楸、と名前を呼ばれて振り向く。
少し険しい顔をした珍太郎が、数学のノートを片手に立っていた。
楽しく雑談していた友人は静かに私のもとを去る。別にそういうの気にしなくていいのにと言えば、私が気にするんだわと少し強い力で叩かれた。痛い。
「はいはいなんでしょう」
「お前、さっきの数学の時間寝ていただろう」
素直に頷く。
ちなみにさっきの数学の時間のことなんて微塵も記憶にない。
食べようとしたスイカの水気を蚊に吸われてしまった夢のことしか覚えてない。そう言えば、珍太郎は一体どんな夢なのだよ、と少し気の抜けた声で言った。
「さっき習ったところは重要だと言っていたのだよ。テストにも出ると」
「え、マジか。やばいじゃんそれ」
「だから寝るなと毎回言っているだろう。何回言わせれば気が済むのだお前は」
仕方なさそうな顔でノートを差し出してくれる珍太郎は、ツンデレの代表格だと思った。
いつの間にか私の隣の席の椅子を引いて座っていた青峰氏が、ぶふっと吹き出す。
吹き出すだけではまだしも、ツンデレかよお前なんて言うから珍太郎は一気に不機嫌になった。
あーあ、言わなくてもいいことを言うんだから青峰氏は。
「あ、めっちゃ分かりやすい。ありがと珍太郎」
「これくらいたいしたことではない。あと珍太郎ではない」
「もういい加減諦めろって緑間。定着してんじゃん珍太郎」
これ以上にないあだ名だぜ?とニヤつく青峰氏に、珍太郎は不機嫌な顔を隠さないまま小さく舌打ちした。
いけない子だ。
でかい青と緑と戯れていた(?)時、突然教室がざわつき始めた。
不思議に思って辺りを見渡す。
「緑間」
よく通る声に、呼ばれた珍太郎だけじゃなく青峰氏までもが肩を揺らした。
声がした入り口に目をやると、真っ赤な頭をした男子生徒がこちらを見て佇んでいる。
左右非対称の色をした瞳に、思わず吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚に陥った。
青峰氏の制服を握る。吸い込まれないぞ。
訝しげな視線が送られてきたけど無視を決め込んだ。
「緑間、少しいいか。話があるんだ」
「ああ」
ざわつく教室のあちらこちらから、赤司君だよ、かっこいいなんて声が聞こえる。
そんな声を意に介した様子もなく、珍太郎を廊下に連れ出したその"赤司君"は、表情を変えないままなにかを伝えているようだった。
「赤司かよ。ビビったー」
「青峰氏が恐れるものがこの世に存在するんだね」
「お前オレをなんだと思ってんだよ」
「え・・・?えっと・・・」
「そこは普通に人間って即答だろうが。考え込むなバカ」
あれが"赤司君"か成る程。
青峰氏に髪の毛をグシャグシャにされながら、私は数学のノートを写すために自身のノートを引き出しから取り出す。
構えよつまんねーだろとボヤく青峰氏は軽くシカト。
ガキか己は。
余りにもしつこく髪の毛をいじってくるもんだから、シャーペンをぶっ指してやった。
手はバスケしてる青峰氏にとっての命だから、ほっぺ。
痛ぇっと涙目になる青峰氏は、図体に似合わず可愛らしい。
「おまっ手加減とかしろよ!」
「しつこい青峰氏が悪いんだよ」
「つーかほっぺて」
「意外と柔らかかったね」
もっと筋肉でガチガチかと思ったよ。そう言えば、表情筋まで鍛えるわけねーだろと呆れたふうに笑われた。
それもそうか。
数学のノートを写しながら、ふと視線を感じて顔をあげる。
あくびを漏らす青峰氏のずっと向こうで、"赤司君"がじっとこちらを見ていた。
咄嗟に下を向く。
なんだか、嫌な予感しかしなくて私は青峰氏の脛を軽く蹴った。
「痛ぇだろうが」
また髪の毛をグシャグシャにされた。