キャンドルの明かりの先に





深いラピスラズリの瞳の中で、オレンジ色の光がゆらゆらと揺らめく。

テーブルの上には自分の名前のチョコプレートが乗った大きなバースデーケーキがあり、アイスランドは呆然とした様子で、ああ、祝われてるのか僕はなんて的外れなことを考える。


部屋の照明は消されていて、今はそのキャンドルの明かりだけが部屋の中を照らしていた。

あとは、自分がキャンドルを消せばいいだけ。
この場にいる自分除き北欧のみんなはそれを期待し、黙って待っている。


(わかってる…、それはわかってるんだ。)


しかし何処か既視感を感じてしまうその光景にアイスランドは動かなかった、否、動けなかった。


「ほれ、早ぐ火ぃ消せ。」


なかなか火を消そうとしない事に痺れを切らしたのか兄がアイスランドを急かすように言う。



(ああ、どうしよう。)



思い出してしまうあの光景を、あの絶望を。

得体の知れない恐怖がアイスランドの行動を阻む。


もう何にも怯える必要なんてないというのに、幼い頃に味わった恐怖感が警鐘を鳴らし、思わず顔を俯かせてしまう。


(…僕は消しちゃ、いけない…。)


キャンドルが消した先の暗闇が、アイスランドには怖かったのだ。








その時は突然であり、必然だった。



スウェーデンとフィンランドがデンマークの家を出て行って幾百年。

眠りに入る時刻、いつものようにデンマークにおやすみの挨拶をし、まだ小さかったアイスランドは兄に手を取られながら寝室に向かっていた。


アイスランドの部屋は長い廊下の先にあり、電気もろくに普及していない頃だったため廊下を照らすのは兄が手に持つキャンドルだけだった。
キャンドルの火は確かに覚束ないものではあったが、それが普通だった頃だ、その事については別段怖いと思わなかった。
むしろアイスランドはそのキャンドルの明かりが好きだった。暖かく包むように光るそれは見ていて安心出来たのだ。

普段と違う所は、強いて言うなら外が雨だったことだ。
さめざめと細かい雫が降る、とても静かな夜だった。


そんな日常的風景の一方、アイスランドはまとわりつくように這う恐怖を童心ながら感じ取っていた。


ーーーー何かがおかしい、何か悪いことが起きるに違いない。


しかしそれを口にするのは躊躇われた、何と言っていいのかもわからなかった。




「…そろそろ、寝んべ?」

「…うん…。」


「今日は、おめぇがロウソクの火ぃ消すか。」


いつも火は危ないとばかりあまりアイスランドをキャンドルに近づかせようとしない兄にしては珍しい提案だった。

その提案にアイスランドは不思議に思いながらもこくんと頷き、ベッドにつくと兄に促されるままキャンドルに息を吹きかける。

フゥ

一瞬にして訪れる暗闇。
アイスランドは思わず兄のいた場所の方を見ると月明かりが彼の顔を照らしていた。


「お兄、ちゃん…」

唐突にアイスランドの目の前が少しじんわりと曇る。泣きたくないと思うのにアイスランドの意思に反して我慢の糸が切れたようにポロリと一筋、頬に涙の轍が出来た。


「なした、アイス。」

窓から入った月明かりに照らされるアイスランドの表情にノルウェーは珍しく驚いた顔をする。

しかしアイスランドにはこの恐怖を伝える方法が思いつかず、むすっと唇を噛み、声を殺してただただ涙を流していた。


「なした、何処か痛いとこあんのけ?」

出来るだけ優しく優しくという風に、ノルウェーはアイスランドの頬を両手で包む。

「ううん、ちがうよ、お兄ちゃん。ぼく、何処も痛くない。」

たどたどしく紡ぐ言葉に、ノルウェーは切なげに眉を下げて口元に少し微笑みを作った。普段無表情な彼のアイスランドにだけ向ける困った時の表情だ。

「じゃあ、…なして泣いてんべ…?」

互いの額をくっ付け、ひたすら泣くアイスランドが落ち着くようにノルウェーは指先で零れるアイスランドの涙を拭った。


言葉を出そうと吸う息が震える。

「っ、こわい、よぉ、お兄ちゃん、」

どこにも行かないで。

最後の一言を言い切る前に、ノルウェーはそのままアイスランドを抱き締めた。強く強く。

小さい体でありながらも聡いアイスランドが、今一体何に怯えているのか、ノルウェーは気付いてしまったのだ。

よしよしと我が子を慰めるようにノルウェーはアイスランドの小さな背中を撫でる。


どうか、この瞬間だけでも幸せな顔をしていておくれ。

後で今より更にこの子を泣かしてしまうことをわかりながらもノルウェーはそう祈る。

「おやすみ、アイス。」

小さな額にそっとキスを落とすとアイスランドの体を寝かせて、とんとんとゆっくりその体を優しく叩いた。少しでもアイスランドの気持ちが安らいだものに変わるように。






嫌な予感というのは当たるものだ。


目が覚めた朝、ノルウェーはデンマークの家からいなくなっていた。

アイスランドは激しい衝撃を受けた。ああ、やっぱり、そうだった。

彼がずっと恐れていたことが起きてしまった。

どうして、何故、何も言わずにお兄ちゃんはぼくを置いて行ってしまったの。



『おやすみ、アイス。』


最後の言葉が頭の中を反芻する。何故、いなくなってしまった彼の言葉は、あんなに暖かい響きをしていたのだろう。


「すまねぇな、アイス…。」

泣いて居間に現れたアイスランドに、待っていたかのようなデンマークは全てを話してくれた。

ここのところ戦に負け続けていたこと、その負けた戦によってノルウェーがスウェーデンの元に行くことになっていたこと、昨日がデンマークの家にいる最後の日だったということ。


その日からアイスランドは異様にキャンドルの火が怖くなった。

暗闇の後、誰もいないあの何とも言えない感覚を思い出してしまうからだ。







あれから更に何百年もすぎ、アイスランドもデンマークの元から離れ独立した今、昔のように、それでも昔とは違った形で5人顔を揃えていた。


「アーイースー?どーしたぁ?」

あの時やつれ疲れ切っていたデンマークの陰はもうそこにはなく、生き生きとした快活のいい声が俯いてしまったアイスランドを心配するように尋ねた。


そうだ、あの頃とは違うのだ。確かに違うのだけれど。


(どうしよう。)


わかっていても膝に置いてる手が震える。

キャンドルの光から逃げるように瞼を閉じても瞼の裏で考えてしまう。

脳に焼き付いて離れない、暗闇を照らす月明かりに浮かぶ兄の顔が。その先にあるひとりぼっちの感覚が。



(こわくて、こわくて、仕方ないんだ。)



言いようのない恐怖に怯えて、強く強く瞼を瞑る。




その時、


「……アイス。」


低い囁くような兄の小さい声がすっと耳に入ってきた。

その声にハッとなり、ゆっくりゆっくりアイスランドは顔を上げる。


ゆらりとキャンドルの光が照らした兄の顔は、怒った顔でもなく、いつかみた困った表情でもなく、いつもより更に慈愛に満ちた優しい表情でこちらを見つめていた。


「でぇじだ、アイス。」

大丈夫(でぇじ)だ、もう俺は何処にも行がね。


(…ああ、この兄はいつだって僕の考えること悩んでいることに気付いてくれる。)


何百年経っても兄には隠し事が出来ないのは変わらないままだった。




「わりがったな、あん時何も言わずに出ていっちまって、置いてっちまって…。」


「…仕方なかったんでしょ、何を今更、謝るのさ。それにその台詞、もう何百回も聞いた!」


再会した時、兄は死んだ目から想像つかないほどの勢いでアイスランドに謝った。

『わりがった…、わりがった、アイス。』

その時ほど兄が頼りないと思ったこともなかった。こんな悲しそうな顔するくらいなら謝らなければいいのに、なんて少しズレた考えをしていたのも確かだ。


そんな兄弟のやり取りを見ていたフィンランドが、揺れるキャンドルが消えないようゆっくりとした動作でアイスランドと目が合うように体をそちらに向けた。


「…アイス君、今まで僕たちの間ではいろいろあったけどさ、またこうして笑い合えるのがすごくすごく嬉しいんだよ、僕。」


それにあの頃はアイス君のお誕生日なんて祝えませんでしたしね〜、なんて核心をついてるようなついていないようなのんびりした口調のフィンランドがふわりとアイスランドに微笑みかけた。

「ん。…そだな、アイスもでがくなっだ。」

兄より言葉少なに語るスウェーデンもがフィンランドのようにとまでいかずとも少し威圧感のある顔を少し綻ばせ、アイスランドの頭に手を乗せゆったりと撫でた。

「ちょっと、スヴィー撫でるのやめて!」

いつもに増して子供扱いを受けるアイスランドは声を張り上げ抗議する。

さっきまで感じていた恐怖のことなんて忘れて。





「ほだら、アイス!消してみ?」

楽しそうにわいやわいやする弟分に、満足そうにうんうんと頷いて見せたデンマークはほれほれとアイスランドの背中を叩いた。


「…もう、わかったよ。」


みんなせっかちなんだから、言いながら、アイスランドはこの兄達が自分が落ち着くように気を回してくれてることに感謝した。



(うん、もう怖くない。)


今はもうひとりじゃない、兄だけでも無い。みんな、みんな、側に居る。


意を決したアイスランドはスッと息を吸い、そのままキャンドルに吹きかける。


フッと消えたキャンドルに当然暗闇が訪れたが、それ以上に暖かい拍手が言葉が室内を満たした。



「「「「誕生日おめでとう。」」」」


パチパチと、手を叩きながら言われた言葉に自然と口角が上がる。




「…ありがとう、みんな。」


いつだって手放しに愛してくれて。

僕を幸せ者にしてくれてありがとう。







- Fin -




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