素直に言うとすると臭い台詞になっちゃうし

「やだ、やっぱり寝てる」

 部屋の真ん中に置かれたこたつでぐーすかぐーすか。二メートル近い長身はそれほど大きくないこたつには当然収まりきらず、向かい側からは足がはみ出している。

「御手杵、起きて」

 隣に膝をついて肩を揺する。無反応。心地よさそうな寝息はちっとも乱れない。とりあえずこたつの電源は落としておく。

「こんなところで寝たら風邪引いちゃいますよ」

 こしょこしょ。指の先を細かく動かして頬をくすぐる。
 ん、と小さな声が聞こえた。瞼がぴくっと震えたのを見て畳みかけるように声をかけると、薄く開いた目が気怠げにこちらに向けられる。

「御手杵。お布団行きましょう? ほら、起きて。ね? 布団行ったらすぐに寝ていいから」

 昔こたつに入ったまま寝てしまった親戚の子どもに、同じようなことを言ったことがあるような、ないような。
 御手杵はふあああと大きな欠伸を漏らし、光に慣らすように目を瞬かせている。必死の呼びかけの甲斐もあってか、大きな子どもはようやくこたつ布団から腕を引き抜き、ぐっと伸びをした。

「いい子ね」

 褒めるほど大したことはしていないのだが、ついついそんなことを言って頭を撫でてしまった。御手杵の目が気持ちよさそうに細められる。

「あつい……」
「こたつの中で寝るからですよ。ほら、外出ておいで」
「ん……」

 億劫そうにごろりとうつ伏せ、床に手をついて這い出てくる。むわっとした熱気が一緒になって引っ張られてきた。

「喉渇いたでしょ」

 Tシャツがぺたりと肌に貼りついている。どうにか『寝転がる』から『座る』にステップアップできた御手杵にお茶を渡すと、ごきゅごきゅと遠慮なく喉が鳴ってコップは一気に空になった。

「はい、じゃあ布団行こうね」

 水分補給はできたが、御手杵の目はまだ開ききってはいない。だらんと垂れた両手を取って立ち上がるのを手伝う。気分はすっかりお姉さん。もしくはお母さん。いや、そこまでは行きたくないかも。
 こたつを出てもらうこともできたし、お茶を飲んでもらうこともできた。後は隣の部屋の布団まで少し歩いてもらうだけ――いや、この際這ってでもいいけど――なのだが。

「もうちょっと……」
「え、ええっ?」

 どうしてそこで渋るのか。御手杵は立ち上がることもせず目の前の太腿にしがみつき、私の身体をずるずると床に引きずり下ろしてしまった。

「御手杵?」

 怒った声もなんのその。御手杵は私の腰に腕を回し、ぎゅうっとひっついてくる。

「あと十分したら起きる」
「今、布団に行ったら十分後に起きなくていいんですよ。……聞いてます?」
「聞いてない」
「聞いてるじゃないですか」

 言葉尻は先ほどよりずっとはっきりしている。今のうちに移動してくれたら言うことないのに。

「……十分だけですよ」

 それでも許してしまうあたり、私も私か。
 太腿の上で動く頭がくすぐったい。真正面から九十度ほど胴体の位置が変わり、ごく一般的な膝枕の体勢になる。
 息を吸う音と吐く音が交互に繰り返される。寝ているのかと尋ねると、起きてる、と掠れた声が返ってきた。

「なあ」
「なんですか」
「頭、撫でて。さっきみたいに……」

 端末を弄りつつ、アラーム代わりにタイマーできっちり十分計ってやろうかと考えていたのに。思わぬ台詞に毒気を抜かれてしまった。

「気に入ったんですか?」

 御手杵はこっちを見ないまま。というよりも見ることができなかったのか、目を瞑ったままで、ん、と小さく頷いた。
 頭の後ろのほうに伸ばした手をそっと動かす。お風呂上がりの髪はふわふわさらさら。髪の間に指を通すと、その触り心地に私のほうまでなんだかいい気分になる。
 御手杵は私の手に撫でられながら微動だにせず黙りこくっていた。穏やかな表情だけれど、一体何を考えているんだろう。私は黙ったままずっと、御手杵が考えていることについて考えていた。
 けれどもあまりに気持ち良さそうな顔をしているから、そのうちにいたずらの一つでもしてやりたい気持ちになって、私はおそるおそる、ほんのり赤らんだ頬をつついてみることにした。指先が肌に沈む。押し当てた指をぐるぐるぐるぐる、円を描くみたいに動かす。すると今まで頑なだった重たい瞼がゆっくりと持ち上がっていった。

「あんた、腹減ってないか?」
「え?」
「蜜柑あるから」

 怒られると思っていたのに怒られなかった。寧ろ気遣われて、蜜柑を勧められた。なんでだ。
 ふと目をやった机の上には器用に剥かれた蜜柑の皮が積まれている。ひいふうみい……全部で五つ。夜食にしては食べすぎのように思うが、御手杵ほどの体格なら許されるのだろうか。

「ちゃんとあんたの分残しておいた」

 かごの中には綺麗な橙をした蜜柑が一つだけ残されている。そうそう、自分にはこれでもう十分だ。

「ありがとうございます」

 もう一度頭を撫でると、その表情がくすぐったそうに緩んだ。胸がぽかぽかとあたたかい。蜜柑が食べたかったとかそういうわけではないのだが、どことなく誇る様子なのがたまらなく可愛くて。
 せっかくだし、いただいておこう。さくりと剥いた皮を五個分の山に積み重ねる。その上で白い筋を取っているうちに、ふっと下半身が軽くなった。

「目、覚めた?」
「ん」

 身体を起こした御手杵がごしごしと目元を擦っている。しかし布団に向かうのかといえばそうではなく、のそりと重たい動きで私の後ろに回り込んできた。

「わ、」

 長い手足が私を捕える。脚は私の太腿を挟み込み、両腕はお腹のあたりで重ねられた。背中に心地のいい重みを感じる。

「どうしたの?」
「寒くて」
「先に布団に入っててもいいんですよ」
「まだいい」

 動くつもりはないようだ。私が食べ終えたら一緒に布団に行ってくれるだろうし、それまでは好きなようにさせておこう。
 蜜柑の房を一つ、口に運ぶ。うん、おいしい。

「うまいだろ」
「うん。御手杵が買ってきてくれたんですか?」
「いや、鶴丸が箱買いしてたから貰ってきた。さっき広間で配ってたぜ」
「あら、みんなで食べるなら食費から出すのに……」

 明日お礼を言わないと。それにしても、六個も貰ってきて良かったんだろうか。
 蜜柑を食べている間、御手杵は私を抱きしめて離さなかった。眠いためか口数は少なくて、私の髪やうなじに顔を押しつけて黙っている。時々身じろいだからかろうじて起きているとは分かったのだが、それはそれで退屈ではないのだろうか。

「御手杵も食べます?」
「へ?」

 気の抜けたような声だ。

「もういらない?」
「いや、……っていうか、あんたのほうこそもういいのか?」
「ううん。おいしいものは一緒に食べたいなってだけ」

 お腹の中に既に五個も収められていることは知っているけれど。はい、と一房、肩の向こうにちらつかせれば、素直な口はすぐに蜜柑を攫っていった。
 本当は、退屈なのは私のほうだ。

「おいしいでしょ」
「……おう」

 さすがにお腹がいっぱいだったのかもしれない。含むような間があった。申し訳ないことをした、と反省していたのだが、それが思い違いであることはすぐに分かった。

「さっきのよりうまい」

 私を抱く腕に力がこもる。やっぱり御手杵に抱きしめられると安心するなあ、なんて、今思うことではないようなことをこっそり思いつつ。

「本当? 当たりだったのかも」
「なあ、もう一個」
「はいはい」

 もう一度、肩の上に蜜柑を運ぶ。その指が今度は蜜柑と一緒に咥えられてしまって、ぎょっとして腕ごとを引っ込めた。

「私の指は食べ物じゃありません」
「知ってる」

 どんなニヤついた顔をしているのかと振り向けば、そこにあったのは存外真面目な面持ちだ。

「そんなにお腹すいてたの?」

 それなら、ともう一つ。近づけたのだが今度は唇は開かず、代わりにがっしりとした指が蜜柑を摘んだ。

「あんたの分なくなっちまうだろ」

 ほら、と逆に私の唇に押しつけてくる。なんだか今日の御手杵は読めない。
 それでもくれるものはありがたく頂戴しておくと、御手杵はまた一房取って私の口へと運んでくる。それも大人しく食べると、もう一房。さらに一房。あっという間に最後の蜜柑もなくなってしまった

「食べたか?」
「うん。……どうしたの、急に?」

 ちゃんと全部飲み込んでから尋ねるが、御手杵からは「んー」と曖昧な返事。誤魔化されると逆に気になってしまって、私を囲う足の中でぐるっと身体を回転させる。ほんの少し丸くなった目。

「あれ、分かったのか?」
「なんの話ですか?」
「いや、今こっち向いてって言おうとしてたから」

 ちょうどいい。そう言った唇が近づいて、そして見えなくなった。
 触れた舌には仄かな甘さが残っている。自分の舌も同じ味をしているはずなのに御手杵の舌のほうがずっと甘く感じられるのは、食べた量の差のせいなのだろうか。
 優しく吸いついて、絡めた舌の感触や温度を互いに確かめ合う。性急さとか激しさとか、そういったものはひとつも感じられない。でも、じっくりと味わうように口の中を舐め回されるのはなんだか一層いやらしく、恥ずかしいことのような気がして、唇が離れた時には私の身体はどうしようもないくらい熱くなっていた。

「布団行こ」
「ひ、あ、きゃあっ!?」

 人ひとりを扱うとは思えない手軽さで抱き上げられる。突然高くなった視界が怖くて、慌てて御手杵にしがみついた。

「え、な、なあに? どうしたの?」

 御手杵は器用に足で戸を開けて隣の部屋へと身体を滑り込ませている。ついさっきまで眠そうにしていたのに一体どこでスイッチが入ったんだろう。どこからどう見ても『今から寝ます』という顔つきではない。何か、もっと、ぎらぎらした――。
 抱き上げられた時とは打って変わって、布団に下ろされる時は気恥ずかしくなるくらい優しく扱われた。頭がついていかない。
 一旦向こうの部屋に戻った御手杵はご丁寧に蜜柑のごみを捨て、電気を消し、小気味良い音を立てて戸を閉めてから私のところに帰ってくる。肩が軽く押された。そんなに強い力じゃない。それなのに私の身体は当然のようにあっさりと後ろに倒れ込んでしまう。

「蜜柑な、」

 蜜柑。蜜柑がどうしたの。もしかして、やっぱりもっと食べたかった?
 不安になるくらいの変な間があった。疑問のあふれそうな唇が骨張った指に撫でられている。尋ねることくらいいつでもできるはずなのに、どういうわけか口は開かない。

「全部あんたと一緒に食べればよかったなあ……って思っただけ」
「は、はあ……?」

 やっと貰えた続きの言葉も、結局よく分からない。意味は分かるが繋がらない。そこでどうして押し倒すことになるのだろう。
 疑問は尽きない。だが、こうなるともういちいち尋ねるのも無粋な気がしていた。

「じゃあ、今度は一緒に食べよ」

 代わりに口からこぼれたのはこんな言葉だ。
 御手杵が息を呑む。思いがけない返事だったみたいだ。けれどもその後とろけそうな顔で笑ってくれたから、これできっと正解だったんだろう。

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