愛おしく思う気持ちのままに、あなたを愛せますように

「キスをしましょう」

 と、女は唐突に切り出した。
 夜食のいなり寿司を咀嚼する。最初に教えられた行儀を守り、きちんと食べ終えてから初めて、御手杵は口を開いた。

「なんで?」
「もう、恋人同士のキスに理由を求めるなんて、無粋ですよ」

 女は口を尖らせているが、そうは言っても今まで数え切れないくらい唇を重ねてきたのだ。キスをしましょう、なんて、そんな宣言自体が無粋なんじゃないかと御手杵は思う。

「まあ、心理テストのようなものですよ。キスはする場所によって違う意味が込められているらしくて。三箇所にキスをしてもらって、それでキスをした人が相手に対してどういう感情を抱いているのかが分かるみたいです」
「ふーん……」

 心理テストというものに馴染みはなかったが、女の説明で大体は理解は出来た。けれども、興味が引かれたかというとそれは別で、自分が彼女に向けている感情など傍から指摘されるまでもなく思い知っている。

「三箇所って……そんなにキスする場所あるか?」
「どこでもいいんですよ。手でも、胸でも、お腹でも、足でも……」

 細い指がつつ、と長いスカートの裾を持ち上げる。御手杵は無言でその手を掴み、僅かに目を逸らしながら白いふくらはぎを再び覆い隠した。桜色で囲われた口の端が上がる。この女は思い出したかのように御手杵を困らせてはその反応楽しんでいる節があった。

「お手本、見せてあげますよ」

 それはとても気まぐれな行動で、実際に女は次の瞬間には何事もなかったかのようにくるりと身を翻し、御手杵の正面に回った。黒い目がきらきらと輝いている。

「でも、あんたは答え知ってるんだろ?」
「ええ。ですけど、知らなかったらという体で。私なら、ここにするだろうな、って場所に」

 女の腕が蛇のように首の後ろに絡む。弧を描いた唇はまっすぐに御手杵の唇へと向かった。音もなく、ふわりと唇が重なる。

「……最初っからそこなのか」
「意味、想像で分かりそうですよね」

 続いて、小さな頭が男の鎖骨の上に潜り込んだ。さらりと流れる黒髪がくすぐったい。

「ん」

 柔らかなものが首筋を軽く食んで帰っていく。
 それから、赤い唇は輪郭に沿うようにして耳たぶに辿り着いた。甘酸っぱいリップ音が鼓膜のずっと奥に残される。

「はい、あなたの番です」

 触れるだけの優しいキスが三つ。やや気抜けしながら、御手杵は離れた唇を目で追った。

「服、捲ってくるかと思った」
「やだ、私をなんだと思ってるんですか」

 女がころころと笑う。気づかぬうちに、自分も随分と毒されてしまっていたらしい。
 選択肢を増やすためか、女は両足を前に伸ばして座り直した。開いた太腿の間に両手をちょこんと置き、期待に満ちた顔で男を見つめる。

「あー……目、閉じろよ」

 そんなに熱い目で見られては、やりづらくて堪らない。
 キスをしないという選択肢はなかった。心理テストの結果が知りたいわけではないし、恋人の可愛らしい望みを叶えてやりたいという殊勝な男心ともまた違う。女の言った通り、恋人同士の口づけに壮大な理由などないのだ。

 どの場所にするべきか、御手杵は少しだけ迷った。とはいえ、衣服の裾を捲り上げて腹や足に口づける気は微塵もない。女の膝の間に身体を割り込ませて、ぐっと顔を近づける。唇が胡粉を塗ったように白い頬に触れる。
 一つ目のキスが終わっても女は動かないでいた。微動だにせず大人しく待っている姿は、まるで人形のようだ。美しい布で着飾られているわけでもないのに何故だか御手杵はそう思う。彼は二つ目のキスを伏せられた瞼の上に落とした。
 すると、眠りから醒まされたように長い睫毛が震えた。慎ましく引かれていた顎がこちらを向く。きゅ、と結ばれていた唇が緩み、深い夜の色が御手杵を見上げた。

「次は?」

 艶めいた唇がつんと軽く突き出される。露骨な誘いだ。何を求めているのかが考えるまでもなく分かってしまう。

「……そーゆーのって、ずるいと思うんだが」
「なんのことです?」

 清純さを取り繕った女の口元には笑みが湛えられている。すっとぼけた顔。意表を突いて太腿にでもしてやろうかと一瞬考え、やはりそんなことはできそうにないと頭を振る。
 雪と同じくらい白い頬に手を添える。女の瞼が下りるのを視界に捉えながら、御手杵はその唇を奪い取った。
 一度触れてしまえば、途端に手放すのが惜しくなる。これまでのものよりも少しだけ長い時間、ひとつの生き物のように影を重ね、それでもまだ足りないと感じながら身体を引く。

「……これでいいんだろ」
「はい」

 女の顔が抑え難い様子で綻んだ。何百回目かも分からないキスだ。そんなに純粋に喜ばれてしまうと、嬉しい半面、むず痒い気持ちにもなる。

「ああ、そうだ。キスの意味なんですけれど……頬が親愛、あるいは厚意。確か、瞼が憧憬で、唇は愛情です」
「ふーん……」
「私は唇にしてもらえたので満足ですよ」

 無関心さをありありと押し出す御手杵とは対照的に、女は花びらが舞いそうなくらいご機嫌な様子だ。あからさまに誘導していたくせに。だが、彼女が目を伏せたまま待っていたとしても、きっと自分は同じ選択をしていたに違いなかった。

「あんたの方の意味はなんなんだ?」

 なんとはなしに尋ねる。すると、彼女は一瞬だけ唇を内に折り込むようにして黙ったあと、わざとらしく自分の頬に手を添えて言った。

「秘密です」
「はあ?」
「だって、自分の深層心理を知られるなんて、恥ずかしいじゃないですか」

 誤魔化すように笑っているが、何故そこで照れる必要があるのだろう。もっと恥じらってもいい状況があったはずだ。特に、御手杵を困らせて遊ぶ厄介な癖に関して。

「なんだかなあ……」
「いいじゃないですか。私があなたを大好きなことだけは、はっきりしてるんですから。ね?」

 男の苦悩を別の意味で受け取った女は、甘えるような仕種で御手杵の胸に身体を寄せた。そんな身勝手なところが小憎たらしくもあり、愛らしくもある。いつも通りの敗北を悟りながら、御手杵は女を抱きしめた。




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さにわ→御手杵
唇(愛情)、首すじ(執着)、耳(誘惑)

御手杵→さにわ
頬(親愛、厚意、満足感)、瞼(憧憬)、唇(愛情)

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