自分にとっては珍しい事で、長く浅い眠りに落ちた夜だった。浅さのためか夢を見た。
ゼンマイ仕掛けの梯子がぎりぎりと音を落として降りてくる。見上げる空に天窓ひとつ。
風になびいて掴んだそれはさくらの花弁に変わって消えた。
「好きじゃ無えんだ。」
舌から意思を持たずに転んだ言葉に自ら瞠目する。零れた音が前にしゃがむユースタス屋の上履きに引っ掛かったような気がして、その足に手を置いた。
シートと椅子が整然と敷かれ並べられた物寂しい体育館。紙の花が壁に餞の言葉を描き、紅白の幕が壁を彩る。
ステージの裏の奥、グランドピアノの横の壁。薄暗くて、埃臭い。積まれた機材や椅子が埃を被りながら使われ時を待っている。
ユースタス屋としゃがみ合って、俺は頭を垂れて床を見ていて、ユースタス屋は壁に背を預けたまま何を、と酷く面倒臭げな声で呟いた。どんなにダルそうで、どうでも良さそうで、時間が掛かっても、律儀に俺の言葉を拾う。出逢った時からそうだった。ユースタス屋は俺が好きだからそれは当然の事で、それに託つけて甘える自分が走馬灯のように回想される。好きだ。そう言う所、可愛くて堪ら無えと思う。ユースタス屋が時間を許すのも上履きを掴むのを許すのも俺だけに決まってる。
「……毎年、気が狂いそうになる。」
「…お前はもう一回狂えば正常になるんじゃねえの。」
「はは、」
らしく無えな、気持ち悪ィ。 そう言ってユースタス屋は足から手を払って俺のピアスを弄り出した。撫でて、緩く引く指先が冷たくて気持ちいい。ユースタス屋が触る所は全部そうだ。もっと、と言って耳を押し付ける。 向き合う距離を詰めた。開かれているユースタス屋の脚の間に無理矢理入って、落ち着く。匂いも好きだ。こいつは学ラン脱いでシャツ一枚で、寒くはないのか。
「全部、変わってばかりな時期だろう。」
だから好きじゃ無い。呟いて肩口に額を付けると耳から手が離れた。ああ、勿体無いと思った。温かい肩がひくりと揺れる。
「何も無くても、忙しなく感じさせる陽気だ。人が浮いても沈んでも花は咲く。俺には関係無くても出会いと別れはそこら中で繰り返すんだ。動き出す全部、五月蝿え。」
堪らなく、煩わしい。
好きじゃ無え。好きじゃ無え。
言いながらユースタス屋の腕を持ち上げて俺の頭に乗せた。駄々を捏ねるのはお前の前だけだ。分かるだろ。
「なに、何でお前今日そんな、なんつーか…人間臭えの?」
撫でる所か強く髪を掴まれて、肩から離された。ユースタス屋の細まった目が俺を映していて、薄暗いこのステージ裏がその緋色を一層際立たせる。 人間臭い。俺が。
「ユースタス屋程じゃ無え。」
妙にその「臭さ」が笑えて、それでも明日の式には持ち込んだまま出たくは無かった。知っているのはユースタス屋だけでいい。どうせ明日になれば全部散る。
相も変わらず皺を作る眉間に吸い付いた。音を立てて、瞼、鼻先、耳、唇の端。焦れたユースタス屋が口に噛み付いて来る。それで良い。
舌を拐い合いながらユースタス屋が後頭部を預ける壁に手を着いた。瞬間、人差し指に僅かに感じられた凹凸が腹の疼きを急かし、目を見開く。息をひとつ、ユースタス屋が何だよ、と言った。最後に一度だけ口を付けて、離して、込み上げる懐かしさに目が緩んだ。人差し指が、壁の細い傷をなぞる。
「……なぁ、覚えてるか。これ。」
「……?」
ユースタス屋が首を捻ってそれを見た。
塗装のメッキを歪に削った15センチほどの傷。濃淡が顕著なそれが等間隔に数本。
目にした瞬間、直ぐに記憶が蘇ったらしいユースタス屋が目を見開き固まった。ほんのり色付いていた頬がひきつっている。
その傷は此処でユースタス屋と初めてセックスをした時にユースタス屋が付けたものだった。膝を着いたまま壁に爪を立てたこいつの黒い爪が、快感に勝る痛みにガリガリと年期入りの塗装を剥がしていた事を覚えている。偶然か必然か、その時もこの様に卒業式を翌日に控えた日だった。ちょうど、二年前。 早い下校時刻を利用して夕方まで居座った背徳感とユースタス屋を抱く事への焦燥感が、懐かしい。
「……すっげえ、…痛かった。」
「…フフ、」
涙を流しながら俺を呼んでいた。俺は俺でいっぱいいっぱいで、今みたいにユースタス屋を気持ち良くさせてやる余裕なんか無かった。
青すぎた俺達。
ユースタス屋がたまに、最中に泣くことは変わらない。俺が無理を言うから。
俺は変わった。あの時みたいに欲に任せてユースタス屋を見ないままセックスする事は無くなった。
「なあユースタス屋、やらねえから、もっかい。」
「ん。」
あの日も俺はきっと、出所不明の忙しなさに耳を塞いでいたのだろう。人間臭くて堪らなかったんだろう。
まだユースタス屋には、言えなかった自分。
「……、」
「は、ァ、……」
俺は変わった。全てが変わる事が煩わしいと目の前の男へ口にしながら、この小さな傷跡を見て、己の変化を知る。俺は変わった。
顔を離すとユースタス屋は口を乱雑に拭ってから伏せ目がちになって、小さく笑う。ゆっくり低く、ガキに話すみてえに口が動いた。
「変わら無えもんなんざ、有りゃしねえだろ。」
「そうか?」
「何だよ、知ってんのかよ?」
「さあ。」
「……。」
「……例えば、愛?」
「ぶっ、」
「はは、」
「くたばれトラファルガー」
「ああ、駄目だ。明日俺、泣いちまうかも。」
「勝手にしろ。」
「冷てえなあ。」
ユースタス屋を抱き込んだまま続く馬鹿げた話。明日になればもう屋上で欠課を楽しむことも、図書室で寝るお前を横に本を読むことも、便所に連れ込んで悪戯してやることも、この傷跡を見ることも、無い。
高い天井に近い窓が開いている。
体育館横で芽吹いた桜の花弁がひとつ、風に押されて落ちて来た。
ユースタス屋の肩に止まったそれが天窓から降りて変わったそれに似つかわしく思えて、払う事はしなかった。
青すぎた俺達。
帳尻を合わせながら生きるのだろうか。いや、この不器用な赤い男にそんな真似が出来る訳が無い。
だから俺が変わってやる。こいつが痛くて泣か無えように。本当は寂しくて堪らない事を言えないこいつが素直に俺に向き合えるように。そうだろうユースタス屋。俺が変わってやるよ。
抱き込んだユースタス屋が俺の背に腕を回そうとした時に花弁がはらりと落ちた。
あ、と出掛けた声を今度こそ落ちないように飲み込んで、回された腕に笑う。
ああ、やっぱり明日は泣いてやることにしよう。
最後の放課
end-
こっそりとイチさんへ捧げます、学パロでリクエスト頂きました…!
内容及び雰囲気はお任せと恐れ多いお言葉を頂いて、シーズンに合わせて卒業のお話となりました。 相変わらず読みづらい文章で申し訳ないです、春は色々急かされるような空気が苦手な管理人をローさんに投射してみました←
書くのにあたり少し参考にさせて頂いた曲がありまして、ト/ク/マ/ル/シ/ュ/ー/ゴさんのparachuteという曲です。興味持たれた方は是非どうぞ^^*
それではリクエストくださったイチさん、ここまで読んでくださった方、ありがとうございましたm(__*)m
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