※後味の悪い締め方です※








この街きっての富豪の御曹子は白い膚に映える赤毛を持っている。
どんな絵具を混ぜ合わせても描き出せないそれは、彼奴と荷馬車に揺られた幼い日から沈む陽光とのグラデーションとともに瞼裏へ焼き付いて離れる事が無い。
血を紙面へ塗り付けてみようかとも思ったが何より彼奴の顔を哀しみで崩すのは気が引けた。彼奴は俺の絵を好んだが俺の生への無欲を嫌ったのだ。

眉間を寄せて笑う顔も、俺の絵を見て瞳を細める顔も、抱かれ乱れた顔も、全てコンテだけで描き出した。赤が足りない。そう思った。それでも俺はお前が居れば何も要らねえんだ、ユースタス屋。






6ペンス価値の丸をキャンバスへ


















街から外れた小さく古いアトリエが俺の家。生活に要する最低限の物資と、所狭しに転がる画材たち。 金は無えから、画架は手製。散乱するベニヤ板やチューブ、紙の匂い全てが俺の生活を満たしている。


「もう少し、左。」
「……なぁ、飽きた。」
「ん……、もうちょい、な。」

唯一陽が差し込む窓の前に置かれた古いソファに気だるげに沈んだユースタス屋。
少し離れて、俺はユースタス屋を描いている。通った鼻筋と、伏せ目がちな睫毛、ゆっくり音を紡ぎ出す厚い唇に少しばかり尖った耳。無造作に上げられた髪によって顕になった生え際も首から鎖骨のラインも、完璧だ。どんなトルソの美学よりも整った俺だけのモデル。俺だからユースタス屋は描かせる。ユースタス屋だから俺は描くのに、どうして金にしようとしないんだとたまにユースタス屋は馬鹿な事を言う。

「出来た。」
「そうかよ」

手招きをすると伸びをしてから腰を上げてのんびりやって来る。元より狭い空間なだけに、長いユースタス屋の脚ですぐに距離は縮まった。紙面を覗き込んだユースタス屋が、暫くの間を空けてから 俺ばっかり描いてて詰まんなく無えの、と言った。
詰まらない訳が無い、と笑ってからコンテのみで完成したそれを紙の重なる箱へ入れる。そこにはもう数え切れない程のユースタス屋のスケッチが詰められていた。

一連の動作を眺めて居るユースタス屋に向き直ると先程まで俺の手にあった極めて短いコンテを手の平で転がしている。小指の先くらいだろうか、まだまだ使える。

「お前、何で俺描く時これしか使わねえんだ?」
「……、ふふ、俺は油彩が苦手なんだ。」
「こんなに臭えのに?この小屋。」
「アトリエな。…染みっ着いちまったんだろ、随分前から。」
「……。」

コンテから目を離して訝しげにユースタス屋は俺を見た。
油彩が苦手、と言っては語弊が有るかもしれなかった。お前の色を出せないから、俺はお前を塗らない。そう言えばお前はどんな顔をするんだろうな。少し不機嫌そうに照れて、三流絵描きとでも不器用に煽るのだろうか。


幼い頃からユースタス屋は傍に居た。
どう言った出逢いがあったのかなんて覚えちゃ居ない。俺はその日その日を生きるのにまだ必死を感じる餓鬼で、いつも小綺麗な格好をしたユースタス屋はどういう訳か俺の傍に居たがった。
この街一番の金持ちの一人息子だなんて知ったのは名前を聞いて間も無くだっただろうか。酷く取るに足らない事で、餓鬼の俺にはどうでもいい話だったが。
ユースタス屋は 抜け出して来た、と悪そうに笑って、俺と話した。幸せというのはああいう光景を言うのかもしれない。
成人してなお関係を持つ俺たち。それは謂わば禁忌とも呼べる。
それでもユースタス屋はこうして俺のアトリエへ足を運ぶし、俺はそんなユースタス屋が好きで堪らなかった。



「ユースタス屋を描くのは、凄え気持ち良い。」
「……、」

手首を掴んで引き寄せて、質の良いシャツへ皺をなるべく寄せ無い様にしながらソファへ沈めた。 散らばる赤毛を掬う自分の指先がコンテによって薄茶色に汚れて居て、僅かな背徳感を覚える。所詮、身分違いと古いドラマが語るように。 僅かなそれに打ち勝つ欲と、ユースタス屋の匂い。指先を見詰めて居る俺を不思議そうに眺めたユースタス屋が俺のくたびれたシャツを引き寄せて、キスをする。

「もう、馴れちまった。」
お前の小屋の匂い。そう言ってユースタス屋が首筋へ鼻先を擦り寄せて来て俺は息を溢し笑う。
この指先が触れれば白いシャツも肌も汚れてしまう。解りながらもそれへ手を伸ばすのは、こいつに絵を売らない俺が暗に伝える唯一の甘えだ。


「ッ、あ、ん、ぅ……」
「ユースタス屋……、」


夜には屋敷へ帰るこいつとセックスをするのはいつも夕暮れ時で、紅く染まって行くユースタス屋を、彼が帰った後一人描き出そうとして、挫折を繰り返す。散らばる油彩のチューブはユースタス屋に言わない刺激臭の正体だ。
軋む古びたソファの足と、切なそうに喘ぐユースタス屋の声が全ての音だった。 壊れ物を扱う様に抱くなんて余裕の有る人間ではない。描きたい欲と、描いた後の欲とが折り重なって、どうしようもなく目の前の男を求める。

今日もユースタス屋は紅かった。
いくら目に焼き付けてなお、色を作る事は出来ないというのに
俺は今夜も潰れたチューブに力を込める。









「……許婚。」
「ああ。」

七日も経たない内の事だった。暫く姿を見せなかったユースタス屋の婚約が決まったらしい。久しく足を運んだユースタス屋が告げた。
疲れた顔をした男。聞き分けの悪いこいつの事だから大方親と口論三昧って所だろう。

「一人息子は大変だなユースタス屋。」
「……。」

聞けば相手は当然の如く名の知れた資産家の娘だそうだ。

「名前聞いて、じゃあ結婚宜しくって、馬鹿だと思わねえ?」
「……ユースタス屋が女を抱く、なぁ……。」
「…面倒臭えもん着やがって、一枚脱がすのにもうんざりだ。」
「はは、」

渇いた笑い。疲れているユースタス屋。近付く夕暮れ。俺の前の白いキャンバス。長く新しいコンテ。全てが俺にとっては奇異で、正しい関係に戻そうとする現実。

首を持ち上げたユースタス屋が俺を見る。トラファルガー、と俺を呼んだ。触れて欲しいんだろう。俺は腰を上げない。

「もう、来れねえだろう。」
「……あ?」

「匂いが、付くから。」

笑いながら言ってやるとユースタス屋が瞠目した。間抜けな顔。描きたい、かもしれない。

「……言ってる意味が分からねえ」
「そのままだよ、沁みったれた画材臭え旦那は嫌われるぜ?」


「此処にはもう来れねえよ、ユースタス屋。」



大きな音を立てて閉められた扉。俺はキャンバスを塗り潰す。紅と黒を潰れくたびれたチューブから捻り出し。原色のまま、何度も。何度も。

陽が沈んで室内が暗い。どす黒く濁るパレットと先が使い物にならなくなった筆を投げ捨て、ユースタス屋が座っていたソファへ沈んだ。もう温みは無い。ユースタス屋の匂いも無い。


何も知らねえ、不自由を知らねえ女。
不自由を知らなかったユースタス屋は明日からそれを感じてくれるだろうか。
欲しいものは手に入らねえままかよ、ユースタス屋は、俺は。


片手で目元を覆い、堪らず笑う。
箱へ手を伸ばし適当に掴んだ紙を抜き出すとそこには笑う男が居た。茶の線と、黄ばんだ紙。それだけの絵。 暫く見ない表情かもしれない。
変わらなく笑いかけるそれへ口を付けてそのまま眠りに就いた。





それから二日後の晩、俺は引き出しから取り出した安いピストルを手に、夜の街を駆けた。



end-
(何もない世界へ引金を)




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暗い……すみませんでした。
自分から突き放した癖に我慢出来なかったローさんでした。
このまま駆け落ちでもバッドエンドでもどちらでも。


















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