吸血鬼キッドパロディ「「折れる、」蝙蝠の〜」「燻るそれは暖炉の〜」の出逢い話です
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満月か。そう溢した男が町の診療所からの月に照らされた帰り道をとことこと歩いている。最低限の医療具が詰められた四角い鞄を手に、外れに位置するレンガ造りの家を目指す。町中から敷かれた石畳は徐々に姿を消し、夜露に揺れる雑草が目立つ小道が続いていた。街灯すら消え始めた、段々にして広くなって行く辺り一面に満遍なく降り注ぐ月光は青白い。
不気味なまでに明るく感じるこの夜に外套の襟を自ずと合わせた男が異変を目にするのは、家の横に生える大きな三角の木が小さく揺れて直ぐの事だった。
家の横の小道に、ずんぐりとした黒の塊が蹲る様にして転がっている。月明かりに照らされたそれは人間だと気付くのに時間は掛からない。少なからず医学に長けた男は夜も深まるこの時間、猫すらも滅多に姿を見せない自宅前の異変に足を速めた。

「…おい、」
近寄ると鮮明になる光景。低く声を掛けた男はそれに手を伸ばす。此処で初めて目の前の人間には意識が無い事に気付いた。そしてこの人間は蹲って居たのでは無く、単に度を超えて肥えただけの中年だと言う事も分かる。そしてその、気を失いながらも卑しげに歪んだ顔には覚えがあった。町でも幾度と無く空き巣だと噂された男のスケッチが、診療所のボードにも貼られている。正しくそれに違いなかった。

「……。」
眉間に紫波を寄せる男が中年の肩を掴んで、無造作に倒れていた重い体を仰向けに寝転がした。なんだってんだ。不愉快気に呟いたそれはある一点に目が止まって、言葉尻は小さくなる。首筋から、綺麗に空いた穴が二つ。赤黒い血が未だ緩く流れて居た。
これは、と一人でに口が動く。地に染みを作るそれらは鉄臭く、敏感になる鼻孔に充満する。不可解な光景に益々顔をしかめた男が他に異常は無いかとゆっくり視線を下ろせば、濡れて色を変えた下半身の布が目に入る。途端、僅かに残る青臭さに舌打ちをした。意味が分からない。溜まった1日の疲弊に被さる様にして襲う状況が不愉快だった。

鞄は置いたまま着いていた膝を離して立ち上がりきょろりと辺りを見回す男が視線を止めたのは、やはり家屋の横の大木だ。今は揺れこそしないそれに、常には見ない何かを感じた。数歩近寄ってみる。迷う事なく声を上げた。

「何か居るのか?」

低く響いた声に返事は無い。
だが男には「何か」への確信が有った。だから返事の無い大木を見上げたまま立ち尽くす。ややあって、薄い雲が満月に半ば掛かり始めた頃に木は再び、そして今度は大きく揺れた。がさがさ、と葉の中で何か動く音がする。人間と変わり無い黒い影が見えて、トラファルガーは首を傾ける。
次の瞬間には太い枝に腰掛けた男が、じっと赤い両目を己へ向けて居た。

「……」
直ぐに赤すぎる口元へ目が奪われた。目を凝らせば分かる、常人では有り得ない鋭利さを見せる犬歯。次いで月光を受けて光る白すぎる頬、後ろへ無造作に追いやられた深い赤毛。立襟のコートと言うには大きすぎる黒い羽織。

「……吸血鬼」

ヴァンパイア、と呟く。尋ねるように語尾は上がらなかった。それ以外の何者でも無いと確信していたからだ。ひくり、と上がる己の口角に、珍しく胸がざわざわと鳴っている。だが、一度だけ呼吸を深くして、ゆっくりと瞬きをしても変わらない光景を確認すればすぐに落ち着いた。我ながら順応性は高いと男は何処かで思う。そうして足は大木へと近付いていた。赤毛は尚も男を見下ろしている。

「あれは、お前がやったのか?」

先程確認した気絶している男を指しながらゆっくりと問い掛ける。人間の姿をしているが言葉はどうなのだろうか。好奇心。そうトラファルガーの脳内を占めていた。

「……そうだ。」

間を置いてから赤い口が開かれて、低い声が降ってきた事に表情は変えないまでも男は惹かれた。黒い葉の間々に月を背負った吸血鬼の姿を瞬きも忘れて目に焼き付ける。

「……。」
興味は有るが言葉を発しないトラファルガーの様子に軽く首を動かした男が言葉を投げ掛ける。流暢に紡がれるそれは耳に心地好く残った。

「それがてめェの家なら、そいつは其処に入ろうとしてやがった。人間の家なんざどうなったって構わねぇ、だが俺は腹が減っていた。」

だから吸ってやったよ。あんまり五月蝿ェから少し「サービス」してやったら簡単にイきやがった、卑しいもんだな。


にたり、上げられた口角からむき出しになった犬歯は白い。トラファルガーは耳を傾けながら見上げる首の疲れも忘れて魅入った。
「…サービス?」
「ああ、人間ってのはどいつもこいつも揃って愚かだ。」
「まあ、違い無ェ。」
「……。」
「アレは、死ぬのか?」
「致死量も吸っちゃいねえが凍死なら有り得るかもな」
「そうか。」

「名前は?」
「教える義理も無ェよ」
「じゃあ降りて話さないか、茶くらい出す。」
「……?」

訝しげにする吸血鬼に薄く笑うトラファルガー。何だお前。呟くと幹に凭れて降りる気は無いとばかりに睨んだ。

「血以外胃に入れねえか、吸血鬼は」
「どうだかな。」
「ニンニクは?」
「…言ったろ、人間て奴は愚かだ。古代の奴等の妄言はクソみてぇに退屈なんだよ」
「そうなると十字も効かねぇと」
「……下ら無ェな」

男は眉間に紫波を寄せるとかつて此処まで言葉を交わしてやった人間は居ただろうかとのんびり思案した。居ない。吸血鬼を目にすれば逃げ出すなり腰を抜かすなりというのが定石で、それでも生きる為には血が必要だ。

「この町で吸血の被害は前例が無え。」
「そりゃ、ここら辺は初めて降りたからな。」
「……美味いのか?血ってのは」

一拍置いて、じい、と睨む様な吸血鬼の視線をトラファルガーは受けた。

「そんな家畜以下の野郎の血が美味いとでも?」

へえ、と一瞥を中年へ寄越してからトラファルガーは笑う。

「じゃあ、随分と優しい吸血鬼様な訳だ、お前は。」
「……?」

無い眉をぴくりと上げた男がトラファルガーを見る。
「意味が分からねえな」
「だって、思うにお前は美味い血なんか吸った事が無いんだろう。」
「勝手な野郎だな、殺されたいのか?」
「俺の血も飲むのか」
「……。」

てめェはてめェの血が美味いとでも思ってやがんのか、と吐き捨てた男が酷く面倒臭そうにして枝から立ち上がった。はらりと羽織から落ちる葉がトラファルガーの足元へ落ちた。

「何処行くんだ」
「勝手だろ、疲れたんだよ。てめェの相手に」
「それは残念。」
「……」
「なあ、明日の晩も来いよ、俺お前嫌いじゃ無えから。」
「俺は嫌いだ」

トマトジュース位用意しといてやるよ、とのたまう声を背に、木を揺らして吸血鬼は消えた。


トラファルガーは家前へ戻り、この時期なら凍死は無いだろうと未だ気絶したままの男をもう一度見遣ってから家へ入った。翌朝になれば、地に僅かな赤い染みを残して男は消えていた。暫く空き巣の被害は絶たれると彼が予測した通り、ぱたりとそれは無くなった。

その代わり、不審な被害がまことしやかに囁かれるようになる。吸血鬼だった。
だがその被害と言うものは決まって夜の更けた頃、盗人や強姦魔、殺人犯。悪党の首や肩に残されるとも噂される。被害者が被害者なだけに明確な情報は回らないのだ。もう先の長く無いだろう家の無い老人などにも見舞われた。死に至る者は居なかったが、不定期に現れる被害に夜の町は静まり返り、人々は恐怖とした。


言うまでもなく事件の根源である赤毛の吸血鬼は、トラファルガーは気に入らないがその家に生える大木は好きだった。月明かりの晩に其処に腰掛けていると決まってトラファルガーは現れ、話をする。その落ち着いた低い声を耳にする度に、妙な人間が居るものだと吸血鬼、ユースタスは襟へ首を預けた。名前は、自分でも気付かぬ内に教えてやるよう仕向けられた会話で口にしてしまっていた。



「……ユースタス屋」

名前も互いに知ってから数日後の事だ。
そろそろ降りて話してくれてもいいだろうと下から余裕な顔をして訴えるトラファルガーに煩わしそうに耳を傾けたユースタスがずるずると気だるげに幹に背を預けたまま太い枝に深く座った。この三日間、とうとう町ではぱたりと夜になると悪党もホームレスも姿を見せなくなりユースタスは血を吸っていないのだ。トラファルガーへ言いこそしないが。

「あ゛ー……、」

「腹減ってんのか?」

唸れば掛けられる言葉へ返事もせず目を閉じる。この夜も、月光は見事だった。葉の隙間から差し込む灯りに照らされた体をトラファルガーは下からじっと見上げ、だらりと見える脚や腕に喉を鳴らした。もっと近くで見たい、触れたいと思っていた。

そこでとうとうトラファルガーが動く。ばきばきと腕を鳴らしてから木の凹凸へ足を掛け、枝を掴み、上り始めたのだ。揺れた木に目を開けたユースタスが見下ろして軽く目を見開く。此方へ来ようと不安定な枝を掴む男が居る。溜め息を吐き、勝手にしろとばかりに視線を戻した。


「う、お」
「……。」

ユースタスの座る高さまでもう少し、と言うところでぐらりと背後に落ちそうになるトラファルガーへ手助けもせずユースタスはただ眺めていた。手くらい貸せよと笑ったトラファルガーが体勢を取り直して、とうとうユースタスの目の前へ、腰を下ろした。

「あー…疲れた、」
「馬鹿かてめェ」
「凄ェ、近い。」

コキ、と首を回したトラファルガーが嬉しげにユースタスへずい と寄る。反射的に首を後ろへやるユースタスだが既に幹に預けていた為距離は近くなるだけだった。

木の匂いのする少しざらついた手の平が伸ばされて、無遠慮に頬に触れる。不愉快そうに顔をしかめたユースタスが顔を緩く振ったが手の平が離れる事は無く、トラファルガーはその冷たさと滑らかさに目を細めた。

「歯、綺麗だな」
「……。」
唇から垣間見える犬歯にも迷いなく触れて、髪も後ろへ撫でられた。確かめるように、強く押すように触れられて、なんなんだ、とユースタスは溢す。いつの間にか距離は詰められて人二人分の奇妙な影が木の中へ出来ている。

「だって、変わら無えじゃねえか。」
黒く塗られた指先に触れてから、両手で頭を包んだトラファルガーが目を合わせる。近くなった事で隈が一層顕著である事にユースタスは想いを馳せた。
「何が」
「変わらねえんだよ、ユースタス屋」
繋がらないやり取りと、触れ合ってはいるのに上がらない体温が互いに夜更けに長いこと外にいる事の愚かさを浮き彫りにする。

―寒ィなら体は冷えるし、触れれば脈も分かる、目も皮膚も爪も口も、まあ耳は少し尖っちゃいるがお前のは綺麗だと思うよ、それに、腹が減ると不機嫌になるのも、愚かな人間て奴と何ら変わり無えだろう。

言葉を紡いだトラファルガーが耳に触れて半ば笑いながらその輪郭をなぞる。

「お前がわざわざ不味い血しか吸わねえのも知ってるし、」
「…そんなのは俺の勝手だって言っただろうが。」
「じゃあ、」


俺の血もお前の勝手で吸えよ。

そう言って口元に首筋を押し付けてやるがユースタスは嫌だと首を振って力無くトラファルガーを押した。揺らいでいた。人間と吸血鬼の境界線をなし崩しにしては自分を引き摺り込む男に。これは本能の警告だ、吸うな。吸うな吸うな吸うな。浅黒い、案外男らしい太さの首筋は風呂に入った後なのか石鹸の匂いがした。


俯こうとするユースタスの顔を捕らえたトラファルガーが仕方無いと笑う。

「…顔に似合わ無え優しさ持った吸血鬼が居たもんだ」
「、!」


そう言って自らの唇を歯で噛み切り、そのままユースタスへ押し付けた。
大きな木の中為された、流れ出す血の味を共有するそれを咎める者は誰も居やしないのだ。

そしてこの晩、ある吸血鬼の血と言うものへの概念が大きく覆えされる事となる。

(……、甘い…?)



回旋見たオラトリオ



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ローさんがただのマゾヒストみたいになってしまった















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