転生したら石の時代だったので強いやつの取り巻きになる

 特に死んだ覚えはないが、気づいたら石器時代にいた。どうやら、そういうタイプの転生をしたらしい。

 現代の記憶がある人間が石器時代を生きるのは無理ゲーだわ、と最初は途方にくれたものだが、その生活は思っていたよりはつらくなかった。
 たぶん、これはガチ石器時代ではなく、なんちゃってファンタジーの世界なのだ。
 なんかみんな白人っぽいのに使われている言語は日本語だし、見ていて嫌悪しない程度には清潔感があるし。なんか分かんないけどやたらめったら強い人もいる。単独で森に入って石の武器で熊に勝つとか。びっくりだね。
 巫女さまが話してくれる百物語も似非ファンタジー感がすごい。ライオンやらゴリラやら、凶悪なお供を連れた桃太郎って何だ。
 おまけに村の外には謎の石像が至るところに生えているし、これはもう完全に誰かが創作したファンタジー世界に間違いない。
 …あ、待った、違う。1個だけ間違えた。思っていたほどつらくはないのは本当だが、冬の寒さは別だ。めちゃくちゃやばい。寒すぎる。焚き火があんなに心許ないものだとは思わなかった。

「あまね、そろそろ帰っておいで」

 ──まあ、そんなわけで。なんだかんだ、転生者あまねは第二の人生をそれなりに生きている。

「はーい」

 いつの間にか日暮れが近づいていたようだ。石神村に住む幼女あまねは素直に頷き、両親の待つ家に帰ってゆく。
 あまねは子供らしく毎日外で遊んで過ごしていた。自分の記憶が正しければ頭はいい年した大人のはずなのだが、不思議なことに、同い年の子供と触れ合うのも全く苦痛ではない。
 なんにも考えず遊び回れる日々はそりゃあもう楽しかった。軽くて身軽な体はどこまでも走っていけるようだったし、朝から晩まで遊んでも全然疲れなかった。子供って最高だ。

「はは、今日もまた随分と泥だらけだなあ…」
「団子つくった! すごいツルツルのやつ! あっ、持ってくるの忘れた」
「あ、だめよあまね、明日、明日ね。今日はもう遅いから家にいてね」

 それでもって、家に帰れば、綺麗で優しい両親が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
 泥だらけの身体を水で清め、魚と山菜が中心の夜ご飯を食べて、歯磨きをして、夜も更けないうちにささっと寝て、また明日。
 最近は内面まで幼児化してる気がするが、…まあいいだろう。実際に子供だし。

 そんなわけで、体は子供、頭脳は大人なあまねちゃんはのらりくらりと日々を遊び過ごしていたわけだが。
 ある日の夕飯時、あまねはふと気がついた。

「おかあさん、ごはん、お魚多いね」
「湖に囲まれているからね、お魚のほうがいっぱい取れるのよ。あまねはお肉のほうが好き?」
「えー、うん」

 ここで頷くのはちょっと悪いかなという気がしながらも、あまねは子供の素直さで正直に答える。

「じゃあ今度交換をお願いしに行くわね」

 その言葉を聞いて、あまねはピン、と閃いた。
 石神村は水と生きる村。豊かな湖に囲まれているため魚を手に入れやすい一方で、獣を狩ることは誰もができるわけじゃない。
 これまで食卓に並んだお肉も、狩猟が得意な誰かと交渉して手に入れていたのだ。

 石器時代の食事が質素なのは仕方のないことである。と、あまねは思っていたが、そこに選択肢があるのなら話は別だ。どうせなら、毎日魚より、毎日肉のほうがいい。あわよくばいい暮らしがしたい。
 どうやったらそういう生活ができるだろう? あまねは小さくなった脳味噌を働かせた。そして、強くて狩りが上手な人と仲良くなるのが一番だと考えた。だって、仲良くなればお肉を譲ってくれるかもしれない。
 シンプルな答えを導き出せたことにあまねは満足し、すやりと眠りについた。なんとなく考えていただけで、実際に行動に移すつもりはそれほどなかった。
 が、あまねは見つけたのである。

「すげー! 5連勝だ!」
「まーたマグマかよー!」
「ムハハハ! おら、次だ! 掛かってこい!」

 太い木の枝を振り上げ笑う金髪の少年。名をマグマという彼は、あまねより2つか3つ年上の男の子だ。現代であればまだ小学生の年齢だが、成長がめざましく、同年代の中でも飛び抜けて体が大きい。チャンバラごっこでも圧倒的な強さを見せつけている。
 普段はあまね達とは別のグループで遊んでいるのだが、今日は偶然遊び場が被ったらしい。普段目にしないワイルドな遊び方を見て、女の子達は戸惑いを覚えているようだ。その一方で、男の子達は目に見えて気合を入れているのが分かる。観客の女の子達に良いところを見せようとしているのだ。かわいいね。
 まあそんな彼らも、最強の名をほしいままにしているマグマにはあっさり負けてしまうのだが。

「またマグマくんが勝ちだね! 強いんだね!」

 あまねは無邪気にマグマに駆け寄った。
 対戦相手をさくさくと倒していく姿は酷く暴力的だったけれど、圧倒的過ぎて爽快ですらあった。
 突然近寄ってきたチビっ子にマグマは微かな驚きを見せたが、すぐに自慢たっぷりに笑った。

「俺は長になる男だからな。当たり前だろ!」
「おさ?」

 マグマは村長の子供ではない。村長の子供は女の子が2人だけのはずだ。
 首を傾げたあまねに、マグマは鼻高に教えてくれた。

「知らねえのか? ゴゼンジアイで勝った一番強え男が村長になるんだぜ」

 その言葉を聞いた瞬間、あまねの頭に未来予想図が広がった。

「だったら絶対マグマくんが長だね! すごい! わたし、応援するね!」

 その言葉にマグマは大層気を良くしたらしい。ムハハハ、と変わった笑い声で笑った。
 あまねもへらへらと笑った。
 強い男が権力を持てば最強だ。これはもうどうあっても長になってもらうしかない。
 マグマと仲良くなる → 一番強いマグマが村長になる → あまねはおこぼれでいい暮らしをする。
 完璧だ。完璧な計画だ。

 その日からあまねはマグマに付き纏うようになった。突然うろちょろされるのは邪魔くさく思われるかも、という心配は杞憂で、マグマはあまねが彼を褒めるのをいつも心地よさそうに聞いていた。

「ようしあまね、お前も俺様の側近にしてやろう」

 と、マグマに言われたのは半年ほど経った頃だろうか。この頃には遊びのグループも随分と様変わりして、マグマとマントルとあまねの3人で過ごすことも多くなっていた。
 側近なんて言葉をどこで覚えてきたのかと思っていたが、今の村長の側に控えているジャスパーとターコイズがどうも側近という立場にあたるらしい。なるほどね。
 あまねがひとり納得していると、自分のことを『マグマ様』と呼ぶようにマグマが命令してきた。
 なんだそれプレイか???
 接客ならともかく、日常的に名前に様を付けるのは中々じゃないだろうか。え、側近ってそういうもの? でもちょっと、まだそこまで忠誠心的なものがあるわけじゃないっていうか、日常的に呼ぶのはハードルが高すぎるような。
 ちなみにマントルはまったく躊躇がないらしく、あっさりとマグマ様呼びに慣れていた。ちょっと負けた気分になった。
 あまねも頑張ってはみたが、翌日にはマグマに怒られた。彼を呼ぶ回数が露骨に減っていたのがバレたらしい。ちなみに呼べたとしても『マグマく…様』とか『マグマ…さま…(尻すぼみ)』とかだったので、いずれにせよ駄目だっぽい。くっ、こんなところで現代の記憶があることの弊害が…。
 恥ずかしいと言ったら、何故なのかと更に詰められてしまった。

「えー、んんー……ねえ、マグマくん、じゃダメかな? 長になったら様って付けて呼ぶようになるんだし、今はマグマくんって呼んでいたいな…」

 マグマは唇を尖らせてどことなく不満げだ。
 駄目か? 言い訳としては厳しいか?

「そっちのがいいのかよ」
「うん。…えっと、嫌? マグマくん…」
「………仕方ねえな」

 ちょっと苦しいと思ったけど、なんか許してもらえたらしい。
 様付けは未来の自分に投げてしまったが、まあ相手が村長であれば敬称付きで呼ぶこともできるだろう。そんなわけで、彼のことはこれからもマグマくんと呼んでおく。


***


 あまねがマグマに絡むようになってから早くも数年が経った。男の子達は狩りを教わる年齢だ。
 元々、あまねは肉を分けてもらえればそれで十分だと考えていたのだが、マグマと過ごすうちに段々と狩り自体にも興味が湧いてきた。それに、最近はもうずっと3人で過ごしているので、マグマとマントルだけが狩りに行ってしまうと、途端に過ごし方が分からなくなってしまうのだ。

「私も付いてく! 狩りする! マグマくんの側近なので!!!!!!」

 教官役の大人にゴリ押す。マグマも最初はいい顔をしていなかったが、最後には一緒に大人を説得してくれた。
 両親の反応も芳しくはなかった。反対というほどでもないが、父は山菜やキノコの採集を主に行っている人なので、本音を言うとあまねにはそちらのほうに付いてきてほしかったようだ。
 父から学ぶのも悪くないと思うが、あまねとしてはとりあえず獣を狩れるようになりたい。まあ待っててくれ。きっと美味しいお肉を持って帰ってくるからね。

 あまねは軽めの弓を持たせてもらうことになった。教官お手製の新品である。これもいずれは自分で整備できるようにならなければいけない。
 あまねは意気揚々と狩りに出向いたものの、初めのうちは全く狙いが定められなかった。矢を射る度に体がぶれてしまうし、こんなにも当たらないものかと落ち込んだ。
 おまけに、昼過ぎには腕がぷるぷる震える始末である。軽めといっても、あまねの今の体で扱える限界の弓だ。早く成長したいものだと、あまねは転生してから初めて思った。

 なので、自分だけで獲物を仕留めた時は、本当に嬉しかった。

「! 当たった! ねえ、当たった!!」
「あい〜〜〜! あまねちゃんやりましたねぇ!」

 飛び跳ねるあまねの傍で、マントルが自分のことのように喜んでくれる。
 マントルは、主人のマグマは勿論、年上にも年下にも、そこそこ長い付き合いのあまねにも敬語で話すようになっていた。もう癖のようなものなのだろう。敬語キャラってやつだな。…あれ、敬語キャラってこんなんだっけ?

「おう、ようやくか」
「ヘヘ、当たったよマグマくん〜」
「まあ、やるじゃねえか。食い出はなさそうだがな」

 マグマからはやや上からの褒め言葉を貰った。通常営業である。
 しかし、いつの間にやらすっかり取り巻き精神が身に付いたらしい。こんなマグマの言葉に、なんでかあまねはめちゃくちゃ嬉しくなるのだ。

 あまねが仕留めたのは小さな牡鹿だった。まだ1才ちょっとくらいだろうか。マグマの言う通り大物ではないが、ようやく一歩成長できた気がする。
 嬉しくてずっと騒いでいたら、狩り仲間のカーボが『記念に角でも取っておけばいいんじゃないか』と提案してくれた。名案だ。
 角を削って加工して、親指サイズの小さな角笛みたいな形にする。それに細い紐を通せばネックレスの完成だ。初心者のあまねでも時間を掛ければどうにか様になった。これに細かな装飾でも彫れたら格好いいのだろうが、そこまではどうにも無理そうだ。
 途中でふと思いついて、両親の分も追加で作成する。お揃いのネックレスを渡すとふたりはとても喜んでくれた。今度は父と山菜を取るのもいいなあ、とあまねは思った。


***


 成長して狩りにも慣れ、大人の付き添いなしで出かけるようになった頃。あまねは自分の体に違和感を覚えるようになった。
 獲物に狙いを付け、弓を引き絞った時に、どうにも像がぼやけて見えるのである。
 あまねは必死に目を細めて焦点を合わせ、後はこれまで培った勘で矢を放つ。気のせいだと思っていたくて、しばらくそうして過ごしていたけれど、ついにはマグマ達にも指摘されてしまった。

 あまねの症状は、ぼやぼや病。つまり、近視だ。
 現代ではありふれた症状だが、コンタクトレンズはおろか眼鏡すらないこの時代だと致命的だ。今はなんとか弓を引ける程度で済んでいるものの、その深刻さにあまねは段々と不安になってくる。

「このまま見えなくなったらどうしよう…」
「村にでもこもってろ」
「あい〜〜森に入るのはちょっと、危ないんじゃないでしょか…!」

 もっともな意見である。けれど、そんな突き放した言い方をしなくても。主にマグマくん。
 あまねがふてくされていると、呆れた様子でマグマが言った。

「見えねえんだったら仕方ねえだろが。大人しくしとけ」
「えーでもさあ、村に引き込もるって、…こうして皆で狩りもできないし、それは悲しいじゃん…」
「お肉なら分けてあげますよ〜」
「えっマントル超やさしい」

 あまねは目を輝かせた。やはり持つべきは狩り仲間か。
 村でごろごろしているだけで肉が貰えるとは。いい身分になったなあ、としみじみしてしまう。失明は普通に嫌だが。

「ムハハハハ! 肉くらい俺だって分けてやらんこともないぞ!」
「えっうそマグマくんも!?」

 思わず素で声を上げてしまい、ジロリと睨まれる。

「おい、何驚いてやがる」

 あまねは誤魔化しつつ笑った。
 マグマまでそう言ってくれるのは正直意外だった。マントルに張り合って出てきた言葉かもしれないけど。だとしても。

「へへありがとう、すごく嬉しいよ」

 不安を拭ってくれる二人の言葉が本当に、本当に嬉しくて、あまねは心から笑った。


***


 あれから視力はやや悪化したものの、狩りができる程度にはなんとか耐えている。
 マグマは相変わらず村の若者の中で一番強い。気は短いし、鍛錬と称してすぐ喧嘩を売りにいくので、よくトラブルになっているが。
 そんな乱暴者でも、評判はそこまで悪くはない。転生前と違って、石神村ではシンプルに『強い』男がモテるので、マグマは寧ろ一番の注目株なのである。郷に入ったので郷に従ってきたあまねは、彼の取り巻きとして素直に誇らしい気分を満喫していた。転生後の石の世界は不便だが、人生はそこそこうまくいっている。

 うまくいっていた、のだが。
 その日は突然訪れた。

 両親が、帰ってこない。
 いつも夕暮れまでには必ず帰ってくるのに、翌朝になっても、次の夕方になっても、そのまた次の日になっても、二人は帰ってこなかった。
 あまねは足の痛みも顧みず、山を駆けずり回った。動ける村人が総出で森の中に探しに出た。一番素早いコハクもあちらこちらを探してくれた。自分よりずっと年下の女の子に世話を掛けてしまうことをあまねは心苦しく思ったけど、助けてくれるのなら誰の手でも借りたい気持ちだった。
 それでも、両親は見つからなかった。

 何日か後、あまねの前にマグマがやって来た。
 捜索の疲れと不安で憔悴して、木の幹に寄りかかって、浅い眠りに捕まっていた時だった。
 曇りの日だった。どんよりとした雲は酷く黒く、鬱屈としていた。自分を見下ろすマグマの眼は、それと同じくらい暗い雰囲気を湛えていた。だから、目を開いた瞬間から、あまねは嫌な予感を覚えていた。
 獣の血の匂いが、いつもより濃い。一見した限りでは血は付着しておらず、洗い流されているようだったが、それで誤魔化せるものではなかった。
 マグマは黙ったまま、あまねの手に何かを握らせた。紐が外れ、細かな傷が刻まれた小さな角細工。あまねがずっと前に両親に贈った、お揃いのアクセサリー。
 それを見た瞬間に、何が起こったのかを理解した。ずっと、ずっと必死で堪えていた涙を、留めることができなくなった。あまねは嗚咽を漏らしながらその場に崩折れた。

 両親は、熊に殺されてしまったのだという。
 悲しいけれど、この原始の村では時折あることだった。誰もが戦う力を持っているわけじゃない。あまねだって、一人で相対したら死んでしまうかもしれない。獣とは、自然とは、そういうものなのだ。
 あの後、マグマは他の村人と一緒にその場所に向かい、亡くなった二人を村に帰してくれた。傷ついた遺体を見る勇気はあまねにはなく、真新しい墓の前で手を合わせるだけで精一杯だった。
 実感が持てない。毎日、おかえり、と笑ってあまねを迎えてくれていた二人が、冷たい土の下にいる実感が。一人きりの家で、残された物の整理もできないまま、あまねは毎夜、アクセサリーを見つめては泣いていた。
 一緒に埋めてしまえば良かったのかもしれない。目にする度にきっと、この悲しみを思い出してしまうから。
 …そう思いながらも、永遠に手放すことは、どうしてもできなくて。けれど、自分のものではないアクセサリーが手元にあることが、やっぱり悲しくて、どうしようもなくて。

「あー……えへ、久しぶり……」
「…あまね」

 いつもの待ち合わせ場所に二人はいた。前に顔を見たのがもう随分前のことのように感じる。なんだかすごく懐かしい気さえした。
 唇を閉ざしたマグマの傍らで、マントルがおろおろとこちらを気遣う言葉をくれる。あまねはうまく返事を作れなくて、代わりに、紐を付け直した2つのネックレスを手のひらに載せて差し出した。

「あの、あのね、貰ってくれないかな…」

 やっぱりあまねは泣いていた。ただでさえぼやけた視界はもうぐちゃぐちゃだ。
 さすがに重すぎるよなあ、とは、あまね自身も思っていた。だって、他人の親の形見ってなんだよ、って感じでしょ。でも、自分と一番仲の良いふたりがずっと持っていてくれたら嬉しいなと思って。ただ、それだけで。

 突き返されても仕方ないと思っていた。
 けれど、あまねの手を覆うくらい大きな掌が、片方のネックレスを取ってくれて。続けてもう片方のネックレスも手の上から消え、あまねの手のひらはふわりと軽くなる。
 涙を拭う。その上を新しい涙がどんどん流れてゆき、それを止められないまま、ありがとう、と精一杯の言葉を絞り出した。


***


 両親が亡くなってから、心が落ち着くだけの時間が過ぎた。気づけば成人も過ぎ、あまねは村の中ではもう一人前の大人である。
 あまねは屋根の上に登り、焼いた肉をもそもそと頬張っていた。
 これでいいのかなあ。日向ぼっこがてら、ひとり物思いに耽る。お肉は今日もおいしい、けれど。
 あまねは自分を見上げる視線に気づいた。太っちょの少年、ガンエンである。彼が物欲しそうにこちらを見ているので、あまねはあえて見せびらかしながら肉を噛み千切った。
 欲しい? ならば交換だ。レートは私が決めるぞ。まあ、マグマよりは優しいから安心してよ。

 懐を温かくしたあまねは再び黙々と頭を悩ませた。
 何がこれでいいのか、と悩んでいるのかと言うと、あまねの人生のことである。転生したことには何か特別な意味がある──とは全く思わないにせよ、ただぼんやりと過ごすには人生は長い。…そんなことはない、ただ生きていればそれでいい。…生きているからには何かをなさねば、生んでくれた両親に申し訳が立たない。
 あまねは頭を振った。ぷかぷか浮かんでくる考えは矛盾と切なさを孕んでいて、自分にはちょっと毒だ。
 だけど、それにしても、人生そのものがあまり上手くいっていないような気がする。強い奴の取り巻きになるという当初の目標は達成し、大切な仲間ができたけれど、両親は亡くなってしまったし、こんな世界じゃ近視も治らない。
 マグマが村長になれば、このモヤモヤも晴れるだろうか。現状、彼より強い男はいないので、その夢も特に苦難もなく果たせる予定でいるけれど。
 っていうか、結婚とかするのかな。
 あまねはふと思う。マグマもマントルも自分も、なんだかんだいい歳だ。しかし、誰かが結婚するところは一向に想像できない。
 なんだか、ずっと3人でこうして狩りをしながら過ごすような気がする。まあ、それも悪くないか。

「でも、あまねはいいわけ? マグマが長になって」

 村の傍の湖で水浴びをしている時に、唐突にガーネットが言った。
 彼女は幼い頃あまねがよく遊んでいた相手である。もっとも、マグマに絡み始める前の話なので、相当昔のことだ。
 強い男が好みなガーネットは、恋愛的な意味でマグマを好いている──とあまねは認識していたのだが、その情報はいささか古かったらしい。いつの間にか諦めていたようで、「もういいの、じゅうーーーぶん、分かったから」と、いつだか不貞腐れた様子で告げられた。
 そちらの言葉の意味も実はあまねはよく分かっていないのだが、ガーネットが嫌そうな顔をするので、あまり深く聞けていないのが実情だ。

「どういう意味?」

 とりあえず、今しがたの言葉について尋ねてみる。マグマが村長になって困るような事情はあまねには特にないはずだ。

「だって、長になったら巫女様と結婚するじゃない」

 ん?

「結婚? 誰が?」
「えっ」

 ガーネットは、マジか、という顔をした。なんならちょっと引いていたまである。
 彼女は恐る恐る唇を開き、あまねに教えてくれた。

「御前試合の優勝者は、『巫女と結婚して』、村長になるのよ」
「は?」

 聞いてないんだが?

 ──。
 確かに理屈は通っている。巫女は村長の娘なのだから、その子と結婚して、婿入りの形で村長の家系に加わるわけだ。ふうん、なるほどね。
 いや、聞いてないんだが?

 …………………あれ、でも。
 初耳だったのでつい動揺してしまったが、よく考えるとなんの問題もない。
 別にあまねはマグマと結婚したいわけではない。恋愛感情があるわけではないし、権力者になった彼にただ贔屓してもらえればそれでいいのだ。
 いい、はずだよな?
 うん、何も問題はない。


***


 コハクめえ(怒)
 あまねは怒っていた。村の長とあまねの未来が決まる大事な御前試合。ついに開催されたその試合で、なんと女のコハクがマグマを降して優勝してしまったのである。
 女だしそれ以前に妹だし、当然巫女とは結婚できない。おかげで御前試合は無効だが、試合後のマグマは荒れていた。あまねは彼を全力で宥めた。
 しかし、コハクには両親を探すために尽力してもらった恩があるので、あまり恨むようなこともできない。
 でも、そう、大丈夫。やり直しの御前試合で勝てばいいだけの話なのだから。


***


 熊を獲って帰ってみれば、何やら村が騒がしい。おしゃべり好きのシャベルによると、なんでもコハクが余所者を連れてきたのだとか。
 怪しいなぁ。あまねは首を捻った。村の外にはかつて追放された罪人の子孫がいる、と言われているが、実際に見たことは一度もない。まさか本当に存在していたとは。どこかに別の村を作って生活していたのだろうか。…それにしても、コハクも大概トラブルメーカーだ。
 考え込むあまねとは裏腹に、マグマの反応ははっきりしていた。彼はいつも通りに笑い、迷いのない大声で言う。

「危ない奴なら俺が殺す! そしてルリは俺に惚れる!」

 …?
 胸の奥にぐさりと何かが刺さったような、嫌な感じがした。
 あまねは一瞬だけ息を止め、その棘を抜こうと試みる。しかし、その鋭角の正体すら掴めていないとあっては、土台無理な話だ。

「うん、絶対巫女さまもマグマくんのことを好きになるよ!」

 パッと笑ってそう口にしたら、微かな痛みはすぐに消えた。
 マグマは目を細め、満足そうに頷いた。


***


 余所者はクロムの倉庫に住み着いてしまったらしい。噂の彼は、今日もまた村を騒がせている。

「ちょっと聞いてよあまね」
「なになに、どうしたの」

 狩りを終えて帰ってきたところで、あまねはガーネットに捕まった。彼女は不満そうな表情をしていたが、その奥には微かな焦燥が透けて見えた。

「余所者よ、余所者が何かよく分からない食べ物を皆に配ってるのよ」
「何それ怪しい」
「でしょう!? それなのに、ルビィったらのこのこ付いて行って! 本当に食い意地が張ってるんだから…」

 こんな厳しい世界で他人に無償で食べ物を分け与えるのは、漁の得意な礁か、もしくは余程のお人好しくらいだろう。
 見知らぬ相手から食料を貰う? 後でどんな代償を払わされるか分からないし、そもそも安全かどうかも怪しい。なんだよく分からない食べ物って。食べ物なのかそれ。

「余所者って言っても、コハクが連れてきた人だし……あの子も変わり者だけど、村に対して危険なことはしないと思ってはいるわよ? けど…」
「まあ心配だよねえ…。えーどんな食べ物だったの」
「ええと、確か……ラーメン、だったかしら」

 ……は? ラーメン?
 あまねはぽかんと口を開けた。

「知ってる?」
「えー、んー…知らない、何それ」
「そうよね」

 あまねの返事を聞き、ガーネットは眉間に皺を寄せて溜息をひとつ。
 しかし、嘘である。本当は知っている。
 前世以来、久しぶりに聞いた単語だ。すっかりこの村の生活に染まっているが、あまねは実は転生者である。
 まさか余所者が振る舞っているものがラーメンとは。もしかすると、相手も自分と同じような転生者なのだろうか。まあ、いても不思議ではないだろう。
 胡散臭く思う気持ちは変わらないが、流石にちょっと気になってきた。
 ラーメン。この原始の世界にラーメン。
 作ろうという気も起きなかった。そもそも小麦なんてこのあたりに生えてただろうか。あまねはふと疑問に思うが、ラーメンが作れたのなら、そういうことなのだろう。

「えー心配だね」

 ガーネットを宥めるように言いつつ、あまねの胸は興味でそわそわしている。ラーメンが特別好きだったわけではないが、前世の食事というだけでもう恋しい。

「マグマくん達と様子見てこよっかな、」

 と、口にした時だった。
 一際強く、いやに生暖かい風が、あまねとガーネットの間を駆け抜けた。

「わっ」
「きゃっ…」

 あまねはぶんぶんと首を降り、顔に掛かった髪を除ける。ぱちぱちと瞬きをしながら、遠くの山間に目をやった。随分と嫌な空の色だ。
 これは荒れそうだぞ、とあまねは眉根を寄せた。


***


 予想通り、程なくして石神村には激しい雨風が吹き荒れ始めた。あれまあ、お空の神様も随分とお怒りなすって。まあ、神様というか、ただの雷なんだが。
 ともかく、そんな最悪の天気の中──あまねは、初めて転生者を見た。

 早く家の中で温まりたいなあ、と内心思いながら、橋を壊した不届き者を懲らしめんとするマグマに付いていく。
 橋の真ん中で見たそいつは変わった出で立ちをしていた。この世界では見たことのない凝ったデザインの服。何の素材を使ったのか、羽織はびっくりするほど綺麗な紫で染め上げられている。アシンメトリーな髪の色は白と黒でぱっくり分かれていて、おまけに頬にはヒビのような不思議なメイクが入っていた。もしかすると元々日本人ではなかったのかもしれない。
 やっぱりファンタジーなんだよなあ。マグマの背中から覗き込むように観察しながら、あまねはやや達観した気分で思う。
 しかし──やたらと胡散臭い話し方をする男だが、あまり怖い相手ではなさそうだ。マグマの敵ではない。虎の威を借る気満々のあまねは、ほっと気持ちを緩めた。
 瞬間、転生者が手に持っていた花が一瞬にして消えた。
 橋の上にいた村人4人は揃って目を丸くした。
 ──妖術じゃん!!?


 妖術だ。本物の妖術だ。初めて見た。何かを消すなんて、村一の変わり者のクロムでもとてもできない。
 あの時のことを思い出す度にあまねの心臓はバクバク鳴った。さすがファンタジー世界、魔法も何でもありとは恐れ入る。

 時刻は分からないが、すっかり日は暮れて夜である。嵐が来ても転生者が来ても腹は減る。あまね達はいつものように火を焚き、夜ご飯の準備を始めていた。今日のメインはでっぷりと丸いトカゲ(たぶん)の肉だ。ちなみにカーボは一足先に自宅に帰っている。なぜなら家庭があるので。
 イツメン3人の話題を占めているのはもちろん先程の転生者だ。暫くの間、余所者をボロクソに言うマグマにあまねはうんうんと相槌を打っていた。が、闇に乗じて殺そうという発言には堪らず目を見開いた。

「えっ、殺すの?」
「おう、村の物を壊す悪者なんだからよ。さっさと殺しちまったほうが早えだろが」
「あい〜〜」

 当然のように言うマグマの隣で、あまねは眉をハの字にした。躊躇いのなさはこの人らしいが、ちょっと、いやかなり、一線を超えている。

「さすがに殺すのは……橋の板をちょっと剥がしただけなんでしょ? そこまでしなくても…」
「なんだ、怖気づいてんのか」
「だ、だって」

 怖気づかない理由がない。しかし、不安がるあまねに対し、マグマは軽く鼻で笑うばかりだ。

「相手がどんな妖術使ってくるかも分からないよ。危ないじゃん…」
「ムハハハ、だから気づかれる前に速攻で倒してやんだよ。先手取って殴りゃこっちのもんだろ」

 マグマは口角を吊り上げ、言葉を続ける。

「それに、妖術使いさえ倒せばコハクもただの女。またもや御前試合を邪魔されるのは御免だからな」

 コハクが強かったのは余所者が来る前からだと思うけど、という言葉を敢えて飲み込む。
 あまねは困っていた。マグマの従順な側近として生きてきたあまねは、彼を止める言葉をこれ以上には選べない。
 口ごもる女を、マグマは据わった目で見下ろす。

「余所者相手に何をグダグダ気にしてんだ。…のうのうとしてるうちにいつ村を襲いにくるかも分かんねえだろ」
「っ、それは、…そうかもしれないけど…」

 あまねは転生者がどういう人かを知らない。ほとんど分からない。
 コハクやクロムは懐いているようだが、彼らが転生者に騙されているということも確かにありえるだろう。コハクは鋭いほうだし、簡単に惑わされないと思ってはいるが。
 あまねはついに黙り込む。殺すことを肯定することはできなかった。──しかし、どちらにせよ、マグマはあまねの答えなんて求めてはいなかったようだ。

「フン、……お前は黙って肉の番でもしていろ。行くぞ、マントル!」
「あ、ま、待って…!」

 伸ばした手は当然のごとく宙を切る。そして結局、あまねの足も動き出さなかった。
 躊躇のない殺意は、とても恐ろしくて。だけど、それが最低限自分に向かなければいいや、と思ってしまったのは、我ながら冷徹すぎただろうか。


 暫くして、マグマはご機嫌な様子で帰ってきた。どうやら目的は果たしたらしい。
 死んじゃったのか…。
 罪悪感が胸の奥を軋ませる。貴重な転生者仲間。もしかすると親しくなれたかもしれない。
 いや、やめよう。マグマを止めなかったのは自分だ。


***


 余所者殺しの犯人はバレていないらしい。夜が明けた後もコハクやクロムが殴り込みに来ることはなかった。余所者が死んだにも関わらず、彼らは相変わらずクロムの倉庫あたりにこもっているようで、顔を見る機会はそれほどない。
 暫くの間は、マグマやあまねにとっては普段通りの、平穏な日々が続いていた。

 ある日の夕方、コハクがやってきた。
 彼女の碧いまなざしがあまねを正面から捉えた瞬間、心臓が跳ねた。転生者殺しのことがばれたのかと思った。あまねはちょうど一人でいたので、なおのこと怯えた。

「あまね、君はマグマのことを好いているのだろう?」

 しかし、コハクの切り出し方は予想外のものだった。
 もし転生者殺しがばれていて、あまねを犯人の一味と思っているなら、直情型のコハクがこんな回りくどい言い方をするわけがない。
 あまねいくらか肩の力を抜いて、答えた。

「そりゃ、好きだけど」

 簡単過ぎて、愚問ですらあった。
 いくら強いからって、嫌いだったらさすがに取り巻きはやっていられない。

「いいのか、マグマが長になって」
「どういうこと?」
「長になれば、マグマは私の姉者と夫婦になるのだぞ」
「知ってるけど、何」

 あんまり聞きたくはないんだよな、という気持ちが声に出る。その話題になると、何故か胸がチクチクする。そして未だに、痛みをなくす方法があまねには分からない。

「思うところは一つもないのか? 例えば、マグマが長にならなければ、君と──」
「馬鹿にしないで」

 あまねはピシャリとコハクの言葉を遮る。話の途中だが、既に見逃せない言葉があった。
 同時に、コハクが自分の元を訪れた意図も察した。あわよくば、あまねを自分達の仲間に引き入れようとしているのだ。

「私がマグマくんの望みの邪魔なんて、するわけないでしょ」

 こちとらもう10年来の取り巻きなのだ。最初の最初は打算込みだったとしても、今日まで彼を応援してきた気持ちは紛れもなく本心だ。マグマ以外が村長になる未来など、あまねは一切求めていない。
 コハクは静かに目を伏せた。重苦しい沈黙に耐えかねて、あまねはそっと背を向ける。

「……そうだな、すまない。分かっていたのだ。君がそう言うだろうとは、…」

 背中にぽつりと零れた声を聞きながら、あまねは胸元のネックレスを握りしめた。


***


 運命の御前試合の日が来た。
 目が冴えるほどの快晴だ。あまねの体調もすこぶる良い。まあ別にあまねの気分が良かろうと悪かろうと、そんなことは御前試合の結果には一つ影響を及ぼさないのだが。
 しかし、そんなことはちっとも関係ないくらい、自信に満ちた心地の良い朝であった。軽く身支度を整えたあまねは、いつも通りマグマとマントルと合流し、気合を入れて朝食を掻き込んだ。

 太鼓が鳴る。御前試合の開幕を告げる音が、腹の底まで深く響く。
 村の広場には徐々に住民が集まってきていた。彼らはこれから始まる試合について高揚した様子で語っていたり、普段通りの世間話をしたり、思い思いにその時を待っている。
 誰かが視線を橋のほうにやった。それにつられて、一人、また一人。全ての村人の眼が『彼』を捉えるまで、そう時間は掛からなかった。
 門番の金狼と銀狼が道を開ける。
 そこにいたのは、変わった格好の男だった。
 逆立った緑のグラデーションの髪。眉間に刻まれたヒビのような模様。石神村では見かけない意匠の服。腰回りには、何やら重たげなポーチや革袋をたくさんぶらさげている。
 けれど、何よりもあまねの目を引いたのは、彼の襟元の赤黒い模様だ。
 あまねは目をじっと細め、ぼやける視界の焦点を定める。
『E = mc²』
 この時代にしか生きたことのない人なら模様としか認識できないだろう。あまねも意味は分からない。けれど、それはたぶん、何か物理とか化学とかの公式で。
 それはつまり。
 ──転生者ってもう一人いたの!?!?


「チッ…まーだ余所モンがいやがったのか」
「えっ、あ、……えっと、びっくりしちゃったね…」
「あい〜〜〜もしかして、御前試合に参加するつもりなんでしょか…!?」
「フン、悪者めが。長になって村を支配でもするつもりかよ」

 ボコボコにぶちのめしてやる、と意気込むマグマの傍らで、あまねは未だ混乱の真っ只中である。
 確かに、転生者が一人だと決まっていたわけじゃない。二度あることは三度あると言うし、二人いれば三人いてもおかしくない。
 あれ、でも、村の外に住み着いている余所者は確かに一人と聞いたはずだ。
 じゃあ前の怪しい奴はなんだったんだ。
 ……いや本当に誰だったんだ……?

 顎に手を当てて考え込んでいると、社の前でざわめきが起こった。何事かと目をやれば、村の巫女が病身を押して長い階段を降りてきていた。
 おいおい巫女さま大丈夫か、とあまねもヒヤヒヤしながら見守る。もし階段で倒れでもしたら洒落にならない。
 それにしても、何の用だろう。『さすがに村人じゃない人の参加は認められません!』とか? だったらあまねとしては万々歳なのだが。
 村人の注目を集める中、ついに巫女は余所者の前に降り立つ。そして、全ての人間の予想を裏切って、彼女は尋ねた。

 は?
 ──苗字?

 なぜ転生者の苗字を聞くのだろう。いや、それ以前に、どうして巫女さまが苗字なんてものを知ってるのだろう。この石神村には苗字の風習などないというのに。

「もしかして、貴方は、」

 何かを口にしかけた巫女が、突如咳き込んでその場に崩れ落ちた。
 あまねも一瞬焦るが、すぐにジャスパーやターコイズが動いて巫女を介抱しにかかった。顔色は良くないし、掠れた声は酷く痛ましいが、意識はあるようだ。

 担架に載せられる少女をじっと見つめる。
 まさか巫女さままで転生者だったとでも言うのだろうか。三人いれば四人いるってこと? そろそろ訳が分からない。
 はあ、とあまねは溜息を一つ。

「何が何やら…」

 足元を眺め、誰にも聞こえない声でぽつりと呟く。あまねはすっかりこの村の生活に馴染んでいるので、今更転生絡みで慌ただしくされても困るのだ。いや別に彼らと直接そういう話をしたわけではないが、視界にちらつかれると気にはなる。
 なんだかモヤモヤする。しかしこの気持ちをぶつける相手もいないので、あまねは黙って足元の小石をコロンと蹴った。

「ムハハハ、こりゃいい!」

 あまねの隣で大声が響いた。
 靄を振り払うような笑い声である。あまねは自身の視界が開けたのを感じた。頭がパッと醒めて、耳と脳は彼の言葉を追うために普段通りに働いた。

「ルリの奴、わざわざ俺が殺さねえでも結婚してすぐ、」
「えっ、殺すの?」

 びっくりして、衝撃が思わず口をついて出た。子供の頃に母にやんわり窘められて以来、あまねは人の言葉を遮らないよう(特にマグマ相手には)気をつけていたのだが、つい言ってしまった。
 あまねを見下ろしたマグマは焦ったような顔をしている……と、思ったのはごく一瞬のことで、瞬きした後にあまねの眼に映ったマグマは見慣れた不機嫌顔である。

「馬鹿、殺すまでもねえって話だろが」
「あ、えっと……そっか…?」

 それならいいのか? まあ実際にしないならいっか。
 巫女さまを殺すなんて不敬が過ぎるものね。悲しい話だけど、どこから来たかも分からない余所者とはさすがに訳が違うのだ。

「んなことよりテメー、何考えてんだ。さっきから間抜け面でボケっとしやがってよ」
「ええ…そんな変な顔してたかなぁ」

 あまねは首を傾げた。考え込んでいた自覚はあったが、マグマから指摘されるとは思っていなかった。
 ちなみに、変な奴と思われたくないので、マグマとマントルに転生うんぬんの話をする気はない。少なくとも今のところは。

「うーん、まあ、余所者が御前試合に参加するのは予想外だったからさぁ」

 御前試合のルールは結構ガバガバだ。同性婚が認められてないのに女も参加できるし。しかも巫女の親族だし。仮にコハクが男だった場合はどうなったんだろうな。優勝したら巫女と結婚できたんだろうか。
 あまねの思考はそんなどうでもいい想像に飛んでいたが、どうやらマグマは彼女の言葉を別の方向に捉えたらしい。

「あんなヒョロガリがこのマグマ様に敵うわけねえだろが」

 あまねはぱちりと目を見開いた。

「えー、そんなことは心配してないよ! 長になるのはマグマくんなんだから」

 飛び道具(妖術って飛び道具だよな?)が禁止されている以上、余所者は敵ではない。金狼もアルゴもこれまでマグマに勝った試しがないし、問題はやはりコハクだけれど、彼女は性別的にどうせ長にはなれない。つまり、勝ち確というやつである。

「ムハハハ、分かってりゃいいんだよ」

 マグマは自信満々に笑った。あまねも頬を緩めて、へらっと笑った。そう、これこれ、こうでなくては。
 なんとも心地のいい関係である。あまねは取り巻き精神がすっかり身についているので、マグマが笑っているのを見るとそれだけで安心するのだ。
 うん、とあまねはひとり頷く。
 マグマと話して少し頭がすっきりした。石神村のただの住人のあまねに戻った、と言うべきか。
 あんなこと悩んでも仕方がない。あまねがすべきなのはマグマの応援、それだけである。


 対戦相手と順序を決めるくじ引きが始まった。なんと1回戦目のカードはいきなりの本命、マグマVS金狼だ。
 しかし、対戦相手としてはコハク以外は誰も怖くないので、あまねは呑気に対戦表を見てほっこりしていた。
 文字の代わりに記された出場者達の似顔絵。ナマリはまだ子供なのに絵が上手ですごい。デフォルメされた顔は皆の特徴をうまく捉えていて、おまけに可愛い。
 御前試合が終わったらマントルとマグマのところだけ貰おう、とあまねは心に決めている。ちなみに前回のも大切に取ってある。


 ──御前試合、予想外の展開多すぎ問題。
 まず、いきなりコハクがどこか行った。第1試合が始まるより前のことだ。審判のジャスパーにクロムが必死に弁明するところによれば、川で溺れているスイカをマントルが目撃し、それを聞いたコハクがスイカを助けに向かったのだとか。
 小狡いなあ、という気持ちと、そんなのに引っ掛かっちゃうんだなあ、という気持ちで、あまねは何とも言えない表情をしてしまう。
 だって、どこからどう考えても100%、絶対嘘なのに。というか、本当に溺れてたらさすがにマントルが助けるでしょ。…え、助けるでしょ?

 そして、やや慌ただしい中始まった第1試合。開幕から金狼の勢いがすごくて焦ったが、すぐにマグマがやり返してくれた。金狼がいい具合に吹っ飛んでいく。いいぞいいぞマグマくん。ほらほらさくっとリタイアするんだ金狼。
 しかし、あまねが応援とやじを飛ばしていたところで、さらなる想定外が現れた。
 突然、巫女の社の階段をスイカが…スイカに入ったスイカが…転がってきて、スイカが頭に被ってたスイカを舞台に向かって投げたのだ。なんだこれ訳が分かんないな。スイカの本名なんだっけ。っていうかやっぱり溺れてないじゃん。
 そして、投げられたスイカに向かって金狼が跳躍。金狼はスイカの殻をすぽっとピンポイントで頭に被り、華麗に地面に着地した。身体は人間、頭はスイカ。なんだあれ不審者か…?
 理解が追いつかずあまねが混乱していると、さらに不可解なことが起こった。突然、金狼の動きが何段階も速くなったのだ。
 金狼はマグマの振るう棍棒を尽く避け続け、ついにはカウンターを決めてしまう。膝をついたマグマを見て、あまねは悲鳴を上げた。
 このまま戦闘不能に追い込まれたらどうしよう。ここ数年であまねは一番焦ったかもしれない。
 しかし、何故か金狼はそれ以上追い詰めることはせず。マグマに背を向けたかと思うと、全員に聞こえる声で審判にルールの確認をし始めた。
 そして、その背後から──マグマが襲いかかる!

 ふははは油断したな金狼! あまねは飛び上がって喜んだ。うん? ずるい? 決着がついていないのに背を向けるほうが悪いのである。やーいやーいクソ真面目!

「マグマくんおめでとう!」
「おう、」

 あまねは笑顔で竹の水筒を手渡す。マグマは軽く返事をして受け取ってくれたが、相当に疲れた様子だ。
 それにしても、ほんとに一体何だったんだあのスイカマスクは…。


 気を取り直して、第2試合はマントルVSクロム。第1試合と比べると見応えが劣ることは否めないが、あまねは誰よりも全力でマントルを応援した。
 が、マグマの指示でマントルはあっさりリタイアしてしまう。残念だけど、コハクが村に戻りかけていたようなので仕方がない。これも戦略ってやつなのだろう。

 というわけで、第3試合は余所者の不戦勝となった。ここでコハクが落ちるのはあまね達にとって非常に都合がいい展開だ。

 第4試合はアルゴVS銀狼。ここで銀狼が勝ったのはおそらく誰にとっても予想外だったに違いない。
 まあ、ボコボコだったけど。ガーネット達のように叫びはしなかったものの、あまねも普通に引いた。やる時はやる奴なんだなあ、と少しだけ見直したが。やっぱり引いた。腫れて原型のない顔でモゴモゴ言っている図は普通に怖いのだ。

 さて、これで残った参加者は綺麗に半分。あとはマグマと、クロムと銀狼と余所者だけだ。
 金狼とコハクが敗れた今、彼らじゃ相手にすらならない。あまねはニコニコと微笑んだ。

 準決勝。マグマVSクロムである。
 開始早々、クロムはマグマに滅多打ちにされていた。勝てるわけないのに、なんで降参しないんだろう。あまねがそう思うくらいなのだから、マグマは当然苛立っている。
 うわマグマくん顔こっわ。
 その表情や暴力が自分に向けられていたら、あまねはたぶんガチで泣いていた。もっとも、今は他人事なので、安心なスリルに程よくドキドキしている。マグマくんは強くて容赦がなくて最高なのである。
 ──蹲っていたクロムが突然動きを見せた。壊れたスイカマスクを棍棒の先に引っ掛け、マグマに向かって突き出している。
 何をしているんだろう。殴られすぎて混乱してしまったのだろうか。そうだとすれば、ちょっと可哀想だ。さっきのアルゴみたいに場外に落としてあげたほうが互いのためかもしれない。

 そうやってクロムに同情していると、上方から胡散臭い声が降ってきた。聞き慣れないが、覚えのある声だ。
 あまねは目を見開いた。屋根の上にいたのは、マグマに殺されたはずの転生者その1だ。
 マグマが仕留め損ねていた? 妖術で死んだと見せかけたのか、それとも死の淵からまさかの復活を果たしたのか。いずれにせよこの転生者、やはり只者ではない。あまねは顔を強張らせ、警戒を深めた。

 その一方で──ほんの少し。あまねは、肩の力が抜けるような安堵も覚えていた。
 よかった。マグマは誰も殺していなかったのだ。


 ……。
 は? 心臓が爆発する???
 何してくれんだこの半々男!!!!!殺すぞ!!!!!!!!!


***


 御前試合が終わってしまった。
 波瀾の中、マグマは負けた。新しい村長の就任を祝う宴の片隅は、もうお通夜状態である。

「うっ、ううっ、…ぶえ、っぐす、…ひっ、ううう……ずぴっ」
「なんでテメエがんなに泣いてんだ」

 あまねの涙は未だ止まらない。マントルは一緒に泣いてくれているが、マグマはちょっと引き気味だ。

「悔しいからに、決まってるでしょ、っう、ひっく、………は〜〜〜〜…………飲もう、飲むしかない……」

 マグマとマントルの盃に酒を注いだ後、自分の器にもなみなみと注ぐ。
 あまねにとっても長年の夢だったのだ。今更語るまでもないことだけれど。
 ずずっと鼻を啜る。ああティッシュが欲しい。これまでのことを思い出していると、やっぱり涙は止まらなくなる。

「う〜〜元気出して、マグマくん…」
「…勝手に励ましてんじゃねえ」

 マグマはもうこっちも見ずに酒を飲んでいる。不機嫌で、そっけない態度。いつもならそっとしておくところだ。
 けれど、あまねは普段以上に絡みに行ってしまう。だって、やっぱり、やるせない。いくら酔っても晴らせる気がしない。

「つらいけど、っ、私がついてるからさ〜〜〜〜!」

 マグマの片腕に抱きつき、あまねはオンオンと泣いた。
 …あっ間違えた、正しくは『私達』か。ごめんごめん、私とマントルはズッ友だよ。これからも仲良く取り巻きやろうね。
 泣き顔のまま、マントルに向けてグッと親指を上に立てる。
 ……? なんだ、マントルのあのびっくりした顔は。

 マグマがあまねのほうに顔を向けた。微かに驚いたような表情をしている、と思ったのも束の間、それはすぐに波のように引いていき、残ったのは考え込むような真顔だ。…いや、やっぱりちょっと不機嫌寄り?
 あまねの首元にマグマの手が伸びてくる。顎の下に触れた指が、あまねの顔をぐっと上に向けた。
 これだけ近ければピントも合う。ぼやぼやの目でも、いつもよりはっきり顔が見えた。
 こうして見ると、マグマもいつの間にやら随分大人びたものだ。

「っひぐ、う、どうしたの…?」

 マグマはあまねを見つめたまま黙っている。焦れて尋ねると、ようやく反応してくれた。

「……ハ、ブサイクな顔だな」
「…、え〜〜それは酷くない?」

 あまねは一瞬返事に詰まった。傷ついたからとか、そういう理由ではない。
 言葉とは裏腹に、マグマは人を馬鹿にする表情ではなくて…。
 なんだろう、どう言えばいいのかな。
 頭が回らない。よく分かんないや。

 とりあえず、ブサイクと言われてしまったので、手の甲でどうにか涙を拭う。乱れた髪も整えておこう。

「喜べ。俺様は、素直に付き従ってきた忠義のある奴には報いてやる男だ」
「? うん、知ってるけど…?」

 あまねは首を傾げながら頷いた。
 それを疑ったことはない。他の皆への態度と比べると、相当優しくしてもらっていると思っている。
 というか、これだけ傍にいるんだから、さすがに特別でしょ。マグマくんにとって、私とマントルは。流石に他の人と同じ扱いはされたくない。

 マグマは満足そうに頷いた。
 ふいにあまねに大きな影が覆い被さる。それは、距離がゼロになるまで近づいてきて。


 チューされた。
 は?

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