ガツッと、何もない所で足を引っ掛けたサシャが、俺に向かって倒れこんできた。
たまたま横を通りがかっただけだというのに、何というタイミングだろうか。
咄嗟に腕を伸ばして、支える。


「ナマエ……っ!?」


二の腕を掴み、抱き込むような体勢になった所でサシャがおそるおそるこちらを見上げ、俺と目が合うなりひきつったような声で名を呼んできた。
正面を歩いていた俺に気付いていなかったらしい。その上足を取られるとは、何を考えていたんだか。
至近距離のまま、サシャの顔がカァァと赤く染まっていく。


「すっ、すすすすみません!!」

「えっ?」


叫ぶや否や、ドン、と強く肩を押され突き放される。いきなりな衝撃に、踏ん張りがきかない。
重心が後ろへと傾き、倒れる、と思った所で、俺は咄嗟に離れたばかりのサシャの腕を再度掴んでいた。
溺れるものは藁をも掴む、という奴だ。
道連れにしようと思った訳ではなかった。
そこまで考える余裕はなかった。


「へっ……うわああ!?」

「痛……ぐっ!?」


結果。サシャに俺が支えられる筈もなく、二人で倒れる事となってしまった。
まさに溺藁。むしろ被害が拡大した。
二人分の体重を受け止めた尻と左肘がとても痛い。本気で痛い。泣きそうだ。
俺の胸に顔を強打したらしいサシャも、涙目になっている。


「…………大丈夫か?」

「…………っ」

「俺はものすごく痛い」

「……鼻、打ちました……」


だろうな、とは言えなかった。
さすがにそれは良心が咎めた。
けれど、鼻血は出ていない。怪我はないようだった。無傷でなによりだ。
下手に手を出していれば、最悪折れてしまっていたかもしれない。俺の肘は……大丈夫だよな……?
だ、大丈夫だ。きっと。


「あー……、サシャ」

「なんですか?」

「悪いんだけど、どいてもらってもいいか……?近い」


痛みから立ち直ると、途端に気になったのは距離の近さだった。上体は起こしたものの、サシャは俺の上に乗ったまま。ともすれば、押し倒されているようにも見える体勢だ。
体温、を感じる距離は、やばい。
対人格闘でも女子と組んだ事はないのだ。
下から見上げる、なんてなかなかないシチュエーションも。
やばい、と。よく分からないままに、そう思う。
指摘すると、サシャは物凄い速度で立ち上がった。
先程以上に、顔が真っ赤になっている。


「ち、近いんはナマエの方やし!」

「え……?」

「あんなに近かったから……!びっくりするやろ!」

「ちょ……、サシャ?」


いきなり、聞いた事のない方言が飛び込んできた。
敬語以外で話すサシャは初めてだ。
なんとか立ち上がり、戸惑いながらも宥めようと呼び掛ける。
サシャはかつてない程テンパってしまっているようだ。この反応からして、先日の「当ててんのよ事件」は故意ではなかった事が証明されていた。


「サシャ、分かった、俺が悪かったから」

「っ」

「取り敢えず、落ち着いてくれよ。お願いだから」


これは、まずかったかもしれない。
近付きすぎないように、気を付けながらもどうにか謝罪の言葉を口にする。
とにかく──場所を移したい。
こんな、宿舎の廊下で、これ以上の騒ぎは起こしたくはない。
角から覗いているジャンとライナーは後で口外しないように絞めておこうと思う。



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