秘めやかなる逢瀬
 

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「ねぇサクラ、温泉行きたくない?」

カカシは言いにくそうに暫く目を泳がせていたが、意を決したようにサクラに向き直ると上目遣いに見上げて小首を傾げた。


ここは木ノ葉病院の中にあるうちはサクラの研究室。昼食後のもっとも眠気の襲う時間帯に、六代目火影であるカカシがサクラを訪ねてきた。
窓から見える桜の木は咲かせた花を全て落とし、瑞々しい若葉を一斉に芽吹かせている。
濃い茶色の窓枠に縁どられた緑と青と白の景色はいかにも気持ちが良さそうで、シカマルでなくともどこかの屋上でのんびりと雲の流れを眺めていたくなるような麗らかな日和だった。
少しだけ開けた窓から吹き込んでくるそよ風がとても心地よく、サクラの背中まで伸びた薄紅色の髪をさらさらと揺らした。

サクラの入れた緑茶を啜りながら言ったカカシの台詞を言葉通りに取るのならば、回答は行きたいです。の他はないのだが、しかし里で一番多忙なカカシがわざわざ病院にまで出向くということは、それなりの理由があるに違いない。
ぬか喜びをしてはいけないと、サクラの警戒心はアラートを発信している。いい大人がかわいこぶって部下に甘い蜜をちらつかせるなんて、怪しさしかない。ここは慎重に返答しなければならない。

「どういう意味ですか?六代目」
サクラが警戒心を剥き出しにして聞き返すと、カカシは観念したように肩を竦め、事のあらましを話し出した。


カカシが口にしたある男の名は、サクラにも聞き覚えがあった。それが何時だったか正確には思い出せないが、確か一か月くらい前のことだ。
仕事終わりに家へ帰る道の途中、一人の青年を助けたことがあった。
きっかけは知らないが、ひとりの酒に酔った男が青年に掴みかかり一方的に殴る蹴るの暴行を働いていたのを、たまたま通りかかったサクラが男の腕を捻り上げ、青年を助けたのだった。
警務隊に男をを引き渡した後、サクラは通りの端にしゃがみこんだ青年の前に膝を付き、男に殴られ切れた口元の怪我を治療した。
青年は、自分は大名家所縁の者だと言った。言われてみれば、ずいぶんと良い身なりをしている。歳はサクラと同じ頃だろうか。目鼻立ちのはっきりとした優男で、いかにも育ちが良さそうだ。
そんな家柄の人が何故付き人もなしにこんなところをうろついているのか。疑問を素直に口にすると、今話題の甘味屋の餡蜜がどうしても食べたかったのだと言った。
青年はへらりと笑い、サクラも知っている話題の甘味屋の紙袋を差し出して見せた。なるほど。確かに、そこの餡蜜は天下一品なのだ。
しかしそんなものは一言命じていくらでも買って来させることが出来るのではないだろうか。それとも好きな物は自分の手で手に入れたい性質なのか。その気持ちはサクラにも良くわかる。貰い物の餡蜜は美味しいが、自分で行列に並び手に入れた餡蜜もこの上なく美味しいのだ。

青年はサクラに藤巻と名乗った。
カカシが口にした名も藤巻だった。

「で、その大名様と温泉になんの繋がりが?」
「彼ね、サクラを気に入ったみたいでさ」
「はぁ」
「一緒に温泉に行って欲しいって」
「えぇ……」

思い切り顔をしかめてしまったサクラは、慌てて咳払いをして誤魔化した。気心知れた仲とはいえ、里長であるカカシに対してあからさまに嫌な顔を表に出してしまうのは宜しくない。
「その藤巻……様に気に入られたから、温泉宿で接待しろってことですか?」
口にするのもおぞましいが、端的に言ってしまえばそういうことだろう。サクラの遠慮ない視線に晒され、カカシはいやぁ、と気まずそうに頬を掻いた。

藤巻は一定以上の身分の者にありがちな性質を例外なく持ち合わせていた。幼いころから望む殆どのことが実現できる環境で育った為か、この手の輩は他人を動かすのに躊躇が無い。
「サクラには夫も子もいるって、それとなく伝えたんだけどね、そんなのは別に構わないと言われてしまってね」
歯切れの悪いカカシの言葉にサクラは呆れてため息をついた。
カカシとて、仮にサクラを見染めてどうにかしようとしているのだとしたらそれは出来ない相談だ、とはっきりと伝えたつもりだったのだが、藤巻にはわかっているのかいないのか、惚けているだけなのか。いいからお供に付けろと言って引き下がらない。

「サクラは里での地位もあるし下手なことはしてこないとは思うけど、中忍を一人付けるから頼まれてくれない?」
「……六代目」
サクラは湯呑に残ったお茶をぐいっと一気に飲み干すと、小さくため息を付いた。
「せんせい、でいいって」
カカシは困ったような顔で肩をすくめてみせた。下忍の頃から知っているサクラには、他人行儀に呼ばれると少々の寂しさを覚えるようだ。
「……カカシ先生、私は任務を選り好みする気なんて無いんです。火影からの正式な任務として命令してくれればいいのに」
サクラの言い分は最もである。カカシは里長として、部下に一言命じればいいだけの事なのだ。そこにサクラからの拒否権など本来在りはしない。
「そうする気が起きなかったんだよ」
泊まり込み任務となればサラダの世話を実家や友人に頼まなくてはならない。
任務とも言えない金持ちの道楽に、多忙な可愛い教え子を付き合わせるのが居た堪れなかった。

「私情を挟んでると身が持ちませんよ、先生」
「里の金で温泉を楽しめると思って、気軽に行ってきてよ」


数日後、改めサクラに言い渡された任務は、希少性の高い薬草の採取。そしてその道すがら大名子息である藤巻の温泉旅行への同行、というなんとも奇妙なものであった。
あくまでサクラにはサクラの正式な任務があり、そのついでに温泉ツアー御一行に付き添っているという体のようだ。藤巻からの拘束を出来る限り緩くしてやりたいという、せめてもの配慮なのだろう。サクラはカカシの気遣いに感謝した。
行く先は火の国のはずれにある山間の温泉宿だ。移動は国内のみであるし、命を狙われるような政治的背景も薄いが、形式上中忍がひとり護衛に就くこととなっていた。

カカシは何も言わぬし、サクラも聞かないが、この任務をサクラが受けることで、何かしら里が潤うカラクリになっているのだろう。
だからこそ、カカシもわざわざサクラの元まで出向いてくれたのだ。里に対する不信感含め、前もって詫びを入れてくれたのだ。
サクラとて木ノ葉の忍である。里の為になる任務であれば誠意をもって尽くしたいと思う。カカシの面目のためにも、うっかり藤巻の気を損ねることの無いようにせねばと意気込んだ。



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