11
地獄のような光景だった。
人の死は見慣れている。こちらに来るまでは極々身近な光景だった。
殺し合う事こそが俺達の存在意義であるかのように、戦いを繰り返していた。
直接の感触はないものの、能力を使えばあっという間に人は死ぬ。見慣れていた光景の筈だ。
けれど、これは。
悲鳴がそこかしこから聞こえる。
倒壊した建物、そのすぐ側には全裸の巨人。人を食い、ニタリと笑い、また新たな獲物を探し──
「母さん……!!!」
子供の悲鳴が聞こえた。
声の元を探せば、崩れ落ちた家屋を持ち上げようと力を合わせている二人の子供。母親らしき女が瓦礫に体を挟まれている。
あれでは仮に脱出出来たとしても、足は潰れている可能性が高い。このままでは、三人共が死ぬだろう。
人を食う巨人によって。
なんだ、あのおぞましい怪物は。
数時間前に確かに目にしていた筈のそれは、無害な巨人などではなかった。
人を食う。ただそれだけの違いで、ここまで印象が変わるものか。
"マリア"と呼ばれていた壁は楽に発見する事が出来た。力の代償を支払えない不安は残るものの、今現在何の衝動も湧いて来てはいない。
触れたら溶ける、というフェブラリーの言葉を信じるのであれば、こちらの世界では払う対価が逆になっているのかもしれない。俺の場合、大した問題ではないどころか楽になったとも言える。
確定ではないが、確かめるにはリスクが高い。早く彼女を探し出すべきだろう。本人に訊ねるのが一番早い。
──"壁外"であの二人を置き去りに空へ浮かんだ瞬間、呆気に取られた表情はなかなかに面白いものだった。付いていくと言った俺の言葉を正直に信じていたのだろう。
ぽかんとこちらを見上げる二人の瞳に恐怖はなく、浮かんでいたのはただただ純粋な驚愕。
数秒おいて制止の声が聞こえてきたがそちらは無視した。
調査兵団、と名乗った彼らの本隊の規模を遠目に見た瞬間、話し合いは無理だと悟った。
三時間の距離を、触れられずに移動するのはどう考えても不可能だろう。
俺のような不審者を自由にさせておけるはずがない。
名前を名乗ってしまったのは失敗だったかもしれないが、殺すよりも顔見知りを残しておいた方が合理的ではあった──かもしれない。
どちらでもいい。
問題は、今、目の前に広がる惨劇だ。
壁を越えてみればこの地獄。
フェブラリーを探すどころではない。
「ミカサ!エレン!!逃げなさい……!!」
母親の叫びは届かない。
子供二人は諦めない。
これでは食われる。三人共が。
そこから、何を考えた訳でもなかった。気付けば彼女らの前に降り立っていた。
「あんた、今、空から……?」
ボロボロと涙を流すだけの子供と違い、母親が怪訝そうな声を出す。けれどすぐにそれどころではないと気付いたのか、瓦礫に手をかけ続けている子供二人に視線を走らせ、強い光を宿す目で俺を見上げてきた。
「この二人を連れて逃げてくれないかい」
「何言ってんだ、母さん!!」
「ミカサ、エレンと逃げるんだよ」
「いやだ!」
瓦礫から救う事は出来る。だが、問題はその後だ。
飛ぶのは俺自身だけで正直手一杯だ。他人の重力の増減は出来ても細かな調節は得意じゃない。
今の俺はこの母親に触れられない。同様に子供二人を担ぐ事も出来ない。
言葉で説得する事も不可能だろう。
あの巨人を殺すには項を削ぐ必要があるようだった。自重だけでは動きを止めるので精一杯だ。武器がない。
「…………瓦礫を動かす事は出来る」
「!?」
「本当か!?」
「母親を救いたいなら、ここは俺に任せて誰か大人を探してこい。歩けないんじゃ意味がない。……そこの巨人も俺がどうにかする」
「……っ、信じていいんだな!?」
子供の必死な瞳が俺に向けられる。
母親とよく似た目だな。
「あぁ。急げ」
「……エレン、いこう」
「すぐに戻ってくる!!」
数瞬だけ見つめ合い、すぐに二人は駆け出して行く。……信じてもらえたのか。
二人の背を見送り、母親の方が震える呼気を吐き出した。
ありがとう、と俺へと向けられたらしい感謝の言葉は、安堵だけではないものに揺れていた。
取り繕っていたものが剥がれ落ちたのか、その瞳には涙が滲んでいる。
「あんたも、はやく逃げないと」
「あの二人を逃がす為に、嘘を言ったわけじゃない」
「え……?」
「あんたは助ける」
これでも、人を守った事だってあるのだ。圧倒的に殺し合う事の方が多かっただけで。
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