貧乏絵描き×富豪子息パロディ幼少期編。
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その町の家畜飼育所には日々牛乳を売り歩く雇い仕事があった。それに従事する黒髪の少年が一人。少年には未だ大きすぎる木箱を首から下げ、贔屓にしてくれる民家を訪ねては扉から顔を出す大人を見上げ、無表情で愛想も何も無い子供だったが仕事を休む事は無かった。
「あら、牛乳屋さん。今日もお疲れさま。」
人の良い笑顔を浮かべた主婦が少年の頭を撫で、牛乳瓶を二本受け取った。
「良かったら、これもどうぞ。」
代金の貨幣と共に差し出された葡萄パン。ふわりと薫る芳しさに、じ と主婦を見上げてからおずおずと受け取る少年は、ありがとう、と小さく呟き去って行く。薄汚れた皺の寄るシャツと磨り減った革靴。小さな背中は孤独を気にする暇など無いとでも言う様に、真っ直ぐなものだった。
牛乳売りは朝早くに始まり、家畜所へ戻るのは昼を過ぎる事が常だった。牛小屋の横で力仕事に励む体格の良い主人の元へ駆け寄り、空の箱を見せる。お疲れさん、と頭を撫でられてその日の駄賃を貰った少年は小さく頭を下げ、小走りで町外れの住処へ帰って行った。握り締めた僅かな貨幣と胸に抱いた葡萄パン、頭に残る大きな手のひらの暖かさ。
−この町の人は、やさしい。
少年の心に浮かんで消えた言葉が口に出される事は無かったが、小さな子供が一人生きると言うことに於いて何よりもの救いだったのだろう。少年の名前はローと言った。
そんな生活を続けるローは絵を描く才に長けて居り、小屋―アトリエへ着いてからは毎日、外の丸太へ腰掛けて黙々とスケッチを続ける。雨の少ない気候の国の為か、いつもからりとした空気が少年の生活には合っていた。紙は物心着いた頃から小屋に大量に積み重なっていた藁紙が主で、その小屋には古いながらも画材ばかりは溢れていた。手頃な木の板を下敷きに、心に浮かんだものや草木を描く。どうして飽きないのだろうと、積み重なる紙の束に不思議に思った事が有ったが少年の心の置き所はやはり絵に在ったのだ。
夏のある日の事。仕事を終えたローがいつもの様に絵を描いている、夕方の手前の頃だった。出逢いは突然やって来た。
「お前、絵かくのか?」
突如掛けられた声に、ぴくりと肩を揺らす黒髪の少年。顔を上げると、低い丸太に座る自分よりも少しだけ高い位置で見下ろす赤い髪の少年が、ローを見ていた。
「……あかい」
「は?」
思わず口をついて出た正直な感想に、赤い方が訝しげに首を傾げる。黙ったローが、自分と同年代であろう子供が一人で自分の目の前に居る事に静かに瞠目していた。町の外れもいい所だ、自分に似た境遇の子供を見た事は無かったがこの赤髪は違うだろうと感じた。少年は小綺麗なシャツを来ていて、何か良い香りがした。
「……。」
「なあ、これ、クマか?」
自分を見たまま黙ったローに少年が紙を指差し尋ねる。近付いた白い指の横へコンテにより汚れた浅黒い自分の指を見つけ、無意識にきゅ、と力を込めた。
「……。」
「……。」
「白、クマ」
ぼそ、と紙面へ目を落としたローが呟いた。白黒の絵でクマの種類までもを判別する事は難しかったが、ローにはローなりの確固たる何かがあったのだろう。
「白クマ、見たことあるぜ。でっかいのな!」
「……!」
「なんだよ、すきなのか?」
得意気に言う少年にぱっと顔を上げたローが小さく頷く。手元で口を開ける白クマは、唯一手元に有る絵本で初めて目にした時からローの気に入りだった。ボロボロな絵本は今も大切にしていて、いつかは本物を見てみたいというのが数少ない夢のひとつでもある。
お前もいつか見れるよ、と言いながら横へ来た子供に気を取られた。赤い髪も緋色の瞳も初めて見るもので、ローはそれにばかりただ見入っている。
「お前、なまえは?」
「……トラファルガー」
「トラファルガー?ながいな、」
キラーみたいに短い方が呼びやすいのに と随分勝手な事を言う少年を前に、下の名前も呟こうかとローは口を開き欠けたが、少し悩んで、閉じてしまった。その様子にまた首を傾げる少年がトラファルガー、と呼ぶ。
「おれ、キッド。ユースタス・キッド」
ユースタス。幼いローでも、町で聞いた記憶のある響きだった。
ややあってから、ぽつり、ユースタス屋。と言ってみた。少し目を丸くしてからなんだよそれ、と笑ったキッドに、ローはくすぐったい何かを感じる。こんな会話を、やりとりを、ましてや同年代とするのは初めてだった。だからと言うのも有ってローはキッドが話さない限りは黙ってしまう。そこで小さく、きゅう、と音が鳴った。ローの腹の虫だった。
「はらへってんのか?」
「へってない。」
「ウソだ、いま聞こえたぞ。」
「なってない。」
「……」
僅かなパンと駄賃で成り立つ少年の生活の中で空腹が満たされる事などは有り得なく、ローは一日に一食、良ければもう少し。それが当たり前だった。金も蓄えも無い子供に残されるのは忍耐の日々で、慣れたもので。それでも鳴るものは鳴る。ローは頑なに否定した。
「んー…、」
そんなローを前に不思議そうにしたキッドが、何かを思い出したような顔をしてからパリッとした半ズボンのポケットへ手を入れた。あった、と言って出てきたのは皺の寄った手のひらの大きさ程の銀紙で、それを破くと中には茶褐色の、甘い匂いのそれ。
「チョコレート。ちっととけてるけど、」
やるよ、と差し出された銀紙。甘く上品な香りがローの小鼻を掠め、厚い銀紙がきらきらと白い手のひらの上で光っている。
「いらない。」
ローは首を振った。キッドは不満気にしてから、少し悩んで、じゃあ半分、そう言ってそれをぱきっと割った。
「ん。」
「……、」
「くえよ、とけちまうだろ!」
「……。」
片割れを口に放り込んでから半ば強制的に渡す。じと、とローがキッドを見て、キッドはお前へんなやつだなあと笑った。
手の中で溶けだしたそれにとうとうローがかじりついた。途端に舌の上に広がる甘さは今までローが口にしたものの中で一等、甘いものの様に感じさせた。
おいしい、と小さく溢した少年に気を良くしたキッドが勢い良く立ち上がる。
「おれ、帰らなきゃ。」
気付けば夕陽が沈み始めていて、キッドの白いシャツや頬がオレンジ色に染まっていた。きらきら光る赤毛と手の中の銀紙。何もかもがローにとって新しい。
また来てやるよ、と言って町の方へ走っていく少年が見えなくなって、ローは初めて丸太から腰を上げ、全く進んでいない白クマの絵を手に小屋へ入った。
翌日は少し早めにキッドがローの元へ来た。ローはその日の午前中にユースタス家はこの町一の富豪であった事を知り、自分が牛乳を届けた事も無いのも当然だとぼんやり思いながら絵を描いていた。キッドが特別家の事を話す事は少なく、ローはローでいつの間にかキッドが足を運ぶのを待っているようになる。
知り合い暫くした頃だろうか、その日はローを誘ったキッドがローが住む方とは反対の町外れに散歩へ来ていた。
朝、鐘が聴こえたんだと言ったキッドが足を止めたのは小さな教会の前。中では多くも少なくも無い人でざわめいていて、どうやら結婚式の真っ最中のようだった。
教会の裏側の窓から背伸びをして中をこっそりと窺うと、美しいステンドグラスの七色が目に飛び込みそれにローは見とれた。イコンの描かれた教会の壁、中央では神父が本を片手に立っている。
けっこんしきだ、と小さく言ったキッドがローを見る。二人とも初めて目にするもので、美しく着飾った花嫁と新郎がゆっくりと口付けるようすを不思議そうに眺めていた。
窓から手を離したキッドがローに「キスってしたことあるか?」と聞く。
横に首をぶんぶんと振ったローに、だよなあと言って、首を傾げた。
「父さんとか母さんがしてるのは見てるけど、どんななんだろうな。」
「……わからない」
揃えて首を曲げるローが、腕で練習出来るぞ、と小さく言って腕に口を押し付け、真顔でやってのけるそれを見たキッドが吹き出して笑った。
教会から人の列が出てきて、二人は道を戻り始める。途中、隣町へ商売に出掛けていた農夫が大きな荷車を引いてキッド達の町中への帰路に着いており、キッドがおじさん乗せてってくれよ、と荷車を指差した。
「これはこれは、ユースタスの息子さんじゃないか」
目を丸くした農夫は、父さんとかにはないしょだぞと声を潜めたキッドへ困った様に笑い二人を乗せてやる。育ちの良いキャベツが二つ、売れ残ったようなものだと歌うように言ってゆっくりと荷車を引き歩き始めた。
後ろ向きに並んで座った二人は荷台の端から足を宙に出し、過ぎて行く道程と夕陽を見送る。
「なんでトラファルガーは絵かくんだ?」
でもおれお前の絵きらいじゃねえぞ、と付け足してキッドが徐に尋ねた。ローはじい とキッドを見てからわからない、と呟いた。記憶の断片に残るのは、自分と同じく浅黒い、大きな手が筆やコンテを握らせてくれた事。紛れも無く、死んだ祖父。皺の刻まれた手の甲には油彩で塗られた印があって。
ガタガタ、と小さく揺れる道でローの声は小さすぎたが、キッドは身を寄せて言葉を待った。
「おれ、人間かいたことがない。」
「へえ、白クマはかくのに?」
「うん。」
「でも」ローが続ける。
「ユースタス屋は、かいてみたい。」
目を丸くしたキッドがええ、と言ってローを見た。
「この町のひとは、みんなやさしい」
「そうだな」
「けど、ユースタス屋は、なんか、とくべつなんだ。」
なんだそれ。と言って嬉しそうに笑ったキッドへローが相変わらず表情の無いまま青黒い瞳を向ける。その意図する所を幼いながら汲み取ったのか、否か。キッドはかいていいぜ、と言った。
「ユースタス屋、すき。」
「なんだよ急に」
「すき」
「なんか今日お前きもちわりーなあ」
目の色は変えずすがるように手を乗せてきたローにキッドは何か、この子供がどれだけのものを薄い背へ背負ってきたのだろうという思いに駆られたが、すぐに面倒臭くなって止めてしまった。
代わりに近くにあった頬へ軽く口を付けてやると今度はローが瞠目した。
母さんがよくやってくれる、すきなやつにはするんだって。
でも母さん以外にしたのは初めてだ
そう言ったキッドは前を見て近付く夕暮れの町並みにもうすぐだと呟いて、農夫へ礼を言う。
少しずつ動き出す、二人の物語はこの時、まだ暖かい風景に包まれていた。
ラグタイム・ダンス
ウィズユー
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50000企画でリクエスト頂きました、絵描き×富豪パロディの幼少期編でした。
書いてて会話の漢字変換に悩んだりで少し不安な部分もありましたが、これを期にこのパロディの色んな部分を詰め込めて良かったなあと思います。子供設定初めて書きました、難しかった…!
しかしここからどうローさんは歪んでいくのか。そしてキッドくんは成長するにつれクールになっていきます(笑)
銅太郎様、リクエストありがとうございました!
ちなみに年齢は6〜7歳くらいで。マセガキどもめ。
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