「本気で言ってるんですか。私がそんなことする女だと思ったんですか。もういいです……!」
あいつが泣いたのはいつぶりだろう、と土方十四郎は去っていく背中を呆然と見つめた。
付き合いが長くなると遠慮がなくなるのは悪い癖だった。いくら、お互いなんでも知っている仲とはいえ、言っていいことと悪いことくらいあるのはわかっているし、今回のことだって嫉妬とイライラをぶつけてしまった所謂八つ当たりだったことも自覚している。それでも彼女は自分のそういう気持ちを汲んでくれると思っていた。甘えていたのだ。彼女の優しさに。
どうせなら怒って頬に真っ赤なもみじを付けられた方がマシだったなと彼は思う。世間では鬼だなんだと揶揄される彼でも、好いた女の涙にはめっぽう弱い。
市中見回りの最中に彼女を見かけ声をかけようと近づいた時、名前は自分が見知らぬ男性と親しげに話していた。仕事関係者かもしれないが、男性相手に楽しそうに笑う彼女の姿を見て醜い嫉妬に襲われた。自分を受け入れてくれる彼女の度量は知っている。愛する彼女が浮気をするような質ではないことも重々承知の上だ。しかし一度渦巻いた醜い感情は簡単には消えてくれなかった。
……だからあんなことを言ってしまった。彼女は久しぶりの逢瀬を楽しみにしてくれていたのに、嫉妬に駆られたまま感情をぶつけてしまった。
「今日市中見回りのときにお前を見かけた」
「そうなんですか?声をかけてくださったら良かったのに。お忙しかったですか?」
「いや。……お前が知らない男と楽しそうに話していたんでな。邪魔しちゃ悪いと思って」
「邪魔?」
「随分楽しそうだったじゃねェか。俺なんかといるときよりよっぽど」
「それ本気で言ってます?」
「俺みてェな会う時間も中々作れねェ男なんかよりあっちの方がいいんじゃねェの?見目も悪くなかったろ」
「いい加減にしてください……!せっかく久しぶりに会ったのにどうしてそんな話を聞かなきゃいけないんですか!」
「別れ話のほうが良かったか?……あの男に乗り換えるのか」
ああ、傷つけたと気づいたときには遅かった。
いつも自分を真っ直ぐに見つめてくれる優しい瞳はみるみる潤んでいき、次第に大きな雫が溢れた。
「本気で言ってるんですか。私がそんなことする女だと思ったんですか。もういいです……!」
涙を流しながらそう言って彼女は部屋を飛び出した。
「……クソ」
どうして自分は愛しくてたまらない名前を傷つけるようなことを言ってしまったのだろうか。一時の感情に身を任せるとろくなことがないことくらい知っているはずなのに。喧嘩というにはあまりに一方的でお粗末な展開だった。
しばらくの間、名前が去っていった方を茫然と見ていた土方だったが後に我に帰り、急いで彼女を追いかけた。
「名前……!」
「…………」
名前は返事をしなかった。正しくは嗚咽が漏れてきちんと返事をすることができなかったのだ。
「傷つけて悪かった。名前が俺のことだけを好いてくれてるのはちゃんとわかってる。ただの嫉妬だ。本当にすまねェ……」
謝るくらいなら最初から言わなければいい。
だがしかし人とはそういう生き物だ。
「私、土方さんのことちゃんと好きです……」
「知ってる。十分わかってる」
「誰よりも好きですから、本当なんです」
「お前の気持ちを疑うようなこと言って悪かった」
「自信がないのは私の方なんですから……」
そう言って静かに胸元にしがみついた名前に、土方は困惑していた。先程までの自分と同じように自分は彼女を不安にさせていたのだろうかと。
お互いに重過ぎるほどの愛を向けている自覚はあるのに、愛故に相手を信じられない気持ちが湧くなんてあまりにも馬鹿げているような気がした。
「俺にとってお前は唯一人の大切な女だ」
「私にとって土方さんもそうです」
「不安にさせるようなことがあったら全部言ってくれ」
「はい。土方さんもそうして下さい、今回みたいなのは絶対に嫌ですから」
「悪かった……」
決して顔を見せずにぼそぼそと呟く名前が可愛らしくて、土方は彼女の背に腕をまわし赤子をあやすようにぽんぽんと叩いてみせた。
「……子どもじゃないんですけど」
「んなこと知ってるよ」
案の定抗議の声が上がったが、土方はそれを塞ぐようにへの字になってしまっている名前の唇に自身の唇を押し当てた。きっとまた煙草臭いだなんだと文句を言われるだろうなと思いつつ、その時はまたこうやって口を塞いでしまおうかなどと彼が考えていることを彼女は知らない。
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