うるわしの軛

「俺、抱き枕が欲しい」

 御手杵は目を輝かせてそう言った。確か、私が審神者になって三月も経たない頃のことだ。血の匂いの混じる生活にもいくらか慣れ、六振の刀剣を引き連れていざ出陣せんと転移門を開いたところで、本日の隊長を務める御手杵が放った一言がそれだった。

「それはご自分のお給料からお願いしますね。……ああ、もしかして誉を取ってやるという意気込みですか?」

 他の隊員から総ツッコミを入れられる御手杵に対して、いいねと頷くのでも、時と場所を考えろと怒るのでもなく、私はそんな可愛げのない言葉を返した。この槍がやる気のある顔をしているのは戦の時だけだったから、おそらくその推察は間違っていないだろう、と。
 この本丸では刀剣男士の働きは給料によって報いられる。誉を取ればそれに少し色がつけられる。大器晩成型の槍は今のところそれほど誉は獲得していないが、徐々にその数は増えてきていた。

「誉も欲しいけど」
「頑張ってください」
「抱き枕、どうやって買ったらいいか分からない」

 身の丈を超える槍を肩に寄りかけるようにして抱えながら御手杵はまっすぐに私を見下ろしている。
 抱き枕。この大男が。
 改めて似合わないなと思いはするが、取り立てて騒ぎ立てることでもない。説明をしようと口を開いたところで、

「あんた、付いてきてくれよ」

 不意を突かれて声が奪われた。好き勝手に飛び跳ねた髪に朝の光が降り注ぎ、きらきらと輝いているのが瞼の裏に残る。

「……あなたが誉を取ったら考えますね」

 面食らいながらも、そう告げて会話を閉じた。いつまでもこんな話をしていられない。揺らめく闇へと刀剣達が吸い込まれて行くのを見つめ、気持ちを切り替えその後を追う。
 その日、誉を得たのは御手杵だった。






 お腹を満たした後の昼下がりというのはどうにも眠い。部屋にこもりきりのデスクワークならばなおさらで、ようやく訪れた息抜きの時間を私は密かに喜んだ。

「主、この後は御手杵と買い物だっけ」
「ええ」

 赤い爪が慣れた手つきで書類を纏める。その後ろで私は白いトレンチコートを羽織り、襟に巻き込まれた髪を持ち上げた。

「珍しいよなー。何買うの?」
「抱き枕が欲しいみたいですよ」

 そういえば先日の部隊に加州は含まれていなかった。記憶を掘り返しながら答えると、重たげなつり目がきょとんと丸められた。

「抱き枕」
「ええ、抱き枕」
「御手杵が?」
「御手杵が」

 言葉遊びのような復唱。意外に感じるのは私一人ではないようだ。あの長身の男が抱き枕と一緒に眠っているところでも想像したのか、加州はなんとも言えない表情を浮かべた。

「ふうん……主の方が似合うんじゃないの、抱き枕」
「そうかもしれませんね」

 冗談めかして微笑む。実のところ、抱き枕を欲しいと思ったことさえないのだけれど。
 見上げると時計の針はいつの間にか良い時間を示しており、加州に外出中は好きに過ごしていいと告げ、私は待ち合わせた玄関へと向かった。


 頬を撫でる風はまだ冷たいが、淡く膨らんだ蕾からは春の気配が感じられる。少し前を歩く男の足取りは軽やかで、どうやら自分から誘ったくせに私を置き去りにしたいらしい。

「そんなに急がなくても抱き枕はなくなりせんよ」

 背中に向かって声をかけると、不思議そうに御手杵がこちらを振り返った。随分開いてしまった距離にようやく気づいたようで、その場で立ち止まり私が追いつくのを待っている。

「あんた、歩くの遅いなあ」
「あなたが速いんですよ」

 そもそも足の長さが圧倒的に違う。私もいつもより足の動きを速めているつもりなのに、隣り合って歩くとどうしても互いに歩幅を合わせるのに苦労した。

「乱の本にあったやつがさ、気持ち良さそうだったんだよなあ」

 二人用の速度に慣れた頃、御手杵が独りごとのように呟いた。
 雑誌か、もしくはカタログにでも掲載されていたのだろう。乱は御手杵とは違うお洒落な子で、人の身体を満喫しているようだったから。ふと、その本がカタログだったのならばそれで注文すれば済んだのだということに思い至ったのだが、既に商店街まで出てきているのでやはり今更だと口を噤んだ。

「どうして私と買いに行こうと思ったんです?」

 ただただ黙って歩くのも退屈だったから世間話程度に尋ねてみる。基本的には誉を取れば給料がいくらか増え、その増加分を褒美と呼んでいる。けれどもそれとは別に、甘味処に一緒に行ってほしいだの、頭を撫でてほしいだの、そんな些細なお願いを誉の褒美という名目をつけて聞くこともあった。今思えば、それは距離を縮めるための都合のいい理由付けで、私は大分それに甘えていたのだけれど、だとしても御手杵が私と一緒に出かけたがったのは意外もいいところだ。

「ああ、だってあんた俺より何年も前から人間やってるんだろ?」
「……まあ、そうですね」

  足元に目をやって速度を合わせていた御手杵がこちらに目をやった。
 言い方は気になるが間違ってはいない。つい三か月前に肉体を得た御手杵と比べれば私はずっと長く人間として生きている。

「その分俺よりもたくさん寝てたんだから、どの抱き枕がいいかとか分かるかと思って」
「……それほど詳しいわけじゃありませんけどね。抱き枕なんて持っていませんでしたし」
「え、そうなのか?」
「ええ。ご期待に添えず申し訳ありませんが」

 そっかあ、と御手杵は思案顔で空を仰ぎ見た。なんだか随分と悩んでいる様子だ。
 御手杵は戦以外に興味の薄い槍だった。加州のように自らを飾ろうとはしない。歌仙のように美しいものを愛ではしない。それはただ「審神者」という仕事をこなしたいだけの私にとっては非常に都合の良いことで、その意味では御手杵は私のお気に入りでもあったのだけれど、だからといって何一つ優遇するつもりもなければ、他の何かへの興味を縛るつもりもなかった。

「いいんじゃないですか、あなたが好きに選べば。あなたのものなんですから」
「あー……そうだろうけど」

 御手杵は言葉を淀ませた。突然手渡された自由を持て余しているようだった。

「何か問題でも?」
「え、と、よく寝れるやつが欲しくて」

 ほんの少しだけ声が曇った、気がした。視線を上に向けると、高い位置にある顔は僅かに翳っているように見える。
 その理由に心当たりがあったから、私はすぐ前を横切っていく生き物に目を奪われた振りをして視線を逸らした。商店街の細い路地に忍び込んでいく黒猫を眺めながら、少しだけ迷う。

「眠れないんですか」

 御手杵も黒猫を追っていたらしい。私の声は耳に入っているはずなのにその視線はもう何もいない路地に残されたままだ。暫くして、たまに、と、小さな呟きが戻ってくる。
 夢見が悪いらしいと、隣室の堀川から聞いていた。深い傷を負った時、存在が薄れかけた時、御手杵は終わりを思い出す。全てを溶かしていく熱の記憶に溺れて、呼吸の仕方を忘れてしまう。
 春先の薄い青の空はいつの間にか濁っていた。本丸を発つ直前、要らないだろうと思い直して置いてきた折り畳み傘が頭の片隅に現れて、消えた。

「あなたが気に入ったものなら、よく眠れると思いますよ」
「そうかな」
「ええ、きっと」

 薄っぺらい助言に吐き気がする。それでも、直に触れるよりはずっとましだと思った。生々しい炎の色を残す傷は彼に気づかれないままその心を蝕んでいる。それを癒す術なんて、どうせ私は持っていない。

「うん……そっか」

 深く息を吸う音と一緒に胸が膨らむ。御手杵は淀んだ空気を払うように明るく笑った。

「ふかふかででっかいのが欲しい」 
「抱き枕?」
「そう。……ああでも、俺に合うやつあるかなあ」
「どうでしょうね。あなたは身長が高いから、普通のものじゃきっと小さいでしょうし……」

 取り留めのない会話が続く。
 御手杵は取り繕うのが下手だ。けれども私は何にも気づかなかった顔をして、解れたままの皮をただ見ている。

「いらっしゃいませー!」

 煌びやかな声が私達を出迎えた。カウンターの向こうで立ち上がった若い店員から、小ぶりな寝具店には不似合いなほど明るい笑顔が放たれた。

「抱き枕をいくつか見繕っていただけますか? 大きめのもので……ええ、取り寄せて……――御手杵、あまりふらふらしないでくださいね」
「しないって」

 もの珍しそうにきょろきょろと視線が動いていたため釘を刺しておいたのだが、余計なお世話だったようだ。
 店員が端末を探る裏で私は御手杵を見上げた。

「どうした?」

 こてんと首が傾げられる。臙脂の瞳は落ち着いて、穏やかな色を湛えていた。

「なんでもありません」

 その言葉に被さるように、お待たせしました、と声がかけられた。店の奥のスペースの上には転送されてきたらしい抱き枕の見本品が雑多に積み上げられている。軽く二十近くはあるんじゃないだろうか。中にはカバーにアニメか何かのキャラクターが印刷されているものもあり、それも含めてよくこれだけ引っ張り出してきたものだと奇妙に感心してしまう。

「取りあえず見つかっただけ送ってもらったんですけどー……多すぎたでしょうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 隣を見れば、真ん丸になった目が枕の山に惹きつけられている。抱き枕そのものにもそれなりの興味はあったらしい。
 御手杵。名前を呼ぶと、我に返った茶色の髪が揺れた。

「ゆっくり見てください。待っていますから」
「触っていいのか?」
「まあ、そのための見本ですからね」

 許しを得た無骨な指が、一番手近にあった抱き枕におそるおそる伸ばされた。

「わ」

 指先が滑らかな質感の布に沈む。御手杵の指は一瞬怯えたように止まり、それから広げた手のひらいっぱいで抱き枕を掴んだ。

「柔らかい……」

 感嘆したような声が半分開いた口から漏れる。強張っていた顔から力が抜けていく。その様子を見ていると、私はなんだかおかしくなって、少しだけ笑ってしまった。

「な、なんだよ」
「……いえ、なんでも」

 慌てて緩んだ口元を引き締める。御手杵は拗ねたようにこちらに背を向けて、次々と抱き枕を物色し始めた。今しがた手のひらで触れたものを胸に抱き上げ、感触を確かめて、それからそっと元の山に戻し、隣の抱き枕に手を伸ばす。
 ――どうして、今、私は笑ったんだろう。御手杵の後ろで私は隠れるように戸惑って、けれどもその戸惑いにさえ蓋をしようとする。
 例えば、抱き枕が一つ傍にあったとして、彼の過去の何が変わるだろう。長い時を過ごしてきた刀剣達は皆、鋭く光る刀身の内に何かしら抱えている。その上には私が生まれるずっと前から繋がってきた鎖が何重にも絡みつき、たやすく解けるはずもない。そこにたかが数年、いや、もしかするともっと短いかもしれない期間を共に過ごすだけの私が関わっていくことに意味があるとは思えなかった。――思えなかったのに。

「御手杵、これなんてどうですか?」

 形やら手触りやら、ひとつひとつ抱き心地を確認して回っていた御手杵を呼び止めて、私は山の下から引きずり出した自分の背丈にも届きそうな大きさの抱き枕を差し出した。

「一番『ふかふかででっかいの』じゃないかと思うんですけれど」

 傍に寄ってきた大きな身体が抱き枕を受け取る。両手で抱えた瞬間、御手杵は「あっ」と声を上げて、広い胸の中に柔らかな塊をぎゅっと抱き込んでしまった。すっぽりと収まった抱き枕が圧迫されて柔軟に形を変える。サイズは問題なさそうだ。
 御手杵は立ち止まったままじっとその抱き心地を味わっているようだった。瞼がそっと下り、唇からは、ほう、と甘い吐息が漏れる。

「これ……これにする……」

 酔いしれた声が吸い込まれていく。相当お気に召したのか、御手杵はとろけた顔をすりすりと抱き枕に押しつけながら、自分のものだと主張するみたいに腕の力を強めた。

「他のはもう見なくても大丈夫なんですか?」
「ん……」

 くぐもった小さな頷きが返る。それからおよそ十秒後、我に返ったらしい御手杵がばっと顔を上げてこちらを見た。私も初めて自分の玩具を与えられた子供のように抱き枕に引っつく槍の様子が新鮮で、その逢瀬をじっと見つめていたものだから、二つの視線はばっちりと交わってしまって。見られていたことに気づいた御手杵はしまった、と焦りを露わにした後、赤みがさした頬を誤魔化すように口を開いた。

「なんか、よく寝れる気がする」

 よほど恥ずかしかったのか、御手杵はもう一度抱き枕を強く抱いて自分の顔を埋めてしまう。その仕種に、私の口元は知らず知らず緩んでいた。

「それなら良かったです」

 顔を上げた御手杵は微笑んでいた。心底惚れ込んだような表情になぜだか胸が突かれて、私はそのまま死にたい気持ちになる。
 ――憐れんでいる? まさか、愛おしんでいる? そんなの、きっと気のせいだ。


 帰り道、本丸まで送ってもらうこともできたのに御手杵は新品の抱き枕を自ら抱えて家路を辿っていた。結局その日、雨が私達を濡らすことはなく、でも晴れている分よく人の目を集めてしまった。御手杵は気にしていないみたいだったけれど、私には転移装置までの道のりがやけに長く感じられた。
 邸に辿り着き、ゆとりのある玄関を抜け、広間の前に辿り着いたところで、私は加州に呼び止められた。御手杵はご機嫌な様子で自室へと戻っていく。息抜きの外出のつもりだったのにものは思うように進まない。広間の畳に腰を下ろし、用意されていた温かいお茶に手を伸ばす。

「あ!」

 遠い声が空気を伝い、その直後、ばたばたと騒がしい足音が本丸を揺らした。どこまで行って戻ってきたのだろう、長い足音の末に姿を現した御手杵が何を言ったのかといえば、

「ありがとな」

 という、満面の笑みを添えての感謝の言葉で。自分に向けられたその表情に驚いて、私は湯呑みを手のひらに置いたまま、らしくもなくぽかんと見入ってしまった。

「私は何もしていませんけれど」
「一緒に来てくれただろ?」
「誉のお願いですからね。……次も頑張ってください」
「ああ!」

 どうにか口先だけは整えて答えると御手杵は大きく頷き、来た時と同じ大音量の足音を響かせながら走り去っていった。どこか遠くから彼を叱る長谷部の声が聞こえてくる。
 あーあ。加州が呆れたように苦笑いをこぼした。

「買い物、楽しかった?」

 その質問はおそらく大した意味を持っていなかったに違いない。けれどもそんなごく一般的な問いかけに、私は言葉を詰まらせた。

「主?」

 加州が首を傾げる。彼もこんなところで立ち止まられるとは思っていなかったんだろう、その顔には疑問符が散っていた。

「ええ……楽しかったです」

 どうにか紡いだ答えは決して嘘ではなくて、だからこそ、口にするのが躊躇われるものだった。
 今度、俺とも遊びに行ってよ。加州が誘ってくれている。誉を取ったらね。そう曖昧に返す間もあの笑顔は鐘のように響いて、私の頭を震わせた。

 今夜、彼はあの無垢な顔で眠るのだろうか。痛みを知らない子供のような、その安らかな表情で。

 からからに乾いた喉をぬるい液体が潤していく。小さな器の中で私が揺れている。

 深く眠ってほしい。夢を見ないくらいに深く、どうか、その微笑みが壊れないように。
 私は絆されてなんかいない。憐れむことも、愛おしむこともしない。でも、そう、祈るくらいなら。それだけなら、きっと。




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