脱却

※未来捏造




「共に暮らすか」

 卒業式が一ヶ月後に迫った頃だった。一年の時の体育祭の結果が認められ、二年から無事ヒーロー科に移籍となった私は、この春から南のほうのヒーロー事務所に所属することが決まっていた。踏陰も同じ地方に就職するのだと噂に聞いた。彼がこんなことを言い出したのはそのためだろう。
 窓の外で、残り香のような雪がちらりと舞っていた。そういえば、結局雄英で踏陰と同じクラスになることはなかったな。
 私は既にいくつかの物件に当たりを付けていたので、踏陰の提案は遅過ぎたと言っていいし、それ以上に、一緒に住むこと自体に色々な問題があった。
 別に、踏陰だって本気でそんなことを言ったわけじゃないだろう。思い返してみると、それは提案と言うよりはほぼ独り言のような語調だったし、随分と小さな声だったので、雪の落ちる音さえ聴こえそうな静寂の中でなければ、聞き逃していたに違いなかった。
 言うなれば、それは彼の一世一代の冗談のようなものだったのだ。
 けれど。

「いいよ」

 私がそう答えたから、その嘘は本当に変わった。
 その時の自分がどれだけ本気だったのかは、何とも説明しがたい。けれど、2LDKの物件を借りて、同じ住所に荷物を送って、同じ玄関の扉を開けてしまえば、もうそれだけで一つ屋根の下で暮らす準備はできてしまった。


***


 ガチャリと鍵の開く音がした。踏陰だ。
 私は小鍋とお玉を持ったまま玄関のほうを覗き込む。おかえり、と言うと、ただいまと言葉が返って来た。

「まだ食べていなかったのか」
「私もさっき帰ってきたところだから。あと数分したら食べてたよ」

 踏陰が帰ってきたなら、と食器棚を開ける。中にしまわれている皿やカップは、それぞれがそれぞれの家から持ってきた物なので、種類は全部ばらばらだ。この家に一枚きりしかない皿を取り出し、テーブルに置いた。
 私が食事をよそっている間に、踏陰は上着を脱ぎ、手を洗ってリビングに戻ってきた。
 ソファに並んで座り、手を合わせる。いただきます。

「ありがとう」
「うん。洗い物はやってね」
「ああ」

 プロヒーローとしての活動はインターンの延長線上ではあったけど、知らないことも多々あった。まだ不慣れな仕事を終えた後に夕食の準備をする気力はそうそうなく、今作った料理も栄養には気を遣っているが、調理法自体は簡単な物だ。雑と言ってもいい。
 けれど、実のところそれは互い様だったりするので、一応、そのあたりは私達は上手くやれているのだと思う。私の作った食事を踏陰は黙々と食べるし、踏陰が作ったものも私はきちんと完食する。それっぽい生活。

「意外と早かったね。帰ってくるの」
「日中、何も事件が生じなかったからな。パトロールをしていたが、長閑そのものだった」
「私のとこもそんな感じだった。まあ、平和で何よりよね」

 漬物を摘みながら、私は踏陰の様子を窺っていた。
 ヴィランはこちらの事情など考慮してくれないので、ヒーローは年中無休のお仕事だ。でも、やっぱりヒーローも人間だし、事務所も一つの会社なので、福利厚生は生きている。
 明日、踏陰は一日休みの予定だ。そして私も。
 二人で合わせて休みを取るようなことはしていない。だから、休暇が重なるのは久しぶりのことだった。

「あまねも明日は休みだったか」
「! …うん、そう」
「外出の予定は?」
「ないけど」

 踏陰が私の予定を覚えていたことに、そして彼からその話題を切り出してきたことに、ほんの少し、高揚する。
 けれど、この先の展開は私の予想とは違っていた。

「明日、障子を家に入れても構わないか」
「…障子くん?」
「ああ。このあたりに帰ってきているらしいのだが、…障子と俺では目立つ」

 なるほど、と私は頷いた。
 そういえば、踏陰は彼と仲がいいのだった。二人とも姿形に特徴があるので変装も難しいのだろう。私なら、髪を括ってサングラスでも掛ければ、ほぼバレないのだけれど。

「別にいいけど。…私、出掛けたほうがいい?」
「いや、いてくれて構わない。あまねが嫌でなければ…」
「そっか。じゃあ、家にいようかな」

 私にとっても障子くんは知らない人間じゃない。私的な話はあまりした覚えはないけれど、在学中に訓練でチームを組んだことはある。
 それなので、私は二つ返事で承諾した。
 した、けれど……なんだが、胸の奥が、ぐにゃりと歪んでいるような心地がする。
 告げることができない本音としては、たぶん私は、踏陰と二人で過ごすことを期待していたのだ。外に出るのでも、家でゆっくり過ごすのでも、どちらでも良かった。

 私と踏陰の関係は奇妙なものだ。
 明確に言葉にしたことはなかったけれど、付き合ってるか付き合ってないかで言えば、たぶん付き合っているのだと思う。この年の男女が二人で暮らすことに、何の意味も見出さないままでいることはできなかった。もちろん、家賃が安くなるとか、家事が分担できるとか、家電も半分の値段で揃えられるとか、言い訳ならいくつだって作れるだろう。でも、そんなの全部無駄だ。だって、相手が踏陰でなければ、私はあんな勝手な提案に頷いたりしない。
 スタートがあるとすれば、それはいつだったのだろう。
 酔って帰ってきた踏陰に、戯れのように触れるだけのキスをした時か。テレビの前で並んで映画を見ているうちに、睡魔に襲われうつらうつらと前のめりになった私の頭を、踏陰が自分のほうにぐっと抱き寄せた時か。踏陰と一緒に住むことになったと父に報告した際の、驚愕と絶望に塗れた「付き合っているのか」という問いに、「うん」と答えたあの時か。いや、やっぱり、一緒に住むことに同意した時ということになるんだろうか。
 それとも、それより前――私がヒーローになることを望んでいなかったと懺悔する踏陰を、許した時?

「ごちそうさま」

 はっとして前を見た。いつの間にか踏陰は食事を終えていたようだ。私は止まっていた手を動かし、ご飯茶碗を空にして、同じように手を合わせた。
 私はソファに膝を丸めて座りながら、食器を洗う踏陰の後ろ姿を眺めていた。
 背が伸びたな、とふと思う。男性にしては小さめなのは変わらずだったけれど、いつの間にか彼は私の背丈を超えていた。服越しにも分かるくらいに身体は鍛えられて、顔つきも凛々しさが増している。人を救けるために強くなった身体は、すっかり大人の男性のそれだった。胸がざわついた。
 踏陰がキュッと水道を止め、手を拭ったので、私は視線を目の前のテレビに移す。

「心操か。珍しいな」
「…ね」

 テレビにはちょうど、私達の同級生だった心操人使が映っていた。ずっとテレビを見ていた振りをして私は頷いた。
 師の影響を受けたのか、心操はメディア露出をなるべく避けてたがっていたのだが、珍しく何やらインタビューに答えている。一体どんな気まぐれなんだろう。私は首を捻ったが、隅に表示されたテロップを見て理解した。ヒーローデク特集……なるほど。

「心操って緑谷のこと好きだよねぇ」
「体育祭の敗北が効いたか」
「人は負けて生まれ変わるものですから」

 スマホがピコンピコンと鳴っていた。雄英ヒーロー科同期のグループメッセージだ。誰かがテレビに出演したり、雑誌の表紙を飾ったりすると、にわかに騒がしくなるのが常のことだった。
 録画機能をオンにし、踏陰はシャワーに向かった。心操の出番はすぐに終わったけれど、その後も番組には覚えのある顔がいくつも現れた。テレビを眺めながら、私は暫し高校時代を懐かしんだ。
 踏陰はいつも通りすぐに戻ってきて、交代で私も浴室に向かった。それにしても、男ってみんなこんなにシャワーが短いものなんだろうか。私なんて髪を乾かすだけで時間が掛かるのに。
 私が戻ってきた時、踏陰はソファに座ってのんびり寛いでいた。
 緑谷の特集はとっくに終わっていて、画面には深夜らしいバラエティ番組が流れている。無表情のままだけれど、彼なりに楽しんでいるんだろう…と思いつつ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した私に、踏陰は唐突に言った。

「映画でも見るか」
「…えっ、今から?」

 私は思わず尋ね返していた。既に日にちが変わるまで一時間を切っていたからだ。
 踏陰は時計を見て目を丸くした。今気づいたとでも言いたげな様子だ。そして、きまり悪そうに言う。

「今からだと子夜を超えるな。…明日は休暇だから良いかと思ったが…、すまん、浮かれていたようだ」

 浮かれているという言葉が踏陰から出てきたことに驚いた。けれどそれ以上に、そんな浮かれている日に私を誘ってくれたことが、じわじわと嬉しくなって、変に緩みそうになった顔を必死に堪えながら、私は頷いた。

「いいよ。見よ」

 テーブルにコップを置き、踏陰の隣に腰を下ろす。
 踏陰は驚きを浮かべた後、微かに笑みを浮かべ、リモコンを手に動画配信サービスを開いた。

「さて…どれにするか。あまねは何がいい」
「んー、じゃあ短いやつ? 九十分くらいの」
「む…時間から検索する機能はあったか…」
「うそうそ。踏陰が見たいのでいいよ」

 踏陰が大真面目に言うので、私は慌てて否定する。

「明日は休みだしね」

 仕事以外で夜更しをするなんていつぶりだろう。映画のお供が水だけなのは寂しい気もするけれど、夜も遅いし、歯磨きも済ませてしまっているので仕方ない。
 踏陰はホラーのジャンルで検索し、あらすじなどをいくつか眺めて、一つの映画の再生ボタンを押した。ダークファンタジーといった雰囲気で始まったその映画の、残り再生時間は1:28:46。きっちり私のリクエストを叶えてくれたらしい。別に、何時間だって最後まで付き合うのに。
 開始二十分。暗く蕭然とした館の中で、感情の薄い登場人物達によって紡がれる物語は淡々としていたが、音楽と映像は目を瞠るほど美しかった。

「このドレス可愛い」
「ヒーローコスチュームにでもしたらどうだ」
「でも仕事着にロングスカートはね。足が使えないのは厳しいよ」

 そんな何でもない会話が、時折ぽつりと生まれては消える。
 最初のうちは、私も映画に集中できていた。耳も目もちゃんと働いていたので、話の流れもきちんと追えていた。
 それが阻まれ始めたきっかけは、私がくしゅんとクシャミをしてしまったことだっだ。少し冷えてしまったらしい。いつの間にか、家の中でもショートパンツではいささか心許ない季節になっていたようだ。冬も意外と近いのかもしれない。

「大丈夫か」
「んー、うん」

 頷きつつ、長ズボンに履き替えるべきかと考える。けれど、私が行動に移るより、踏陰が立ち上がって自室に向かうほうが早かった。私は慌てて映画を止めた。
 戻ってきた踏陰は手に布を持っていた。真っ黒なブランケットだ。踏陰はそれを私の膝の上にぼとりと落として、再び隣に腰掛ける。そしてそのまま再生ボタンを押した。

「…ありがとう……」

 あまりに当然のようにそんなことをするものだから、危うく礼を言い逃すところだった。踏陰は何でもないことのように、ああ、と頷いた。
 ブランケットを広げる。大きい布だったので、私は半分を踏陰の膝の上に掛けた。長袖長ズボンの彼は特に寒がってはいない様子だったけれど、不要だと跳ね除けることもなかった。
 膝を丸めて、肩まですっぽりとブランケットに包まる。踏陰の匂いがする。
 なんだか胸がそわそわして、私はそっと隣に目をやった。彼はじっと画面を見つめて、映画に集中しているように見えた。
 …また、私が寝ちゃったら、踏陰は抱き寄せてくれるんだろうか。
 そんなことを考えて、私は唇を噛んだ。踏陰と一緒に暮らすようになってから、今まで感じたこともなかった欲望が顔を覗かせるようになっていた。昔から執着じみた思いを抱え続けていた自覚はあるけれど、触れたいだとか、触れられたいだとか、そんな欲望の混ざった心は知らなかった。知らなかった、のに。

「…!」

 踏陰が身じろぎ、私は咄嗟に視線を下に向けた。

「なんだ、眠いのか」
「…平気」

 見ていたことを気付かれてはいないようだ。返事に迷ったけれど、肯定したら映画を止められてしまう気もしたので、私は正直に答えた。踏陰がそうか、と言って視線を正面に向ける。
 私は咎められなかったことに安心してほっと息をつき、その直後、固まった。
 ブランケットの下に置いていた手に、踏陰の手のひらが重なっていた。少しだけ固くて、さらりと乾いた感触。自分のものではないぬくもりに心臓がどくりと波打った。
 なんで。私、まだ眠ってないのに。
 混乱した。これまでの私達は、酔っていたり、眠っていたりしていないと――そんな言い訳を作らないと、それ以上のところへ踏み込むこともできなかったからだ。
 でも…。

「……っ」

 私は思い切って、おそるおそる踏陰の肩に頭を預けた。
 もうブランケットがいらないくらいに体温が上がっている。なんなら手にも汗をかいている気がして、本当に恥ずかしい。踏陰の顔も見れない。ぴくりと身じろぐこともできそうにない。
 踏陰はいいとも悪いとも言わなかった。でも、重ねられた手に僅かに力が込められて、それをきっかけに私は少しずつ許されたような気持ちになっていった。
 手。私のものより大きくて、あたたかくて、ごつごつした手。
 強張っていた身体の力が段々と抜けていく。好きだなぁと、ふと思う。
 そうだ、好きなんだ。

 目の前が一気に開けた感じがした。そう思った瞬間、私は私を許すことができた。だって、何年越しだろう。もういいじゃないか、素直になれないのは。
 私は踏陰が好き。
 そう思うと、パズルのピースが嵌まるようにしっくり来た。胸のあたりで揺らいでいた心が明確に形を得て、全ての行動にぶれない芯ができたような感覚。
 思えば遅すぎるくらいだ。だって、私はずっとずっと踏陰を追い掛けてきた。踏陰が私を置いていこうとしていたからだ。でも結局、高校を卒業した今でも私は踏陰と一緒にいる。踏陰が誘ってくれたから。その時点で、もう悩むことなんて何もなかったのだ。
 踏陰が私をどう思っているかだって、ずっと前から知っていた。証明に、なんなら今、私の個性の矢を刺したっていい。射抜いた相手の心を奪って拘束する個性。最初から私のことを好きな相手だけには、効かない個性。

「踏陰!」
「…どうした」

 急に身体を起こした私を踏陰がじっと見つめた。その表情はいつも通りの鋭いものだったけれど、私の手に重ねられている手のひらが、不安そうにぴくりと震えた。堪らない気持ちになって、私は空いているもう片方の手を、踏陰の手の上にさらに重ねる。

「私、踏陰のこと好き」

 今まで躊躇っていたのが嘘のように、その言葉はするりと音になった。詰まりも震えもしなかった。
 目を見開く踏陰を見ながら、私の顔は勝手に緩んで、笑顔の形にふにゃりと崩れていった。
 すっきりした。なんだかすごく晴れやかで、嬉しい気分だった。好き。私と踏陰の間にこんなにも馴染む言葉はない。
 踏陰の肩に頬を寄せる。もう躊躇いはなかったし、あんまり恥ずかしくもなかった。
 テレビの画面には変わらず映画が流れている。集中できていなかったせいもあるとはいえ、いまいち盛り上がりに欠ける映画。客観的に点数を付けるなら六十点くらいだ。でも、やっぱり絵は綺麗で、なんならさっきより一層輝いている気さえする。

「ん…」

 重なっていた手を引き抜いて、踏陰は私の背のほうに腕を回した。抱き寄せられながらくしゃりと頭を撫でられるのが気持ちいい。それに、なんだかすごく恋人っぽい。
 恋人――。そうか、これからは素直に頷いていいんだ。皆に、付き合っているのかと尋ねられても。私はまた自分の顔が緩むのを感じた。
 踏陰の手が少し下って、固い指が私の頬に触れた。指先で突いたり、くるくると円を描くように這わせたり、手のひら全体で撫でたり。遊ばれているんだろうか。少しくすぐったい。
 でも、こそばゆくても、こういう風に触れてもらえることさえ新鮮で、私は視線をテレビのほうに向けながら踏陰にされるがままになっている。
 踏陰の指が唇に触れた。膨らみに沿って撫でられ、指の腹で下唇を軽く引っ張られる。ふと思い立って、私は軽く唇を開けて舌を突き出した。そんなことしてると舐めちゃうよ。舌先に微かに相手が触れ、踏陰の指は驚いたように帰っていった。
 突然、部屋から音が消えた。踏陰の手にはリモコンが握られていて、テレビの画面は真っ暗になっていた。

「えっなんで」
「こちらの台詞だ。寧ろ、まだ見続けるつもりだったのか」

 怒っているような口振りで踏陰が言った。戸惑う私の肩に手を置き、彼は深くため息をつく。

「なんで怒ってるの?」
「…怒ってはいない。……お前があのようなことを言うから」
「で、でも、嫌じゃないでしょ」

 だって踏陰は私のことを好きなはず。
 踏陰は呆れた顔をした。まるで私が何も分かってないとでも言いたげな顔だ。
 次の瞬間、肩に掛けられた手に体重が掛けられて、ぐいと身体が引き倒された。
 ソファの手すりに頭がぶつかる。抗議の声を上げようと口を開いて、私はそのまま固まった。
 その近さと、瞳に宿った激情に、声を奪われた。

「…好きだと言ったのは、初めてだっただろう」

 その言葉でようやく気づく。私が思っているほど、踏陰は私の気持ちを知ってはいなかったのだ。私は個性(キューピッド)があるので、踏陰の気持ちを昔から知っていたけど、彼はそうではない。自覚していることだけれど、特に中学から高校に掛けての私は、踏陰に対しての当たりが厳しかった。それは彼に置いていかれる寂しさと、悔しさのせいだったのだけれど、もしかすると、踏陰のほうは私に嫌われていると思っていた可能性もある。
 当たり前だけれど認識できていなかった事実に衝撃を受けている中、ふいに踏陰の身体が私の上から退いた。

「冗談だ。…急ぐ気はない」

 踏陰が私の手を引いて起こしてくれた。そして彼はリモコンを手に取り、再びテレビの電源を付けた。映画の続きが流れ始める。
 空いたリモコンに私はすかさず手を伸ばした。電源ボタンを押す。画面が暗転する。踏陰が目を丸くして私を見た。
 ああ、なんで私、消しちゃったんだろう。おかげで後戻りができなくなってしまった。

「踏陰こそまだ見るつもりなの」

 強気な台詞は今やお馴染みの虚勢だ。踏陰の目に戸惑いが浮かぶ。私は彼の手を取って、指を絡めた。

「ずっと好きだったからいいよ」

 小さな頃からずっと一緒にいて、離れたのなんて結局、ヒーロー科と普通科の間のクラスひとつ分だけだった。二十年近くの時間を私達は少しずつ確かに重ねてきたはずなのに、何故か今はそれをひとっ飛びに超えてきてしまったような感覚がする。
 いいのか、と確かな同意を求めたそうな踏陰の嘴に鼻先を寄せる。
 たじろぐ踏陰は少しだけ怯えているようにも見えた。でもその恐怖は、私が怖がってなければ踏陰だってちっとも怖くないもののはずで、だから私は躊躇わず残り僅かの距離を詰める。
 私達はいつの間にか大人になってしまったので、キスも、それ以上のことも、当たり前にしてしまうのだ。
 経験なんてあるはずもなく、何をどうしたらいいかなんて分からなかったから、私は私のしたいように踏陰に触れた。踏陰にも、そんなふうにしてほしいと思った。たぶん、そういうふうにしてくれた。

back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -