Flying start .3 [ 32/145 ]
「若菜ちゃん、こいつは貰っていくぞ」
「はい、どうぞ」
いきなり肩に担ぎ上げられ目を白黒させる。さりげなく尻を触るのは止めて欲しい。
「ちょっ、何するのよ!」
「うるさい。おぬしは、黙っておれ」
後ろでリクオの声がするが、奴に抱えられては逃げることもままならない。
四十センチ以上の身長差は、肩に担がれただけでもハッキリと出ている。床が遠くて本気で怖い。
「ぬらりひょん、降ろしてよ!!」
私の懇願もあっさりと無視してくれる。自室に連れ込むと、私を床に落とした。
ボトッとお尻から落ちた私は、涙目になりながらぬらりひょんを睨みつける。
「急に何するのよっ! しかも、あんたの嫁ですって? 訳分かんない」
「別に分からんでも良い。ワシは、お前を手放す気なんぞない。どこへも行かせぬ」
腕を掴まれ、畳の上に押し倒される。さらりと流れる銀髪が、視界に入り息を呑む。
首筋に唇が当たり、私は冗談じゃないと身を捩った。
「私は、あんたを満足させるための玩具じゃないわ! 鯉半の時といい、そんなに私が目障りなの?」
「誰もそんなこと言っとらんじゃろうが!」
「じゃあ、何なのよっ! 不機嫌になって畏れ撒き散らして……」
ぬらりひょんが、反対しなければ私は約束を守り鯉半の嫁になっていた。
反対された理由は、「妖怪との間では子が成せない」という鯉半に掛かった呪いが表の理由。
それ以外にも、ぬらりひょんが許さない理由があったのだろう。
鯉半をそれなりに愛してたし、私が誰を好きなのか全部知った上で受け止めようとしてくれていた。
にも関わらず、大反対をくらい結果的に鯉半と結ばれることはなく現在に至る。
本当に何なのだと喚きたくなる。恋人が出来ようものなら邪魔されるし、いつの間にか彼の愛人的ポジションに納まってるし本当に最悪だ。
「もう、いい。ここには来ない」
そう吐き捨ててぬらりひょんの肩を押すと、強く抱きしめられた。
「ダメじゃ! 佐久穂…佐久穂……お願いじゃ。離れていくな」
懇願に近い彼の言葉に、私はつくづく顔の良い男は得だと思う。惚れた弱みと言うべきか強く出れない自分が憎たらしい。
「……別に友達まで止めるとは言ってないわ」
「ワシは、一度たりとも佐久穂を友達と見たことはない」
「何それ、じゃあ妾とでも思ってたわけ?」
怒りのあまり、次第に声が低くなる。片手じゃ足りないくらい体を重ねたが、都合の良い女として見ていたということか。
「ワシが唯一惚れた女じゃ!」
「は?」
彼の告白に思わず目が点になった。今更、言う言葉じゃない。眉間に深い皺を刻む私に、ぬらりひょんは顔を反らし苦々しく言った。
「だから言いたくなかったんじゃ。佐久穂が、ワシのこと何とも思っとらんのは端から承知している。縛られることが嫌いなおぬしだから、言いたくなかったんじゃ」
「珱姫がいるくせに何の冗談よ」
「あいつは、お前の代わりでも良いから傍に置いてくれと自分で言ったんじゃ。嫁に貰う素振りでも見せたら、多少なりと反応があるかと思ったがのぉ。綺麗な笑みと共に祝辞を言われるとはな。あれは、結構傷付いた」
「自棄になって結婚したって落ちじゃないわよね?」
思わず恨みがましい声が出てしまった。私の言葉はどうやら図星をついたらしく、ぬらりひょんは言葉につまり視線を彷徨わせている。
「佐久穂、愛してる。傍に居てくれるだけで良い。どこにも行くな」
「……嫌。傍に居てくれるだけじゃ満足出来ない」
私は、ぬらりひょんの首に腕を絡ませ愛を強請った。
「自棄になって他の女と一緒になるなんて本当バカ……。好き、愛してるわ。だから、ずっと一緒に居て。離さないで」
「佐久穂っ!!」
長い長い片思いが終止符を打ったと同時に、新たな問題が浮上するなど私は思いもよらなかった。
数年後、リクオが大きくなり幼いころに交わした約束を持ち出し迫るなど予想も出来ようか。
「佐久穂は、ワシの女じゃ! 離れろ!!」
「じいちゃんには、ばあちゃんが居ただろう。厚かましいんだよ! それに佐久穂と約束したんだ。僕が、大きくなったら結婚するって。ねー、佐久穂」
私を挟んで取り合いするリクオとぬらりひょんを見た烏天狗が、ポツリと呟いた。
「親子三代に渡って取り合うって進歩がなさ過ぎますぞ」
いや、うん本当にその通りだと思うよ。でもさ、そこで諦めないで欲しい。そして、私をこのおバカ二人から助けて欲しいと切に思った。
完
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