん好きそうじゃん?このケーキ」
「い、いりませんよ!どうせこれでカイザーの件についてどうのこうのしようって魂胆丸見えですからね。こんなんで僕を釣ろうとしないで下さい」
「ネスくんの中のわたしヤバ過ぎない?ってかそんなことなんにも思ってないから」

ネスくんにとってわたしは主役に付き纏うヴィランだったんだろうなぁとアイスティーを飲みながらそんなことを思う。まぁそれはそうか。ネスくんの前でもわたしはミヒャにぞっこんだったから。

「今日で多分もうネスくんとも会うことないから」
「はい?」

ネスくんはミヒャ以外に基本心を開かないことは知っている。だけどケーキに罪はないと悟ったのか渋々シルバーケースからフォークを取るとその手は止まった。

「…どういうことですか?」
「ミヒャのこと諦めようと思って」

本日2度目の瞬きをするネスくん。

「は?…ハハッ、ついにこっぴどくフられでもしましたか?」
「ううん、ミヒャはいつも通りだよ」
「……?」

ネスくんは訳が分からないと首を傾げた。
そうして一際低い声で言葉を放ったのだ。

「…カイザー以外の男が出来たんですか?」

その声音はほんの少し怒気を含んでいて、重たい前髪から覗いた瞳は冷ややかだった。なんでネスくんがそんな顔をするんだろう。いつもは「早く諦めろ」だとか「あなたはカイザーに相応しくありません!」とか言うくせに。てっきり喜ばれてしまうと思ったから拍子抜けしてしまった。

「そんな訳ないじゃん。好きな人なんていないよ。ただ…」
「ただ?」
「めっちゃくちゃ頑張ってきたけど、ミヒャわたしのこと女として見てくれてないんだよね、1ミリも。わたしミヒャが初恋だからさ、なんていうか、引き際が分かんなくなっちゃったっていうか。あれだけ好きって言ってても無反応なんだし、もうわたしを見てくれる可能性は低いんだろうなって」
「……」
「無理って言われて興味ないって言われるし、笑顔でいるのにも限界がきたっていうか、まぁその前にもっと早く諦めろよってネスくんが言う通りなんだけど」

あはは、と空気が重くならないように笑ってみる。だけどネスくんは黙ったまま口を開かない。思い違いかもしれないけど、ちょっと寂しそうな顔するのやめて欲しい。いや、絶対思い違いだろうけど。

伝票を持ち席を立つ。

「今までなんだかんだネスくんわたしの話聞いてくれてたからそれを今日は言いたくて。ありがと」
「……カイザーはそのこと了承済みなんですか?」
「了承?…いや言ってはないけど、まだどうするか分かんない」
「……なんですか、それ」
「もう多分ネスくんと会えることはなくなるけど、テレビの前で応援してる。頑張ってね」
「あ、」

ネスくんは引き止めようとしたのか顔をわたしに向けたけど、その口はきゅ、と閉じてしまった。


そうしてネスくんに別れを告げて家に帰る。
いつものわたしなら頻繁に送っていたメッセージにミヒャから返信返ってきてないかな、とかソワソワしてしまうんだけど、もうこれからはそれも無くなるワケで。



わたしの部屋に、ぼろぼろのサッカーボールがひとつ飾ってある。これはミヒャがわたしにくれた宝物だ。あの日空き地で蹴っていたミヒャのサッカーボール。

『…くれるの?でもこれ、大事なものなんでしょ?』
『その大事なモノをやってそんな喜ぶのはお前くらいだよ。それやるから大人しくしてろ』
『いっ一生大事にする!ありがとうっ大好き!』
『…お前も懲りない奴だな』

昨日のことのように思い出せる記憶は懐かしさと共に今は凄く寂しい。ミヒャにメッセージを打とうとスマホを開く。

だけどなんにも文字が打てないの。

なんだかんだわたしの事をあしらっても最終的にはいつもミヒャはわたしを笑顔にしてくれる。
サッカーをしているときのミヒャは他の選手なんて見えないほど群を抜いてかっこよかったし、わたしよりも随分と高い背のミヒャが屈んでわたしの話を聞こうとしてくれるところも好きだった。
たまにわたしの名を呼んでくれるときは胸が高鳴って、ミヒャがわたしに対して目を細めて笑ってくれる顔も全部全部大好きだった。もっとたくさん、あの日わたしがミヒャを見つけてから大好きだと思うところ、いっぱいある。

視界が滲む。こればかりは仕方がない。
数年間、しつこく迫ってしまってごめんね。
わたしももう大人。いつまでも1つの恋を追って相手に迷惑かけちゃいけない。わたしがいたらきっとミヒャが誰かに恋をしたとき邪魔になってしまう。もしかしたらもういるのかもしれない。…それは分からないけれど。


この日のわたしは一生分泣いたんじゃないかというくらい泣きまくって、気付けばそのまま眠りに落ちてしまっていた。







「ナマエ全然飲んでないじゃーん!」
「飲んでるよ!飲んでる!」
「今日は朝まで飲みまくるって約束でしょーっ!!ホラ飲んで飲んでぇっ!」
「うぇ、いつもじゃん!いつも朝じゃん!!ちょっ待って待ってぇ…」

それからのわたし、遊びまくった。大学のギャルいお友達と共にクラブへ行き朝帰り。流石にあのミヒャエル・カイザーに恋をしているとは周りには言えなかったけれど、それを聞いた友達は「恋を忘れるには新しい恋、するしかないっしょ?クラブ連れてったる」と半ば強引だったけど、外に連れ出してくれたのだ。

確かに重低音のなか慣れないお酒を飲んで酔っ払ってしまえば一瞬は忘れるよ、ミヒャのこと。だけど結局それは一時のもので帰って酔いが覚めれば虚しくなるだけだし、やっぱり思い出す。

一体わたしは何をしたら忘れられるんだ彼のこと。

そんなことを思いながらも強制的に体内へ入ってくるアルコール。

ダメ、これ以上飲んだら絶対吐く。

そんなことを思っていた矢先、見知らぬ男が声を掛けてきたのだ。

「大丈夫?キミ最近ココ来てるよね?」

薄暗い照明に当てられた男の顔を見て、酒に溺れているわたしはポツリと呟く。

「…ミヒャに、似てる」
「え?何?聞こえない」

鳴り響くクラブミュージック。
近付いた男からする香りはミヒャがいつもつけている香水ではない。ただほんの少し薄暗い照明のせいなのか雰囲気と顔立ちが、ミヒャに似ているように思えたのだ。

男は聞こえなかったのかわたしの腰を抱き顔を寄せてきた。くらくらとする視界のなかで力なくその手をどかそうとするも男はにっこりと口端を上げ、耳元で囁く。


「なぁ、抜けね?キミ相当酔っちゃってるっしょ」


「あ、」


断りを口にする前に男はわたしの腰を抱いたまま窮屈な人混みを抜けようと歩き出す。ヤバい、このままじゃ連れて行かれる!そう思った瞬間、わたしの体は誰かによって、男の「は?」という声と共に離された。


「悪いな、コイツは俺のだ」


わたしの体がゆらりと揺れる。
抱き抱えられたと同時に顔をあげると、わたしの目は大きく見開いた。

「み、みひゃ?」

わたしの声にわたしを抱き寄せた男は眉間にギュッと皺を寄せ、憤激しているかのようにわたしを見下ろしていた。

「コイツに酒飲ませたのお前か?」
「え"っ、いや俺はちがっ、」
「どっちにせよ同じだな。俺は今非常に機嫌が悪い。痛い目見たくねぇんならとっとと俺の視界から消え失せろ」

男は青ざめ一目散で逃げていく。この窮屈な狭いフロアの中で一瞬でいなくなった。だけどわたしはそんなことよりもなんでここにミヒャがいるのかが訳が分からず、酔いも回っているせいで幻覚でも見てるんじゃないかと正常な判断が出来ない。

そうしてミヒャはわたしの顎を掴むとここが公共の場であるというのにも関わらず、顔を近づけて氷のように冷たい声音で言葉を放ったのだ。


「よぉメス猫ちゃん。お前あんだけ俺に好き好き言いまくってたくせに急にいなくなって他の野郎に尻尾振ってんのは関心しないなァ?クソ不愉快」
「な、んでここにいるの…?」


ミヒャはわたしの声を無視し、手を引いて足早でクラブを出ようとする。状況が飲み込めず、ふらつく足どりで引かれるがまま着いていくと、道沿いに停められていた車に荒くわたしを乗せた。震える声でもう一度彼の名を呼ぶと、ゆっくりわたしに顔を向けたミヒャの表情に、言葉は喉奥で詰まる。



「お前はすーぐ俺の言うことやることに顔を赤く染めるお子様だからお前が大人になるまでこっちは待っててやってたっつーのに。…バカな女だよ本当、お前も、俺も」




ルームライトに照らされたミヒャの顔。
わたしの瞳に映ったその顔は、酷く嫉妬に駆られ、それでいて寂しそうに顔を歪めたミヒャがそこにいた。









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