小説 | ナノ

act9 [ 57/218 ]


 久々に私は、家に篭ることにした。休養とは名ばかりで、彼女の心労を軽くするためだ。
 一日中家に居るのは珍しいのか、珱は朝からピッタリと私の傍から離れないでいた。
「珱、そんなにくっ付いていては字が書けないわ」
「うっ……はい」
 しょんぼりと肩を落とす珱に、私は彼女の頭を軽く撫でた。
 構って欲しいのだと体現する珱を放ったらかしにしていた罪悪感もあり、私は筆を置いて彼女に向かって手を伸ばした。
「珱、おいで」
「姉様〜
 ポフンと胸の中に飛びつきゴロゴロと懐く彼女は、まるで猫の子のようだ。
「藍様は、珱姫を甘やかし過ぎです」
「良いじゃない白雪。こうやって甘える場所がないと、心が疲れてしまうわ」
 白雪と呼ばれた真っ白な狐は、胡乱気に珱を睨みつけている。不老長寿の神の眷属である御先稲荷の狐だ。
 縁あって藍が怪我をしている白雪を介抱して以来、彼女は恩を返すまでは傍にいると言って聞かないので珱の護衛を頼んでいた。
「姉様も休んで下さいませ。こうして一緒に居れるのは嬉しゅう御座います。されど、最近の姉様は浮かない顔をしていらっしゃいます。何か悩み事があるのではありませんか?」
 わが妹ながら鋭い。妹が恋敵だと言えるはずもなく、私は曖昧に言葉を濁した。
「悩みがないわけではないけど、そんなに深刻なものではないわ」
「浮かない顔をしている姉様を見ているのは辛いです。相談もして頂けないほど、私は頼りありませんか?」
 ブワッと目に涙の膜ができ、私はギョッとする。助けてと白雪の方を見ると、彼女はツンッとそっぽ向いていた。薄情な!
「そうじゃなくて、その……恋愛関係のことで色々とあるのよ」
「お姉様に好きな方が出来た……」
 一番納得してくれそうな言葉を選んだつもりが逆効果だった。
 珱の目からは、滝のように流れる涙。唇を震わせたかと思うと、彼女は絶叫した。
「嫌です! お姉様は、私のお姉様です。どこの馬の骨ともしれぬ輩に渡したくありません」
「珱姫、そこは祝福するものです。患者ば……他人を優先する藍様が、漸く自分のために悩んでおられるのですよ」
 今、白雪は患者馬鹿と言おうとしたに違いない。慌てて丁寧な言葉に言い換える彼女を睨みつけるが、逆に『本当のことじゃありませんか』と視線だけで返された。
「私を置いて嫁いで行かれるのを想像するだけで泣けます。というか泣きます」
「実際に泣いてますね」
 サクッと白雪が突っ込みを入れると、珱はうわ〜んと大声を上げて泣き出した。
「白雪、珱をからかわないの! 珱もいい子だから泣かない。好きな人が出来たとしても、私にとって珱が一番大切なの。貴女を置いてお嫁に行かないわ」
「じゃあ、ずっと傍に居てくれますか?」
「珱が、お嫁に行くまでは傍にいるわ」
「珱は、お嫁になど行きません。お嫁に行くぐらいなら、姉様の旦那様になります!」
「なに阿呆な事を仰ってるんですか。貴女も藍様も女人でしょうに。藍様、珱姫の教育方針間違ってますわ。常識を一から叩き込むことをお勧め致します」
 キッパリと宣言した珱を微笑ましく思っていたのは私だけで、白雪からは痛烈な突っ込みがすかさず入り泣きを入れたのは直ぐのこと。


 珱姫に貢がれた品を検分していると、お香が出てきた。玉手箱に中に入っていたのは、綺麗な胡蝶が描かれた香立てと数本のお香。
「二束三文にもならないわね」
 着物や簪の方が売れるのだが、香となればお金にすら返られない。買手が居ないのだ。
「姉様、こちらは終りましたわ」
「そう、ありがとう。こっちは、もう少しってところね」
「あら、その手にしてるのはお香ですか?」
 ヒョイと手の中にある香を見つめていた珱が、クンッと匂いを嗅ぎ顔を顰めた。
「私、その香は好きません」
「勿体無い。いい香りなのに……。捨てるなら、私が使っても良い? もちろん、この屋敷では使わないわ」
 甘酸っぱい仄かな香りが鼻腔を擽る。珱が嫌いだと言った香りを屋敷で焚くつもりはない。寺の仮眠室なら誰も文句は言わないだろう。
「私に断りを入れなくとも、ここにあるものは全てお姉様のものです。好きにして頂いて良いんです」
「あははは……」
 珱宛の贈り物を私に貢ぐ彼女にどう言葉をかけたら良いのか思いつかず乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「もうひと頑張りして、近々商いに買って貰いましょう」
「ええ、そうですね」
 私は、珱と共に貢物の餞別を再開したのだった。

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