玄関のドアが開く音がした。
無言。いつもより静かな足音。
足音はこちらに近づいてくることはなく、トラファルガーの部屋までいって消えた。
ドアの閉まる音。
そういや曲作るとか言ってたな。昨日はどっかのスタジオにカンヅメになって帰ってこなかった。
ペンギンから今日は帰るらしいとのメールがきていたので覚悟はしていたが、やっぱりいつもどおりらしい。
部屋のドアをノックをしたが返事はなかった。でも中にいるのは分かっていたから勝手に入る。
ソファの上でひざを抱えて怖い顔をしているトラファルガーの隣に座った。
持ってきたコーヒーは目の前のテーブルに置く。
いつかみたいに渡したとたん壁に投げつけられてはたまらない。
自分の分を飲みながら、黙ってそばに座っている。こうするのが一番いい。
へたに何か言うとキレるし、酷いときは手が出る。
かといって構わなければなにをするか分からない。
初めてこうなったときは俺もどうしていいか分からなかったから、ものすごい喧嘩になった。
殴られるわ殴り返すわで、部屋は当然酷い有様になり、トラファルガーは家を飛び出して三日ばかり帰ってこなかった。
四日目にはペンギンに連れられて帰ってきて、泣いて謝られたが。
歌を作っているとき、トラファルガーは別人のようになる。
いつもはちゃらちゃらへらへらしてる野郎だが、そんなこいつでも自分の中から何かを形にするという行為は、ひどく困難なものなのだろう。
決められた何曲かをを作り終わるまで、こいつは始終難しい顔をしている。
詞を作るのはそうでもないらしいが、頭の中にあるメロディを、そのまま現実に再生するのが難しいのだと、いつか言っていた。
でもそれはこいつにしか出来ないし、誰かにしてもらえることではない。
新しい曲を作るたびにこいつは荒れる。自分に対する苛立ちが溢れ出て、
だれかれ構わず攻撃的になる。
たとえそれが信頼しているマネージャーだろうと、自分に忠実な付き人だろうと。
だから、周りに危害を及ぼさないためにも今まではスタジオにこもりっきりだったのが、近頃は二日にいっぺんくらい顔を出しても大丈夫になったらしい。
俺のおかげだとペンギンに感謝された。今まではスタジオの中の様子が分からないので、こっそり監視カメラをつけたこともあったとこぼしていた。
まあ、帰ってきたってだんまりなんだけどな。
いつもはうっとおしいくらいまとわりついてくるくせに、飯を食ったら「もういい。帰れ」だからな。
最近じゃ俺のほうもなれてきて、早々にチビをつれて下の部屋に引き下がることにしている。
コーヒーを飲み終わってどれくらいたったのか。
トラファルガーの前に置いたほうは、手がつけられないままさめてしまった。
入れなおしてやるかと腰を浮かしかけると、すごい力で袖をつかまれてソファに逆戻り
させられた。
トラファルガーの重みが半身にかかる。相変わらず怖い顔をして、こちらのほうを見ようともしない。
それでも、その両手はがっちりと俺の右袖をつかんでいた。
少しの沈黙のあと、ユースタス屋、と、静かな声が聞こえた。無言でやつの顔を覗き込む。
「抱きしめろ」
いつもだったらふざけんなとか言ってやるところだが、今のこいつはいつものこいつじゃねえ。
こんなことまでしてやんのはどうかとも思うんだが、しょうがねえからと自分に一つ
言い訳をして、ためいきとともにトラファルガーの身体を抱き寄せた。
子どもをあやすみたいに頭をなでてやる。なにやってんだろうな、俺は。
こんなことしてやるの今だけだ
心の中で悪態をつきつつ、夕日のかけらがなくなるまで俺はトラファルガーのことを
抱きしめてやっていた。
抱きしめろ
家主から同居人たちへ17の命令
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