身近にいるっていうのが王道だけど

※突然の学パロ(幼馴染で先輩×後輩)




 嫌な話を聞いた。
 気怠い授業から解放された放課後。いつもなら清々しい気分で下る階段を、今は胸がむかむかするのを感じながら駆け下りている。

 同じく部活のない生徒が靴を履き替えているのを横目に、御手杵は昇降口の前を通り過ぎた。その先を左に曲がり半屋外の通路を足早にすり抜け、学習室やら食堂やらが詰められた建物の中に飛び込む。
 視線を右に。自販機前のソファに座っているのが見慣れた少女でないことに彼は一瞬焦るが、すぐに内外を隔てる大きなガラスの向こうに覚えのある赤いシュシュとポニーテールを発見する。野球部の騒がしい声を聞きながら、彼の探し求めていた少女はベンチに一人腰掛けていた。
 御手杵はほっと息をつき、足音を忍ばせて開けっ放しの扉から外に出た。ガラスに張り付くようにしてベンチの後方に回り、グラウンドを見つめる少女の小さな肩に、わっ、と手を置く。

「ひゃぁ……っ!?」

 少女はふわっとした声を上げて身体を跳ねさせた。弾かれたように視線をこちらにやり、それから、はあ、と深い息を吐く。

「先輩……驚かせないでくださいよ」

 御手杵を『先輩』と呼ぶこの少女は彼の幼馴染だ。家が隣り合っていることもあり、今年彼女が御手杵と同じ高校に入学してからはなんとなく毎日一緒に登下校をしている。

「今日は早いですね」
「急いできた」

 一年生が一階の教室を使っているのに対し、何故か二年生は一つ飛んで三階の教室を割り当てられていた。それに加えて少女のクラスはこの建物まで一番近いので、御手杵はいつも彼女を待たせてしまっている。
 ふと、彼女の隣に置かれた紙パックが目に止まった。御手杵は一瞬考え、水滴の浮かぶそれをひょいと持ち上げる。

「あ! 私のミルクティーなのに」
「喉渇いたんだよ」
「もう……」

 ストローに口を付ける。少女はやれやれとでも言いたげな表情を浮かべ、グラウンドに目を向けた。夏の空はまだ明るい。御手杵は帰宅部だし、少女も活動が週一のまったりとした部活にしか入っていないので十六時には既に自由の身だ。しかし、部活組はこれからが本番。カン、と小気味良い音を立て打たれたボールが飛んでいくのを、彼女は面白そうに眺めている。

 ――間接キスなんだぞ。ちょっとは意識しろよ。

 一方で、御手杵は複雑な気持ちだった。
 このまま全部飲みつくしてやろうか。ストローを咥えたまま少女を見下ろす。だが彼女にこちらを気にする様子は全く感じられず、御手杵は痺れを切らしてその隣に腰を下ろした。

「あれ、帰らないんですか?」

 ミルクティーの置かれていた場所に腰掛けた御手杵を、やっと少女の目が捉える。

「俺、あんたに聞きたいことあるんだけど」
「それなら、歩きながらでも、」
「あんた、告られたんだろ」

 言葉を遮る。
 幼馴染が告白されたらしい。友人から聞いた噂が御手杵の不機嫌と焦りの原因だった。

「……情報回るの、早くないですか」

 今日の昼の話ですよ。少女は目を丸くした。
 彼女が告白されたという情報を持ってきたのは同じクラスの獅子王だ。彼は目立つ外見をしているが、誰とでも仲良くなれる性格をしているため知り合いが多い。告白をしたという男子生徒とは教室のある棟も別なのだが、授業合間の10分かそこらの休憩時間でどこからかその情報を入手してきたのだ。

「付き合うのか?」

 告白に対する少女の答えを、御手杵はまだ知らない。人づてに知るのはどうしても嫌だったからだ。
 御手杵は少女をじっと見つめた。その視線に真っ向から歯向かうように、彼女は口元を緩める。

「どっちだと思います?」
「……あまね」

 楽しげな表情が御手杵を苛立たせた。声が思わず低くなる。少女ははっと微笑みを忍ばせた。

「……もしかして、怒ってるんですか?」

 御手杵の語調が厳しすぎたせいか、少女は僅かに怯えた様子だ。彼は慌てて声を和らげる。

「怒ってはないけどさ……付き合うのか?」
「付き合いませんよ」

 今度ははっきりとした否定が返された。御手杵はそれに無性に安心して、ほっと胸を撫で下ろす。

「知らない人でしたし。さすがに何も知らないのに告白をオーケーしたりしません」
「そっか。……うん、そうだよな」

 うんうんと頷く。一人で焦っていたのが馬鹿みたいに思えてきた。
 女が視線を前方に向ける。釣られてそちらに目をやった。先程まで耳障りだった野球部の声も今はなんだか青春らしく聞こえる。御手杵は晴れ晴れしい気持ちで部活に勤しむ男達を見つめた。

「好きな人に告白されたら、付き合うつもりなんですけどね」

 しかし、平穏を取り戻した心は少女の言葉によって再び掻き乱されることになる。

「……好きな人?」
「好きな人」

 呆然と呟く。少女の黒い瞳が、ちら、とこちらを向いた。

「いるのか?」
「実はいるんですよ」

 視線はグラウンドへと戻される。
 肩が触れ合う距離のせいで、御手杵は少女の頬がほんのりと赤くなっていることに気づいてしまった。唇が照れくさそうに緩い弧を描く。長い睫毛さえ年頃の恥じらいを覚え、いつもより艶めいているように感じられた。
 彼女は、恋をしているのだ。それが分かってしまう表情だった。

 ――聞いてない。好きな人がいるとか、一度も聞いてない!

「だ、誰だよ……!」

 焦る御手杵を見て、少女は可笑しそうに笑った。

「それは、私がその人から告白されるまで秘密です」
「な……っお、教えてくれよ!」
「いやです」

 つんと顔を背け、少女は催促を退けた。
 御手杵の頭はぐるぐる回る。まさか、『好きな人』とは既に告白が視野に入るほど親しい関係になっているのか。自分の知らないうちに? 一体誰だ。どこの馬の骨だ。
 一年坊主か? それとも二年? 同じ部活のやつだろうか。いや待て、自分の友人の何人かと彼女は顔見知りだ。もしや『好きな人』というのは、たぬきや大倶利伽羅――?

 悶々と考える御手杵をよそに、少女はすくっと立ち上がった。

「帰りましょ、先輩」

 御手杵の手からいくらか軽くなったミルクティーを取り返し、彼女はくるりと身を翻す。数日前に袖を通したばかりの白いセーラー服がなんだかとても眩しい。薄らと色の付けられた唇が、ちゅ、とストローを咥える。御手杵は一瞬、言葉もなくその姿に見蕩れていた。

「っ……すげえ気になるじゃん!」
「だめです。秘密ったら秘密!」

 黒髪がふわりと揺れる。朗らかな微笑みを浮かべて逃げる少女を、御手杵は慌てて追いかけた。

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