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まだ薄暗い本丸で誰よりも早く起き畑へやってきた。

黒い手袋を取ると冷えた空気が直接指先に伝わる。
普段は袖捲りをしているけれど元の位置へと下げてしまいたくなった。
しかし寒さゆえに下げたばかり、土で汚れてしまうのは解せない。本歌として恥ずべきものである。

本歌として。偽物とは圧倒的な違いがあることを目の当たりにさせたいため。
そうやって余裕をなくし首を絞めて生きることになるとは思わなかった。

政府顕現によりこの本丸へやってきてからというもの、幾度となく彼とのことで口論に発展させてしまっている。
数多ある本丸のほとんどに古株として存在する彼。その彼を羨ましく思うのは各本丸に後々やってきた全ての己が経験し葛藤するだろう。

今回の件もそれが発端であった。
先日継承したばかりの新たな主が彼の料理を称賛し、俺はそれが不服だった。
今となってはもっと冷静であるべきだったと後悔しているが、彼女はそんな俺に純粋な眼差しを向けた。

起きたばかりで働ききらない頭を使い仲裁を試みたこの主も、どうせ彼の肩を持ち続けるのだ・・・そう思っていた矢先の出来事。

「じゃあ楽しみにしてるね、長義が食事担当の日。でもまずは今日の演練に期待してるから。頑張ってきてね、隊長さん」


以前の主が彼を贔屓にしていた訳ではない。
俺がやってきたのは既にそう若くはない頃。やや白髪混じりの眉を寄せ、面倒事は御免だと言いたげな眼差しだったのが初期の印象的だ。
ただそのうち酒の飲み過ぎで歌うように口にした本音が忘れられないものとなった。

100年も生きていない者にどうこう言われたくないだろう。彼はそう言った。
彼は確かに俺たちの主だった。けれど本当は俺たちひとりひとりを見神論の類で想ってくれていて、その上へ立つ主であるからこそ線引きをし寡黙で厳格な姿を志したのだろう。


「・・・・・・」

目当ての三つ葉を収穫しようと密集したそこにハサミを入れる。
切ったそばから特有の香りが冷たい空気に混ざって鼻を掠めた。

それを厨へ持って行きよく洗い水気をなくすためざるにあげていると、他の当番もやってきて早速エプロンを着用する。

「おっ、早いな!」
「卵焼きに三つ葉を入れたくて摘んできた」

彼らは三池の兄弟刀。いつもどの内番も器用にこなし、力仕事も得意だと短刀や脇差の世話も積極的に引き受ける。

「なるほど。主に食べてもらいたかったんだもんな。他の料理は俺たちに任せてくれ、頑張れよ!」


彼らの計らいもあって俺の成すべきことは無事に終え、定時に食事の提供もできた。
ただ主は昨夜倒れてしまい、食べられるのかわかっていないのだけが歯痒くて仕方ない。

先食べていていいぞと言う大典太光世は大きな釜を流しに軽々と持って行く。まだ食事ができるような心境ではなかったものの、まあまあとソハヤノツルキに背中を押され、皆がいる賑やかな空間に放り込まれた。
やはり主の姿はなくまだ空席であるそこにばかり目が行ってしまっていると、その視界に見慣れたボロ布が一瞬映り込む。俺は気付かれぬ程度にその姿を目で追う。

少しばかり寝ぼけ眼の彼は岩融の足に躓きはしたものの空いている先に座り、行儀よく手を合わせてから箸を持つ。
真っ先に口にしたのは吸い物の生麩だったが、顔色ひとつ変えずすぐさま次に箸を向かわせる先は卵焼きだった。
適度な大きさにされた卵焼きが口に運ばれ、突如はっとして目付きが変わった。いや、目が覚めたと言った方がいいのだろうか。
そのまま続けて二口、三口と。すべて平らげてしまい、どこか満足したかのような面持ちで深い呼吸をした。

・・・なんだ?ひょっとして彼は卵焼きが好物なのか?

そうこうしているうちに厚と信濃が主の朝食を取りに戻ってきていて、俺はふたりに声をかける。

「主は食べられそうかな?」
「うん、顔色もよかったよ!」
「でも油断大敵だと思ってさ」
「そうか、いい判断だと思うよ」



まず食べてもらえることに安堵した俺は、食事を終え三池のもとへ戻ると眩しいほどの笑みを浮かべるソハヤノツルキにどうだったか聞かれる。
そうか、彼らは皆が食べているところを俺に見せたかったんだ。
些細な気遣いに礼を言い、任せきりにしていた仕事を代わる。

そして次々と下膳されてくる食器の洗い物に追われていると、ひょっこりと主が現れた。食器を持ってやってきたらしい。

空っぽになった食器を受け取るとき、鈴の音のような声でおいしかったと微笑んでくれていた。喜ばしい限りである。

言葉足らずだった元の主とは真逆に、全ての感情がおもてに出る今の主。

突如たる継承とはいえ彼女の霊力は政府から認められし確かなもので、今はまだ不安定なところはあってもきっと彼女ならあるべき歴史に向き合ってくれる。

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