彼を滲ます悪いやつ

 眩しい日差しを避け、玄関先の木陰に逃げ込む。三十四度。九月になり、やっと暑い夏が終わったのだと油断したところで、この猛暑だ。こんな日に畑仕事が割り当てられてしまったのは全く以て不運に違いない。馬当番の方がいくらかましだろう。どちらにせよ、内番は戦を生業とする武器の仕事ではないのだけれど。
 御手杵の槍には雨や雪に関する伝承が聞かれるが、どういうわけか自分が畑にいる時には雲一つない晴天となることが多い。もしかするとまた新たな逸話が追加されてしまったのかもしれない。

「御手杵が畑を耕すと晴れになる……なんて、格好つかねえなあ」

 退屈を紛らわしつつ呟いて、そのくだらなさにため息を吐く。早く戻ってこいよ。内番の相方に心の中で毒づきながらTシャツの裾で大雑把に汗を拭う。そうして、顔を上げたところで。

「お仕事、お疲れさまです」

 風鈴のような涼やかな声が御手杵に掛けられた。
 見れば、審神者である女が大きめの紙袋を胸に抱えて外門から歩いてきていた。隣には、両手にこれまた大きな袋を吊り下げた青江が立っている。特に意図したわけではないのだろうが二人は揃いの髪型になっていて、一つに纏められた長い髪が背中で揺れていた。

「あ……おかえり」

 万屋へ買い出しに行っていたのだろう。今日は青江が近侍をしていたらしい。
 それを見ていると、何故だか御手杵は妙な気分に襲われた。――そういえば、自分が最後に近侍を任されたのはいつのことだっただろう。二人に掛けた声が、若干淀む。

「ただいま。今日は暑いねえ、畑仕事は大変だっただろう?」

 そう言う青江は汗の一つも浮かべてはいない。直前まで冷房の効いた部屋にいたのだろう。外門の向こうには地続きの空間があるように見えるが、実際には何も存在してはいない。門を境界にして、繋がっているのはまったく別の場所だ。

「本当だよ。あんたがやりたいなら代わるぜ?」
「遠慮するよ」
「そりゃあ残念だ。……たくさん買ってきたんだな」

 軽口を叩きながら二人の荷物に目を移す。よく見ると女は抱えている紙袋の他にも小さな袋を腕からぶら下げていた。随分と重そうだ。

「運ぶの、手伝おうか。……俺で良ければ」
「ああ、助かります。それじゃあ、ええと……」

 女は紙袋の中をごそごそと探り始める。紙袋ごと落としてしまいそうな危うい動きだったから、御手杵は下面に手を添えて支えてやった。ふと、別にそんなことをさせなくても紙袋こと受け取ってしまえば良いのだということに思い至ったのだが、それを実行する前に女は目的のものを見つけ出してしまったらしい。

「これ、台所に持って行ってくれますか? 私たちは鍛錬所に向かいますから」

 女がそう言って差し出してきたものは、アイスの箱だ。袋の中からはまた別の箱が冷気を帯びながら顔を覗かせている。本丸の全員分はありそうだ。どうやら、自分達は鍛錬所に行かねばならないので、御手杵を台所へ向かわせて手間を省こう、ということらしい。

「あー……うん、分かった」
「一本くらいなら食べてしまってもいいですよ。お礼です」
「ああ」

 頷く。二人は先に靴を脱ぎ、屋内へと消えていく。御手杵はその様子を後ろから、黙ったまま見つめていた。
 本当は、そういうつもりで言ったのではなかったのだけれど。

「嫉妬だ?」

 背後から聞こえた高い声に心臓が鳴る。びくりと肩を跳ねさせながら振り向けば、いやに可愛らしい服を身に纏い、髪を一つに括った内番姿の乱が口元に隠そうともしない笑みを浮かべて立っていた。くりりとした空色の目が御手杵を見上げている。

「嫉妬……嫉妬なあ」
「あ、もしかして嫉妬って何か分からない? 嫉妬っていうのはね……」
「分かる分かる。そのくらい分かるけど、別に嫉妬とかじゃないよ」

 どこか自慢げに話す乱の言葉を遮る。少女のような姿をした少年、の姿をした短刀は、大きな目をぱちくりさせて首を傾げた。

「えー? 主が青江を連れて買い物に行ったからヤキモチ焼いてるんじゃないの?」
「違うって」
「ふうん……ま、ボクはいいけどさ、どっちでも。ほら、早くアイス持って行きなよ。先に行ってるから」

 乱はまだいくらか疑いの目を向けていたが、実のところそれほど興味はなかったのだろう。こちらに背を向けて早々に畑へと立ち去ってしまう。先に彼を待っていたのはこちらの方だったのだが。

「嫉妬なあ……」

 玄関に入り、靴を脱ぎながら同じ言葉を口の中で転がす。
 嫉妬とは、自分の持たない何かを持つ者を羨んだり、恨んだりした時に生じてくる感情のはずだ。確かに自分は女と青江が並んだ姿を見て名状し難い妙な気分に襲われた。無性に心がざわついた。だが、それを嫉妬なのだと認めようとしても、何かが違う気がしてならないのだ。

 女と所謂恋人という関係になったのはもう半年近く前だ。関係は至って良好で、彼女が青江に取られるだとか、そういう心配であれば御手杵は一切抱いてはいなかった。
 そもそも女は使えるものは使う質だし、出来ることが多いに越したことはないと思っている。近侍の仕事だって、まあ多少効率は悪くなるかもしれないが、一人に任せきるのではなく刀剣達の間で順々に回していた。戦場に身を置いているのだから常に破壊の危険は付き纏っていて、誰かがいなくなれば他の誰かが代わりを果たさなければならない。主は多分、そういったことを考えている。

 しかし、そんな内心と関わりがあるのかは分からないが、最近御手杵はどうにも近侍の分担の輪から外されているようなのである。
 確かに、自分は仕事が出来る方だとは言えないだろう。やる気もどちらかといえばない。最近本丸にやってきた平野の方が余程しっかりしているし、改めて考えてみると自分を近侍にして良いことなんて一つもない気がする。一層、複雑な気持ちになってしまう。

 台所に辿り着く。広めの厨には本丸の外装からは想像もできないくような、調理を効率化するためだけの機器がいくつも取り揃えられている。食事の前後には賑わっているこの部屋も昼を過ぎたこの時間には誰の姿も見えず、別の場所のようにしんとしていた。
 冷凍庫を開いてアイスを箱ごとしまい込む。これで頼まれ事は終わりだ。

「アイス、食べないんですか?」

 その時、背後から予想だにしなかった声が掛けられた。今まさに吐き出されようとしていたため息が驚きで引っ込んでしまう。

「な……っいきなり驚かせるの、やめろよ」
「驚かしたつもりはなかったんですが」

 振り向けば、青江と一緒に鍛錬所に向かったはずの女が何故か後ろに立っている。一気にバクバクと鳴り出した心臓を落ち着けようとする御手杵をよそ目に女は冷凍庫へ近づき、今しがた仕舞われたばかりの箱を取り出して封を開けた。棒状のアイスを二本取り出して、再び箱を冷凍室へと収める。

「なんで来たんだ」
「アイスが食べたかったから。……なんてね。青江に来させられました」

 差し出されたアイスを慌てて断る。暑いし食べたいのは山々だが、畑では乱が待っているし、今は彼一人に仕事を任せている状態なのだ。女がそれ以上勧めてくることはなく、片方のアイスは冷凍庫に戻された。

「なんで青江が?」
「あなたが分かりやすいからばれちゃったんです。……まあ、分かりやすいことをしていた私も私なんですが」

 言いながら女は椅子に腰掛け、アイスの袋を開けた。

「隣、座りませんか」
「いや、俺、もう行かないと」
「少しだけ待ってください。それじゃあ来た意味がないんです」

 女は酷くまどろっこしい言い方をした。そのせいで何を意図して待てなどと言っているのか、御手杵には分からない。いや、分かる気もする。けれども一つも確信は出来なかった。
 御手杵はいくらか迷ったが、内番も出陣や遠征と同じく主の命によって行われる仕事だ。その主がここにいろと言うのなら、それに従うべきなのだろう。
 椅子を引き隣に腰掛ける。女はテーブルに肘を付き、こちらを見ないまま水色のアイスを口に咥えた。シャク、という小気味の良い音。貰っておけば良かったか、と今更ながら思う。
 人を留めておきながら、女は何を話し出そうともしなかった。ぼんやりと遠くの方を眺めながらアイスを食べているだけだ。これでは、アイスが食べたかったから、なんて冗談が本当になってしまう。それは避けたいところだ。

「なあ、あんた、なんで俺を近侍にしないんだ?」

 女が何を考えてここに来たのかははっきりしないが、その問題が何にせよ、多分どう切り出せばいいのかを迷っているのだ。それならこちらから話し出す方が早い。
 女は不自然に一拍置いた。目だけがちらりとこちらを見て、しかしまたすぐに真正面のどこでもない場所に戻される。

「あなた、近侍の仕事苦手じゃないですか」
「それはそうだけどさ」
「指揮を執ったりなんだりよりも、戦うだけの方が好きでしょうし」
「それもそうだけど、でも、他の奴には近侍やらせてるだろ。同田貫にだって」

 自分と似たところがある刀の名を上げる。同田貫正国もまた戦に飢えた刀だが、戦術という面では隊長にするには不適切だろう。当然のように戦以外の物事への興味も薄く、近侍を任されてぶつくさ不満を零している様は何度か見たことがある。が、女はそれに構わず他の刀剣達と同じく仕事を任せていた。
 つまり、御手杵が近侍に振り当てられないのは、やる気や能力以前に何か致命的に至らぬところがあるからなのだ。

「俺に駄目なところがあるなら言ってくれないか。その……俺もあんたの役に立ちたいんだ」

 役に立ちたい、と、そう口にして初めて御手杵は胸のあの靄の正体を見つけた。嫉妬とはやはり少し違う。他の刀剣達のように女の支えになれていないのが悔しかったのだ。一番近い場所で彼女の助けになりたかったし、頼られたかった。どうにもならないはがゆさを抱えていた。
 女はようやくこちらを向いた。御手杵の顔を見て、はっとしたように目を瞠る。

「あ……違う、そんなことを言わせたいんじゃないんです。御手杵のせいなんかじゃない……」

 女は唇を震わせ、何か大きな間違いを犯してしまったかのように言う。目が伏せられ、長い睫毛が白い肌に影を落とした。

「……その、あなたが傍にいると、私が仕事をできなくなるんです」

 そのまま女は申し訳なさげに口を開く。
 けれども、それは結局御手杵のせいなのではないか。自分が女の仕事の邪魔をしてしまっていると、そういうことなのではないだろうか。

「俺、そんなにうるさいか?」
「そうでもなくて……だから、あの」

 ここまで来てもまだ女は口にするのを躊躇っている様子だった。もどかしさを感じながら、御手杵は黙って続きを待つ。
 あーだのうーだの言いながら迷った後で、やっと女は白状した。

「……あなたがそばにいると、どきどきしちゃうんです」

 恥じらっているのか顔を俯けたまま口元を手の甲で隠し、目だけでちらりと男の顔を見上げる。やたら可愛らしい仕種だと思いつつも、しかし御手杵の中では驚きや困惑の方が勝る。

「……どきどき?」
「……どきどき、です」

 恨めしげな目が御手杵を見つめる。こんなことを言わせないで。そんな心の声が伝わってくるようだった。
 どきどきとは、あれだろうか。心臓の鼓動が早くなり、身体が急激に熱くなって、頭の中が一杯になっていくような、あの感覚だろうか。
 勿論御手杵にも覚えはある。覚えはあったが。

「今更? っていうか、まだ?」
「う……そうですよ。あなたを好きになってからずっとですよ」

 諦めたような告白をする女の頬はほんのり色づいていた。
 彼女とそういう関係になったのはもう五ヶ月も前だ。今ではもう当たり前のように体を重ねるし、最初は隠していたはずなのに気づけば本丸で公認の仲になってしまっている。
 それなのに、御手杵が傍にいるだけでこの女は初恋を知ったばかりの乙女のように胸を高鳴らせるのだという。

「じゃあ今もか? 全然そんな風に見えないけど」
「……そうです」
「へえ……」

 女の言葉を噛み締める。御手杵はなんだか、楽しくなってきてしまった。

「どきどきってどんなんだ? 俺に抱きしめられたいとか、そういうことを考えてんのか?」
「ちょっと、調子に乗らないでください」
「考えてる?」

 もう一度尋ねながらぐっと顔を近づける。拳一つ分もない距離で視線が繋がった。女はびくりと身体を引いて、言葉に詰まりながら目を逸らす。

「っ……悪いですか」
「悪くない」

 女の反応は当初は想像もしていなかったものだったが、そう、決して悪いものなどではない。冷静な顔をした恋人が心の中でずっと自分に胸を高鳴らせていたなんて聞けば、世の中の男というものは安直に喜ぶに違いない。御手杵は自分達以外に参照できるような色恋沙汰など殆ど思い当たらなかったが、それでも自分が相当愛されているらしいことは分かる。調子にも乗るというものだ。口元が思わず緩む。
 だが、それで近侍を担えないというのも複雑な心持ちにさせられる。

「でもそれとこれとは別だぜ。俺、あんたの近侍はやりたい」
「……うん。頑張って、早く慣れます」
「ん。俺も近侍の仕事、ちゃんと出来るようにするから」

 女を支えることが出来て、しかも傍にいることが許されるなら、それが一番良い。
 御手杵の言葉が嬉しかったらのか、女がやっと小さな微笑みを見せた。

「多分、一年後には慣れてると思います」
「それは長すぎだろ……あと二ヶ月くらいで慣れないか?」
「もう五ヶ月経ってるのに、あと二ヶ月でなんて無理です。せめて半年」
「じゃあ三ヶ月」
「う……四ヶ月」
「仕方ないなあ」

 苦笑しつつそこいらで妥協する。尤も、期限を設けて達成出来ることでもないだろう。それは二人とも知ってはいたけれど。
 女がアイスの棒を袋に戻し、ゴミ箱にまとめて捨てに行く。それを見た御手杵も徐に立ち上がった。随分と長居をしてしまった気がする。
 流しで手を軽く洗った女がくるりと振り向く。ふと目が合った。女は立ち止まったまま動かず、数秒、じっと見つめ合う形になる。

「どうかしたのか?」
「いえ」

 女は首を横に振り、また顔を俯けた。両の手のひらが胸の上で重ねられる。心臓の辺りを押さえているようだった。
 何を憂いたのか形の良い眉尻がへたりと垂れ下がる。再び擡げられた顔の、切なげで、蕩けるような熱が込められた二つの瞳に射抜かれ、思わず御手杵は息を呑んだ。
 女は少しだけ笑ったようだった。


「慣れるなんて、出来るのかなって思って。だって、こんなに」

 どきどきするのに。

 赤い唇が震え、そう言葉を形作る。
 それを聞いた瞬間、御手杵はいてもたってもいられなくなって、女を抱きしめていた。ぎゅうっ、と、上から覆い被さるようにして女を腕の中に収める。胸の辺りに小さな頭が当たる。
 女は突然の抱擁に肩を跳ねさせたが、すぐに男の拘束から逃れようともがき始めた。腕の中から苦しげな呻き声が聞こえる。

「ちょ、っと……! ここ、台所ですよ……っ」
「あんたもしたくなるって言ったじゃないか」
「そうですけど、だめです!」

 女は狭い空間の中でぐぐっと目の前の胸を押し、どうにか退けさせようとする。勿論、御手杵が武器も持たない華奢な女の力に負けるはずはない。だが、そこにいくらか本気の抵抗を感じ取り、男は渋々ながら柔らかな身体を放した。
 すると彼女はすぐさま数歩後退し、御手杵から距離を取る。警戒されているらしい。

「話は終わりです。早く仕事に戻ってください」
「うえー」

 先程までのいじらしさは何処へ行ってしまったのか。つん、と澄ました顔で御手杵の横をすり抜けていく。
 まあ、仕方のないことだろう。いつまでもここで話しているわけにもいかない。腕に残る体温を惜しみながら御手杵もまた扉へ向かう。

「……あの」

 と、先に廊下に出た女が扉の影からそっと顔を覗かせた。

「そういうのは、夜だけですよ」

 御手杵以外の誰も聞いてはいないというのに、女は声を潜めて囁いた。御手杵は女の言葉を反芻する。そういうのは、夜だけ。
 それは誘い以外の何物でもない。

「今日の?」
「今日の、です。それでは」

 それだけを告げて女は小走りに去っていく。淡白な言葉だったが、十中八九照れ隠しだ。
 後に残された御手杵は暫しその場で喜びを噛みしめた後、意気揚々と畑へと向かった。そんなことを言われれば俄然やる気が出てきてしまう。可愛い恋人のことを想いながら彼はその顔を綻ばせた。








 勿論、畑に辿り着いた御手杵は作業をしていた乱に遅い!と叱られたわけだが、それはまた別の話である。




+++++
5月4日 #さにわんらい で書いたものを大幅に加筆修正
お題「可愛がるなら後にして」

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -