青い鳥が飛んだ頃

※高校卒業あたりの過去を多大に捏造しています




 講堂の前は、もう随分と人が減っていた。つい一時間ほど前まで、胸に花を付けた卒業生や、別れを惜しむ在校生、小綺麗な礼服を纏った保護者達で賑わっていたとは思えない。それに加え、各所のヒーローやマスコミ連中までもがいたのは、さすが雄英と言ったところか。
 轟炎司は、講堂の前のベンチに一人で座っていた。両親には、クラスメイトと卒業祝いのパーティーをするのだと伝えていた。クラスメイト達には、家の都合で参加できないと伝えていた。
 こんなに目立つところで待っているのに、あいつは今だに来やしない。おかげで、見知らぬヒーローや記者に何度も話しかけられる羽目になった。
 最近暖かな日が続いていたためか、誂えたかのように満開の桜が卒業生を見送っている。はらりと舞い降りた花弁が膝の上に降り立つのを眺めながら、炎司は深いため息をついた。
 在学中から職場体験やインターンでヒーロー活動の一端を担うことはあったが、炎司の……エンデヴァーのヒーローとしての始まりは、ここからだ。学び舎を発つ。子供だからと言って庇護される期間は終わった。自分は雄英高校で学ぶべきことを学び、成すべきことを成した。その自負はあれど、いざこの節目に立ち会うと、心が良くない張り詰め方をしてしまう。
 しかし、幸運なのは、その解し方を知っていることだ。
「センパイ」
 その声は、炎司の後ろから聞こえてきた。上体を捻って振り向き、雄英の制服を纏った女子生徒をその目に捉える。
「随分と遅い登場だったな」
「……センパイ、もういないかと思いました」
 炎司はフン、とわざとらしく鼻を鳴らした。
 女子生徒……あまねは、誤魔化すような笑みをその顔に浮かべた。ベンチを回り込むようにしてエンデヴァーの前までやって来ると、人の字を飲み込むようにごくんと喉を鳴らす。そして、わざとらしく背中に隠していた腕を前に押し出して、言った。
「卒業おめでとうございます」
 両の手で大切そうに握られているのは、可愛らしい花束だ。小ぶりの淡い花でささやかに彩られたそれは、十人中九人がエンデヴァーには似合わないと言うだろう。そうだ、この後輩にはどうにもこのようなところがある。十人のうちの残りの一人なのだ。
「ありがとう」
 しかし、今日くらいは、小言も無粋か。
 花束を受け取ると、あまねはパッと顔を輝かせた。炎司の幸先を祝う、心からの笑顔だ。
 炎司はそれを眩しそうに見つめた。正直なことを言うと、この弱々しい後輩は泣いてしまうのではないかと思っていたのだ。自分の卒業式でもないくせに。……自分との別れを惜しんで、というのは、調子に乗りすぎかもしれないが。
「センパイがいない雄英なんて想像できないです」
「そんなことを言うのはお前くらいだろうな」
 雄英は国内一のヒーロー科と名高いが、上下の繋がりはそれほど深くはない。要は、究極的に個人主義なのだ。チームワークを軽視するわけではないもの、体育祭でさえ学年混合の競技などはなく、学年内での個人戦が主となっていた。
 だからこそ、入学したばかりのあまねがテレビで見た体育祭でファンになったと話しかけてきた時、とても驚いたことを覚えている。それから卒業までほぼ二年、付き纏われることになるとは、よもや思いもしていなかった。
 あまねが「先輩」と呼ぶ相手が、自分しかいないことを炎司は知っている。それと同様に、炎司にとってもまた、「後輩」と言うべき相手はあまねくらいだった。
「腹が減ったな。どこか行くか」
「え……」
 卒業証書は両親に預けたし、その他の荷物は前日までに既に持ち帰っている。炎司の荷物は財布と、あまねに貰った花束くらいだ。身軽な格好で立ち上がったところで、あまねが不思議そうな顔をしていることに気づいた。
「クラスの人で集まったりしないんですか」
 そんなことを聞いてきたあまねに炎司は呆れ顔になる。
「そのつもりならとっくに行ってるぞ」
 この分だと、もしかするとあまねを待っていたということにすら気がついていないかもしれない。そう思ったところで、本当に口に出されてしまった。
「……もしかして、私のこと、待っていてくれたんですか?」
 一つ一つ噛みしめるように問いかけられた言葉は、自信のなさの現れか。あまねの表情は不安と期待の間をふらふら揺れ動いている。
 炎司は容易につむじの見える位置にあるあまねの頭に手のひらを置き、髪を乱すようにくしゃくしゃと撫でた。
「意味もなく座っているほど、俺が暇に見えたのか?」
 信じられない、というようにあまねの目が見開かれた。こぼれ落ちそうになった瞳の縁に、じわじわと涙が滲んでいく。下睫毛に乗った雫が弛み、やがてぽたりと垂れて頬を伝っていくのを見て、炎司はぎょっとする。
「お、おい……こら、泣くな!」
「うぅ……っ、……」
 あまねは唸るように言葉を喉の奥に押し込めていたが、決壊はすぐだった。
「でも、そんな、っ……わああああん無理、むりですよぉ……!」
 大泣きだ。声を上げて、時折嗚咽を漏らしながら、子供のようにわんわんと泣いている。
 果たして、自意識過剰ではなかったことを喜ぶべきか否か。
「センパイ、っひ、なんで卒業しちゃうんですか……、う、うぅ、やだぁ……」
「無茶を言うな」
「でもヤダぁぁ……っ」
 涙を拭えるものなど、制服くらいしかない。どうせもう着まい、と炎司は制服の袖をあまねの目元に押し付けた。
「しかも、なんでよりにもよってサンヒート事務所なんですかぁ……わたしっ入れないじゃないですか……っ、わあああん!」
「お前はどこまで俺を追いかけてくるつもりだ」
 サンヒート事務所は、炎系最強と名を馳せているヒーロー、サンヒートの経営するヒーロー事務所だ。特徴として、炎系のヒーローのみで構成されていることが挙げられる。
 新米ヒーローは、既に活動しているヒーローのサイドキックから始めて経験を積むものだ。炎司も例外ではない。ただ、ヒーロー科主席であり、即戦力と言われている炎司にふさわしい事務所は自ずと限られる。それだけの話だ。
「次は三年生だろう。そろそろ、自分の将来を考えたほうがいいぞ」
「うぅっ、センパイ、一見脳筋なんだからっ、ぐすっ、まじめなこと言わないでください」
「口の減らない奴め」
 号泣する女子生徒とガタイの良い男子卒業生の絵はそれなりに人目を引いていただが、話しかけてくるような不躾な人間はいなかった。卒業式の後でなければ、ヒーローを呼ばれてもおかしくないなと炎司は頭の片隅で考えた。
 少しは落ち着いたのか、あまねは炎司の袖に埋めていた顔を上げる。
「センパイのばか……」
「馬鹿とは何だ」
 目元は赤くなっているが、こちらを見つめる瞳には強い力が込められていて、炎司は思わず見入っていた。
「バカはバカですーーー。だいたい、何百回考えてもっ、センパイと一緒にヒーローになりたいって答えになるに決まってるじゃないですかっ!」
 予想だにしていなかった言葉に、瞬間的に頭が真っ白になる。
 実際のところ、雄英の校風は炎司に合っていた。彼は一人で強さを追求し、一人で最強になろうとしていた。勿論、求められればチームワークが必要とされる仕事もそつなくこなすだけの技量はある。だが、それは誰かと共に戦っていくという意味ではない。己の精神的支柱たりうるものは、己の中にしかない。炎司はそう信じていたし、その支えの一端を人に求めることや、ましてや人から求められることなんて、考えたこともなかった。
「……そうか」
「そうですよ!」
 必死に絞り出した返事に対し、あまねはそれだけ言ってまた泣き出した。次に彼女が泣き止むまで、炎司は黙ってハンカチの代わりに徹していた。
「分かりました」
 ずぴ、と鼻をすすりながらあまねが言った。ろくでもない考えなのだろうと思いながら炎司は続きを促す。
「わたし、卒業したらヒーロー事務所設立して、センパイを引き抜きます」
「馬鹿者が」
 思わずそう言ってしまった自分は悪くないはずだ。
「ひ、ひどい……」
 あまねは目をうるうるさせてこちらを見ているが、世の中の酸いも甘いも知らず、各所とのコネもない高卒の分際で事務所を回していけるわけがない。そもそも、自分はそんな地場の不安定な事務所に入る気はない。だから。
「俺が独立したほうが早い」
 一瞬の沈黙の後、あまねの周りにぶわっと花が舞った気がした。黒目がちな瞳がきらきらと輝いて、興奮のためか肌が赤くなっている。
「それっ、炎系しか雇わないとか言いませんよね!」
「制限してほしいのか?」
「フリーで行きましょう!」
 あまねは喜色満面で手のひらをぐっと握り込んだ。
 心配しなくとも、どこにいようとこちらから引き抜いてやるつもりだ。炎司はあまねの強さを認めている。勿論、その時まで鍛錬を怠っているようなことがあれば容赦はしないが。
「センパイ、わたし、強くなりますから! たくさん勉強して、訓練して、No.1ヒーローになりますから!」
「残念だが、それは叶わないな。No.1になるのは俺だ」
 そう言うと、あまねは大きな目をにんまりと緩ませ、ふふ、と堪えきれない様子で笑みをこぼした。
「そうですね!じゃあNo.2ヒーローに甘んじてあげましょう!」

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