行動の主体への譲歩と泊刻み。
対象は紛れも無く俺だった。
采を砕いたマエストロ
「随分早い帰りなんだな、まだ夕陽が見えている。」
「……、」
「風邪は引かなかったか?」
ぴたり、と身体こそ向けないもののきっかり人3人分の間を空けて停止した足が重い。トラファルガーは目にしなくとももう声色から伝わる独特の笑みを以てして、やけに通る低音を並べた。
何で居るんだ、この前の傘は何だ、どうして悩めば直ぐに現れる、どうして俺は止まってる、お前こそびしょ濡れだった癖に、どうして、。
俺は今 何を思った?
喉に込み上げる羅列は音に成らないまま飲み込まれる事も無く、挙動を阻む糊と化した。下を向いて男の足先が視界に入るだけで記憶に懐かしい嫌な汗をかいている感覚と、あまり覚えの無い割りにどうしようも無い圧迫感とに襲われる。
カラカラに渇いた口から漸く発せられた声は情けなく、小さく、暴言でも侮蔑でも男への返答のそれでも無かった。
「…、傘、何で、」
「どうして、だろうな。」
「おれ…は、」
「ユースタス屋?」
「……。」
震える喉と勝手に動く口が怖い。
視界に止まって居たトラファルガーの靴が音無く動き、ひとつ遅れて目の前に人の居る感覚が分かった。来る、な。
「言わなきゃ分かんねえだろう。」
「、」
「なあ。」
「…お前が、解ら、ねえ、から」
「…。」
来るなと一歩退がればまたしても片腕を捕まれた。こうされるのは何度目だ。5、だ。俺はちゃんと覚えて居る。この男はいつだってその細い腕の何処から出すのかも分からない力で俺を止めやがった。そして今もその冷たさは変わる事が無い。
「お前のせい、で、頭痛え、し」
「……。」
「…ッ寝辛くて、苛々、するし、」
散々だ、変態。
言ってしまったらもう吐きそうな程不快に逸る心臓が気持ち悪く、ずきずきと胃が痛かった。眩む感覚に鞭を打ち、顔を上げて垣間見た奴の顔を見てしまうと、もう。
何で、お前がそんな気難しい顔をしてやがるんだ。
耐えられなく足に力を込め階段へ目掛けて出来る限りの早さで駆け出した。
「おい、」
「なっ…!」
カンカンと駆け上がる古びた階段が不自然に揺れたと思えば足音は二人分。
頭が焦りに追い付かないまま逃げる様にして部屋を目指す。鍵をポケットから取り出して震える手でガチャガチャと解錠、開けた扉に吸い込まれる様に身体を滑り込ませ直ぐさまそれを閉め、
「っ!」
「ハァッ…待て、と言ってるんだ、」
「てめっ…!止め、ろ、!」
完全に閉まらない扉の下へ目をやるとトラファルガーの靴が半分、阻む様にして中へと滑り込んで居て、挟む扉がぎりぎりと音を立てて居た。
走ったせいもあり更にドクドクと荒くなる心音と息遣いが響いてまた目眩がする。
その刹那を見計らったかの様に奴の薄い手が扉の中へと侵入し、推し量る事の出来ない力で、とうとう、身体ごと招き入れてしまった。
バタン、と閉まる扉を背に肩で息をするトラファルガーが近付いて来る。
息が荒いのは俺も同じで、訳の分からなさと底を知らない外に居た時からの激しい動悸とが五月蝿い。
狭い玄関で後退れば直ぐに後ろのフローリングに膝下が当たり、打ちかけた舌が、止まった。
「本当なら、お前が迎えてくれるまで意味が無い。」
「や、め…!」
解せない言葉を聞くと同時にこの後に及んで何をする気だと思った瞬間、肩を掴まれ強く体重を掛けられる。
痛む背中と普段は見ない狭い天井、帽子が飛んだ奴の 顔。
掴まれた両の肩が戦慄き熱い。その箇所が脈打っている様子が分かる。気持ち、悪い。
「だけど、」
「ッ……」
「お前が全部取り払ったのが悪いぜ、ユースタス屋。」
「何、を…!」
恐ろしい程表情の無いトラファルガーが無理矢理に視線を合わせて来る。
「自分が言った言葉の意味が分かっているんだろうな?」
「俺は、ただ、!」
ただ、俺は、何だよ。
お前にもう現れるなと言いたかったのか?
違う
自分の不調をぶつける対象が欲しかっただけか?
違う!
「わかん、ねえんだよ…。」
「……。」
陽が差し込む狭い玄関は息を飲む音が鮮明な程静かで、
舐められた頬の熱はきっと夕陽のそれだろうと、相手を阻む右腕が震えた。
to be continue-
中々進まないです
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