※ぬるいですが傷、性描写有※
(嗚咽と伴って吐き出した血反吐が揺れる視界に広がった木目に滲みて行く。
鈍くヌルい痛みと醜い煽り文句を投げ掛けて来る目の前の制服を身に付けた肉塊には目も遣らずただその赤黒さを目に焼き付けた。
時を待たずして地獄は沈む。
警告をしてやってもよかったが潰れた喉は空気を吐き出すばかりだ、実に残念だったな、自業自得だ糞野郎。)
眠らぬ牴牾とオーバーン
ユースタスが向かいの懲罰房へ身を投じて裕に五時間は経っていた。
時計こそ無いものの、あの看守が運びに来た飯は夕飯にあたるだろうから今は深夜と言った所だろうか、とトラファルガーは目の前に置かれたままの皿と割れたそれ、水を見ながら憶測した。鉛の様な飯を食う気すら起きず水を被せられ濡れた頭上半身は半端に乾いている。背が低くなるばかりの蝋燭と周囲に散らばる湿気た燐寸だけが、牢内の時の変化を顕著にしていた。冷たい石像の様にして居座る男の醸す空気は極めて重く、暗く、静かな怒気も見て取れた。その矛先を解する事は限り無く不可能であり、この牢内に於いて囚人と言うにはあまりに奇異な存在。左手首に鈍く光る片割れの欠けた輪が、更にその奇異を肉付けた。
沈静を保っていた空間に、突如牢の錠が開かれる音が響く。 トラファルガーは視線だけを向けたが、目にした光景には顔色を変えないまま静かに立ち上がった。乾き切らなかった水滴が顎を伝い、ぽたりと己の裸足へ落ちて行く。
「来い。手錠を付ける。」
錠を開け入ってきた看守はユースタスの怒りを買った物では無かった。脇に引き摺る様にして抱えられ、牢内へ入れられたのは数時間前とは打って変わり、痛々しい身体へ成り果てた赤髪の男だった。
扉が開かれた事で射す光が入口に転がるユースタスの身体を照らす。引き裂かれた囚人服と見える肌の至る所から滴る血は新しいものから既に固まるものまで様々だ。顔から首、腹や背にかけて浮かぶ鬱血跡や殴打の跡。 小さいが荒く、途切れの多い息遣いは今にも何かを吐き出しそうで、時折口内に溜まった血が吐き出し切れないまま口端を伝った。乱れた赤い髪から見える瞳は凶暴に揺れているが次第に細まり、焦点すらも見えなくなる。
トラファルガーはユースタスを見るが表情を変えないまま右側へ回り、看守を見た。 看守は気を失い欠けているユースタスの両腕と足を戒める海楼鎖を機械的にほどき、リングへと付け替えた。右手首へはトラファルガーに既に嵌められた手錠の片方を通し、ガチャリと施錠の音が響く。そうして何事も無かったかの様にして扉は再び閉められた。外にはまた交代制で看守達が立ち続ける。 一人の囚人の長い懲罰が終わっただけの事で、また監獄船の時間は元の通りに動き出すのだ。その囚人が如何なる姿になっていようとも、統一されたタイムスケジュールは妥協も何も許されない。
また視界は不自由になる。しかし蝋燭に近い事もあり、ぼんやりと橙赤色に浮かび上がった空間にトラファルガーとユースタスは居た。 ユースタスの静かに繰り返される不規則な呼吸が耳に届いたトラファルガーがユースタスを呼んだ。 互いに口を開くのも聞くのも久しぶりの事で、長い事隣合い半身を預け合っていた二人には妙な感覚をもたらした。
ゼェ、と息を溢すユースタスが開ける事も儘ならない瞼を薄く開き、横に寄り添う様にして座るトラファルガーを確認するなり睨み上げた。体制を変えようとしたのだろうが、痛め付けられた筋肉や骨が言うことを聞かずぶるぶると震えている。ガク、と崩れる膝と擦れる白い足が血痕を引いた様を見るトラファルガーに表情は無い。
「辛えか。」
「ッ、……!」
ユースタスは目を見開いた。うつ伏せのままどうする事も出来ずに居た自分を、トラファルガーが手錠を鳴らしながら仰向けに倒したのだ。鷲掴まれた肩や脇腹の痣に冷たい指先が食い込み、唇を噛んで耐えるユースタスをトラファルガーは舐める様に眺めた。 勿論トラファルガーにも海楼石の力は及んでいるため、至極緩慢な動作となったが。
「……。」
「……ァ、ぐッ……」
トラファルガーはそのままユースタスの脚の間へ身体を滑り込ませ、裂傷の目立つ右脚を持ち上げた。胸と腹に付くようにして折り曲げさせると軋む骨が痛むのか、抵抗の敵わないユースタスが目を固く閉じて眉を歪ませる。荒い息が詰まり、切れた唇から滲む赤が新しく流れた。
「足の裏見せろ。」
「……ア、…?」
トラファルガーが有無を言わさず脚を更に押し付け、ユースタスの足の甲へ指を這わせたかと思うと上へと捻り足裏を眺める。意味が解らないまま、朦朧とする意識を意地でも保とうとユースタスは懸命に目を開き続けた。
「…まだ開いてんな」
目を細めながら言うトラファルガーが足を持つ親指で、足裏の中指の付け根から長く走る深い切傷をなぞる。びくりとユースタスが足を揺らした。事の発端となった、皿を踏みつけ割った際に負った物だった。 経過した時間なだけにもう血が固まり塞いでいてもおかしくは無いのだが、無造作に与えられた暴力と裸足ゆえに、未だそこはぱっくりと開いたまま痛々しい変色を遂げている。
トラファルガーの視線と言葉に己が作り出した傷を漸く思い出したユースタスだが、今はそんなものよりも遠退く意識とそれを許さない男、そして自分の意地が混ざり合い、更には組み敷かれるこの状況への苛立ちが大きかった。
「……?」
不意にユースタスの視線の届かない足先でビリ、と布を裂く様な音がする。
重く痛む首を持ち上げたユースタスが瞠目し、何してやがると掠れた声で唸るがトラファルガーは黙って己の囚人服の袖を裂いた。
そしてとうとう裂き終えてしまったそれを、何食わぬ顔で先程確認した傷を覆う様にして巻き付け出した。ここでユースタスが堪らず憤る。身体が不自由な今、絞り出す声だけが彼の持つ物だった。
「ッやめろ…!!殺すぞ、!」
「安い言葉を吐くなよユースタス屋、……黙ってろ。」
「これは、俺ッ…!…っぐ、!」
軋む身体を持ち上げようともがくユースタスを手錠の嵌まる手で鎖もろとも抑え込み、強く巻き付け終えた布地を確認するなりユースタスの痛みに霞む瞳を覗き込んだ。
「俺を殺す前にお前が死ぬかもしれねェぞ?」
ユースタスは許せなかった。この、牢内をともにする男に情けを掛けられる事が。
自ら招いた傷も懲罰も、身体は痛むが彼からしてみれば受けて立たない所で負けだったのだ。看守が口にした、美学など陳腐な言葉で済ます筈も無い。ユースタスは憤り傷を負ったが全ては自分にだけ関与すれば良い事で、トラファルガーがこうして来る事を酷く忌み嫌った。関係は持って居たが彼の海賊としてのプライドは変わらないのだ。
「こんな監獄船だ。壊血、皮膚、赤痢…いつ感染したって可笑しく無え環境だろう。特に足は」
「うるせェ……、」
「……。」
脚を下ろしてやり、仰向けの侭懸命に睨むユースタスは今や非力だが、眼光ばかりは強い。痛みと疲弊が募り薄い膜を張る瞳と視線が重なるとトラファルガーは背に走る感じ慣れた、この赤い男への支配欲と肉欲を覚えた。燻る劣情が二人の囚人を取り巻く。
舌で軽く唇を舐めたトラファルガーがゆっくりと覆い被さりユースタスの切れた口端を吸った。ちりちりと焼かれる様な痛みが目の前の男から与えられユースタスの震える脚がびくりと跳ねた。そのまま顔や顎に付着した赤い血をねっとりと舐め取る男に掠れた声で抗議するが外に居るだろう看守の存在を思い出し口をつぐむ。
トラファルガーが緩急を付けて押し潰す脇腹や腹筋、首の痣が飛びそうになる意識を何度も呼び戻す。
口内に舌を突き入れ切れた壁や歯茎を舐め、苦し気に熱い息を吐くユースタスに構う事なく貪った。血と混ざり合う唾液がユースタスの顎を伝い、首や耳元へ垂れて行く。二人が重なる影を蝋燭が壁へ大きく描き出し、不規則にびくびくと揺れるユースタスと殊更ゆっくりと焦らす様に蠢くトラファルガーの影とが酷く対照的な印象を与えた。
「は、…んンっ……!」
「…気持ち良いんだろうユースタス屋、久し振りだもんなァ?」
痛みと伴に与えられる刺激に身悶え、身体を捩る度に片腕を戒める鎖が音を立てている。酷く擦り切れた囚人服を捲ると背の傷に地面が着いてしまうので、トラファルガーは布地の上からそのままユースタスの身体を撫でた。胸の辺りをまさぐり、薄い布越しに見つけた突起へ噛み付いてやると口元へ腕を押し付けていたユースタスが息を詰め、不自由な右腕でどうにかトラファルガーの頭を押し返そうと身動ぐ。蝋燭に照らされた、上気した顔に掛かる前髪と疲弊による息の乱れがより扇情的だとトラファルガーは目を細めた。何より白い肌に浮かぶ痣や舐め取り切れなかった血が背徳感を煽り、赤髪の男によく似合うとも感じた。
「……腹が立つなユースタス屋」
「ゥ、あ……っぐ」
薄く笑う男。痣ひとつひとつを愛しむように押し潰しながら腰骨に手は辿り着く。此処も看守に足蹴にされた際に、皮膚の薄い骨なだけあって酷い損傷を負っていた。何度も辛そうに息を詰めながら、それでもトラファルガーの探るような視線から逸らしはしなかった。
彼奴は何処までお前に触った?殴るのも蹴るのも、触るのも俺がすれば良い話だと思わないかユースタス屋、そうだろう。
行為の際に狂った様に睦事を繰り返すこの男をユースタスは知っている。懲罰を受けている際から滲んでいた汗がじっとりと背を這い、肩口に噛み付いて来たトラファルガーがその跡を満足気に舌で撫でた。
潰れた喉での小さな喘ぎにトラファルガーが笑う。暗く光る瞳がユースタスを映す。
「肉体は魂の牢獄である……知っているか?」
「……、」
顔を離し手を止めたトラファルガーが意味有りげに手錠を持ち上げた。
「魂は純真の象徴、対してその容器である肉体は欲望の象徴とされた。」
「じゃあ愛の神は何から生まれたのか。ユースタス屋、」
「……、ッ!!」
ぼそりぼそり、ゆっくりと話すトラファルガーは口端を歪める。
ここだろう、と口にした瞬間ユースタスの萎えたそれを何の前触れも無しに布越しに握った。
驚き抵抗しようとする男をたしなめるようにして、扉の外から隠れた行為をトラファルガーは続け出す。男の言葉の意味も解らないまま快楽に弱い身体は溺れて行く。
肉迫が蔓延る深夜は長く、血の匂いとユースタスの咽び泣く様な嗚咽ばかりが牢内を占めて居た。
「万人への愛を誓った神の正体は父親の性器、つまり欲望の象徴だなんて、笑っちまう。」
(その出所が海って所に、ロマンがあるが)
to be continued -
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