幼女になったよ

 デスクワーク、とやらは性に合わない。
 槍の本分は戦場において敵を貫き、その命を奪うことだ。決して狭苦しい執務室で書類やディスプレイに向かうことではない。性に合うほうがおかしい。
 だが、本丸で人の姿を取るようになっていくらか慣れはした。今回のこの役目も、昔ならありえなかったことだろうが、御手杵が自分から志願したのだ。直前まで近侍を勤めていたこともあり、引き継ぎの手間も省けるだろう、と。
 とはいえ、部屋にこもっていると肩は凝るし、足は痺れる。目もなんだか疲れてきて、なんでもいいから外に出て暴れ回りたい。ため息をこぼしつつ、御手杵は自分がここにいる『理由』に視線を落とした。
 すぅ、すぅ、と小さな寝息が聞こえる。そっと手を伸ばすと、ふっくらとした頬が指の腹に押されて僅かに沈み、淡い色の唇がふにゃふにゃと動いた。そんな無意識のしぐさに、胸に溜まりつつあった澱みは消え、心はふわりと和らいでいく。
 仕方がない、もう少し頑張るか。気を取り直して書類に向かったところで、障子の向こうから声が掛かった。
 そろそろ帰ってくる時間だったか。時計を見上げ、御手杵は入室を許可する。

「失礼します」

 姿を現したのは第二部隊隊長、堀川国広だ。先刻、敵の大将を倒したとの報告を受けた。その時にあらかたの負傷状況も聞いている。

「第二部隊帰還しました。主さんは……あ、お昼寝中ですね」

 堀川は身体を傾け、胡座をかいた御手杵の膝元に目をやった。
 彼女のさらりと指通りの良い髪を撫でる。まだ目覚める様子はない。

「連れてくよ。手入だよな?」
「うん、鯰尾と歌仙さんが軽傷。他は無傷です。一応、二人は手入部屋に向かわせてます」
「分かった。すぐ行く」

 そろそろ座りっぱなしも辛くなってきたところだ。腕を前方に伸ばし、ぐっと伸びをする。その様子を見ていた堀川が、ふっと笑みをこぼした。

「どうしたんだ?」
「ううん、その姿になってもやっぱり御手杵さんの傍が一番落ち着くんだなって思って」

 堀川は穏やかな目で、御手杵とその膝の上で眠る主を見つめている。

「そう見えるか?」
「見えますよ」

 そんなに微笑ましげな表情で言われると反論もできない。
 そうでなければ困る、とは思いつつ、実際に周りから言及されるのは少し照れくさいものがある。御手杵は目を逸らしながら曖昧に笑い返した。
 この本丸の審神者は二十を過ぎたれっきとした成人女性だが、今、彼女は四歳児程度の体格にまで縮んでしまっている。身長は御手杵のおよそ半分。外見とともに、中身も年相応に退行している様子だ。
 原因は本丸のシステムのエラーだという。稀ではあるが時折生じる現象らしく、前例から政府には数日で元に戻るだろうと判断されていた。
 そんな彼女は今、御手杵の膝を枕に、すやすやと夢の中だ。

「それじゃあ、僕はこれで。報告書は夕食前に提出します」
「ああ、おつかれさん」

 堀川を見送り、手早く机の上を整頓する。
 御手杵がこうして執務室にこもっているのは彼女のためだ。霊力は以前のままだが、彼女が普段行っている事務的な作業は今の主には当然できるはずもなく、代行する者が必要だった。だが、より正確に言うならば、不安定な状態にある恋人を自分の目の届かないところに置いておくのが嫌だったからに他ならない。

「あまね」

 頭を撫でると、小さな身体がころんと寝返りを打つ。先程の堀川との会話が意識に入り込んでいたのかもしれない。もう一度名前を呼べば、彼女はむにゃむにゃと眠たげに瞼を持ち上げた。

「おてぎにぇ……?」

 小さな唇から発されたのは酷く幼い声だ。普段の彼女を知っているだけに、その舌足らずな喋り方に御手杵は思わず笑ってしまった。

「出陣してた奴らが帰ってきたぜ。怪我してるから、治しに行ってあげような」

 その言葉を聞き、眠そうに目を擦っていたあまねがぱっと身体を起こす。

「ていれ?」
「ああ」
「はやくいかなきゃ」

 寝起きの身体で、あまねはぽてぽてと障子のほうへ近づいていく。
 だが、数歩も進まないところで立ち止まると、その身体を丸め、

「くしゅっ」

 と、小さなくしゃみをした。
 続いて、うう、と唸るような声が聞こえる。

「寒いのか」

 部屋自体は暖かいが、眠るのなら自分の腰布だけでは不十分だったようだ。反省しつつ、御手杵は新品の小さな上着をあまねに着せ、長いマフラーをぐるぐると何重にも巻いてやる。

「へーきだもん」

 頬を膨らませながらあまねはそんなことを言うが、寒いのは事実だったらしい。抵抗もせず、大人しく防寒具を着させられている。
 これでよし。厚ぼったい布地のせいで着膨れてしまっているが、寒くて風邪を引くよりはいいだろう。満足して頷いたところで、あまねの足元が気にかかった。甲の部分にピンクのうさぎが描かれている靴下。それは可愛らしいのだが、冷たい廊下を歩くには些か心もとないように思える。それなら、と、御手杵は彼女に向かってその腕を大きく広げた。

「ほら、だっこしてやるから」
「っ、ぅや! あるけるもん……」

 あまねがぷいっと顔を背ける。反抗したい年頃なのか、子供扱いをされたくないのか。自分のことを嫌っているとは、流石に御手杵は思わない。
 自分が連れて行ったほうが歩幅から考えても早いに違いない。そう思って手をあまねの背中に回すが、ばたばたと暴れられてしまった。

「へーきだってばぁ!」
「そうかそうか。俺は寒いんだけどなあ」

 ワガママな子を宥めようと思惑を持って口にした言葉だが、どうやら正解を引いたらしい。
 あまねはぴたっと動きを止め、ぱちぱちと瞬きをして小首を傾げる。

「おてぎね、さむいの?」
「ああ、寒くて凍っちまうかもしれねえ」
「だめ」

 今までの抵抗など嘘のようにあまねは自分からこちらに向かって飛びついてくる。御手杵は彼女を傷つけないように抱きとめ、柔らかな髪をそうっと撫でた。

「さむくない?」
「ああ」

 腕に腰掛けさせるような形で小さな身体を抱き上げる。返事を聞き、あまねはくしゃっと顔を綻ばせた。その無邪気な笑顔につられて、御手杵の表情までほろっと溶けてしまう。

 廊下に出て、なんとなしに窓の向こうを眺めると、何か白いものがちらっと輝いた。目を凝らすと、どうやら雪が降っているらしい。

「まだ降るのか」

 薄灰色の空から、時間を置いて、花びらのような雪がふわりと降りてくる。積もるほどではないだろうが、道理で寒いわけだと御手杵は一人、納得した。
 あまねはぐずっと鼻を鳴らし、御手杵の身体にもたれかかっている。余計なことを言うとまた機嫌を損ねてしまうだろうから口を噤んだが、やはり彼女のほうが寒いに違いない。黙ったまま、ほんの少し腕の力を強める。

「おてぎね、すごいね」
「んぁ?」
「たかいー」

 突然何を言い出すのかと思ったが、なんてことはない。身長の話だ。
 手を伸ばせば天井にも悠々届く。主の傍に控えている時、棚の上部の物を取るのは常に御手杵の役目だった。自分より背の高い奴は本丸にも数人いるが、こうして彼女を抱き上げた中では御手杵が一番高身長だったのかもしれない。

「怖いか?」

 尋ねると、あまねがふるふると首を揺らす。黒い瞳はきらきら輝いているようにも見えた。細っこい手は丸まり、縋るようにきゅっと御手杵のジャージを掴んでいるが、それは恐怖からではなく別の理由によるもののようだ。

「あのね、たのしいよ」
「楽しい?」
「うん!」

 きゃあっと笑う彼女はなんだかとても嬉しそうだ。
 口元を緩めながら、御手杵はつい先程第二部隊隊長に言い残された言葉を思い返していた。

「さっきな、堀川に言われたんだけどさ」
「ほりかわ?」

 あまねが寝てる間に来てたんだよ、と補足する。

「『主さんは御手杵さんと一緒にいるのが好きだよね』、だってさ」

 微妙に意味は異なるが、それほど外れてもいないだろう。
 あまねは最初、言葉の意味自体が理解できないというようなぽかんとした顔になった。それからしゅうっと縮こまり、赤らんだ頬を御手杵の肩に押しつけてくる。

「すきじゃないもん」

 御手杵は噴き出しそうになったのを必死で堪えた。こんなに分かりやすい嘘がこの世にあっていいのだろうか。

「こどもは素直になったほうが可愛いぞ」

 普段の彼女なら、調子に乗りすぎ、と怒る場面だったかもしれない。小さなあまねはそんな言葉も出てこないようで、うー、と小さく唸りながら顔を隠している。恥じらっていることが丸分かりのその反応は、一周回って素直だった。

「……おてぎね」
「ん?」
「おてぎねはぁ……」

 あまねは顔を俯けて、御手杵が促してもそれ以上は言葉を続けない。くい、と服が引っ張られる。もじもじと控えめなしぐさだが、時折ちらっちらっと見上げてくる瞳は熱烈なアピール以外の何物でもない。
 なるほど。彼女の求める答えに辿りつき、御手杵は甘い微笑みを浮かべた。

「あんたのことが大好きだぜ」

 口にするのに、今更躊躇いも恥じらいもない。胸にあるのはただただ穏やかで、暖かな気持ちだった。
 だが、そう言った次の瞬間。あまねの、ぱあっと弾けるような笑顔を見た瞬間、御手杵の余裕はいとも容易く崩れ去る。

「あのね、わたしもね、すきぃ」

 舌っ足らずな口調。ふんわりと染まった頬。幼い好意は剥き出しで、御手杵のそれのように余裕の毛皮に包まれてはいない。
 必死なのだ。子供の姿になったあまねは自分と恋人同士であった記憶を持っていない。それだから御手杵が当然のように囁いた言葉にさえ、こんなにも無邪気に、心から喜んでくれる。
 心臓を掴まれてしまったかのように息が詰まった。ぐっと歯をくいしばる。

 あまねはにこにこと、ご機嫌そうに笑っている。
 御手杵は、熱くこもった息を吐いた。

「みんなに言ったら駄目だぞ」

 不思議そうに首を傾げるあまねに、御手杵はそっと顔を近づける。
 そして、目を丸くする彼女の唇に、ちゅ、と自身の唇を重ね合わせた。

 ――御手杵とて、何も考えずにキスをしたわけではなかった。
 方や幼女、方や大男。今この状態で唇を奪うことが傍からどう見られるか、人の身を得て現代の倫理観を学んだ御手杵はよく知っている。それでも、言葉では伝えきれない想いを伝えたくて、そうせずにはいられなかった。
 後悔はない。他の刀剣達にバレなければ問題はないのだ。そんな、運悪く、今の一瞬を、見られていたなんてことは――。

「歌仙さん! 歌仙さーん! 御手杵さんが小さな主にー!!!」

 ギクッと心臓が跳ねた。口から飛び出しかけたそれを抑えこみ、声の聞こえたほうを見ると、鯰尾藤四郎が手入部屋の中に向かって声を張り上げているところだった。

「う、えっ、ち、違……っ!」

 慌てて弁明しようとするが、興奮した様子の鯰尾には届かない。
 手入部屋から、何かがひっくり返るような激しい物音がした。ぞぞ、と心臓が冷える。その数秒後、障子の陰から、鬼がぬるりと姿を現した。

「君が主と恋仲にあることはよく知っている。仲睦まじい君達を見ているのは僕も好きだよ。見守りたいとも思っている。――だが、まさか幼子になられた主にまで手を出すとは……見損なったぞ」
「いや、誤解だって!」

 歌仙兼定の目が据わっている。歌仙は主の相談によく乗っていることもあり、人一倍彼女を気にかけている刀だった。
 その手が柄に掛かっているのを見て、御手杵の顔が引き攣った。まさか本当に抜くとは思っていないが、これからどんな説教を食らうことか。

「主を解放しようか。話はそれからだ」

 その言葉にハッとして腕の中の身体を見下ろす。あまねは俯き、どことも言えない場所を眺めながら、じっと黙り込んでいた。

「あまね、あまねは嫌じゃなかったもんな」

 彼女を床に下ろしながら、縋るように問いかける。目線の高さを合わせ、あまねの顔を覗き込み、御手杵はぎょっとした。

 茹で蛸のような真っ赤な顔。結ばれた唇はふるふると震えている。黒い瞳は混乱と羞恥と歓喜で波打ち、今にも決壊してしまいそうだ。
 ――御手杵は思い至らなかったことだったが。記憶のない彼女にとって、今しがたの口づけは紛れもないファーストキスなのだ。それも、好きな人からの――さらに言えば、憧れのお兄さんからの――子供には手の届かない大人の男からの、焦がれてやまない口づけだったのだ。
 それが彼女にどれほどの衝撃を与えたのか、今更語る必要もないだろう。
 あまねが数歩、ふらふらと頼りなげに後ずさる。そして手入部屋とは逆の方向へ、猛ダッシュで走り去ってしまった。

「あまね……!?」
「あ、主!? どこへ……!」

 歌仙と二人して呆然と見送る。ひゅう、と乾いた風の音。
 後ろのほうで、鯰尾が「ありゃ」と他人事のように呟いたのが聞こえた。

 機動力は低いものの、小柄な身体は隠れるのには長けている。頭もそう悪くはない。御手杵はすぐに彼女を追ったのだが、裏をかかれ、見つけることはできなかった。
 そしてこの一件は本丸中を巻き込んだかくれんぼへと発展することになるのだが、最初に彼女を見つけたのは残念ながら必死に探し回った御手杵ではなく、のんびりとうたた寝をしていた明石国行であった。
 その後のあまねはといえば。恥ずかしさのために御手杵と顔を合わせることさえできず、偶然遭遇してもすぐに逃げ出すようになってしまっていた。
 あからさまに避けられている。彼女が元の姿に戻るまで、御手杵は涙を呑みながら一人寂しく過ごす羽目になったのである。

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