時間なんざもうやった

 銀の槍を弾き、その勢いのまま半身になった身体をぐるりと回転させる。ほぼ同じ体格の銀狼を地面に引き倒し、首元に刃を押し当てながら、あまねはニヤリと口の端を上げた。

「取った!」

 冬明けには、避けては通れない司帝国との戦いが待ち構えている。科学王国の本拠地、クロムの倉庫前の広場には、日夜訓練に勤しむ声が響いていた。
 一月に入ってからの銀狼との手合わせの勝率は、なかなか良い。立ち上がったあまねは満足げに微笑んだ。

「うええまた負けたぁ…!?」
「あまねは最近調子がいいな」
「でっしょ〜?」

 あまねは石神村の槍使いだ。女の中ではコハクの次に強く、貴重な戦闘員である。
 金狼は感心しながらあまねを見た後で、キッと弟を睨んだ。

「それに比べて…銀狼! なんだその体たらくは!」
「だってぇ〜〜最近寒すぎるんだよ!」

 銀狼はガチガチと歯を震わせた。
 今年の冬も厳しい寒さだ。少し動かないでいただけで、冷気が身体の芯まで凍らせようとしてくる。

「男が言い訳するな!」
「まあまあ。でも、確かに身体が強ばってる気もすんね」

 あまねは手をぐっぱっと握っては開いた。手袋を嵌めてはいるが、あまりに厚いと槍を扱うのに影響が出てくるので、そこまで暖かくはない。
 かじかむ感覚に眉を潜める。しかし、金狼の言う通り、それを言い訳にしてもいられない。時間は有限なのだ。
 金狼は己の槍を構え、あまねに向き直った。

「よし、では次は俺と――」
「俺と戦え、あまね!」

 金狼とあまねの手合わせが始まるかと思われたその時、銀狼含めた三人の内の誰でもない声が響いた。
 低く掠れた粗暴な声。40人とちょっとしかいないこの村では、聞き間違えるはずもない相手だ。

「マグマ…」

 あまねはぴくりと眉を寄せた。
 振り向いた先にいたのは、同じ石神村の住人である一人の青年だ。後ろに梳き上げた金の髪と太い眉、強靭な顎が特徴的な、筋骨隆々とした男である。彼は不敵に笑いながら、あまねに向かって無骨な石斧を構えた。

「あんたねえ、順番ってもの知らないの」
「うるせえ。金狼なんかより俺と戦うほうがいいだろが」

 あまねは呆れ混じりにマグマを睨む。
 毎度毎度、何故割り込んでくるのだろう。そして何故そんなに自信満々なのだろう。御前試合で金狼に打ち負かされたことをもう忘れたのだろうか。
 あまねが金狼と戦おうとしている時には特にこういうことが多い気がする。しかも、金狼と戦いたいと言うのならまだしも、マグマは何故かあまねとの対戦を望むのだ。

「えー…」

 コハクや金狼には劣るとは言え、実際マグマは強い。悔しいが、あまねでは彼に手も足も出ないのが実情だ。マグマは純粋な腕力だけなら村一番の力を誇っているので、力任せに槍をぶち折られてしまうことも度々ある。そして地面に膝をついたあまねを見て、彼は高々と笑うのであった。
 あまねは、はぁ…と深いため息をつく。強い者との実戦は何より得難い経験だ。あまねもそれは分かっているが、マグマを相手にすると、話しているだけで何故だかとても疲れる。挫けそうにもなる。

「ゴメン金狼。休憩する」
「ああ…」

 一気にやる気が削がれて、あまねはその場に背を向けた。

「逃げてんじゃねえ!」
「無理強いはよせ、マグマ! 手合わせなら俺が付き合おう」

 金狼が槍を突き出してマグマを堰き止めた。ありがたい。
 あまねはそそくさとその場を去り、森の中に入った。雪道をしばらく行くと、少し開けた場所に出る。雪が周囲に除けられたそこは、彼女がよく使っている個人的な訓練場所だ。マグマの手前、休憩するとは言ったが、鍛錬を怠るつもりはなかった。
 あまねはすぅと息を吸い、真っ直ぐに正面を見つめた。手に持った槍を振るう。勢い良く突き出す。
 長さのある槍はそれなりに重い。筋力をさらに付けることは、あまねの課題の一つだ。

「おい、あまね!」

 怒声に似た声が響いたのは、握り込んだ槍が重くなり始めた頃だった。
 嫌になるほど聞いた声。振り向けば当然、そこにいたのはマグマである。

「何よ、まだ用なの。金狼と戦ってなさいよ」

 あまねは威嚇するように槍の石突でドンと地面を突く。しかしマグマは気にした様子も見せず、威勢よく笑った。

「ムハハハ、あんな奴倒してやったぜ!」
「マジ? また卑怯な手使ったんじゃないの」
「あ? んなことしてねえよ!」

 躍起になった様子でマグマが言うが、信用は薄い。年も明け、この頃は千空にも協力的になってはいるが、今までが今までだったのだ。
 しかし、確かに勝負とは常に同じ結果が導かれるものでもない。一瞬の判断が勝敗を分けることは多々あり、その刹那に正しい道を選ぶ確率を上げるために日頃の訓練が存在している。
 基本的にはマグマよりもメガネを掛けた金狼のほうが強いのだろうが、些細な調子の違いで異なる結果が出ることもあるだろう。

「フーン…やるじゃん…」

 あまねの言葉にマグマは僅かに目を見開く。それから、甚く満足そうに笑った。

「一人で鍛錬しててもつまんねえだろ。付き合ってやるよ」
「えー…」

 あまねは言葉を濁らせた。
 そんなに自分を負かすのが楽しいのだろうか。コハクに勝てない腹いせか?
 意欲的になれないままあまねはマグマを見つめる。石斧の柄を軽く手のひらで弄ぶ彼は、残念ながらやる気満々のようだ。

「…分かった分かった。やればいいんでしょ」

 苦々しい気持ちになりながらあまねは承諾する。どうせ戦うまでこの男は去らないのだ。戦っても去らないかもしれないけれど。
 あまねが折れたのを見て、マグマは更に調子に乗ったようだった。

「ムハハハ、俺が勝ったらお前は俺の女だな!」
「ふざけないで」

 結果が見えた勝負で賭けなんてできるわけがない。
 あまねは苛立ちながら髪を掻き上げる。そもそも、賭けの内容も大いに気に食わない。

「前からちょいちょい言ってくるけど、ほんとやめてくんない、その冗談。マジでおもしろくないから」

 目を瞑り、深々とため息をつく。
 その時ふと、あまねはバサリと鳥が羽ばたく音を聞いた。顔を上げると、薄水色の空を青みがかった鳥が群れをなして飛んでゆくのが目に入る。渡り鳥だろうか。それにしては少し時期が違うかもしれないけれど――。
 あまねは数秒ぼんやりと空を眺めていた。そしてはたと、マグマの返事がないことに気がつく。
 視線を戻すと、マグマはあまねが予想もしていなかった顔をしていた。目を丸め、口を薄く開けたまま、彼はぽかんとこちらを見ていた。

「…え、何よ」

 あまねも同じようにぽかんとする。マグマが何に驚いているのかが分からない。

「冗談?」

 低い声が鼓膜を揺らした。
 マグマがらしくなく神妙な顔をしているのを見て、あまねは思わずどきりとした。

「テメェ、ずっと冗談だと思ってたのかよ」

 気配はいつの間にか怒っているようなものに変わっていた。あまねはその雰囲気に呑まれそうになりながらも、気丈に言葉を絞り出す。

「冗談じゃなくちゃ何なのよ。御前試合に勝ってルリと結婚しようとしてた男が」

 マグマがそういう冗談を言うのは、何も最近始まった話ではない。たぶん数年前から、たまに聞いていたような気がする。
 本気だと思ったことはなかった。あまねは、マグマがどんなに村長の座に着きたがっていたか知っている。長になる道は一つで、神前で行われる御前試合で優勝することだけ。それは同時に、村の巫女であるルリとの結婚を意味している。
 複数の女を妻にすることなんてできない。だから、マグマが本気なはずがなかったのだが…。

「別に何も問題ねえだろ」
「いやあるでしょ」
「俺が長になる! 何人でも娶れるように掟を変える! お前をいただく! 完璧だろうが」

 マグマは憚ることなく、これ以上ないほど堂々と言った。名案だと信じて疑っていない様子であった。
 そして御前試合での苦々しい敗北を思い出したのか、彼は目に見えて苛立ち始めた。

「なんて我欲に塗れた…」

 御前試合の時、科学王国民は皆ルリを助けるために必死こいて頑張っていたというのに、何なのだこの男は。
 あまねは呆気に取られながら呟いた。それからはっと我に返り、いやいやいやと首を横に振る。

「違う、じゃなくて、え、……ほ、本当に? 本気で言ってんの?」

 あまねの言葉にマグマは眉をピクリと震わせる。

「冗談とか一言でも言ったかよ」

 ふてくされた様子でマグマが言った。
 確かに冗談とは聞いていない。でも、本気とも聞いていない。
 あまねは戸惑っていた。マグマが自分を妻にしたいと思っているなんて、本当に、微塵も考えたことがなかった。
 巫女を娶る件を差し引いたら、ガーネットあたりが好みなのだろうと思っていた。あの三姉妹はとても綺麗なので、若い男達はみんな彼女達の誰かが好きなのだ。きっとマグマもそうだろうと。
 それに、ガーネットは強い男が好きなので、村長への道が絶たれたマグマとならそのうちくっつくこともあるんじゃないかなぁ。なんならあまねはふんわりそんなことを考えてさえいた。完全に他人事だった。

「うそ…」
「嘘じゃねえって言ってんだろ」

 マグマは真っ直ぐにあまねを見ていた。何かを誤魔化したり、隠したりしているようには見えなかった。
 あまねは、今まで誰かに告白されたことはない。…ない、と思っていた。
 おかしい。どきどきしてきた。相手はマグマなのに。
 あまねは恋愛の話にはあまり乗れないたちではあったが、敢えて言うならば、強い男が好きだ。一番強い男、とまでは言わない。とりあえず自分より強ければ、いい男だなぁとぼんやり思う。

「……」

 そういえば、当てはまってるな…。
 あまねは一気に謎の扉が開いていくような感覚を覚えていた。
 マグマが自分と金狼との手合わせにしばしば割り込んできたのも、もしかして嫉妬の心からだったのか? 金狼が強い男だから、奪われまいと警戒していたのか?
 …フーン……ちょっと可愛いじゃん……。

「……いや、いやいや、でもマグマでしょ……」

 あまねはぶんぶんと頭を振った。あのマグマだぞ。ないでしょ。きっと人に告白されたのが初めてだから混乱しているだけだ。
 ちょっと強くてちょっと狩りができてちょっと体格がいいからって…マグマなんて…。いやでも、それだけ揃っていればまあ悪くないか…。ううん、けれど、性格がああも凶暴では…。でも、顔は結構…。
 緊張で口の中が乾いてきた。正面から見つめられるのも限界だった。あまねはふっと顔を背けて、水筒を取りに木の根元に向かう。

 マグマは、かつてない手応えを感じて震えていた。これまで何度打っても全く響く様子がなかったので、実は、ほんの少し挫けそうにもなっていた。
 しかし、そもそも届いていないのなら、あのつれない反応も当然だったのだ。

 ドン、と太い木が天辺まで揺れる。
 あまねは目を見開いた。目と鼻の先にマグマがいる。
 あまねの頭の横のあたりの幹に、マグマが手のひらを付いて迫っていた。ちょうど、木と彼の身体の間に閉じ込められてしまったような形だ。
 追い詰められた鼠みたいだ。マグマが幹に付いているのは片手だけで、隙間なんてたくさんあるのに、逃げられないような心地がした。

「なあ、あまね」

 あまねは、ごくりと唾を飲む。
 さっきまでだったら躊躇わなかった。マグマにこんなふうに詰め寄られれば、何をするのかと警戒して睾丸を蹴っていたに違いない。
 でも、でも。それって、なんか、…恥ずかしくない…?

「俺のモンになれよ」

 あまねはヒェっと息を呑んだ。もう駄目だった。混乱の極みだった。
 わけが分からなくなって、ただこのままじゃいけないと思って、あまねはがむしゃらにマグマの胸をドンっと押す。
 マグマが驚いたような顔をした。怒ってはいなかった。代わりに少しだけ、ショックを受けているように見えて、あまねはそれだけでもうマグマのことを疑えなくなった。

「ちょ、ちょっと、か、かかっ、かん、考えるから!」

 あまねは噛みながら叫んで、マグマの間合いから抜け出した。槍も上着も置いたまま、手に持っていた水筒だけをそのまま持って、どこへともなく猛ダッシュで駆けてゆく。
 去り際の彼女が顔を真っ赤にしていたのを、マグマはしっかりと見た。

「ハ…」

 獣よりも獰猛に笑う。彼は捕食者であり、狩人であった。
 あんな獲物、もう手に落ちたも同然だ。
 確実に仕留めてやる。考える時間などやるものか。マグマはぐっと拳を握り締め、後を追って走り出した。

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