雲の流れが速い。
気味が悪い程の橙黄色に光る月を薄く隠す霞掛かったそれに、吐く息の白さと芯から冷えるような寒気とが強みを増した気がして ざくざくと音を立てる霜土へ跡を残しながら静寂を走った。
奴はもう着いて居るのだろうか。
トラファルガーの野郎からいつ番号を教えたかも知らない電伝虫が鳴ったのは今朝の事だった。簡潔に知らされた内容と言えば俺達が昼に辿り着くだろう冬島に奴等も数日程前から滞在しているから会いに来い、と言うものだ。返事をする間も無しにおおよその時間と場所を指定され一方的に切られた電伝虫を片手に立ち尽くす俺と、見物していた船員らの奇妙な表情と上陸してからのむず痒い気の遣いようの空気は忘れない。宿を出る際にキラーに無言で渡された普段よりも厚手のコートはどこまでも重く暖かく、南に居た頃には感ずる事の無かった「冬」独特の時間の流れには未だ慣れたものでは無かった。
こうして奴の思惑に何だかんだで嵌まってしまう自分に閉口するようになったのはもう、随分前の事だろう。
俗称で呼ぶなど更々御免な話だが、詰まる所俺達はそう言った関係に有る。悲しい事に。億の首を揃えた男海賊のその有り様は甚だ馬鹿馬鹿しい、しかしこの愚考を知らない足の逸りが全てを許してくれんじゃねえか、そう思いすがる愚かさにまた芯が震えた。
夜も更けるのが早いこの島なだけ有り、人気は当然の如く無い。奴が呼び出した街外れは尚更そうであり、びゅう、と静かに吹雪く風が耳を痛めた。冷え過ぎて熱くもある気がする。同様に感覚の麻痺する鼻先をすん、と鳴らして足を止めた。
トラファルガーの匂いが鼻を掠めたのだ。
「遅え、ユースタス屋。」
月明かりだけが葉を通り抜け照らす木の傍らに腰を下ろして居た男の姿を見た瞬間、
「…るせ、」
直に届くその低音を耳にした瞬間に、
性急に脈打っていた腹の何かが、殊更大きく跳ねて静まった気がしてならなかった。
厚着をして尚冷える俺に対し、奴の出で立ちは極めて簡素なものだった。
薄手の羽織りを見慣れたパーカーの上に重ね、革製の手袋が悪趣味な刺青を隠して居る。
「……勝手に呼びつけやがって」
「でも、来ただろう?」
ドクドクと 走ったせいだけでは無いだろう新しい脈打ちに息が詰まりながらも、立ち上がったトラファルガーの元へ足を進めた。近付くこいつだけの久方な異質が、懐かしい。
「ユースタス屋、」
「……、」
伸ばされた奴の片腕がゆっくりと月明かりを浴びて、柄にも無く綺麗なものだと思う。そうして頬を撫でる革独特の質感と無機質な冷たさから伝わる久々のトラファルガーの指の動きに、堪らなくなるのだ。
「トラファルガー、寒ぃ。」
「俺が生まれた島はもっと寒い。」
「知るかよ、」
「ふふ、素直に言えば良いのに。」
頬を滑り首を捉えた手首を掴んでから、背中に腕を回して薄い胸に額を預けた。
もう奴の匂いと鼓動と息遣いだけしか拡がらない、冷てえ。でもまあ、さっきよりは、幾分。
「寒い。」
「ああ。」
「足も耳も痛え。」
「赤くなってる。」
「鼻も痛えし、てめえは大して暖かくも無え。」
「…そうか。」
木へ背を預けたトラファルガーがずりずりと俺を抱えたまま腰を下ろす。
耳が痛いと言ったら両手でそれ包まれ、鼻を鳴らしながら文句を言ったら笑いながら鼻先へと口付けられた。
奴の挙動ひとつひとつが緩慢でもどかしく、でも嫌いでは無いから腕に力を込めた。そこで急かせば負けなのだ。
もっと触れて欲しいと
その低音が聴きたいと
それでいてその視線はやはりまだ少し苦手で、
でもお前の匂いは嫌いじゃ無えと
自分を騙しつつもいつも裏にあったこの愚かさをお前は知って居るんだろう。
「なあ、」
「何だ。」
「…いつまで居るんだ」
「……今聞くなよ、」
野暮だ。そう言ってトラファルガーは首筋を食んだ。
突如として伝わる熱と、否応無しに跳ねる肩、やんわりそれを抑える奴の手の平。
どうしようも無くなり顔を離して視線を絡ませると、やはり読めない、僅かに下げた眉尻の表情が瞼裏に何時までも残る。
その意図する所が分かってしまうまでにこいつに入れ込んでしまった俺はどうなる。
陰りが増したのは、雲が月を隠したからかお前が俺の髪に顔を埋めたからか。
「トラファルガー、まだ行くんじゃ無え。寒ぃんだ。」
「……行か無えさ、」
奴の出港日は 明日だ。
(霜枯れ時に触れるお前の胎動を、)
end-
(足りないと思う程に俺は)
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一万打企画にてリクエスト頂きました、「お互いに大好きな感じのロキド」でした!最近寒いですねって事で季節ものにしてみましたが何だかシリアスちっくに…(残念クオリティすみません´`;)
ぎゅうぎゅうしてる二人が書きたかったお話でした。
なつ様、この度はリクエストどうも有り難う御座いました!m(__*)m
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