eat me

「あれ? もしかして、あまねって香水付けてる?」

 それに気がついたのは、賑街バダールまであと一歩の荒れ地でのこと。多少マシになってきたとはいえ、日照りは厳しく乾燥も酷い。そんなひび割れた大地の上で、突然甘い香りがふわりと鼻をくすぐったのだ。

「うん、そうなの。最近は余裕がなかったからあんまり付けてなかったんだけど…ちょっとだけね」
「へー! そうなんだ、全然気づいてなかったよ」
「私も……でも、いい香りですね!」

 ありがとう、と微笑む少女の名前はあまね。騎士カイルと魔獣レイの幼馴染だという彼女と合流したのは、帝都オルダーナでのことだ。
 攫われたティリアを救うための旅路は生易しいものではなかった。海岸沿いに進み、砦を突破し、湿地に溶岩窟、さらには砂漠をも越えた。白の研究所から彼女を救出した後も、長い長い砂漠を西から東へ横断し、今ようやく落ち着ける場所へと辿り着こうとしている。
 勿論、リルベットも女子として旅の間は魔法や水浴びで体臭には気を遣っていたけれど、香水を持ち歩く習慣はなかった。そもそもブレイズを出た時には、こんな長い旅路になるとは思ってもいなかった。

「なんだか果実の香りような…?」
「柑橘系?」
「うん。村にいた時に行商の人から買ってたんだけど、その工房が帝都にあってね」

 今は暇つぶしを兼ねての休憩中である。何やら調べたいことがあると言って、パーティの参謀役でもあるゼクスが少し離れた岩場を見に行ったので、その帰りを待っているのだ。
 カイルは身体を動かし足りないらしく、レイを付き合わせて鍛錬をしている。こんな歩き尽くめなのにさらに鍛錬なんて本気か?という感じだが、ともかく残された女子三人は輪になって、のんびりと雑談に耽っているのであった。

「じゃあ、ずっと前からのお気に入りなんですね」

 ティリアが目をきらきらさせて言う。純朴そうな印象の少女だが、お洒落には興味津々のようだ。彼女の出身地は渡航しにくい場所にあるので、香水のような嗜好品は手に入りづらかったのかもしれない。

「いいなー、バダールに売ってるかな?」
「きっとあるよ。バダールって栄えてる港町なんでしょ?」
「お店もいっぱいありそうですしね…!」

 途中オアシスや小さな村には寄ったものの、大きな街は久しぶりだ。
 疲れた体と心を癒やしたい。道中でいくらか稼げたし、たまにならこういった買い物もいいだろう。

「私も買ってみたいな…」
「ティリアはお花の香りが似合いそう」
「あ、分かる! サメルの花の香水とかあったらいいよね、いい香りだったもん!」

 旅の途中の出来事を思い出しながらリルベットが言うと、ティリアの顔がパッと輝いた。

「私、サメルの花が一番好きだから、あったら嬉しいです」
「そういえば、ティリアの故郷由来の花なんだっけ。白くて可愛いやつだよね」
「はい。帝都に行くまでの…えっと、ブラナ平原?にもたくさん咲いてたんですよ」

 帝都のお店は品揃えが豊富だったから、よければ紹介したかったんだけど。またいつか行きたいです。あたしは何の香りにしよっかな。
 たわいのない話でわいわいと盛り上がる。早くバダールに行きたい気持ちが募って、なんだか胸がソワソワしてしまう。

「あ、そうだ。あまねの持ってる香水、ちょっとだけ付けてみてもいい?」

 けれど、その一言を口にした瞬間。それまで楽しそうに話していたあまねの調子が変わった。

「えっと…」

 あまねが歯切れ悪く言葉を詰まらせている。はっきりと口にせずとも、その反応は十分すぎるほど雄弁だ。

「…あ、ごめん。イヤだったかな? だったら遠慮しないで言っていいよ!」

 リルベットが促すと、あまねは躊躇いがちに口を開いた。

「……うん、ごめんね。貸すのはちょっと……あ、リルベットがイヤとかじゃなくて、」
「分かってる分かってる」

 申し訳なさそうに眉を下げた姿を見れば、そのくらい自明というものだ。リルベットだってこのくらいで不快に思ったりしない。
 ただ、珍しいなとは思った。何か事情がありそうな様子なのが気になったけれど、この分だと詮索は望まれなさそうだ。

「気にしなくていいから。よかったらバダールで香水屋さんに付き合ってくれる?」
「うん、勿論よ」

 あまねが安心したような笑顔を浮かべた。見守っていたティリアもおずおずと口を開く。

「あの、私もいいですか…?」
「あったりまえでしょ!」

 あっという間に和やかな雰囲気が戻ってくる。それと同時に、三人に声が掛けられた。

「お待たせしました」
「おつかれさま、ゼクス。そろそろ出発かな?」

 調査をしていたゼクスが戻ってきた。身支度を整えようとあまねが立ち上がり、スカートの後ろを払う。

「二人も呼ばないとですね」
「ね。カイルー、レイくんー! そろそろ行くよー!」

 遠くのほうで未だやりあっている二人にリルベットが声を掛ける。
 カイルが雄叫びを上げて剣を振るい、レイの放った一際大きな蒼雷が空を舞った。荒涼とした大地が揺れ、しばらくして静けさを取り戻す。鍛錬が終わったようだ。
 片翼の魔獣が砂を弾きながら駆けてくる。そして一言。

「腹減った…」

 リルベットとティリアは思わず苦笑した。レイは元々の燃費の悪さに加え、相当の食道楽なので、空腹は特に堪えるのだろう。

「もー、こんな時に動き回るからでしょ! あと少しでバダールなんだから我慢だよ!」
「竜牧肉が待ってますよ! 確か、山賊焼きが人気なんですよね」
「そうそう、けっこう辛いんだけど、それを上回るほどの強烈な旨味があって…もう癖になっちゃうんだって!」
「わああ、すごく汗が出そうだけど…食べてみたい…!」
「辛いといえば、チキンも有名らしいんだよな。くぅ早く食べたいぜ…!」
「ググ…………」

 追いついてきたカイルがリルベットとティリアの言葉を援護した。
 レイが腹のあたりを押さえて唸る。三人の話を聞いて、余計にお腹が空いたらしい。
 こうなったら、一目散にバダールへと駆け出してしまうだろうか。それとも、食べられそうな生き物を狩りに行く?
 リルベットは予想したが、実際にはその予想は二つとも外れだったらしい。
 レイはノシッノシッと巨体を揺らしながら、おもむろにどこかに向かっていく。その方向にいたのは――あまねとゼクスだ。
 二人は揃ってゼクスの手元の試料を覗き込み、何やら話し合っている。あまねのほうはこちらに背を向けているので、近づく影には気づきそうにない。

「…レイ?」

 ゼクスが顔を上げる。
 その仕草と名前に釣られたあまねが振り向こうとするより先に――レイが体を屈め、彼女の肩口に鼻先を寄せた。

「ひゃっ」

 ふわりとした体毛に肌を撫ぜられ、あまねがぞくりと身体を震わせる。しかし、レイは彼女の反応など意に介さず、そのままの位置でスンスンと鼻を鳴らし始めたのだ。

「はー…」
「ちょ、ちょっと、レイくん何してるの!?」

 満足そうに息をつくレイ。突然の暴挙に唖然とするリルベット。

「あ? 知らねェのか? あまねに近づくと美味そうな匂いがすんだよ」

 豆知識のようにレイが言う。リルベットが止めるが、こっちを見もしない。

「美味えニオイを嗅ぐとチョットは腹が満たされる気分になるだろ。まあ食うのとは大違いだけどな」
「だからってねえ…!」

 魔獣の性なのか、物の匂いを嗅ぐのはレイにとっては癖はみたいなものなんだろうけれど…だからって、そんな直接女の子の匂いを嗅ぐやつがいるか!
 リルベットはさらに注意しようとして、ふと、渦中のあまねの様子が目に留まった。
 健康そうに日焼けした剥き出しの首筋。そこに鼻先を寄せられたあまねは、くすぐったそうにはしているけれど、嫌がっている様子ではない。ほんのりと頬を赤らめながら、少しだけ首を少し傾けて、おとなしくその場に立ち止まっている。
 不意にあまねと視線が合った。彼女がしまった、という顔をしたのを見て、リルベットとティリアは唐突に悟る。

「あ、もしかして……」
「さっき香水を貸すのを断ったのって、そういう……?」

 旅の最中、薄々その矢印には気がついていた。砂漠で暑さに弱いレイを一番心配していたのはあまねだ。そういえば白の研究所で逸れた後、砂丘に逆さで突っ込んでいたレイを目にした彼女の取り乱し様は酷かった。他の皆はあまりの絵面に唖然としていただけだったのだが。

「ふあ」

 あまねが真っ赤になって両手で顔を覆っているが、もはや遅い。どうやらあまねは魔獣レイに並々ならぬ思いを抱いているらしい、と二人の女子は確信にまで至るのであった。

「へー! あまね、香水なんて付けてたのか!」

 カイルが呑気にあまねに近づいていくのを見て、リルベットとティリアがぎょっとする。

「ちょっと、そんな気軽に女の子の匂いなんて嗅いでいいわけないでしょ!?」
「そうですよ、カイルさん!」
「えっ! な、なんで俺だけ…!?」

 突然責められ驚くカイルを見て、リルベットは密かに嘆息する。レイともあまねとも長い付き合いなのに、何一つ気づいてなさそうなところがカイルだなあという感じだ。
 カイルだけ、ではない。レイだから、なのだ。あまねにとってはきっと。



 女子二人に詰め寄られたカイルがおろおろと視線を行ったり来たりさせている。ゼクスは呆れながら中立の立場を保っているようだ。
 あまねは、ちらりと視線を自らの肩の上に送った。
 レイは傍らの騒ぎを気にもしていない。相当お腹が空いてるようだ。バダールに着いたらいっぱい食べてほしいなあ。竜牧肉は高いらしいけど、お金、足りるかな…。

「あー……喰いてェ」

 現実逃避がてらぷかぷか浮いていた思考が引き戻される。
 耳元から低く響いてきた声に全身がドキドキした。胸が熱く燃えて、このまま溶かされてしまいそうな高揚に包まれる。
 リルベットとティリアによこしまな思いを見抜かれた時は息が止まって消えたくなったけれど、これは心地よくて癖になりそうなドキドキだ。

「…ほんとに食べちゃダメだよ?」
「ああ? テメェはオレ様がニンゲンなんか食うとでも思ってんのかよ」
「ううん。…バダールのごはん、楽しみだね」

 頬を赤くしたまま、あまねは小さく笑みを浮かべた。

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