よしや現し身を焦がすとも

 御手杵が写真というものを初めて見たのは、人の肉体を得たその日に与えられた一冊の本の中でだった。
 それは本丸で生活をするために必要な手引書のようなもので、基本的な規則や建物の見取り図の他、食事や排泄、性処理の方法といった人間の生理的な側面についても細かく記載されていた。
 重要な事項は実際に教えられた方が早いのだが、その手間を省くために用意されたものだろう。本来なら赤子が成長とともに学ぶことを短時間で覚え込ませねばならないのだ。刀剣は道具として人の傍にあるものだからそれなりに人間については知っている。けれども、やはりそれなり程度、なのだ。ちなみに御手杵は流し読み程度にしか目を通してはいない。

 それはともかく、御手杵にとって写真というのは本の中にあるもので。想像もできないような大掛かりで不思議な技術を用いて物体を紙の中に写し込むものだと思っていたから、自分がその中に写るなんて考えたこともなかったのだ。

「なんだそれ?」

 廊下で意図せず出会った女に問いかけた。窓の向こうから差し込む夕暮れが女の姿を橙に染めている。庭から聞こえてくる蝉の鳴き声は、ヒグラシのものだろうか。

「カメラですよ。……写真を撮ろうと思って」

 撮る、という言葉に首を傾げるのと同時に、何かを含んだような言い方に違和感を覚える。けれどもそれを指摘する前に女がカメラを顔の前に持ち上げた。
 パシャリ。軽い音と共に光が放たれる。

「うえっ」
「……変な顔」

 くすくすと笑いながら女がカメラの裏側を見せてくる。そこには、おそらく、御手杵の顔が写っていた。こんな言い方なのは、カメラの中の自分がいつも鏡で見る顔とは少し違って見えたからだ。

「これ、俺か?」
「あなたですよ」

 女は言いながらカメラをケースにしまった。

「写真ってこうやって撮るんだな」
「あなた、昔撮られたことがあるんじゃないですか?」
「んー……あったかなあ」

 昔というのはこうして人の形をとる前のことだろうが、その時のことはよく覚えていない。感覚は今ほど鮮明ではないのだ。
 女はこちらに背を向けて歩いていく。向かう先は一緒で、御手杵はすぐその隣に追いついた。



 カメラが再び登場したのは夕食を済ませた後のことだった。

「少しだけ、付き合ってもらってもいいですか?」

 そう言う女に連れ添って、四十人ばかりの男がぞろぞろと食堂から広間へと移動する。写真を撮ると聞いて、浮き足立ったものが数名。首を傾げた者が少し。半分はそれほど感慨もないらしく、残りはあまり乗り気ではないようだった。
 広間の一辺に詰め込まれるように並ぶ。背の低い刀剣達が前に座り、槍は蛍丸を除いた大太刀や薙刀らと一緒に最後列に立たされた。真ん中のあたりでは打刀と一部の脇差や太刀が中腰の姿勢に悲鳴を上げている。

「主君が中央ではないのですか?」
「私は端でいいですよ」
「けど、大将以外に誰が中心になるんだ?」
「あなたが真ん中でもいいと思いますが」
「僕は主様が真ん中がいいです!」
「そうですか? じゃあ、分かりました」

 そんなやり取りをした後で女はカメラに向かい、レンズ越しに並び方を再度調整する。どこかのボタンを押したのか、カメラの赤い光が点滅を始めた。女が列に加わる。点滅が激しくなり、最後に小さな音が鳴って光が消えた。

「今ので撮れたのか?」
「ええ。……あ、歌仙が半目になってる」
「それは……良くないね。もう一度撮ることはできるかい?」
「出来ますよ。ああ、そうだ。写真を撮るときにはこうやってピースをするんです。せっかくだからみんなでやりましょう」

 人差し指と中指を立てて、他の指を全部曲げた形。どうしてこれが写真を撮る際のポーズになっているのだろう。疑問に思いながらも女を真似る。
 そうして数度取り直して、やっと満足のいくものが撮れたらしい。

「後で印刷しておきますね」
「ねえねえ、主様、これ借りていい?」
「ええ、どうぞ」
「やったぁ! いち兄、一緒に撮ろうよ!」

 女が乱に簡単にカメラの使い方を教え、見る間に一期一振が弟達に囲まれる。仕方ないな、という顔をしながらも、喜びが透けて見えるのが彼らしい。

「大切に使ってくださいね」
「もちろん!」
「ああ、撮るときには『はい、チーズ』って言うんですよ」
「チーズ? さっきのピースもそうだけど、変なのー」

 それから開催されたのは刀剣のほとんどを巻き込んだ撮影会だった。カメラが一台しかないのが残念なほどだ。興味の薄そうな者まで引っ張られて一緒に写真を撮っている。もちろん、さっさと部屋に戻ってしまった者もいるにはいるのだが。

「元気だなあ」

 部屋中から響く声に苦笑しながら、御手杵は隙を見て女の傍に近づいた。

「とても微笑ましいです」
「ん、まあ、な。……にしても、今日も暑いよなあ」
「じゃあ、風にでも当たりましょうか」

 二人で縁側に並んで座り、たわいない話をする。鴨居に吊り下げられた硝子製の風鈴が、時折静かに鳴った。

 撮影会の方はといえば、あれこれしている内にカメラは加州に回ったらしい。ごく普通に写真を撮っていたかと思えば、廊下で女がやったように唐突にカメラを大和守や和泉守へ向けて反応を楽しんでいる。彼はふと、気がついたかのように御手杵達へと意識を向けた。

「そうだ。主も撮ってあげるよ」
「え? 私はいいですよ」
「いーじゃんいーじゃん」

 楽しげに笑った加州がカメラを構えた。それを見た御手杵が身体を女と逆の方向に退けると、カメラの横からつり目がじろっと睨んでくる。

「御手杵どこ行くんだよ」
「え、俺も?」
「うん、お前も。当たり前だろ」

 てっきり主の女だけを撮るのだと思っていたのだが、自分も加わって良いのだろうか。確認するように女に目を向けると、これまた当然だというように柔らかな微笑みが贈られてきた。それならば拒否する理由もない。女の方に身体を寄せ、指を曲げて『ピース』をする。

「笑ってー……はい、チーズ」

 パシャリ。何度目かも分からぬ音が八月の夜に消えた。












 暑さ、とはなんと過酷なものなのだろう。女の部屋で扇風機と対面し、真っ向から風を受けながら意味もなく思考を巡らす。隣の部屋から戻ってきた女が御手杵の様子を見て小さく笑った。先程まで真横で同じように風を浴びていたくせに。
 扇風機の羽が回るのを見つめたまま口を尖らせる。女が何かを差し出してきたのが視界の隅に入った。

「先日の写真、印刷したんですよ。先に渡しておきます」
「ああ」

 そういえば、と頷いて受け取る。他の者には食事の際にでも渡すのだろう。数日前に撮った写真は半透明の小袋にきちんと収められていた。

「ええ……これはいらないって」

 撮影した順なのだろうか。なんとはなしに目を落とした一番上の写真は夕方の廊下で不意打ちに撮られたもので、油断しきった気の抜けた表情の自分が写っている。

「せっかく印刷したのに。……じゃあ、私がもらってもいいですか?」
「こんなの欲しいのか? やるけどさ」
「欲しいですよ。ありがとうございます」

 袋を開け一枚目の写真を取り出す。女が受け取った写真をアルバムにしまうのを横目に、御手杵は次の写真に目を落とした。
 二枚目は本丸にいる全員の集合写真だ。隣の獅子王に付き合わされたのだろう。いかにもこういうことを嫌いそうな大倶利伽羅まで一緒になってピースしているのが面白い。

「……あ」

 三枚目には、女と二人だけで写っている写真があった。肩が触れるくらいの距離で隣り合い、ピースをしながら笑う自分の表情は心なしかぎこちない。女は照れくさそうに微笑んでいる。
 普通の写真だ、と思った。慣れていない刀剣が撮ったものだし、特別に綺麗だとかそういうものでは決してない。
 それでも、何故だろう。この写真を見ていると御手杵は不思議な気持ちに襲われてしまう。どう表現したらいいのか分からない。不快なものでは全然ないのに、少しだけ胸が締め付けられて、苦しいような気さえする。
 そういえば、どうして彼女は写真を撮りたがったのだろうか。女が審神者となり、御手杵が呼び出されてから今までずっと、カメラなんて持ち出したこともなかったのに。

「なあ」

 その答えを聞けばこの感情にも名が付くかもしれない。そう思って御手杵は顔を上げ、考える間もなく呼びかけていた。
 でも、その一瞬の間に見てしまった、アルバムを見つめる女の目が余りに愛おしそうだったから。それでいて、少しだけ切なげだったから。御手杵の唇からは彼女に問うための言葉が消えてしまったのだ。

「はい。なんですか?」

 女がこちらを見て、不思議そうに首を傾げた。その表情は平素と変わらぬ優しげなもので、大人しく御手杵が話し出すのを待っている。
 しかし、既に呼びかけた目的はなくなってしまっていた。なんでもない。そう口にしようとする。

「大切にする」

 だが、口を衝いて出ていたのはそんな言葉だ。
 女は少し驚いたようだった。言った当人の御手杵でさえ驚いたのだからそれも当然だろう。長い睫毛が震える。それから、くしゃりと顔が緩んだ。

「私も、大切にします」

 大切にする、なんて。こんな紙切れ一枚を。
 そう思う自分がどこかにいた。自分の発した言葉に、自分が一番戸惑っていた。

 けれども、もしかすると写真を見ていた時、御手杵も女と同じ顔をしていたのかもしれない。それならきっと悪い感情ではないのだろう。
 夏の暑さに溶けそうになる。心の中で繰り返し呟いたその言葉は、どこか祈りに似ていた。





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