ブルロ夢 | ナノ


そんな彼を手放すって無理なお話



※遠距離に耐えられず別れを告げたのに手放すどころかわたしが離せなくなった話


初めて手を繋いだのは中学3年の冬、付き合って2ヶ月目の初デートで、初めてキスをしたのは中学卒業してすぐの春休み、映画を見に行った帰り道だった。初めて体を重ねたのは半年記念日の、日が暮れた彼の部屋で、自分の無力さを痛いくらいに知ったのは、彼が足を怪我してしまったとき。初めて寂しくなって泣いたのは、彼がブルーロックへ行ってしまった後ひとりぼっちになってしまった自室のなかで、これからもずっと彼の一番近くで応援していたいと強く思ったのは、U-20日本代表戦での彼を見たときだ。




こうして思い出せる全ての甘くて苦い思い出は、今も変わらずわたしの大事な宝物である。











芸能人と一般人との恋愛って、一般人側がかなりキツい思いをするんじゃないかとわたしは思っている。

たまにテレビで見る芸能人と一般人の結婚発表。
結婚がゴールという訳ではないだろうが、そこに辿りつくまでにはいろんなアクシデントがあって乗り越えて、やっと掴むことの出来る1つの幸せではないだろうか。

芸能人を彼氏にするということは、余程相手のことを理解し信頼出来なければやってはいけない。つまりそれなりの覚悟が必要ってこと。有名人の周りはやっぱり有名人が多いだろうし、綺麗で可愛く、そこらの女子が羨むスタイルと容姿を持っている女性がわんさかと溢れている。そうすると、彼女側からしてみれば気が気ではない。それにプラスして、会える距離が遠ければ遠いほど、不安は更に大きくなってずっと付き纏うものだろう。そんな不安とは、出来れば仲良くしたくないものだ。


わたしの恋人は、芸能人という括りではないがサッカー選手である。


「別れてぇっていつからそんなこと考えてたんだよ」


狭いワンルームの室内は、重たい空気がどんよりと漂っている。まだわたし達が高校生の頃、賛否両論で世間を騒がせたブルーロックの場で名を馳せたわたしの彼氏は今や国外で活躍する選手にまでなった。

彼氏の名は千切豹馬。中学生から始まったお付き合いは、年数を数えればもう十年を少し超える。他の彼氏彼女に比べればわたし達は一緒に過ごせる時間こそ少なかったけれど、わたしの学生時代は豹馬で埋まっていると言っても過言ではない。

1にサッカー、2にサッカー。
彼の人生はサッカーで埋め尽くされているわけだけど、それで良かったし、そうじゃなきゃ豹馬じゃない。ボールを追い掛けている彼はいつ見ても他のメンバーに目がいかないほど格好良くて、わたしの好きな彼の表情の一つでもあったから。なにより、ずっと努力し現状に満足せずに上を目指し続けることなんて簡単に出来ることではない。だからそんな豹馬のことをわたしは心から凄いと思っていたし、尊敬だってしていた。

豹馬は優しかった。学生時代のブルーロックへ行く前までは部活動で疲れていてもわたしとの時間を作ってくれて、大人になった今ではオフになると日本に帰ってきて真っ先に会いに来てくれる。彼のそんなところが大好きだった。少し意地悪なところは、今も昔も変わっていないけれど。

待ち望んでいたオフシーズンが、もうじき終わりを告げる。そうしたら豹馬はまた、海外へ帰ってしまう。帰ってしまう前にわたしは今日、伝えることがあると前から決めていた。

無音のせいか心臓の音がやけにリアルに聞こえて、冷めきったコーヒーに口を付けてみても喉は潤わないし味もしない。

「……もう、結構前から」
「はっ、なんだソレ」

セミロングの赤髪が揺れる。豹馬の声のトーンから、納得のいっていない表情をしているのが目を合わせていなくとも分かった。

「…この間の、撮られてた写真」
「あ?だからそれは前にも言ったろ。チームメンバーに誘われたパーティで、」
「聞いたよ。なんにもなかったのも…分かってるよ」
「じゃあなんで」

豹馬のイラついた声が耳に届く。
普段会えない分、喧嘩だってそんなにしないから豹馬のこんな声を聞くのは久しぶりで、少し怖気づきそうになった。
終わったことをむし返すのは良くないことだと分かっている。けれどずっと会えない間で考えていたこと。またひとりの生活に戻ったら、きっとわたしは色々と考えてしまうのだろう。それにここまで言ってしまったらもう後には引けない。

豹馬が日本に帰って来る前に撮られてしまったものが、テレビの速報で流れた。わたしではない誰かと一緒に写っている写真が。

豹馬の腕に手を絡めた女性の写真を見たとき、心臓が押し潰されそうになった。その写真に映る女性は横顔だったけど、パッと見でも分かるような綺麗な顔立ちだった。その女性は豹馬のファンらしく、振り払ってもくっついて来た際に撮られてしまった写真だと豹馬は言っていた。
豹馬から謝罪を受けたとき、もう気にしてないとその場では笑顔を作った。声だって分からないように取り繕った。だけど心の中ではめちゃくちゃイヤで、嫌で嫌で仕方がなかったのだ。もうわたしも豹馬も大人だ。わたしが会社の飲み会があるように、豹馬だって付き合いでそういう場に行かざるおえないこともあるのは分かっている。だけどわたしの知らない所で、わたしの知らない女の人といるところなんて見たくなかった。でも結局、豹馬が浮気をしていないというのなら、わたしはそれを信じるしかない。

だけどこれは今回が初めての話じゃない。
数年前にも一度、似たようなことがあったのだ。当時のわたしはそれはもう大泣きで、すぐに会える距離じゃないから余計と電話口の豹馬の声だけでは嘘か本当かだなんて信用出来ずに、彼を責め立ててしまった。今考えても、正直かなり豹馬に迷惑を掛けたと思う。

学生の頃から豹馬は女の子達から好意を寄せられることは何度かあったのに、拭いきれない不安が生まれなかったのはいつでも会える距離にわたし達がいて、豹馬がその都度安心させてくれていたからかもしれない。

「今でも、付き合った頃と変わらないくらいに豹馬のことが好きだよ。…サッカーをしている豹馬はいつだってかっこいいし、もっともっとこれからも活躍して欲しいって思ってる……でも」

豹馬が小さく息を吐いたのが耳に届くと、自然と膝の上で握りしめていたわたしの拳には力が入った。

「自信がなくなっちゃったの」
「…自信?」

こくん、と小さく頷いてゆっくりと俯けていた顔をあげると、深い蘇芳色がわたしを見つめている視線と重なった。

「うん…いつか同じことがあったとき、きっとまたわたし豹馬のこと責めちゃう」
「別に気にしてねぇって言ってんだろ」
「そうだけど、そうやって言ってくれたけど。…テレビなんかでそういう報道を見たら、惨めな気持ちになるんだよ」
「んだよ…それ」
「会えないのは仕方ない、けど、すぐに会えない分どうしても不安になるの。豹馬はわたしだけって言ってくれるけど、また1人になったら不安になる。っ豹馬のこと責めちゃう自分も嫌だし、この先こんな思いをしながら付き合っていくのも豹馬に悪いし、いつか信じてあげられなくなっちゃいそうで怖い。…豹馬は何もないって言ってくれるけど、あんな綺麗な女の人たちばかり豹馬の近くにいると思うとどうしても色々考えちゃって…だから」

"別れたい"

もう一度、小さな声でその言葉を口に出せば、豹馬の瞳は一瞬揺れた。ばくばくと気持ち悪いくらい心臓の音が鳴り響き、無言の数秒が何十分も流れているかのように感じる。
十年以上豹馬の彼女として過ごして来たはずなのに彼のこんな表情を見るのは初めてで、ずっと悩んでだした気持ちが揺らいでしまいそうになる程、今の豹馬は置いてかれた子供のような表情をしていた。


「……帰る」


底冷えた声音が耳を通過するのと同時に涙が出そうになるのをぐっと堪えた。自分で言ったくせに泣くのだなんてお門違いだ。こちらを一切振り向かずにコートを羽織ると豹馬はわたしの住んでいるアパートを静かに出て行ってしまった。

豹馬のいない部屋なんていつもの事なはずなのに、狭い部屋が広くなってしまったように感じる。先程よりもずっとずっと空気が重苦しくて、胸にはぽっかり穴が空いてしまったような気分。

テーブルに置かれた2人分のコーヒーが入ったマグカップを見ながら、暫くぼぅとして、少し泣いた。







豹馬がオフの間は、全部は無理だけど取れる分だけ有給を使うことにしている。休みが取りやすいってのがウチの会社の唯一良いところ。本来ならば今日だって豹馬と過ごすはずだった訳だけど、その相手はもういない。来年からはこの時期に有給使う必要がなくなったなぁと、朝起きてベッドに横になったまま、そんな事を考えていた。

カーテンを開けたら、ムカつくくらいに外は晴れていた。
わたしは朝が弱くて、基本朝はご飯が食べられないタイプだった。だけど社会人になり豹馬とオフシーズンに朝を過ごすことが増えてから、「朝飯くらいちゃんと食えよ」と言われて以来、食べる癖が今ではちゃんとついた。

おかしいなぁ。
コーヒーも淹れて、この間買ったお気に入りのジャムだって塗っているのに、このパンが全然美味しいと思えない。

「っ、…ふぅ」

豹馬がいなくても、毎日が変わる訳ではない。
元より会える日の方が少なかったんだから、これが通常。ただの日常に、彼氏としての豹馬がいないということだけでこんなにも心情の違いに差が出る。

周りのカップルが羨ましいと思ったことも少なくない。
でもそれ以上に、千切豹馬という男はわたしのことを大事にしてくれた。わたしには勿体ない男だった。

「お前こういうの好きそうじゃん」と帰ってくる際には必ずわたし好みの物を見つけてきてくれる優しさも、「俺がいない間に他のヤツにちょっかいかけられねぇか心配なんだよ」とか言って口を尖らす小さな独占欲も、「お前が応援してくれてるってだけで十分だから」と普段は言わないクセに照れ臭そうに言葉にしてくれた彼のことを、今になって鮮明に思い出す。

豹馬に会えるのが嬉しくて、楽しそうにサッカーの話をするのを聞くのが楽しみで、豹馬が帰って来たら美味しいご飯を食べてもらいたくて料理だって勉強して、豹馬が笑ってくれるから、寂しくても会えなくても、毎日を過ごすことが出来たのだ。

「……別れたくなかったなあ」

今更後悔したって遅いことは分かっている。
自分が出した決断なんだから、こうなることくらい初めから予想出来ていたでしょ。

豹馬が帰って来る際は絶対に綺麗な自分でいたくて、美容院に行ったり、メイクに時間をかけたり、そんな自分のことを嫌いじゃなかった。だけど誤報であったとしても、豹馬の隣にいた女性達が脳裏に浮かんでしまうと、醜い嫉妬に駆られるし、一般人のわたしとの差を見せつけられてしまった気がして、胸がどろどろとした感情でいっぱいになってしまうのだ。そうしたら、なんだか自分にたちまち自信がなくなってしまった。

豹馬の周りには綺麗で可愛くて、豹馬に見合う女性が沢山いるって。






目を開けたら、もう日が傾いている時刻だった。
いつの間にかソファで寝てしまっていたわたしは暖房を付けっぱなしにしていたせいか喉がカラカラで、キッチンでコップに水を注ぎ口付けた。

まだ冷めきっていない頭で取り敢えず薄暗い室内の照明をつける。カーテンを閉めて、朝食べ残したパンの食器を片付けて、やっと朝から触れていないスマホに目がいった。


スマホを覗いた瞬間、ぼんやりとしていた頭は瞬く間に冷める。


"お前今家にいる?"
"話したいことあるんだけど"
"返事してくんねぇの?"

これらのメッセージは全て豹馬であり、わたしの心臓が一瞬口から出そうなほど大きく跳ねた。最終メッセージの時刻は2時間前で、慌てたわたしは考える間もなく文字をスワイプした。


"ごめん。寝ちゃってた"











わたしの隣に、昨日別れを告げたはずの男が座っている。
不機嫌そうに胡座をかきながら。

「あっ、えっと…はなしってのは」
「ん、ってかその前に。オマエ昨日の今日でよく昼寝なんて出来るな」
「そっそれは、」
「俺はけっこーお前のことでいっぱいで寝てねぇんだけど?」
「ごっごめんね」

驚き過ぎたせいで先程まんま素直に送ってしまったメッセージについて自分を今更ながらぶん殴りたい。返す言葉が見つからなくて、ぎゅっと自分の唇を噛んだ。
すると豹馬は一拍あけて、物やわらげに笑ったのだ。

「ふはっ、わりぃわりぃ。どうせお前のことだからずっと泣いて寝れてなかったんだろ」

目ぇ腫れてるし。と繋げた彼は、わたしの頭をそっと撫でた。
わたしのことをちゃんとよく知ってくれている彼のこういうところが、ほんとうに狡いと思う。わたしの頭を撫でる大きなその手が離れることはなくて、わたしもわたしでその手を振り払うことは出来なかった。昨日別れたはずなのに、これじゃまるで付き合っているみたいじゃん。

「…ナマエは、俺がいなくて平気?」
「へ?」
「俺は平気になれる気がしねぇんだけど」

思わず目線を豹馬に向けると、彼は困ったように眉を下げて笑っていた。ぱくぱくと口を開けて、きっと今のわたしは変な顔をしているだろうに、豹馬はそんなことを気にもせず薄い唇を開いた。

「俺の夢の為にお前が影で寂しくて泣いてたとき、いつも何もしてやれなくてごめんな?もっと行きてぇとこもあんだろうに、いつもお前は俺の体とか気遣ってくれて我慢させてばっかでさ。彼氏らしいことなんにもしてやれてねぇし、写真で撮られた女達とは誓ってなんもねぇけど、傷付けたこと悪いと思ってる」
「それ、は」
「昨日お前に別れてぇって言われて一人んなってさ、色々考えたんだけどお前がいない生活ってのがこの先考えらんねぇっていうか。お前を手放したら絶対ェ後悔するって思って、だから、その」

豹馬はわたしの両肩に手を掛ける。そうしてお互いが正面を向いたとき、豹馬は一度視線を逸らして大きく息を吸った。緊張しているような彼を見て、わたしも思わず肩に力が入る。


「俺と結婚、してくれませんか?」


息が止まりかけた。

頬が若干染まって見える彼を目の前にして、考えてもみなかった豹馬のプロポーズにわたしの目は大きく見開いて瞬きを繰り返す。

「お前と籍入れたらさ、周りに気ぃ使う必要がねぇし行きたいところも休み次第だけど連れてってやりてぇって思ってる。それにお前が俺の奥さんになってくれたら、堂々といろんな奴らにも嫁って言えるし」
「えっえっと、」
「…でもまぁ俺は今海外に住んでるから、すぐには決めらんねぇことってのも分かってる。昨日の今日だし返事はすぐじゃなくても待つつもりだから。一生に一度のことだしな」

ガシガシとわたしの頭を少し荒く撫でる。展開が急過ぎて胸がいっぱいになっていくのを感じながら小さな深呼吸を一つした。そうして彼の手を取り、そっと握った。

「豹馬の周りの女の人…わたしよりも綺麗で可愛い子いっぱいいるでしょ?だから、」
「普段はそんな機会ねぇし、そもそもお前しか興味がねぇよ」
「っわたしってすぐ泣くしすぐ怒るし、」
「普通じゃねぇの?メンドイとかそんなこと一度も思ったことねぇから分かんねぇけど」

わたしが聞こうとするもの全てに豹馬は先読みして答えていく。口を閉じたわたしに彼は小さく笑った。

「…ひょうまじゃないみたい」
「は?なんでだよ」
「だって、豹馬が素直過ぎるんだもん」

むかしから、彼は言葉足らずなところがあって付き合い初めはそれについても不安になるなんてことも少なくなかった。付き合いの年数が増えていくにつれお互いのことを知ってからは昔よりは自分の気持ちを表に出してくれることも増えたけれど、こんなに沢山わたしについてのことで思っている気持ちを出してくれることはそうそうない。

艶の掛かったいつ見ても綺麗な彼の髪が揺れる。それと同じく、彼の目は細まった。

「好きな女が俺から離れようとしてんだから、こんくらいは素直になんねぇと。ってかお前は自分ばかりが好きみてぇにいつも言うけどさ、俺の方が好きだから」
「へ?」
「毎日お前のこと必ず思い出すし、俺が電話したときお前が会社の飲み会なんかで裏から聞こえてくる男の声とか聞こえてくんの、めちゃくちゃイヤだったつーの。お前だけじゃねぇよ」

ぽかん、と間抜けな顔をするわたしの頬を豹馬はぐりぐりと空いた片手で捏ねくり回す。その感じが、少し拗ねている子供のように思えた。


「…本当は、もっとちゃんとした場でプロポーズするつもりだったのに、俺がわりーけどお前が別れたいなんて言うから。…お前に会いたくて毎回日本に帰って来てんの気づけよアホ」


ぷいっと顔を背けた豹馬に、わたしの目は潤んで遂には滲み出す。キャパオーバーしてしまいそうなくらい豹馬の気持ちを聞けてしまったわたしは、気まずいのか恥ずかしいのか未だに視線を合わせてくれない彼の名を呼んだ。

「ねぇ、ひょうま」
「…ん」
「…なりたい。豹馬のお嫁さん」

今度は豹馬が長い睫毛を揺らして瞬きを数回。そうして見る見る内に真っ赤に染まっていく彼を見たら、わたしの顔には笑顔が戻っていく。自分からしてくれたプロポーズなのに、こんなに慌ただしく顔を染める豹馬を初めて見たかもしれない。


「…別れるなんて言ってごめんね?豹馬がよければ、わたしが一生大事にするから」


豹馬の動きが石のようにピタりと止まった。
そうしてわたしを抱き締めると少々悔しげに言ったのだ。




「…それ俺の言いたかったセリフ」











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