君がいるならいい夢だよ

「……伝達事項はこのくらいですね。第二部隊のみなさんは遠征お疲れ様でした。今日はゆっくり休んでください」

 大広間に集まる二十人強の男達。彼らの前で審神者である女はそう締めくくった。

「それじゃあ、夜ご飯をいただきましょうか。今日は燭台切さんがお手伝いをしてくださったみたいですからね。楽しみですね」
「ああ、期待してくれて構わないよ」

 燭台切光忠が答え終わらぬうちに、既に何人かは大広間を出ていた。会議がいつもより長引いたのもあって余程空腹に耐え兼ねたのだろう。申し訳ないことをした。

 刀剣達は思い思いに食堂へと向かう。その中をすり抜けるように歩き、女は一人の男の背にたどり着いた。

「御手杵」

 服の裾を引いて名前を呼ぶ。長身の男が振り返り、女の姿を捉えた。

「今夜、来てくださいね」

 他の者に聞かれぬようにと、御手杵だけに聞こえる声で囁く。
 それはもう、幾度目かも分からぬ誘いだ。返される言葉も既に知っている。

「ああ、分かった」

 承諾の返事に、女は満足そうに微笑んだ。








 障子の向こうに気配を感じ、女は筆を執る手を止めた。

「御手杵だ。入っていいか?」
「ええ、どうぞ」

 男は気楽な調子で入口からすぐ近くの座布団に胡座をかいて座る。それから座卓の真ん中に置かれたいくつかの橙の塊を興味深げに見つめた。
 女が御手杵の正面に座り、籠に積み上げられたそれを一つ、手に取った。

「甘いものは苦手だったみたいですから。今日、万屋で新しいお菓子を買ってきたんですけどね。それは今度、短刀の子達と一緒に食べることにしますよ」
「ああ、いつだったのかのクッキーみたいなやつか。そりゃあ……それで正解だな」

 御手杵は一週間ほど前に食べた菓子を思い出した。香ばしい匂いとサクッとした食感は良かったのだが、彼にはその味が胸焼けを起こしそうなほど甘く感じられたのだ。用意してもらった手前、どうにか食べなければと飲み込むように腹に収めたのだが、結局は数枚が限界だった。

「ええ。それで、果物は大丈夫なんじゃないかと思いまして。蜜柑、食べたことはあります?」

 女の手のひらに包まれたそれが蜜柑という名なのだということさえ、男はこのとき初めて知った。

「いや、ない」
「そうですか」

 女の白い指が器用に蜜柑の皮を剥いていく。表面の白い繊維を軽く取り、それから小分けにした房を一つ摘んだ。はい、と御手杵の口元に差し出す。

「お、ありがとな……美味いな、これ」

 膝立ちの女に合わせ、男は軽く身を乗り出した。小さな実が男の口の中に収まる。酸味のある果物は、洋菓子とは違い彼の気に召したようだ。

「良かったです。白いすじと薄皮も食べられますけど、嫌だったら取ってくださいね」

 そう言って女は座卓のそのまた隣に置かれた文机へと戻っていく。報告やら指示やらが書かれた紙の束を広げ、ペンを手にする。
 書類仕事は得意な方だが、かと言って好きなわけでもない。一人での仕事は退屈なのだ。幸運なことに、女は会話をする傍らでそれとは全く関係のない文字を書き連ねることができたし、御手杵は片手間の客であることをどういうわけか快く受け入れていた。
 文を眺めながら、御手杵と斜めに向かい合う。そうして他愛のない話をして、眠る前の短い時間を一緒に過ごす。この空間が、女はとても好きだった。

「んん……わざわざ取るのもめんどくさいな。俺はいいや、そのままで」
「そう言うと思いました」

 とりあえずは言われた通りに試みたのだろうが、早々と諦めてしまったようだ。

「俺は刺すことくらいしか能がないからな。器用なことはできないよ」

 女は男に気取られないくらい、ほんの微かに眉根を寄せた。御手杵は口癖のようにそういったことを言う。時には冗談めいた語調ではあるが、その劣弱意識は根底から彼を縛るものだ。
 女にとって、彼の価値とは武器としてのものではない。だが、それを直接口にすることはとてもではないが出来なかった。そう主張することが彼の助けになるとは思えなかったし、槍としてあることを否定するような言葉も聞かせたくはなかった。

「そんなことはありませんよ。先日あなたに農作業をお任せした畑を見てきましたが、とても綺麗に整備されていました。きっと美味しいお野菜ができますよ」
「あんたなあ……」

 御手杵は呆れたような情けないような、なんとも言えない顔で女を見る。そんな様子がなんだかおかしくて、女の口元が緩んだ。

「冗談です。……お野菜と言えば、今日の煮物は美味しかったですね」
「ああ、かぼちゃのやつか。あれもうまかったけど、俺はきんぴらの方が好きだな」
「鷹の爪が効いていましたよね。辛めの味付けが良い感じでした」

 とりとめのない話はあちらこちらに飛来していく。味の好みについてひとしきり話したあとは、御手杵による内番の愚痴を女が宥めながら聞いた。それがひと段落したところで、今度は何故か短刀の子供達が話題に登る。岩融に引っ付いてる今剣が可愛い、乱くんがけしからん、元気な子も愛らしいが気の弱い子もイイ、などなど思うがままに語りあった末、やっぱりみんな可愛い撫でたい、という身も蓋もない結論に達する。


「そういえば、昨日夢に愛染くんと五虎退くんが出てきました。今思い出したんですけど」
「へえ、どんな夢だったんだ?」
「ええと……それがよく覚えてないんですよね。確か、他にもたくさんいたんですけど……うん、そうですね、太郎太刀さんとか、長谷部さんとか。多分、素敵な夢でしたよ」

 本当は、胡乱にではなく、もっとしっかり記憶していることがあった。だが、それをこの男に明け透けに伝えるのも少し気恥ずかしい。
 それ故に女は軽く言い淀んだが、御手杵はそれを単に記憶が曖昧であるためだと捉えたらしい。特に追求することはない。寧ろ、男は頬杖を付きながらどこか遠くの方を見つめ、何かを振り返ろうとしているようだった。

「夢かあ……あれはおかしなもんだな。実際に起こりそうもない光景が出てくる。……けど、あんたが言ったような良い夢のこともあるが、見たくもない嫌な夢も見る……」

 少しだけ憂えが顔を覗かせる。男の指すものが、彼が傷を負った夜に繰り返し見る夢のことであると女は気づいた。

「夢の内容には、その人の精神状態が無意識ながら深く関わっていると言いますからね。まして、戦場に身を置いているのですから……」

 敵を斬り、傷つけられる。刀剣たちはそんな魂を削るような生き方している。いや、させている。それが武器である彼らの運命だとはいえ、そのように作ったのは人間で、血と肉を纏わせたのは審神者なのだ。

「……好きなもののことを考えながら眠ると、良い夢を見れるかもしれませんよ。ああ、あと、見たいものを書いた紙を枕の下に入れておくと良いという話を聞いたことがあります。おまじない程度ですけどね」

 人の身体でなければ、血は出ない。痛みを感じない。苦しい夢など、最初から存在しない。
 審神者である女には消化しきれない痼のようなものが多く存在していたが、それらは吐き出されず身体の奥底へと澱みながら沈んでいく。人の身体を与え刃を振るわせるのが人の咎であるならば、それを謝罪するようなこともまたエゴなのだろう。罪の意識というものは自分の内だけで耐えねば意味がない。
 御手杵は女の自責になど気づかず、無邪気に顔を輝かせた。

「紙か……なあ、それって文字でいいのか? それとも絵か? 俺、絵とか描いたことないぞ」
「では、どなたかに描いていただくというのは? 絵が上手そうなのは……歌仙さんでしょうかね。雅なお方ですから」

 男は得心が行った顔で頷いた。それから彼はこんな夢を見たい、と考えた先から口に出していく。
 女はそんな様子を微かに微笑みながら見つめた。罪悪感の傍らには、それとは全く別の感情が混ざり合うことなく存在していた。
 奇跡みたいな時間だと、臆面もなくそう思うのだ。女が審神者としての力を持たなければ、この男と向かい合って言葉を交わすことなどありえなかった。出会えるはずもなかったのだ。男は、女の生きた時代より遥か昔に、炎の中に消えた存在なのだから。

「ん? どうかしたのか?」
「いえ……」

 御手杵は押し黙った女を不思議そうに見た。
 言葉を探す。出来ることなら、戦いが終わるまでの短い時間だけでも、この男の中に残りたかった。

「まあ、私ならいつでも出張して差し上げますよ」

 気がつくと、そんな差し出がましい提案が口を衝いて出ていた。男はまさにきょとん、と形容されるであろう表情で女を見つめている。

「俺の夢に?」
「ええ、あなたの夢に」

 なんだそれ、と男が吹き出した。

「それは……ありがたいよ」

 そう言いながら、おかしそうに笑う。
 あまりに笑われるものだから恥ずかしくなって、何か弁解の言葉を述べようとした女を、男の澄んだ目が射抜いた。

「ああ、でも、あんたが傷つく夢だったら嫌だなあ」

「……私もそれは嫌ですよ。すぐに帰ってやりますから」

 ふいに泣き出してしまいそうな、そんな気持ちに襲われる。男はきっと、そんなことは何も考えてはいないだろうに。

 女は書類の束を些か乱雑にまとめて文机の引き出しにしまい込んだ。続きは明日でもいい。どうとでもなるだろう。周囲を片付け、そそくさと立ち上がった。

「もう終わったのか?」
「終わらせました」
「お疲れさん。茶、飲むか?」
「いただきます」

 座卓を挟み、御手杵の正面に座る。小気味よい音と共にポットから茶が注がれた。湯呑を受け取り、冷えた指先を温める。

「あ、なんなら蜜柑も剥いてやるぜ」

 男の前には六か七に裂かれた橙の皮が積まれている。気に入ったのか小腹がすいていたのか、女の予想以上に消費してしまったらしい。

「あと一個しか残ってないじゃないですか」
「悪い悪い」
「もう……あ、いいですよ。蜜柑くらい自分で剥きます」

 無骨な手から蜜柑を受け取る。皮を避けて取り出した実は、全身に染み渡るように甘い。
 男は頬杖を付きながらこちらをじっと見ていたが、ふと気が緩んだのかふあぁ、と大きな欠伸を漏らした。女は視線を右上へ向ける。

「……もう、こんな時間なんですね」
「ああ、今日はそろそろ寝るかな」

 壁に掛けられている時計の針は十二時を過ぎようとしていた。男は凝った身体を解そうと両手を前方で組んで、ぐっと伸びをする。

「そうですね。……ごめんなさい、いつも付き合わせてしまって。あなたが傍にいると、とても落ち着くから……」

 そう言ってから、女はそれが失言であることに気づいた。別れ際はいつだって名残惜しかった。けれども、そんな感情を表に出したことはなかったのに。
 男は少しだけ目を見張った。だが、その驚きは緩やかに微笑に変わっていき、前に伸ばされた両手が女の手を包み込むようにして握る。女の細い肩が微かに跳ねた。

「謝るなよ。俺はあんたに誘われて嫌だと思ったことなんか一度もないぜ」
「御手杵……?」

 女の視線が握られた手と男の顔とを揺れ動く。意図が読めない。今まで、男がこんなふうに触れてきたことなどない。

「うーん……なんていうか……やっぱり、改まって言うのは得意じゃないなあ。考えてることはいろいろあるんだけどさ」

 御手杵は困ったような、少しだけ照れたような、そんな顔で笑った。

「俺はあんたの役に立てるなら嬉しいし、そうしたいと思ってる。戦うことだけじゃなくて、何でも。こうやって話すのもそうだし、……まあ、畑仕事だって、あんたが望むならする。だから……いつでも頼ってくれよ。まあ、俺なんかで良ければ、だけどな」

 何度も真正面から見つめたことのあるその顔から、何故だか目を逸らせない。頬が、耳が、首が、心臓が、触れ合った手が、全部、熱い。

「……あまね?」
「っ……」

 女の唇は幾度か形を変えたが、言葉は喉に引っかかって出てこようとしない。見様によっては惚けたような顔を晒した後、女は諦めたように目を瞑り、大きく息を吐いた。
 この人が、こんなことを言ってくるなんて思わなかった。

「……あなた、私の名前知っていたんですね」
「主の名前くらい知ってる」

 御手杵は当然、と笑った。
 勿論、本丸に住む仲間には審神者のことを主や大将などの呼称を用いずに名前で呼んでくる者もいるし、それを彼が聞いていないはずがない。そもそも初めて出会った時に自己紹介くらいはしている。知らない方がおかしい。だが、そういうことではないのだ。

「あなたって……本当に……」

 尻窄みの言葉の続きを促す男を恨めしげに見上げる。女はふい、と顔を逸らして立ち上がった。

「何でもないです。ほら、早く寝所に戻りなさい」

 駄々をこねる子供を起き上がらせるような仕方で女は御手杵の両腕を引いた。もっとも、平均以上の大の男の体重を支えきれるだろうとは考えていない。戯言に似た茶番だ。

「ああ、じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。……良い夢を見てくださいね」

 敷居の向こう側で男が頷く。そしてふと、何かを思い出したらしい。

「あ、なんなら俺も出張してやってもいいぜ」

 御手杵はそう言って、茶目っ気のある笑顔を見せた。それが意味することはすぐに分かった。

「私の夢に?」
「ああ、あんたの夢に」

 先と立場の逆転した問答。なるほど、確かに奇妙な物言いだ。だが、その上から目線の一風変わった申し出を、女もまた受け入れることにした。

「ええ、楽しみにしています」
「それじゃ、おやすみ。また呼べよ?」
「はい。……ありがとう」


 障子が閉まる。夜の静寂の中でいやに長く聞こえる足音も、やがて遠くに消えていく。

 御手杵のいなくなった部屋で女は一人、同じ場所で崩れるようにへたり込んだ。得も言われぬ気持ちで机の上で組んだ腕に頭を埋める。今しがたの会話が頭の中を巡っていた。男の声や仕種は、絶え間なく女の胸にその存在を刻み込もうとする。
 けれども、なんて今更な言葉だろう。言われるまでもない。もう、ほかの何ものも考えられないくらいに心の中を埋め尽くしておいて。それで、あなたが夢に出てこないはずがないのに。

 行き場のない想いを抱え込む。ずるい、と、小さな呟きだけがその唇からこぼれ落ちた。




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刀剣乱舞夢企画「きみがため」様に参加させていただきました。
ありがとうございました!


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