■ 雪合戦という名の寓意


「まあ落ち着けよ、ご両人。話せば分かるだろ」
 銀の野原に佇立するのは、正しく透明人間であった。周囲の雪景色へ見事に溶け込む純白の衣を、身じろぐ度にぼろぼろと崩しながら物語る。やにわ飛び出した両手の向きから、それとなくその“物言う雪達磨”の中身が何処へ語りかけているかが分かったが、それはまるで見当違いの方角であった。
「なんだ、そんな雪塗れになってもまだ喋れるんだねぇ」
 ぽふぽふと手袋についた雪を払いつつ、フィンが笑う。そんな屈託の無い少年の傍らに舞い降りたのは、雪片と見紛う程の白さを持った、一羽の鷹である。温かそうな羽毛に首を埋めつつ、細めた瞳には何処か誇らしげな光すら宿っていた。
「私の事を“小鳥”だのと茶化して、雪合戦の頭数に入れなかった事を反省しているか? レゾン」
「ああ、勿論。この通りだ、ほら。神に誓って猛省してる。……今はこの誓いが正しく伝わるよう、アンタ達の知ってる神様と、俺が知ってる神様が同じであるのを、慎ましく願うばかりだ」
 頭から爪先までをみっしりと雪に埋もれたまま、律儀に挙げた右手は天を指す。果たして、それが通じたのかどうかは一人と一羽――否、二人のみぞ知る所ではあるが、攻撃の手を緩めた所から、どうやら誠意は汲み取ったらしい。
「でもさ、そもそも話せば分かるも何も、この結果を招いたのはそっちの落ち度じゃないの?」
 まだまだ余裕のある予備弾を爪先で転がしながら、少年は複雑そうに呟く。顔が見えない相手と会話をするのは、何とも奇妙な心地なのだろう。壁に向かって話しているかのような決まりの悪さは拭えない。
 しかし、きっちり返事がある以上、対話の体裁は取れるのだから、それがまた可笑しかった。さて、最初に挨拶を交わした時、確かにフィンは対戦相手《レゾン》の顔を見ているはずなのだが――どうも雪ばかり視界に入ってくると、記憶の輪郭すらぼやけていくようである。
「本当はフェアに2対2でやる約束だったのに、君が連れてきた相棒を勝手に帰しちゃったんじゃないか。どうするんだ、これから。まだ一人で頑張るつもり?」
「いいや、もう坊や達の実力は骨の髄まで凍えるほど分かった。だもんで、ちょっとピンチヒッターを呼ばせて貰うよ」

「ヒーローがピンチヒッター……普通、お前がピンチヒッターで呼ばれる側じゃないのか?」
「まーまー、固い事言いなさんなよ、お鷹様。SOSコールもヒーローの必殺技の一つなんだぜ。魂の呼びかけに応えるのが運命か、人間か、ただそれだけの話さ」
「魂の呼びかけねぇ……その格好で言われてもあまり説得力がないぞ、“英雄様”」
「ふはは、それじゃ聞くけどな。翼があるのを良い事に、空からぽんぽこ雪玉落としまくって俺をこの格好にしたのは何処の誰かなァ? カルセくーん?」
 あとで吠え面かくなよーと、如何にも負け惜しみ染みた台詞を発する雪達磨。ごそごそと懐を漁った後、ブラックシルバーの携帯電話を取り出した。視界はゼロのはずなのに、まるで雪の上に目があるかのような器用さで番号をプッシュし、当たり前のように頭部――と思しき雪塊の上部――へ宛がうと、何やら喋り始める。そんなレゾンを横目に、フィンはこそりと己の相棒へ囁いた。
「……魂の呼びかけって、ああいう機械でも出来るんだね」
「いや……どうなんだろうな。流石の私も、此処まで胡散臭いヒーローは映画の中でも見た事がないぞ」
「また映画ネタかー、カルセは映画自体観た事ないんだろ」
「よっし。フィン、カルセ。待たせたな、無事に交渉成立だ。助っ人が来てくれるってよ」
 澄ました顔で人間の文明を語る鷹に向かい、小さな笑みを含みながら窘めていると、どうやら自称英雄の“魂の呼びかけ”は無事に終わったらしい。二人の視線を一心に浴びながら胸を張る、腕だけが突き出た細長い雪の塊――やはり何度観ても奇妙だ。もういい加減に、自分で脱出を試みれば良かろうに。もしやほとんど氷になりかけている、あの凍てつくコートの着心地が良かったとでも言うのだろうか。
 そんな指摘をしたい気持ちを堪えつつ、ふうんと相槌を打つと、少年は緩やかに首を傾げた。
「それで、何時来るの? その助っ人は」
「今」
「今って……そりゃ三日後に来られても困るけど、流石にそんなすぐには来ないんじゃないの?」
「いいや、すぐ来るさ。なにせ――」

「なにせそのピンチヒッターは、呼ぶ声あらばサックリやって来る由緒正しい魔女なのデス」
「うわ!? お、お前どこから出てきたんだっ」
 くぐもった声が応じるのと、見慣れぬ少女の姿が現れるのとはほぼ同時だった。カルセの傍らにしゃがみこんだ黒髪の魔女は、物珍しそうに真白の鷹をしげしげ見やりながら、口元を埋めたマフラーに手を添えつつ頭を下げる。
「申し遅れました。こちら、ひつじと申します。粗大ゴミの回収から物干し竿の販売まで――萬相談承る、萬屋でもありマス」
「ゴミとか物干しとか、あんまり萬じゃない気がするのは俺の気のせいかなぁ……」
「まあまあ、そこは突っ込まないで頂けると嬉しいのデス、素敵な旅人さん。――時に、ひつじは雪合戦をしに呼ばれたと思いましたが」
「そうそう、その通り。久しぶりだな、ひつじ。ほら、覚えてるか? 俺だよ、俺」
 ようやく本題へと入ったのを良い事に、ここぞとばかり自己主張を始めるレゾンであるが、しかしてその全身は依然雪塗れである。一堂、何処か生暖かな視線を送った後、おもむろにひつじが首を横に振った。
「……すみません。ひつじは、生憎とオレオレさんに知り合いは居ないのデス」
「えっ、いやいや……! なんでこのタイミングでそんな冷ややかな対応になっちまうんだって! 俺だって、さっき電話で話してた」
「そういえば、どうも空が曇りがちで時間の経過が曖昧だが、もう私達は十分に雪合戦とやらをやったんじゃないか?」
「そうかもしれないけど、何が言いたいんだ。カルセ」
「――要約すると、そろそろ食事の時間なのではないかという事だ」
「それはまあ、そうかもねぇ……ひつじさん、だっけ。君はどう?」
「お食事をご一緒できるなら、時と場合は選ばないのです。どうせなら、あっちにある小屋で休憩しませんか。暖炉とかもあって、きっとあったかいと思いマス」
「それは良いな、じゃあ早速その小屋まで行くとしよう。メニューはどうせ、何時ものパンだろうが」
「悪かったな、何時ものパンで。文句があるなら食べなくて良いんだよ」
「そう機嫌を損ねるなよ、フィン。しかし、ミルクさえあればな……」
「牛乳くらいだったら、魔法で出しますよ。お任せなのデス、カルセさん」
「おお、それは良い! ――ん? しかし、何故私の名前を……」
「話せば長い事なので、お食事にありついてからお話するのデス」

 この短時間で、見事に意気投合を果たした三名は、新たなる共通の目的――即ち空腹を満たし、かつ歓談を交わす事ができる魅惑のランチを実現すべく歩みだす。
 遠ざかる気配を心の目で追いながら、ぽつねんと残された人影ひとつ。折しも、ぼこりと顔を覆っていた雪《マスク》が零れ落ち、ようやくレゾンの面貌が露になった。
 尤も、その無事を喜んでくれる者は、今となっては誰一人居ないのだが。耳が痛いほどの静寂は思索に耽るのにもってこいである。長年の苦悩にピリオドを打つ妙案だって思いつくかもしれない。
 とはいえ、頭を廻るのは“人を見かけで判断してはならぬ”、否、“鳥は見かけで判断してはならぬ”という教訓ばかり。自らの軽口によって灸を据えられるのはこれが初めてではない悪餓鬼《ヒーロー》はボウと空を仰いだ後、一度だけ明るい自嘲を零すと、潔く頭を垂れた。
「……さて、寝るか」



『 雪合戦という名の寓意』
(余談ながら、不貞寝をした悪童を見捨てられず、一行が彼を迎えに来るのはそれから3分後の事である)

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